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2016/04/26

原民喜「幼年畫」(恣意的正字化版)附やぶちゃん注 「不思議」

[やぶちゃん注:以下の「不思議」は昭和一三(一九三八)年一月号『日本浪曼派』を初出とする。当時、民喜満三十二歳。]

 

 不思議

 

 毎朝、父は臺所の外で眼白の餌を拵(こしら)へた。小さな擂鉢を立つたまま胸のあたりに抱へて、へずりと糠を水に溶いて擂り廻す。その音が輕快に葡萄棚の下のすきとほつた空氣に響いた。するとバケツで水浴をさされた小鳥は、翼をぶるぶる顫わせて、籠のなかを飛び移る。眼白の動作と、餌を作つてゐる父の呼吸が不思議に合つて娯しさうだ。それで雄二は父の傍に立つて、父の口鬚を眺める。父は野菜畑の方を見廻しながら、胡瓜の實を見つけて捩ぎに行く。

 朝食が濟んで父が出掛けて行くと、間もなく肴屋がさつき眼白の餌を拵へたところへ、籠を置き、俎の上ではげの皮を剝ぐ。その皮は側の柱に貼られて、カラカラに乾かすと、それで着物の糸屑などが掃除出來るのだ。籠のなかには、鯛に鰈に赤鱏(あかえひ)にめばる。たひにかれひにあかえひにめばる――と母は籠を見下してゆつくり口遊(くちずさ)む。あかえひさんにかれひさんにと魚屋は庖丁を動かしながら呟く。ついでにあかえひさんを貰ひませうか、と母は云ふ。雄二は母の背中の上からその景色を眺めてゐる。魚屋が歸ると、母は雄二を負つたまま庭の方から緣側へ行く。便所の屋根の上に石榴の花が咲いて、眞靑な空に雲が浮いてゐる。「お前がひとり子だつたら、かうして毎日負つてあげるのだがね」と母は雄二を緣側に下しながら云ふ。兄姉達がみんな伯母に連れられて避暑に行つてしまつたので、雄二は當分ひとり子のやうなものだつた。家のうちが廣くなつて、樣子がちがつてゐた。

 雄二は父が大阪から土産に買つて來て呉れた獨樂を憶ひ出す。豆粒ほどの大きさのなすびにひようたんに西瓜にかぼちやにかぶに大根の獨樂。なすびが一番よく廻つて、廻つて澄むときは影のやうだ。それがよろよろと緩くなつて疊の上に倒れると、再びなすびになる。雄二はあの獨樂を出して見ようとしたが何處へやつたのかわからなかつた。それで臺所へ行つて母に尋ねる。母は何時ものやうに、魔法に訊ねて見なさいと云ふ。それで雄二は家の中をぐるぐる廻りながら、……魔法が隱した、他人(ひと)のもの隱した、と歌ふ。その聲を何處かの隅で魔法は聽いてゐて、今に恥しくなつて出して呉れるのだらう。しかし、なぜそんないたづらをするのだらうか。雄二は眼に見えない魔法の姿を考へる。座敷の机の下は暗く、床の間の天井はもつと暗い、魔法はそんなところに隱れて聽いてゐるのかもしれない。暗いところに隱されてしまつた、美しい獨樂が可哀相でならない。そのうちに雄二の眼にはふと、床の間の置物が映る。二人の支那人が一匹の牛に乘つてゐる、鐵の置物だ。支那人は牛の背の上でゆつくり何か考へてゐる。支那人は牛に乘つて進んでゐる積りなのだらうが、何時まで經つても同じ姿だ。その二人の大人の顏を見てゐるうちに雄二は獨樂のことを忘れた。そしてお菓子が欲しくなつた。すると、また獨樂のことが一寸頭に浮んだ。しかし、和田屋の婆さんが賣つてゐる、赤や靑のボンボン(bonbon)が、今は頻りに欲しい。雄二は臺所へ行つてみると、母の姿がない。そこで、急に淋しくなつて大聲で母を呼んでみる。「ほい」と何處かで聲がする。雄二は前よりもつと切なさうな聲で母を呼ぶ。「ほい」と母の聲は微かで賴りない。三度目に雄二の聲は大分曇つて來る。すると、ほつと、母の顏が臺所の入口に現はれた。雄二はまづ安心して、それから思ひ出したやうに五厘ねだる。五厘玉を貰ふと、早速表へ飛出して、和田屋の方へ歩いて行く。和田屋の橫には交番があつて、巡査がゐる。あんまり買食をするとおまはりさんが連れて行くと云ふので、雄二は一寸心配なのだ。そろつと交番の方を見ると、おまはりさんは涼しさうな顏でゐる。知らない顏をしてゐて、みんな憶えておくのかもしれない。それでも雄二は和田屋の土間へ這入つてしまつた。足音を聞いて、薄暗い奧から、婆さんが出て來る。雄二は五厘玉を握つた手で、硝子戸の上から bonbon を指差す。婆さんが新聞紙で作つた小さな袋に拾ばかしボンボンを入れて呉れると、雄二は受取つて、懷にしまひ込む。それから大急ぎで和田屋を飛出すと、とんとん走つて家へ歸る。

 菓子を食べながら雄二は庭さきを眺めてゐた。風呂場の硝子戸にまつ靑な空と雲が映つてゐる。簷には梅の靑葉が深々と茂つて、葉洩陽の縞が美しい。むかふの垣根のあたり、大きな櫻の樹に藤が絡みついてゐる。その傍に小さな井戸があり、庭梅と山吹が茂つてゐる。井戸のところへ、陽の光が照りつけて、雜草の綠がかあつと明るい。微風が樹の葉を動かしてゐるので、樹の葉が、飜る時光線が動く。見てゐるうちに庭がずんずん動いてゐるやうな氣がする。その時、一羽の揚羽蝶が微風に乘つて、漾つて來た。蝶はふんわり庭を橫切り、間もなく隣の方へ行つてしまふ。ふと、雄二は先達(せんだつて)、父に連れられて見に行つたパノラマを憶ひ出す。西の方の賑やかな街で、切符を買つて、地下室のやうなところへ這入ると、左右の窓の景色がずんずん動いて行つた。家も樹も人も、輕快な音樂につれてぐるぐる廻つた。雄二はまるで夢中で恍惚としてゐたが、其處を出ると外は普通の夜の街だつた。父は雄二に、「汽車に乘つたのだよ」と云つて笑つたが、雄二は未だに不思議でならない……

 ぢつと、眼を宙に漾はせてゐると、何だか透明な輪のやうなものが浮ぶ、それが暫くすると、少しづつ空間を動き出して、おやつと思つてゐるうちに簷の方へ去る。また暫くすると、何處からか別の輪が生れて來て、雄二のすぐ眼の前を悠々と泳いで行く。あれが魔法かもしれない、と思ふと、雄二は急に心細くなる。そこで座敷を掃除してゐる母のところへ大急ぎで行く。母は頭に手拭をかむつて片手にはたきを持つてゐる。

 

 或朝、父は雄二を連れてI(アイ)島へ行くのだつた。陽がまだ高くならない、朝の街を通つて、K橋を渡つて、驛の方へずんずん二人は歩いて行つた。雄二は生れて始めて今日、汽車に乘れるので、大變緊張した顏をしてゐた。父の手をひつぱるやうにして、一生懸命、父より速く歩かうとした。打水をされた路は、朝日でピカピカ光り、時々、泥が下駄に跳ね上げた。砂糖屋の前には、荷馬車が停めてあり、その荷馬車には白い馬が繫いであつた。何時も見たことのある馬が今日も雄二の眼に映つた。そのうちに父と雄二はE橋の上まで來た。すると、むかうから乘合馬車が勇しい喇叭を鳴らしながらやつて來た。もう向うの河岸には、驛の松原が見えるのだつた。橋を渡つて松原に入ると、大きな洞穴の出來てゐる松や、眞中から二つに裂けた松があつた。鳴神が落ちて裂けたのだといふ松には爪の跡らしいものもあつた。間もなく、驛の廣場へ出て、人力車の並んだ驛の入口が見えてゐた。父は餠の家で、「兄さん達に餠を買つて行つてやらう」と云つて、餠を買つた。そこの餠は雄二も大好きだつた。

 やがて、驛の待合室に這入ると、壁の大きな鏡に雄二と父の姿が映つた。父は浴衣を着て、カンカン帽をかむつてゐた。雄二は白い布の帽子を目深にかぶり、片手にハンケチを持つてゐた。鏡に映る父の眼は、雄二を連れてゐるので微笑してゐたが、雄二の眼は氣ばつてゐた。鏡の橫には、大きな額があつて、綠草の上に鹿の群がゐる繪だつた。父が切符を買つてからも、なかなかまだ汽車には乘れなかつた。雄二は赤帽が荷車を押して行くのを見とれたり、もうむかふの線路には機關車が留つてゐるのに、どうして乘れないのかと不審に思つた。その機關車だけの車は、急にピーと大きな響を發して、シユツシユツと白い湯氣を吐きながら、勝手に走り出してしまつた。そのうちにまた汽車が來て留まつた。見ると、黑い箱のなかには牛が乘つてゐるので、雄二は驚いた。牛は橫に嵌められた板の隙間から一寸鼻を覗かせて、ごそごそしてゐた。すると、その時、ベルが鳴つて、改札が始つた。雄二は父に手をひかれて、牛の箱の前を通り過ぎ、高い木の階段を昇つて行つた。昇りつめると、そこには小さな明るい窓があつて、線路が遠くまで見渡せた。階段を降りると、今度はホームの洗面所のところに立つて待つた。雄二は汽車がどちらからやつて來るのか解らなかつたので兩方をかはるがはる眺めた。「そら來たぞ」と父が云ふ方角へ目をやると、汽車は黑い塊のまま、突進して來るのだつた。もう雄二の眼の前には汽車が留まつた。ドアが開いて、雄二と父は一つ箱へ乘つた。始め何とも云へない、にほひがそこにはあつた。父は雄二を窓の側へ腰掛けさせた。室内を見渡すと、大人ばかり七八人ゐた。

 そして、汽車は到頭動き始めた。段々速くなつて、響が大きくなつた。家々の瓦がピカピカ光つて、窓の下を過ぎた。「そらN公園だよ」と云ふ父の聲で、氣がついた時は、もうN神社の石の鳥居は後方にあつた。そして、鐵橋へ出た。下を見ると、白い河原砂の上に草が茂つてゐて、靑い水の流れにボートが浮んでゐた。轟々といふ響が消えたかと思ふと、今度は窓の外で、ばたり、ばたりといふ音が聽えた。薄暗い軒の下で、織物をしてゐる人の姿が一寸見えた。段々、眺めは廣々として來た。もう雄二の知らない處を汽車は走つてゐるのだつた。

 藁葺の屋根や瓦の屋根が入混じつてゐるところに次の驛があつた。汽車はその驛にちよつと停つた。驛の廣場には荷馬車が幾臺も留められてゐた。ホームの圍には石炭が山と積まれてゐて、黑くギラギラ光つてゐた。また汽車は走り出した。「そら、電信柱やら、田が、みんな後へずんずん走つて行くだらう」と父は窓の外を指差して雄二に語つた。雄二はもう前からそれに氣づいてゐたのだが、さう云はれると、一層注意して外を眺め出した。窓の近くにある電信柱はすぐに目の前を掠めて行く。遠くの電信柱は比較的ゆつくりと現はれては移つて行く。一つが去つても、またすぐ後から現はれて來る。電線が氣持よく靑田の上に續いてゐて、時々、風にちぎられて汽車の煙は、その邊まで飛んで行つた。はじめ、行手にぽつちりと靑い塊が見えると、それが段々大きくなり、幅が擴つて三角になり、やがて眞四角な靑い田となつて、正面に現れるが、後へ去るに隨つてまた段段歪んで小さくなるのを、雄二は熱心に眺めた。どの田もどの畑も、汽車が來るとまるで大騷ぎして動いてゐるのであつた。畝道のなかに、小さな茅葺の祠(ほこら)が見えた。その屋根は見る見るうちに、指で捻られるやうにぐるぐる廻りをした。やがて、白つぽい路に、大きな松が次々と現はれた。

 そして汽車は間もなく次の驛に停つた。すると、胸に大きな函を吊した男が、雄二の窓のところへやつて來て、「ビールに正宗に保命酒」と云つた。函のなかにはサイダーもあつた。汽車が再び動き出した。松原路は何時か橫の方へ外れて、また田や畑が見えて來た、蓮芋畑や南瓜畑がところどころにあり、靑い田には水がちらちら光つた。空を涼しげな白雲が飛んでゐた。その雲は隨分長い間汽車に隨いて走つてゐた。それでも到頭汽車の方が勝つて、雲が無くなつた。すると、靑田のまんなかに、大きな次亞燐の瓶を抱へた、相撲取の廣告が現れた。その次には葡萄茶(えびちや)の袴を穿いた、庇髮の女が現れた。廣告板の上を燕が氣輕さうに飛んで行つた。庇髮の女の眼は雄二を默つてじろじろ視てゐるやうに思はれた。そのうちに汽車はまた驛に這入つた。そこには石灰(いしばひ)の俵がいくつも積んであつて、黃色な花が咲いてゐた。驛を過ぎると窓の近くに山の崖は見えて來た。崖に生えてゐる雜草は露で濡れ、處々、花崗石がキラキラと光つた。そして、突然、海が見え出した。

 雄二は始めてみる海を眩しさうに眺めた。沖の方にはいくつもの島があつて、綠色の水が一めんに續いてゐた。それは父が旅から持つて歸つた『大阪パツク』の繪にある海とよく似てゐた。汽車の窓に、頻りに涼しい風が吹寄せて來て、海の匂ひがした。その時、父は沖に見える、まん圓く盛上つた小島を指差して、「あれが、あまのじやくの流された島だよ」と云つた。雄二はその島を一生懸命視凝めた。すると、まん圓く盛上つた、松林の髷(まげ)のやうで、一本だけ高く伸びてゐる松が簪に似てゐるので、雄二はふと怖くなつた。不思議なことに、その島のまはりは、透明な暈が茫と光つてゐるのだつた。しかし、やがて、天邪鬼の島も他の島に隱されてしまつた。そして不意と、海は無くなつた。汽車は畑のなかを過ぎて行き、また驛に停まつた。雄二はまだ、あまのじやくのことを考へてゐた。

「そら、今度はトンネルがあるよ」と、汽車が動き出した時、父は云つた。すると、雄二はまた生々と目を輝かした。汽車もトンネルを潛らうとしてゐるので、大變、活氣がついて來た。しかし、なかなか、トンネルへは來なかつた。田や、畑や、人家が縺れては、ほどけた。そのうちに、ピーと鋭い汽笛が鳴つたかと思ふと、窓の兩側は薄暗くなり、窓硝子がガタガタ搖れた。が、すぐにあつけなく明るいところへ出てしまつた。「今のは短かつたね、この次のはもつと長いよ」と父は云つた。ふと、向うに、トンネルの入口が見え、そこを今汽車の頭の方がずんずん近寄つて行くのが見えた。間もなく、ピーと汽笛が鳴つた。窓硝子がガタガタ搖れ、兩側は薄暗くなつた。と、思ふと、天井には電氣が赤く點されてゐるのだつた。雄二は窓の闇に眼を据ゑ、まるで自分ひとりがトンネルを潛つて行くやうにぢつと息を殺してゐた。開いてゐる窓から煙が迷ひ込んで來た。次第に窓の外は靑白くなり、やがて、ハツと明るいところへ出た。急に窓の外の景色が美しく思へた。窓には靑々とした松や、白い路があつた。反對側の窓には低い禿山が見え、その中腹あたりに、小さな家が二三軒あつた。そのうちに、再び海が現れた。今度はすぐ近くに、かなり大きな靑々とした島があつた。陽の加減で、その島は多少煙つてゐた。「あれがI島だよ」と父は指差した。「そら、あそこに汽船が浮んでるだらう、あの船に乘つて行くのだよ」汽船は恰度、陸とI島との眞中あたりの海に、玩具のやうに浮んでゐた。「そら、あそこに赤い鳥居が見えるだらう、あれがI神社」さう父が説明する鳥居は、I島の海に小さく浮んでゐた。雄二は、どうして、ここから直ぐ汽船へ乘つていけないのか、不審に思つた。海は再び姿を消した。雄二はいよいよわからなくなつた。が、間もなく、汽車はM驛に這入つた。「さあ、ここで降りるのだ」と、父は雄二の手を引いて立上つた。汽車を降りると、雄二は今更のやうに振返つて、機關車を眺めた。キラキラ光る管(くだ)や、圓く黑い頭のやうなものや、まだ煙を吹いてゐる煙突が、變に暑さうであつた。雄二は藤棚の下を通つて、廣場に出た。すると、左右に並んでゐる旅館には白い布を掛けたテーブルが置いてあつて、盆にはサイダーやビールが並べてあつた。しかし、汽車から降りた人々はみんな、ぞろぞろと、棧橋驛の方へ急いだ。その棧橋驛の向うにはさつき見たI島があつた。雄二が其處まで來ると、あんまり眞近かにI島が見えるので、ちよつと變な氣がした。父はその石垣から、海を見下ろしてゐたが、ふと、雄二を手招いて、眞下を指差した。「そら、隨分澤山魚がゐるだらう」靑い水の層にパツと一群の小魚がチラチラ腹を光らせながら泳いでゐた。

 ボーと大きな汽船が鳴つたので雄二は振向いた。何時の間にか、そこには汽船が大きな姿で近寄つて來た。黃色の煙突、キセルのやうな大きな管、汽船の腹には、人が並んでゐて、その汽船には二階もあつた。やがて、汽船は棧橋に着き、そこからぞろぞろと人が降りて來た。雄二は驛に這入つて暫く腰を下した。すぐ前の棧橋に汽船は橫づけにされてゐるのに、なかなか改札は始らなかつた。驛の柱時計は振子のところが古びた金網で圍はれてゐた。振子はゆるゆると暗い網のなかを往來した。そのうち到頭、改札が始つた。雄二は父と一緒に海に突出た石の道へ出て歩いた。兩側の石垣の上には、ところどころ植木鉢が置いてあつた。雄二はふと、ハンケチが氣になつて、左手を眺めると、やはり忘れないで持つてゐた。父が雄二の手を引いて、鐵の橋を渡り、大きな板の棧橋に出た。棧橋と船との間には、四五寸靑い隙間があつた。雄二はそこを跨いで、甲板へ渡つた。すぐ目の前に機關室に通じる階段が口を開いてゐて、エンヂンのいきれがそこから這つて來た。雄二は父に導かれて、船室へ這入つた。綠色のソファの上には硝子窓があり、海が見えてゐた。そこに腰を下ろしてゐるうちに、ボーと汽笛が鳴り、床の上がガタガタ搖れ出した。雄二は立上つて、父と一緒に舷(ふなばた)の方へ出てみた。すると、今、するすると纜が解かれ、船は出て行くのだつた。やがて、棧橋を離れたかと思ふと、ガタガタと變な音をたてながら、船は方向を更へ始めた。白く泡立つ波が、盛に舷に嚙みついた。ふと、雄二の眼の前には、I島が見えて來た。雄二が不思議がつてゐると、父は雄二を船尾(とも)の方に連れて行つた。と、さつきの棧橋はもう遠くに去つて、今は靑々とした水が續いてゐた。船は白い三角形の波を曳いて進み、その白い波は後から後から追つて來た。靑い水の面は高く低く搖れて、それから段々穩かになるのだつた。雄二の肩には頻りに風が吹いて來た。時々、日向くさいニスの臭ひや、汽船の臭ひが風に運ばれて渡つた。ふと、雄二の眼の前を、黃色い蝶がヒラヒラ掠めて行つた。蝶は波の上を風に煽られながら、今にも沈みさうだつたが、すぐに見えなくなつてしまつた。雄二は船尾に据ゑられた大きな浮袋をぼんやり眺めてゐた。暫くして、父に促されてまた船首(へさき)の方へ行つた。すると、もうI島は眼の前に大きく近づいていゐた。海のなかにある赤い鳥居も大きな頭の方に日があたつてゐるのが、今ははつきり見えた。その後には神社の朱塗の建物が見え、それを抱へるやうにして、綠色の山が茂つてゐた。こんもりと茂つた山が刻々と近づいて來ると、雄二は多少の不安を覺え出した。ボーと雄二の背後で汽笛がゆるく鳴つた。船は速度を緩めて、棧橋に對つて、ずんずん近づいて行つた。やがて、ボウボウボウと續けざまに汽笛が鳴り、白い湯氣の輪が管から吐き出された。纜は、むかふにゐる人にむかつて投げられた。汽船はすつかり板とすれすれに橫腹を接した。人がぞろぞろと降り始め、雄二も父に手を引かれて、四五寸の海を一跨ぎした。改札口を出ると、すぐ橫の方には山の崖があり、松が茂つてゐた。

 久しぶりに雄二は土地の上を歩くやうな氣持がした。小粒の砂利が下駄の下でさらさらと齒ぎれよく鳴つた。非常に明るい空氣や、爽やかな匂ひが、そこには滿ちてゐるやうだつた。路傍の芝生に日があたつてゐるのを見ると、雄二はふと元氣になつた。海岸の片側に並んでゐる旅館からは、軒毎に人が出て雄二の父に聲をかけた。海岸の路を過ぎて、日蔭の小路に入ると、兩側は土産物を賣る店で、賑やかだつた。貝細工や杓子や彫刻が、どの店にも一杯に飾られてゐた。雄二はそのなかに眼の飛出るだるまや、硝子玉のなかに鏤められた造花や、張子の虎などが吊るしてあるのを珍しさうに眺めた。汽車の玩具も、積木細工も、竹馬の首も、雄二が玩具屋で見憶えてゐるものが次々と現れて來た。小さな陶器でI神社の風景を模造したものや、レンズのついた函にI島の繪はがきを嵌めたものなどあつた。どの店からも、おかみさんが雄二達に聲を掛けるのであつたが、父はとりあはない顏でさつさと通り過ぎて行く。それで、雄二も努めて、何にも欲しくないのだ、といふやうな顏で父について歩いた。小路を曲ると、稍々廣い路に出た。そこには旅館や、飮食店や、土産物を賣る店がなほ兩側に並んでゐた。玄關から座敷の方に海を見通せる旅館もあつた。

 片側の家が跡切れて、海が見えるところに來ると、父は立止つた。そこは、和船の荷揚場になつてゐて、石段の下の引込んだ海には帆船や傳馬船が群がつてゐた。そしてそのむかふに、今、眞黑なぼろぼろの汽船が碇泊してゐた。斜めに傾いた二本の煙突や、風に靡く汚れた旗が、何か雄二には物凄く思へた。その汽船を浮べてゐる海と空は、漲ちきれるほどの光で滿ちてゐたが、今にもくらくらと崩壞しさうな景色だつた。しかし、父は一向平氣で、遠くの方を指差しながら雄二に云つた。「そら、さつき乘つた船があすこにゐるよ」遙か遠くを走つてゐる、その小さな汽船は、玩具のやうに優しく雄二の眼に映つた。間もなく、父は歩き出した。家並が盡きて、左に山の崖が聳え立ち、右手に海が見える路へ出た。むかうには鳥居も見え、神社の建物もあつた。海は鳥居の邊まで潮が退いて、そのむかうは眞靑だつた。海の側(がは)に二三間置きに石燈籠があり、松が並んでゐた。崖の方の上からは、松が這ひ、枝に蛁蟟(つくつくほうし)が啼いてゐた。枯松葉や松毬の落ちてゐる、白つぽい道だつた。明るすぎる眼の前を時々、鹽辛蜻蛉が掠めて行つた。石の鳥居を潛ると間もなく、I神社の入口が控へてゐたが、左手には高い石段が聳えてゐて、その上の方に、鳶色の五重の塔が空に突出してゐるのを、雄二の父はまづ指差した。塔の先端は針のやうに光つて、油つぽい靑空にあつた。

 それから父は雄二を、神馬(じんめ)のところへ連れて行つた。格子窓の暗い奧では、元氣のない白い馬が、人の姿を見て、ゴトゴト蹄を動かせた。二人は石段を降ると、I神社の廊下で、下駄を脱いで、手に持つた。廊下の下の海は水が退いて濡れた砂を橫たへ、ところどころに水溜もあつた。下の方の柱に、牡蠣殼が白く着いてゐるのを雄二は眺めた。濡れた砂の上を小さな蟹が這つてゐたり、砂にまじつて、がうな貝があつた。廊下を進んで行くと、朱塗の柱と欄干はつぎつぎに現はれた。ふと一つの曲り角まで來ると、其處には竹の仕切がしてあつて、むかふに反(そり)橋があつた。あんな反り返つた橋が渡れるかしらと、雄二は感心して眺めた。少し行くと、欄干の外に、大きな手洗鉢が据ゑてあつた。靑銅で拵へられた龍が、その手洗鉢に首を突出し、木片を銜へた腭(あぎと)からは頻りに水が流れてゐた。その、むかふの砂地に、凹んだ水溜があり、そこに白い鶴の姿があつた。はじめ雄二はほんとの鶴かどうかわからなかつたが、見てゐるうちに脚を動かし出した。何時の間にか、雄二と父は廊下の出口へ來てゐた。そこには鹿が澤山集まつてゐた。側の店で、乾芋を一袋買ふと鹿はすぐに父の側へ集まつて來た。黑い眼をした鹿は、お腹のあたりを、ピクピク動かして、乾芋を食べた。そして紙袋まで、一匹の鹿は食べてしまつた。雄二は始めて視る鹿に瞳を凝した。「そら、あんなに小さな鹿もゐるね、あれは鹿の子供だよ」父がさう云つて指差す小鹿は、お母さんらしい鹿のほとりを何時までも離れやうとしなかつた。

 そこから、海に突出た岬のやうな路を進んで行くと、松の上では鴉が啼いてゐた。松の間にところどころ石燈籠が置かれ、片方には水のちよろちよろ走つてゐる小川があつた。やがて、二人は石の橋を渡つて、向ふ岸に來た。山がすぐ海岸まで迫つてゐるところを曲ると、また廣々とした眺めに出た。片方には山に登る路が見え、片方には入江のやうな海があつた。別莊らしい玄關の橫では、噴水の池があつた。父は路傍の叢を指差して、「そら、鹿のふん」と云つた。黑豆のやうな糞は、ぽろぽろと草の中にあつた。なだらかな芝生の傾斜が行手に見えてゐた。

 その時、「姉さんが迎へに來た」と父が云つたので、雄二は始めて氣がついた。淸子は麗かな笑顏で、もう雄二のすぐ眼の前にゐた。姉は父に一寸お叩頭して、また嬉しさうに笑つた。雄二は姉さんがこんなところにゐるのが、まだ不思議な氣持だつた。急にやつて來たので、どうもをかしかつた。そのうちに、むかふの藁屋根の格子窓から兄の大吉の「わーい」とおらぶ聲がした。すると、父は「わーい」とおらびかへした。窓には、上の兄の貴麿や、伯母の顏も覗いた。と思ふと、表に菊子姉の姿が飛出して來た。次いで從姉の弓子の姿があつた。それで、雄二は淸子姉と父に兩方の手を引かれながら、悠々と進んで行つた。

 家へ這入ると、六疊の部屋は薄暗かつたが、正面の格子窓から見える景色は大變明るかつた。格子窓には、隅にランプやら釣竿が置かれてゐた。雄二は暫く、賑やかな部屋の中央で、ぼんやりしてゐたが、そのうちに、格子窓のところへ行つて、大吉の眞似をして外を眺めた。「カ、カ、カ、カ」と大吉は得意さうに鹿を呼ばうとするのであつた。鹿はすぐ前に海岸の路をすつすつと歩いて行つた。「今に可哀相な鹿が通るよ」と菊子は雄二に説明した。「その鹿はね、首のところへバケツがひつかかつてとれないの、あんまり、いやしんぼうした罰なの」さう云つてゐるうちに、五六匹の鹿の群が左手から現れた。

「やあ、あの鹿がゐらあ」と大吉は遠くからそれを認めて、大聲で喚いた。「やつて來ましたか」と伯母も立上つて格子のところへ覗いた。すると他の皆も格子のところへ出て、その鹿を見ようとした。鹿の群はぞろぞろと前の道にやつて來た。そのなかの一匹は、首にバケツをぶらんぶらんさせながら、如何にもつらさうな姿だつた。皆が大聲で「カ、カ、カ、カ」と呼ぶと、鹿は窓の下まで近づいて來て、投げてやる菓子を拾つて食べ出した。首にバケツを吊した鹿も今窓のすぐ下までやつて來た。バケツの柄は骨の肉に食込んで、首は痛さうに傷ついてゐた。「あのバケツとつてやれないものでせうか」と父は伯母に話した。「さあ、やはり駄目なのでせうね」と伯母は云つた。そのうちに他の鹿が去り出すと、哀れな鹿も皆について行つてしまつた。

 鹿が去ると、父や伯母はまた格子を離れた。そして父は今朝驛で買つて來た餠を皆に分けた。菊子は相變らず雄二にいろんな説明をして呉れた。「そら、今、そこに通つてゐるのは、支那人で、乳母車のなかにゐるのは西洋人の赤ちやんよ」黑い服を着た支那のお婆さんは、小さな靴を穿いてゐて、綺麗な乳母車を押して行つた。すると、その後から胸の突張つた西洋婦人が日傘をさして歩いた。「やあ汽車が通るぜ」と大吉は云つて、「雄二、見えるか見えないか」と尋ねた。「ほら、このまつとほり」と菊子は指差した。向ふの岸を今、汽車は玩具よりも小さな姿で這つて行つた。「ね、あそこにトンネルがあるのよ、それで一寸見えなくなるでせう」雄二はさつき通つて來たトンネルが、もう隨分昔のことのやうな氣がした。「あ、トンネルなら知つてる」雄二は云つた。「いくつトンネル通つて來たか憶えてゐるかい」と大吉は尋ねた。「一つ」と雄二は答えた。「やあい、やあい、一つださうだ」大吉は囃し立てた。「ううん、二つだつた」と雄二は云ひ直した。「云ひ直したつてもう駄目さ、やあい、やあい、トンネルが一つとは呆れたもの」「大吉、大豆、大嫌」と雄二も云ひかへした。すると、大吉は拳固を振上げて、雄二に挑みかかつた。「こら、こら、來るとすぐ喧嘩しちやいかん」と父は二人を制して、「皆で海へ行つて少し遊んでおいで」と云つた。すると淸子が、「さあ、みんなで貝拾ひに行きませう」と誘ひかけた。

 雄二も大吉も、菊子も、淸子について前の砂濱へ行つた。後から貴麿と弓子もすぐにやつて來た。「この貝殼お母さんに土産にするといいわ」と淸子は美しい爪のやうな貝殼を雄二のハンケチに包んだ。すると、菊子も弓子もいろんな貝を拾つては雄二に呉れた。大吉は雄二達と離れたところで、貴麿を相手に、水にむかつて石の飛ばし競爭をしてゐた。時々、大吉の投げる石は水の面を一つ二つ掠めてうまく跳ねて行つた。雄二は時々、陸の方の藁葺の屋根に眼をやつた。そこの屋根にはぺんぺん草が生えてゐた。屋根の下に父がゐるのかどうかが不思議に氣になつた。「そらむかふに靑々と茂つた杉林があるでせう」と菊子は指差した。「あそこはO(オー)公園なの、毎朝みんなで、あそこの林の奧の谷へ、顏を洗ひに行くと、とても氣持いい水が流れてるのよ」と云つて菊子は氣持よささうな表情をした。その時ふと、沖の方を大きな汽船が通つて行つて、ボーと緩い汽笛が鳴つた。「くれなゐ丸、くれなゐ丸」と大吉は汽船の名を呼んで騷ぎ出した。雄二がまた家の方を氣にし振返ると、恰度、伯母が戸口に出て來て、遠くから手招いてゐた。そこで皆は家へ歸つた。

 晝食には罐詰が開けられ、それとぎざみの燒いたものだつた。晝食が濟むと、父は皆をひきつれて、N濱の海水浴場に行つた。さつきの棧橋の驛の方まで歩いて行き、そこから更に山坂を越えると、N濱へ出た。父は水鳥の恰好をした浮袋を脹らし、それに雄二を乘せて、手を引いて海に入つた。父の肩の邊りまで水は浸り、浮袋はふわふわ搖れた。すると、大吉が側へやつて來て、父に水を掛け出した。父は片手で雄二の身體を支へながら、片手で大吉に應酬して、うまく大吉を撃退した。

 水を上ると、雄二は白い砂濱で休んだ。大吉は忙しそうに、水から何か獲つて來て、石段のとこへ置いた。雄二が不思議がつて見に行くと、「これはくらげといふものだよ」と大吉は得意さうに説明して呉れた。「見てゐるうちに溶けてしまふぜ」と云ひ殘して、大吉はまた海へ行つた。雄二がその半透明な生物を視凝めてゐると、何時の間にか、その生物は日の光で乾いて、消えてしまひ、石の上には薄い影が殘るのであつた。大吉はまたもう一匹、前よりも大きな水母を獲つて來た。その水母も暫くすると、じりじりと、日の光に溶けて行つた。

 雄二は父に呼ばれて、棧橋の方へ行つた。葦簾(よしず)張の、日蔭の、筵の上にあがると、急に何だか睡むくなつた。隨分長い間睡つたやうな氣がした、が再び目が覺めてみると、あたりはまた騷々しい晝間の海岸であつた。何時の間にか皆も棧敷でごろごろと晝寢してゐるのであつた。雄二は隨分長い間、かうして海岸にゐるやうな氣がした。「さあ、そろそろ歸るとしよう」と父は皆を搖り起した。皆は着物をきちんと着てからも、しかし、なかなか座を立たなかつた。雄二は頭上の松の枝の日蔭をぼんやり眺めた。すると、不思議なことに、その空間には、何時かも浮んだことのある、輪のやうな透明なものが泳いで行つた。「お父さんは今日歸るのだが、ゐたかつたらお前はも少し泊つてもいいよ」と父は雄二を顧みて尋ねた。傍から菊子は雄二に云つた。「ね、泊つて行くといいわ、朝、家の前をボーつて汽船が通つて、とても面白いよ」大吉も云つた。「もつと、もつと面白いことが一杯一杯あるのだぜ」雄二はどうしようかと、ぼんやり思案した。ふと、隣の棧敷を見ると、その時、反齒の男がサイダーを瓶ごと、喇叭飮みにしてゐた。雄二はその反齒が不思議に思へた。「どうする? やつぱしお父さんと一緒に歸るかい」と父は再び尋ねた。「歸る」と雄二は答へた。すると、皆はつまんなさうな顏をした。

 それから皆はぞろぞろ歩いて棧橋の方へ行つたが、まだ汽船が出るのには間があつたので、少し町を歩いた。雄二は歸ると云つてからは、もう時間を待ち侘びるのだつた。足どりが鈍くなり、顏が疲れてゐた。夕日が白壁を黃色く染め、町はぐつたりしてゐた。すると、一軒の店の前で、父は立止つて、積木細工を買つて呉れた。大きな旅館の橫へ來ると、噴水の池があつて、岩の中央には龍が赤い硝子玉を爪で抱いてゐて、その硝子の玉は水で濡れて光つてゐた。そこから少し行くと、朱塗の橋が、ささやかな溪流に懸つてゐて、谷には楓が澤山あつた。皆はその橋のところまで來て、棧橋へ引返した。雄二が皆に見送られて、父と一緒に汽船に乘つた時はもう、波も光を失つて、あたりは薄暗かつた。燈のついた島が段々遠ざかつて行つた。雄二は船室のソフアに腰掛けてゐるうちに、上と下の瞼が自然にとろんと重なつて行つた、父に搖り起された時、汽船はもうM驛の棧橋へ着いてゐた。

 それから、雄二は何時の間にか父に引かれて、汽車の驛の橋を渡り、汽車に乘つたのだつた。汽車の窓には涼しい風が吹込み、雄二はちよつと氣分がはつきりした。そのうちに天井にある電燈の燈に、浮塵子(うんか)が澤山群つてゐるのを、ぼにゃり眺めてゐると、雄二はまた草臥れて睡つた。雄二は何時、驛に着いて家へ歸つたのか、さつぱり氣がつかなかつた。恐らく、父が俥で家へ連れて歸つたのだらう。氣が着くと、雄二は父の手に抱へられて、自分の家の座敷にゐた。そこには黃色なランプがあり、ランプの火かげに母の顏が浮んでゐた。

 

 翌日、母は雄二にI島の話を尋ねた。雄二は澤山の不思議を見て來たやうな氣がしたが、順序よく話せなかつた。あまのじやくの流された島、口から水を噴いてゐる龍、可哀相な鹿、それらを喋る度に母はよく呑込んだ顏をした。母は雄二においしい豆を煮いて呉れた。それを臺所で食べてゐると、高窓に一杯赤い夕燒が射し込んで來た。雄二は大變遠くへ行つて來たなと、思つた。

 

[やぶちゃん注:「へずり」春の七草の一つであるハコベ(「繁縷」「蘩蔞」)、ナデシコ目ナデシコ科ハコベ属 Stellaria のハコベ類の方言名。小学館「日本国語大辞典」によれば、出雲・山口県大津郡・讃岐・香川県の用例採取が載り、他に「へずる」で岡山県児島郡山田を挙げるので広島での方言としても全く問題がない。

「捩ぎに」「もぎに」と訓じていよう。当て読みであるが「捩(ね)じ切る」のであれば、違和感はない。

はげ」一般には、顎口上綱硬骨魚綱条鰭亜綱新鰭区棘鰭上目スズキ系フグ目カワハギ科カワハギ属カワハギ Stephanolepis cirrhifer の通称である。カワハギ科ウマヅラハギ属ウマヅラハギ Thamnaconus modestus をこう呼称する場合もあるようだが、後者は古くは一般的な流通魚ではなく、また現行でもカワハギ釣りの外道とされるし、ここのシチュエーションでは間違いなく、前者である。

「鯛」スズキ系スズキ目スズキ亜目タイ科マダイ亜科マダイ属マダイ Pagrus major を一応、挙げておくが、「鯛」自体はタイ科 Sparidae の魚類の総称であり、多様な「鯛」を実際には我々は食べている。

「鰈」スズキ系カレイ目カレイ科 Pleuronectidae のカレイ類の総称であるが、ツノガレイ属マガレイ(真鰈)Pseudopleuronectes herzensteini を挙げておく。

「赤鱏(あかえひ)」顎口上綱軟骨魚綱板鰓亜綱エイ区エイ上目トビエイ目アカエイ科アカエイ属アカエイ Dasyatis akajei 。尾部の長い棘は毒腺を有し、刺されると激しく痛むので注意が必要である。刺身・湯引き・煮付け・煮凝りなどにして食用とし、エイ類の中では最も美味とされる。

「めばる」狭義には顎口上綱硬骨魚綱条鰭亜綱新鰭区棘鰭上目カサゴ目カサゴ亜目フサカサゴ科(別に「メバル科」とする場合もある)メバル(眼張)属 Sebastes の内、アカメバルSebastes inermis・シロメバル Sebastes cheni・クロメバル Sebastes ventricosus の三種を指す。

「ボンボン(bonbon)」フランス語。ここは中に果汁や香料液を包みこんだ安物の砂糖菓子。

「I(アイ)島」後のロケーションから厳島である。

「K橋」京橋川に架かる京橋か。

「E橋」京橋川が左岸に分かれて広島駅の南直近で猿猴川となるが、そこに架かる猿猴橋か。

「N公園」「N神社」直ぐに「鐵橋へ出た」とあるから、これは山陽本線が京橋川を渡るその北直近(京橋川左岸)にある、現在の広島市東区二葉の里の饒津(にぎつ)神社のことと思われ、ウィキの「饒津神社」によれば、『境内の東から東照宮参道に至る区域が「饒津公園」として整備された(現在の鶴羽根神社境内を含む)』とあるから。この「N公園」も「饒津公園」のことと判る。同ウィキにはまた、『原爆の爆風により本殿や唐門が瞬く間に破壊され、直後に本殿より出火、他の建物も類焼した。この時、石灯籠、手水桶などの石造物が残るだけ、樹木は』十数本の『松の木を残すのみという甚大な被害を受けた。また、境内の楠の大樹は、トンネルのようになって県道に覆いかぶさった状態になった。また原爆で傷つき市中心部から逃れてきた多数の被爆者の避難所となったが、人々の多くはこの境内で落命した。被爆後、京橋川を渡ってこの神社近くに避難し』、『野宿した原民喜は、戦後発表した小説「夏の花」において、被爆当日の夜の状況を描写している』ともある。

「藁葺の屋根や瓦の屋根が入混じつてゐるところに次の驛があつた」現在の広島市西区横川町にある横川(よこがわ)駅か。

「ホームの圍」厳密に読むなら「圍」は「かこひ」「かこみ」であろうが、ここは「まはり」と当て読みしていると読むのが自然であろう。

「そして汽車は間もなく次の驛に停つた」当時の己斐(こい)駅、現在の西広島駅か。

「保命酒」「ほうめいしゆ(ほうめいしゅ)」と読む。広島県東端の福山市鞆町(ともちょう)名産の薬味酒(リキュール)。生薬を含むことから「瀬戸内の養命酒」などと言われることもあるが、養命酒とは異なり、医薬品ではない。参照したウィキの「保命酒」によれば、『保命酒は大坂の医師中村吉兵衛が考案した薬用酒で』万治二(一六五九)年に『備後国鞆で製造を始め代々中村家が独占的に製造・販売を行っていた。明治時代になると複数の業者が類似の酒を製造し保命酒として販売し始め、現在は』四社が『製造を行っている。中村家の保命酒は製造法を門外不出としたまま明治時代に廃業したことなどから、近年まで正確な成分は不明となっていたが』、二〇〇六年に『中村家の古文書から保命酒の製法についての記述が見つかり、地黃、当帰など』十三種類の『生薬が用いられていたことが明らかになった。このため、保命酒の正式名称とされる「十六味地黃保命酒」はこれに醸造成分の焼酎、もち米、麹を加え』、十六味と『していたことになる』。『現在の保命酒は中村家の保命酒の模造から始まり、各社とも』十六種類の『生薬が用いられているが、前述のように本来の保命酒は』十三種類の生薬であるため、十六味=十六種という『誤った解釈から成立したものである。使用される生薬は、製造元によりやや異なり、中村家の保命酒で用いられていた梅花、いばらの花は使用されていない。製造法は味醂(みりん)の工程を基本として、もち米、米麹、焼酎を加味し生薬を原酒に浸して造られる』とある。

「蓮芋」単子葉植物綱オモダカ目サトイモ科サトイモ属ハスイモ Colocasia gigantean 。塊根は小さく食用にならないが、長い葉柄を食用とする。

「次亞燐の瓶を抱へた、相撲取の廣告」「次亜燐」(じありん)は大阪の小西久兵衛が発売元である栄養剤。「内藤記念くすり博物館」公式サイト内のトピックス「<その13>看板 立派な体格をめざして-次亜燐(じありん)-」によれば、『その看板には望ましい体格として力士の姿が描かれ、「人体の肥料 牛乳の数十倍」と効能がうたわれている。ちらしは、薬瓶をかたどったデザインで、効能として肺病・貧血病・胃病の際、消化を助け、体格を強固にすると書かれている』。『もともとは医師の処方により使われていたが、顧客の要望により』、明治三三(一九〇〇)年に『市販された。ちらしには次亜燐酸カルシウムを配合したシロップ剤であると記され、江戸時代の効能のみの表記から化学成分の効能表記への過渡期であったことがうかがえる』とある。リンク先には小さいが、「雄二」の見た力士の看板画像もある。

「葡萄茶(えびちや)の袴を穿いた、庇髮の女」の「廣告板」は不詳。識者の御教授を乞う。

「そのうちに汽車はまた驛に這入つた」五日市駅か。

『大阪パツク』明治三九(一九〇六)年十一月から昭和二五(一九五〇)年三月まで刊行された日本の漫画雑誌。月二回刊。ウィキの「大阪パックによれば、『創刊当初の発行元は大阪・船場の輝文館で、後に「大阪パック社」へ社名を変更。末期には大阪新聞社の発行となっていた』。明治三八(一九〇五)年に『北沢楽天の主筆で創刊した風刺漫画専門誌『東京パック』に対抗する形で洋画家・赤松麟作が中心となって』翌年に創刊され、『駅売りを充実させることで部数を伸ばし、過当競争や太平洋戦争の激化に伴う出版統制で他の風刺漫画専門誌が相次いで休廃刊した中に在っても「健全漫画雑誌」を掲げ定期刊行を継続』、昭和一八(一九四三)年には英語禁止令に伴って、誌名を『漫画日本』に改題したが、戦況悪化よって昭和二〇(一九四五)年一月には一時休刊を余儀なくされたが、実に敗戦後から一ヶ月後の昭和二〇(一九四五)年九月に早くも復刊、翌年には『読物と漫画』と改題して再出発を図ったが、昭和二五(一九五〇)年三月を以って廃刊、四十三年四ヶ月の歴史に終止符を打った。なお、『この発行期間は長らく』、『日本の漫画雑誌としては最長記録であった』。

「沖に見える、まん圓く盛上つた小島」五日市の沖合四キロメートルほどの位置にある非常に小さな無人島津久根島。

「あまのじやくの流された島」この伝承については、こちらの囲み記事を参照されたい。或いはサイト「あまんじゃく伝説」の「広島に伝わる『あまんじゃく伝説』」(三ページ有り)も非常に参考になる。

「汽車は畑のなかを過ぎて行き、また驛に停まつた」廿日市駅か。

「トンネル」現在の阿品(あじな)附近に二箇所のトンネルがあるが、手前のトンネルの方が長い。或いは、当時は路線が違ったか、或いはトンネルが別にあったものか。

「I神社」厳島神社。

「M驛」宮島口駅。

「四五寸」十二から十五センチメートル強。

「纜」「ともづな」。

「跡切れて」これで「とぎれて」と読む。「途切れて」に同じい。

「傳馬船」「てんません」と読む。木造の小型和船で、通常は櫓 か櫂 で漕ぎ、本船と岸との間を往復して荷などの積み降ろしを行うのに用いる、所謂、「艀(はしけ)」である。

「二三間」三・六四メートルから五・四五メートルほど。

「蛁蟟(つくつくほうし)」半翅(カメムシ)目同翅(ヨコバイ)亜目セミ上科セミ科セミ亜科ツクツクボウシ族ツクツクボウシ属ツクツクボウシ Meimuna opalifera

「松毬」「まつぼつくり(まつぼっくり)」。

「がうな貝」「がうな」は「寄居虫」(ごうな)で、これで軟甲(エビ)綱十脚(エビ)目抱卵(エビ)亜目異尾(ヤドカリ)下目ヤドカリ上科 Paguroidea のヤドカリの古名の一つ。古語の「かみな」が転じたもので「かむな」「かうな」などとも呼ばれた。

「腭(あぎと)」顎(あご)。

「姉淸子」既に「貂」に出た「姉の菊子」(ここにも以下に出る)を私は次女ツル(明治三〇(一九〇五)年~大正七(一九一八)年。民喜と八つ違い)に措定した。とすると、ここに出るこの「姉」は、私は長女の操(明治二四(一八九一)年~大正一三(一九二四)年。民喜とは十四も離れる)ではないかと推定する。但し、そうすると三女の千代(明治三五(一九〇二)年生。民喜と三つ違い)が登場しないのは如何にもおかしいことになるので、或いは「菊子」は三女の千代で、「淸子」がツルであるかも知れないのであるが、どうもここで「雄二」が姉の「淸子」が「こんなところにいるのが」「不思議」と感じるのは、或いは既に他家へ嫁していた彼女に、この避暑地で逢えたからこその感懐ではないかとも思うからである。

「お叩頭」「おじぎ」(お辞儀)。

「黑い服を着た支那のお婆さんは、小さな靴を穿いてゐて」この老婆は纏足である可能性が高いように思われる。

「ほら、このまつとほり」「ほら、あの松通りのところよ」の謂いか。

「O(オー)公園」大元(おおもと)公園のことであろう。現在の宮島水族館の西にある大元神社周辺で、海浜でありながら樅(もみ)の大木が植生する珍しい場所である。

「くれなゐ丸」これは初代の「瀬戸内海の女王」とも言うべき明治三三(一九〇〇)年竣工で、明治四四(一九一一)年に大阪商船が購入し、運航した貨客船「紅丸」ではないかと思われる。ウィキの「紅丸によれば、大阪・神戸と別府温泉を結びつける大きな契機となった貨客船であったとある。昭和二〇(一九四五)年三月からの米軍の瀬戸内海機雷投下(飢餓作戦(Operation Starvation))により、運航を停止、同年六月二十六日、大阪港停泊中に空襲で至近弾を受けて損傷を生じたが、敗戦を浮いたまま迎えることが出来たものの、一ヶ月の九月十八日、大阪港内で座礁沈没している。

ぎざみ」スズキ目ベラ亜目ベラ科カンムリベラ亜科キュウセン属キュウセン(求仙) Parajulis poecilopterus の瀬戸内海での地方名。「ぎさみ」とも。は体長二十センチメートルほどで黄褐色に背面中央と体側に黒色の太い縦帯が入り、黒帯の内外に点線状の赤い縦線を持つ(和名は、この線の数を計九本とみたことに由来するという)。一方、は体長三十センチメートルとよりも有意に大きく、体色は鮮やかな黄緑色を呈するものの、体側の縦帯はよりも広く不明瞭で、胸鰭の後方に大きな藍色の斑点を一つ有する。派手な色が関東では好まれないものか、まず流通では見かけないが、富山で六年過ごした私は、キス釣りの外道でよく釣れ、ぬめりがあるものの、白身で癖はなく、結構、焼き魚にして美味かった記憶がある。参考にしたウィキの「キュウセンによれば、『新鮮な大型個体は刺身が美味で、ワサビ、シソなどの薬味を添える。他に煮付け、塩焼き、唐揚げ、南蛮漬けなど様々な料理に利用される』とある。

「N濱」現在の宮島フェリー・ターミナルの東北に位置する長浜か。

「くらげ」大吉が素手で触っており、簡単に干からびるところ見ると、刺胞動物門鉢虫綱旗口クラゲ目ミズクラゲ科ミズクラゲ属ミズクラゲ Aurelia sp.(タイプ種Aurelia aurita)の稚クラゲと思われる。

「すると、不思議なことに、その空間には、何時かも浮んだことのある、輪のやうな透明なものが泳いで行つた」本篇の題名の「不思議」の一つでもあるのであるが、これは恐らく健常者でもしばしば見られる(私は小さな頃からよく見る)、生理的飛蚊(ひぶん)症と考えられる。眼球内のガラス体内に生じた混濁(古い視細胞の繊維などの流出物)が網膜上に影を落とすことで発生する現象で、視界内に糸屑のようなもの、黒い影のようなもの、小さな蚊や虫や海月のようなものが見え、視点を移すと、それが動き回るように感じられるものである。明るい場所で白いものや空を見た場合によく見える。多くの場合は加齢により自然発生するもので、問題はないが、網膜剥離や糖尿病網膜症の前兆や初期症状として急激に多量に出現する場合もあり、その際は直ちに眼科の受診を受けることを強くお勧めする。

「反齒」「そつぱ(そっぱ)」。出っ歯。

「浮塵子(うんか)」半翅(カメムシ)目ヨコバイ亜目 Homoptera に属する稲の害虫となる成虫体長が五ミリメートルほどの昆虫類を漠然と総称するもので、ウィキの「ウンカによれば、『アブラムシ、キジラミ、カイガラムシ、セミ以外の』昆虫類に相当する広汎な『範疇の昆虫のいわば典型の一つがウンカであるため、この仲間にはウンカの名を持つ分類群が非常に多い。なお、「ウンカ」という標準和名を持つ生物はいない』とあり、『セジロウンカ(Sogatella furcifera)、トビイロウンカ(Nilaparvata lugens)、ヒメトビウンカ(Laodelphax striatellus)などがイネの害虫で』、『これらはいずれも良く跳びはね、また良く飛』び、燈火に集まる。

「煮いて」「たいて」。]

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