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2016/04/10

楓   原民喜

  楓  草葉

 

 しわのよつたこぶをいくつもつけた楓の幹から幾重にも枝がぬびて綠色の三葉の形をした小さな葉が茂つて居る。そのこんもりと茂つた一本の楓の奥では蟬がさつきからしきりに鳴いて居るが、なかなか止みさうにもない、單調な水の流れる樣な一銚子市でじうじうと續て行く。役は耳の感かくが此一匹の蟬の鳴き聲のために奪はれて考へさへまとまらずじつと楓の葉の奥をにらんで居る。風がさつと吹いて來るとまるで風車を賣りに來る時あゝわらにたくさん風車がさゝれてそれが風にひらひらまわる樣に木の葉がくるくるとまはつて二つ三つ古い茶色の枯葉が落ちて来る。「若奈さん若奈さん」と階段の下で人声がさつきからする。彼はやつとその聲を聞いて階下に行く。

 楓からまた枯葉がこぼれる。蟬はだんだん聲がにぶつて來る。楓の向の靑空に薄い雲が浮いて居る。――「やゝこりやしばらく君も相變らず達者らしいで□幸ハヽヽヽ」と夏雄がおもむろにあいさつをする。

「時に夏雄君俳句はどうなりました」若奈がじつと膝をくんで足の上に手ををいて頸をだしてきく。得意の鼻の上の皮をぬばしてひたいに二すじしわが作られる夏雄の口が少し開きかける。「近頃は暑いばかりで一向だめだ」「何がだめだ。この楓は一寸趣があるじやないか」「さうかな」「うんいゝ句がある」「何と云ふんだ」楓の葉が一枚二枚と夏雄の目にうつる。

「鳥ないて楓がさがさ夜の闇」「僕もやるラッパ吹く吹くおけつのまはりくそだらけ」「妙な句を出すね」「これが未來の俳句だ。要するに隨分キタナイ下品だ。それだから人はよう言はない。是は不自然だ。言ひ度い作りたい事は作るんだ。だが今の世には用ひられんなー」

「いつの世だつてさうだ」「いや今迄の俳句とか云ふやつはその境界がきまつて居たんだ。その境界を破かいして自然の自由の人間性の廣い天地を作つた元祖が僕になるんだ」

「だめだ。まあ笑すな。時に今處(ココ)では梟が鳴(ナ)くかね」「うんあの向の山だな。あのこちらの木の附近でぼろぼろの聲で「フルツクハコボロキテホヤー」と云ふんだ」

「さうか僕はよく見拔くなあの俳句はして見るとよくあたつたなして楓ががさがさするかね」

「うん楓は雀達の宿となつてるんだから、梟の聲を彼等が聞くと氣が落ちつかないでごそごそ動いてる。この間も雨戸を閉ぢる時驚いた。昨夕から今日にかけて雀一匹も見んのだ。不思議だろう。まだ不思議なんだ。尾根の上にこんな羽根が落ちて居たんだ」

 

 

[やぶちゃん注::前掲と同じく、原民喜がすぐ上の兄守夫と出した、二人だけの原稿閉綴じ兄弟同人誌、大正九(一九二〇)年九月号『ポギー』三号に所収。既に述べた通り、「草葉」は民喜のペン・ネームと思われる。この時、民喜、満十四歳、広島高等師範付属中学二年であった。

 本篇は散文詩のようにも見えるが、一種の創作断片と捉えた方が無難な気はする。

 底本は青土社版「原民喜全集 Ⅰ」の「拾遺集」に拠ったが、戦前の作品であるので、恣意的に漢字を正字化した。第二段落中の「□」は、底本全集の判読不能字で底本では右に『(一字不明)』と傍注して一字分の字空けを置くが、表記のように代えた。一部、改行判定出来ない箇所がある(行末に『」』があり、次行冒頭が『「』の場合。鍵括弧で段落が始まる場合、本篇は一字下げを行っていないからである)が、半的出来ない以上、仕方がないので前の段落に続けた。

 第一段落の「ぬびて」はママ(第四段落目にも「ぬばして」と出る)。調べてみると、広島弁では「のびる」を「ぬびる」、「のばす」を「ぬべる」、「伸びた」を「ぬんだ」と言うことが判明した。「ひらひら」「くるくる」「若奈さん若奈さん」の後半は底本では踊り字「〱」(言わずもがなであるが、この主人公の名「若奈」は、原民喜のペン・ネームと思われる「靑葉」のモジリである。「まわる」「まはる」の混在はママ。

 第三段落以降に登場する「夏雄」のモデルは不詳。民喜が句作を始めに、それに強い影響を与えたのは盟友熊平武二であったが、底本全集の年譜によれば、民喜が熊平と懇意になり、句作を始めるようになるのは大正一三(一九二四)年頃とする。しかし、「広島市立中央図書館」作成のサイト原民喜世界」の「民喜をめぐる人々」の熊平についての記載では、『広島市生まれ。広島高等師範学校附属小・中学校から慶應義塾大学へ進む』。十六、七歳より『詩作を始め、民喜ともまた中学時代に知り合う』とあって、全集年譜の記載より、熊平との交流は早いことが判り、私にはこれも熊平である可能性が高いようにも思える。無論、本誌が兄原守夫との二人だけの雑誌であることを重く考慮するならば、実兄守夫の名を変形して「夏雄」(「夫」と「雄」の相似性は確かにある)とし、兄を友人(君附けで会話の漢字は兄弟ではなく、友である)に仕立てたとしてもおかしくはない。

 第四段落の「ひたいにしわが作られる」の「ひたい」「しわ」はママ、「作られる」で句読点なしに続くのもママ。「じやないか」もママ。

 第五段落の太字「がさがさ」は底本では傍点「ヽ」。「ラッパ」の拗音はママ。「僕もやるラッパ吹く吹くおけつのまはりくそだらけ」は若奈の台詞で「僕もやる。『ラッパ吹く吹くおけつのまはりくそだらけ』」であろう。

 第六段落の「破かい」はママ。

 第七段落の「うんあの向の山だな」は「うん。あの向の山だな」。「フルツクハコボロキテホヤー」このオノマトペイアがなかなかよいが、私はこの表記が聴いたことがない。意味を含め、御存じの方の御教授を乞うものである。

 第八段落の「さうか僕はよく見拔くなあの俳句はして見るとよくあたつたなして楓ががさがさするかね」は老婆心乍ら、「さうか。僕はよく見拔くな。あの俳句は、して見ると、よくあたつたな。して、楓ががさがさするかね」である。

 最終段落の「だろう」はママ。]

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