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« 和漢三才圖會卷第五十二 蟲部 竹蜂 | トップページ | ためいきの壺   原 民喜 »

2016/04/01

断章(「かげろふ断章」より)   原民喜

断章(「かげろふ断章」より)

 

[やぶちゃん注:前に注したが再掲する。「かげろふ断章」(内部中標題「昨日の雨」「断章」「散文詩」から構成)は原民喜の死後に刊行された、昭和三一(一九五六)年刊青木文庫版「原民喜詩集」を初出とする。底本の青土社版「原民喜全集 Ⅲ」には、原民喜自身による以下の「後記」が途中(詩篇「回想」の後。編者解説によれば、同全集Ⅲの詩篇の配列は原民喜自身が構成したノートの配列に拠っているとある)に入る(以下、読む通り、この「後記」が書かれたのは昭和一六(一九四一)年である。従って恣意的に正字化して示すこととした)。

   *

後記 ここに集めた詩は大正十二年から昭和三年頃のものであるが、その頃のありかは既に陽炎の如くおぼつかない。今これらの詩を讀返してみるに一つ一つの斷章にゆらめくものがまた陽炎ではないかと念へる。附錄の散文詩は昭和十一年の作である。

昭和十六年九月二日、空襲避難の貴重品を纏めんとして、とり急ぎ淸書す。

   *

「讀返」(底本は「読返」)はママ。「大正十二年から昭和三年頃」は民喜は十八歳から二十三歳。なお、これは空襲避難のための事前準備であるので注意されたい。調べたところ、東京に初めて空襲警報発令されたのは翌昭和十七年三月五日で、本格的な日本本土空襲であるドゥリットル(指揮官であった中佐の名)空襲(米陸軍機B-25十六機による東京・名古屋・神戸などでの初空襲)は同年四月十八日のことである。

 この民喜の記載から、詩篇も総て戦前のものであり、清書も戦中であることが明白である。されば、標題を除き(この標題の決定と記載は必ずしも戦中以前とは確定し難いからである)、総ての詩篇を恣意的に正字化することとした。]

 

 

 

 藤の花

 

ひそかに藤の花が咲いて居り

あさ風の花が搖れて居り

露しとしとと

うすぐらいところに

 

 

 

 夏

 

山の上の空が

まつ靑だ

雲が一つ浮かんで

まつ靑だ

 

 

 

 晝

 

菜の花のあたりに

蝶がひらひらして居る

菜の花は澤山ある

蝶はひらひらして居る

 

 

 

 朝

 

朝はとつくに來てゐた

雀ばかりが啼いてゐた

櫻の花がにほつてゐた

空は靑く晴れてゐた

 

 

 

 夜の秋

 

きりきり虫が鳴いてゐる

厨の土間で啼いてゐる

あまり間近くで啼いてゐる

きりきりきりと響くその聲

 

 

 

 朝の闇

 

目にただよひて朝の闇

しろがねいろの朝の闇

靜かに聽けば 空(から)車

からからからと 空車

 

 

 

 虛愁

 

みどり輝く坂の上に

傷ましきかな 空の靑

輝くものをいとはねど

空に消え入る鳥を見よ

 

 

 

 菜花

 

川の流れのかたはらに

自らなる菜畑は

ひねもす靑き空の下

明るき花を開きけり

 

 

 

 波の音

 

今 新しく打ちかへす

はじめてききし波の音

打ちかへしては波の音

潮の香暗き枕邊に

 

 

 

 冬苑

 

動けるものは凍らねど

凍らぬ水の光はや

石を滑りて流れゆく

かぐろき水の光はや

 

 

 

 二月

 

叫びをあげよ 蕗の薹

囁きかはし降る雨の

闇を潤すいとなみに

叫びをあげよ蕗の薹

 

 

 

 車窓

 

桃の花が滿開で

小學生が二三人

朝の路にゐるんだ

けれども汽車はとまらない

 

 

 

 師走

 

寒ざらしの空に

おころりおころりと輕氣球が

たつた一つ浮かんでゐる

そこから何が見えるのですか

 

 

 

 六月

 

まだ半身は睡つてゐるのに

朝はからきし梅雨晴れだ

いいお天氣になりました

ほんとにそれはさうである

 

 

 

 不眠歌

    夜耿耿而不寢兮

    魂營營而至曙

 

 ⑴

 

眩きものの照るなるべし

夜の相(すがた)ぞおろそしき

靑ざめはてし魂は

曙にして死ぬるべし

 

  ⑵

 

罪咎なれば堪へ得べし

こんこんこんこん あさぼらけ

米をとぐ音 きこえ來る

いかでか我は 睡らざる

 

[やぶちゃん注:冒頭に添えられてある「夜耿耿而不寢兮/魂營營而至曙」は屈原の「楚辞」の「遠游」の冒頭のパートにある詩句。冒頭からここまでを引くと(底本は集英社昭和四二(一九六七)年刊の藤野岩友「漢詩大系 第三巻 楚辞」に従い、注も一部参照した)、

 

 悲時俗之迫阨兮

 願輕舉而遠游

 質菲薄而無因兮

 焉託乘而上浮

 遭沈濁之穢兮

 獨鬱結其誰語

 夜耿耿而不寐兮

 魂營營而至曙

 

訓読すると、

 

 時俗(じぞく)の迫阨(はくやく)を悲しみ

 輕擧して遠游(ゑんいう)せんことを願へども

 質(しつ)菲薄(ひはく)にして因(よ)る無く

 焉(いづ)くにか託乘(たくじよう)して上浮(じやふ)せん

 沈濁にして穢(をあい)なるに遭ひ

 獨り鬱結(うつけつ)して其(そ)れ誰(たれ)にか語(つ)げん

 夜(よる)耿耿(かうかう)として寐(い)ねられず

 魂(こん)營營(えいえい)として曙(あかつき)に至る

 

である。「遠游」は天に遊ぶという自敍的思惟的な詩篇で、魂の放逸の快楽を謳い、不死の仙境を志向、無限の境域に遊んで、最後には泰初と合一するに至る神仙と道家思想が濃厚な長詩である。この冒頭は、そうした穢れた世間への憤懣を描いている。引用部を簡単に注する。

・「時俗」当世一般の俗世間。

・「迫阨」圧迫による閉塞感。

・「輕擧」羽化登仙。

・「遠游」天地の間を遙か自在に飛翔して遊仙すること。

・「質菲薄」そうした仙骨が生来的に乏しく。

・「託乘」身をまかせて乗り込み。

・「上浮」天高く昇ること。

・「沈濁にして汙穢(をあい)なる」徹底的に穢れ濁って、それがまた深く沈澱して。俗世間の蔑視表現。

・「鬱結」すっかり塞ぎ込んでしまう状態。

其(そ)れ誰(たれ)にか語(つ)げん

・「耿耿」(憂いのために)目は冴え切ってらんらんと輝き。

・「營營」あっちへうろうろ、こっちへうろうろ、と行き交って、じっとしていることも出来ずに。]

 

 

 

 聲

 

五月の朝にこだまして

靑物市に聲はあり

並ぶ車はことごとく

山と積みたる靑きもの

靑物市に聲はあり

 

 

 

 晩春

 

うつつけものが鳥ならば

すういすういと泳ぐべし

けふやきのふやまたあすや

春惜しむ人や榎にかくれけり

 

 

 

 五月

 

渡るごとき心地して

ひなげしの花持ちてゐる

電車のなかの をみなごよ

朝目よく吹く微風に

 

 

 

 冬の日

 

紅き焰の日輪の

けふはさびしや鼠色

葱買ふて

枯木のなかを歸りけり

 

 

 

 夜想

 

  ⑴

 

晝を知つてゐて夜をしらぬか

見給へ 三田の午前一時は

何といふ鈴懸のすがすがしさだ

はきだめの上に露が明るし

 

  ⑵

 

雨を吸つて生きてゆく屋根

屋根は夜なかの舌である

その舌はかはききつて

一滴一滴と雨をのむ

 

 

 

 窓

 

窓を開けてくれたのは誰だ

空か お前であつたのか

崖のすすきはさうさうと

雲の流れに搖れてゐる

 

 

 

 月夜

 

  ⑴

 

川の向ふは川か

向ふには何があるのか

空に月は高いし

水も岸も今は遙かだ

 

  ⑵

 

月の夜の水の面は

呼吸するたびに變る

たとへば霧となり

闇となり光となる

 

 

 

 反歌

 

うつつより出づるものなるに

なぜにかげろひきらめける

春の夕べに目ざむれば

梢を渡る風さむし

 

 

 

 囘想

 

  ⑴

 

春風にただよつて來る

よもぎぐさのにほひにうたれて

紅茶のなかにミルク注げば

みだれてみだれて溶けゆくおもひ

 

  ⑵

 

春の陽のバケツに映りて

天井に照りかへしてゆらゆら

ゆらゆらと床にゐて眺め

幼な兒の想ふことを想ふ

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