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2016/04/17

原民喜「雜音帳」(自筆原稿復元版) 牛乳

    牛乳

 

 驛前の牛乳販賣所が燒けて、本町のミルクプランドで賣出すやうになつた。以前は牛乳瓶と引替へに賣つてゐたのだが、今度あ一升壜でもビール壜でもいいことになつた。隨つて、壜さへ持つて行けば誰でも買へるのである。

 濕氣の多い雲が低く移動しててゐたが、遠い空に秋の色の見える日曜日の朝であつた。 F國民校の入口の露次には牛乳を買ふ人の群が蜿蜒と續いて、その列は一たん學校の門のところで曲ると、後尾ははるか露次の入口の方へ再び伸びてゐた。先頭の方の人も一向動かうとしないところをみると、まだ牛乳は賣出してゐないらしかつた。一升墳壜を抱へた女、子供達のなかには、本を讀み耽けつてゐる男もまじつてゐた。小雨がパラパラと降りはじめた。

 その男はガルシンの短篇を讀んでゐた。暗澹たる地下に萎んで行つた鋭い神經の花、凍死するやうな空氣のなかで描かれた不思議な感興の世界、――それらに思はず惹きつけられてゐる裡に、行列はかなり前の方へ出てゐた。もう七八人目ぐらゐで買へさうな順番まで來てゐた。

 この時牛乳屋〔の男〕が、もうあといくらも無いから列んでも無駄だと注意して廻つた。はじめは一升賣つてゐたのが、五合になり、今は一人あて三合に制限してゐるのだつた。すると、列を離れた女達がぞろぞろと賣場の方へ押しかけて來た。はじめから行列を守つてゐるなかへ一人が割込まうとする。「ずるいわ」と誰かが拒まうとするうちに、割込んで來る数の方がずんずん増えた。一升壜を臺の上に差出さうとして、それが手許を離れると、カチヤンと壞れた。次いで、また壜の壞はれる音がした。賣場はひどく混乱して來た。と、小さな引裂くやうな泣聲がした。「厭だわ、厭だわ、せつかく一時間半も待つてゐたのに」 小さな女學生は必死になつて臺のところへ獅嚙附いてしまつたのである。(昭和十九年)

 

[やぶちゃん注:「……日曜日の朝であつた。 F國民校の入口の……」及び『「厭だわ、厭だわ、せつかく一時間半も待つてゐたのに」 小さな女學生は……』の一字空けはママ(青土社版全集では二箇所とも詰めてある)。

 「驛前」昭和一九(一九四四)年当時、原夫妻は千葉県登戸(のぶと)町二一〇七(現在の千葉市中央区登戸)に居住していたから、これは恐らく総武本線千葉駅(登戸から一キロほど南東)を指すと考えられる。

 「本町」この町明表記が正しいとすれば、現在の千葉駅から南東へ一キロほどの位置にある千葉市中央区本町か。

 「ミルクプランド」ママ。「プランド」は意味不明。思うにこれは「プラント」(plant)の誤りで「ミルク工場」の謂いではあるまいか?

 「ガルシンの短篇」私も偏愛するロシアの小説家フセヴォロード・ミハイロヴィチ・ガルシン(Всеволод Михайлович Гаршин 一八五五年~一八八八年)精神病に冒され、最後は投身自殺を図り、その際の怪我が致命傷となって三十三の若さで亡くなった。私のサイト内の心朽窩には神西清訳のЧетыре дня 四日間То, чего не было 夢がたりКрасный цветок あかい花・「Сигнал 信号(HTML版PDF縦書)」の四篇五種を用意してある。未見の方はよろしければ、どうぞ。

「獅嚙附いて」「しがみついて」と訓ずる。]

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