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2016/04/10

和漢三才圖會卷第五十二 蟲部 青蚨

Seihu

せいふう    蚨蟬   蟱蝸

青蚨      ※1※2 蒲※3

        漁父   魚伯

ツイン フウ

[やぶちゃん字注:「※1」=「虫」+「敦」。「※2」=「虫」+「禺」。「※3」=(上)「亡」+(下)「虫」。]

 

本綱青蚨似小蟬大如※3青色有光生于池澤多集蒲葉

上春生子於蒲上八八爲行或九九爲行如大蚕子而圓

取其母血塗錢又取子血塗錢市物留子用母留母用子

皆自還也誠仙術也

 

 

せいふう    蚨蟬〔(ふせん)〕   蟱蝸〔(ぼうくわ)〕

青蚨      ※1※2〔(とんぐ)〕 蒲※3〔(ほばう)〕

        漁父   魚伯

ツイン フウ

[やぶちゃん字注:「※1」=「虫」+「敦」。「※2」=「虫」+「禺」。「※3」=(上)「亡」+(下)「虫」。]

 

「本綱」。青蚨、小さき蟬に似て、大いさ、※3〔(ばう)〕のごとし。青色にして、光、有り。池澤に生ず。多く蒲(がま)の葉の上に集まる。春、子を蒲の上に生ず。八つ・八つ、行〔(れつ)〕を爲し、或いは九つ・九つ、行を爲す。大いさ、蚕(かいこ)の子のごとくして、圓〔(まる)〕し。其の母の血を取りて錢に塗り、又、子の血を取りて、錢に塗りて、物を市(か)ふに、子を留〔(とど)〕めて母を用ひ、母を留めて子を用ひれば、皆、自〔(おのづか)〕ら還るなり。誠に仙術なり。

 

[やぶちゃん注:大修館「廣漢和辭典」の「蚨」にも、『①青蚨は、水虫の名。形は蟬に似、中国の南海に生じる。その母と子の血を別々に銭に塗り、一方を手もとに置き一方を使えば、すぐまたもどって来るという』とし、その伝説(干宝「捜神記」第十三巻に所収する)に基づくからか、『②青蚨は、銭の別名』とするばかりである(熟語もない)。小学館「日本国語大辞典」では『昆虫のカゲロウの異名という。また、銭の異称』(「青鳧(せいふ)」と同義とする)するが、その補注に、先の伝承を引きながら、別に、『かげろうのように銭貨のはかないことをたとえたとする考えもあり、江戸時代の識者の間で』は『この語が』そうした意味として『使われた』といった趣旨のことが附記されてあって面白い。

 さてもそうすると、「青蚨」を生物種として同定するとなると――このトンデモ伝説を考えるならば生真面目に同定しようという私は全くの馬鹿丸出しではある。しかし、やる――まずは、モノホンの「カゲロウ」類である、

有翅亜綱旧翅下綱 Ephemeropteroidea 上目蜉蝣(カゲロウ)目 Ephemeroptera の仲間

である。しかし、特に小さな蟬に似るというのだから(但し、「捜神記」には蟬よりもやや大きいと記す)、その中でも本邦には産しないような(本邦産では大きくても二センチメートル大であって、凡そ、蟬と見紛うような大型のカゲロウはいないと思う))、中国産の大型の種(がいるかどうかは知らないが、いそうではある。化け物みたいにデカイ蛍の幼虫(しかも幼虫がらんらんと蛍光する)がいる大陸だからね)と、まずはとるしかあるまい。ともかくもカゲロウ目の種はその幼虫がすべて水棲であるから、「水虫」というのとはよく一致する。しかし困るのは、彼らは水中にそのまま産卵し、水際のガマの葉の上なんどには産卵はしない点である。しかし、羽化する際に、水際の草葉に攀じ登る種はいるかも知れない。

 いや……さらに言うなら……これを――真正でない「かげろう」類にまで広げる――ならば、もっと同定の選択肢は増える。その場合、時珍や引用者の良安は誤認していることになるが、実際に現代でも多くの人は似非「かげろう」類とこの真正な蜉蝣(カゲロウ)目 Ephemeroptera のカゲロウ類を誤認している人が殆んどであるから、批難には値しない。さても、ならば、この私が似非「かげろう」類と誹謗するかのように呼んでいるのは(無論、誹謗も差別もしていない。自然を分類して征服したと思い込んでいるお目出度いヒトが勝手に「かげろう」の名を共有させてしまっただけである)、具体的には成虫の形状が非常によく似ている、

有翅昆虫亜綱内翅上目脈翅(アミメカゲロウ)目脈翅亜(アミメカゲロウ)亜目クサカゲロウ科 Chrysopidae に属するクサカゲロウ類

及び、

脈翅(アミメカゲロウ)目ウスバカゲロウ上科ウスバカゲロウ科 Myrmeleontidae に属するウスバカゲロウ類

この問題は私はさんざんいろいろなところで注してきたので、ここでは繰り返さない。未読の方は、最も最近にその決定版として注した、「生物學講話 丘淺次郎 第十九章 個體の死(4) 三 壽 命」の私の冒頭注『「かげろふ」の幼蟲は二年もかかつて水中で生長する』以下をお読みあれかし。

 実は、この誤認を承知の拡張解釈をすると実は都合がいいのである。何が都合がいいかと言えば真正カゲロウでは説明のつかない、「多く蒲(がま)の葉の上に集まる。春、子を蒲の上に生ず。八つ・八つ、行〔(れつ)〕を爲し、或いは九つ・九つ、行を爲す」の部分が、クサカゲロウの卵である見るからに目を引くところの不思議な形の「優曇華(うどんげ)の華」で説明をつけることが可能に見えてくる(そっくりではないが、私は強い親和性を感じる)からである。

 そうして、さても翻って、先の本当のカゲロウ類が、羽化と交尾と産卵と死を短い時間の中で終え、その短い舞台である水辺の水面にその死骸が散り敷かれれば、それは美しくも傷ましい「青色にして、光、有り」、或いは、『二三日前、俺は、ここの溪へ下りて、石の上を傳ひ歩きしてゐた。水のしぶきのなかからは、あちらからもこちらからも、薄羽かげらふ[やぶちゃん注:誤認。ほらね。彼でさえ間違えてるでしょ。]がアフロデイツトのやうに生れて來て、溪の空をめがけて舞ひ上がつてゆくのが見えた。お前も知つてゐるとほり、彼らはそこで美しい結婚をするのだ。暫く歩いてゐると、俺は變なものに出喰はした。それは溪の水が乾いた磧へ、小さい水溜を殘してゐる、その水のなかだつた。思ひがけない石油を流したやうな光彩が、一面に浮いてゐるのだ。お前はそれを何だつたと思ふ。それは何萬匹とも數の知れない、薄羽かげらふの屍體だつたのだ。隙間なく水の面を被つてゐる、彼等のかさなりあつた翅が、光にちぢれて油のやうな光彩を流してゐるのだ。そこが、産卵を終つた彼等の墓場だつたのだ』。『俺はそれを見たとき、胸が衝かれるやうな氣がした。墓場を發いて屍體を嗜む變質者のやうな慘忍なよろこびを俺は味はつた』(梶井基次郎「櫻の樹の下には」。リンク先は私の電子テクスト)といった、松本零士好みのシーンが出来上がるのである。

 

・「蚨蟬〔(ふせん)〕以下の異名の読みは東洋文庫版現代語訳に附された読みを一部、参考にした。

・「※3〔(ばう)〕」東洋文庫版現代語訳では『あぶ』とルビする。「虻」は「蝱」とも書くから、確かに。

・「蒲(がま)」単子葉植物綱イネ目ガマ科ガマ属ガマ Typha latifolia ネット検索をかけると、本種の葉にクサカゲロウ(誤認拡張として、である)の卵(優曇華の華)を現認したという記載を見出し得た。

・「大いさ、蚕(かいこ)の子のごとくして、圓〔(まる)〕し」確認したクサカゲロウ(誤認拡張としてである)の優曇華の華から生まれた幼虫はカイコの幼虫と似ていないとは言えないが、丸くはなかった。

・「其の母の血を取りて錢に塗り、又、子の血を取りて、錢に塗りて」この箇所、実は「捜神記」と「本草綱目」には、「以母血塗錢八十一文、以子血塗錢八十一文」と数字が示されてあり、これは「本草綱目」の「八八爲行、或九九爲行」の後者を掛け算した数値と一致するところに意味がありそうに見える。最も力を持つ最大の陽数たる「九」同志を掛けた数が呪力を持つには相応しい。前者の「八八」はよく判らぬが、単なる思いつであるが、これは所謂、一緡(ビン:ひとさし。紐で貫いた銅銭束)の枚数が、明の頃には8×8=64枚と9×9=81枚の二種類があったもからかも知れない(確認したわけではない。あくまで勝手な想像であるのでご注意あれ)。それが類感呪術的に、かの不思議な母子の血が感応して戻って来る伝承とまさに「感応」して出てきた逆輸入の卵の数なのではなかろうか? 「八」は劣る陰数であるが寧ろ、一加われれば、神聖数「九」となる数という認識も可能で、これもまた呪力を内に潜めるものであるようにも私には思われるのである。因みに、この伝説の大元は漢の劉安の術数に関する道学書「淮南万畢」にあるものなので(東洋文庫版竹田晃訳「捜神記」訳者注に拠る)、本来は総てこれらの数字に厳密な呪的意味があったことは確かなことである。大方の御叱正を俟つ。なお、「捜神記」にはこの奇体な現象は青蚨の生態のに基づく、共感呪術であることが判る。そこには、

   *

又名「青蚨」。形似蟬而稍大、味辛美、可食。生子必依草葉、大如蠶子、取其子、母即飛來、不以遠近、雖潛取其子、母必知處。

   *

とあるからである。人は本種を食用(辛いけれど美味い)とし、その蚕のような子(前段部では明らかに成虫を食う感じであるから、これは幼虫を採取し、飼育して成虫にしてから食うように読める)を獲ろうとすると、母虫が即座に飛んでくる――その時、その母の居る場所が子よりも遙か遠い場所であっても、である――母虫に知られぬようにこっそりと子を捕獲しようとしても、母虫は必ずそれを察知して飛び来る、というのである。……何だか私は、言いようもなく……哀しくなってしまった……]

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