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2016/04/26

和漢三才圖會卷第五十二 蟲部 土蜘蛛

Tutigumo

つちくも  跌蝪 跌母

1蟷  土蜘蛛

      顚當蟲

テタン   【豆知久毛】

[やぶちゃん字注:「1」=「虫」+「窒」。]

 

本綱1蟷形似蜘蛛土中布網其窠深如蚓穴網絲其中

土葢與地平大如楡莢常仰捍其葢伺蠅蠖過輙翻葢捕

之纔入復閉與地一色無隙可尋而蜂復食之

 

 

つちぐも  跌蝪〔(てつたう)〕 跌母〔(てつぼ)〕

1蟷  土蜘蛛

      顚當蟲〔(てんたうむし)〕

テタン   【豆知久毛〔(つちぐも)〕。】

[やぶちゃん字注:「1」=「虫」+「窒」。]

 

「本綱」、1蟷は、形ち、蜘蛛に似て土の中に網を布〔(し)〕く。其の窠〔(す)〕、深く、蚓〔(みみず)〕の穴のごとく、其の中に網絲〔(まうし)〕す。土の葢(ふた)、地と平〔(たひら)か〕なり。大いさ、楡莢〔(ゆきやう)〕のごとし。常に其の葢を仰捍〔(ぎやうかん)〕し、蠅・蠖〔(しやくとりむし)〕の過ぐるを伺ひて、輙〔(すなは)〕ち葢を翻して、之を捕ふる。纔かに入れて、復た、閉づ。地と一色、隙ま、無し。尋ねて、蜂、復た、之れを食ふべし。

 

[やぶちゃん注:これは、

クモ亜目トタテグモ下目カネコトタテグモ科トタテグモ科 Ctenizidae(カネコトタテグモ科 Antrodiaetidae トタテグモ科 Ctenizidae に分かれるものの、主要な種群は後者のトタテグモ科 Ctenizidae に属する)

のトタテグモ(戸立て蜘蛛)類である。ただ、「土蜘蛛」から真っ先に連想するのは「地蜘蛛」で、確かに名の通り、

クモ亜目トタテグモ下目ジグモ科ジグモ属ジグモ Atypus karschi(本邦には本種一種のみ)

ではある。彼らも同様に地下に穴を掘って営巣するものの、その巣は地上部が先細りの袋状のものとして地面上部の遙か上方まで張り出しており(近くの木の幹や壁などに沿って伸び、先端部はそれらに付着する)、明らかに見た目の巣の形状がトタテグモ類とは異なる。しかし、ここに記された内容はそうしたジグモ系の特殊な地上部に営巣形状を描いていないので、ここでは含まれないと考える方が無難かもしれない。但し、本記載は「本草綱目」のみであるから、中国産のジグモ類の営巣法がやはりトタテグモ類と有意に異なることを確認しないと同定候補からの排除は出来ない。また、個人的には「顚當蟲」という呼称が気になっている(後の「顚當蟲」の私の注を参照のこと)なお、「本草綱目」の本種の全記載は以下の通り。

   *

1蟷【「拾遺」】

釋名 蜴跌【「爾雅」】。顚當蟲【「拾遺」】。跌母【綱目】。土蜘蛛【藏器曰、1蟷音窒當。「爾雅」作跌蜴音湯。今轉爲顚當蟲。河比人呼爲跌蟷。音姪唐。鬼谷子謂之跌母。】

集解 藏器曰、1蟷是處有之、形似蜘蛛、穴土爲窠穴、上有葢覆穴口。時珍曰、跌蝪、即「爾雅」土蜘蛛也。土中布網。按段成式「酉陽雜俎」云、齋前雨後多顚當窠、深如蚓穴網絲、其中上盖與地平、大如楡莢、常仰捍其蓋伺蠅蠖過、輙翻蓋捕之。纔入閉、與地一色、無隙可尋。而蜂複食之。秦中兒謠云、顚當顚當匕匕牢守門蠮螉、寇汝無處奔。

氣味 有毒。

主治 一切疔腫、附骨疽蝕等瘡。宿肉贅瘤、燒爲末、和臘月豬脂傅之。亦可同諸藥傅疔腫、出根爲上【藏器】。

   *

良安はここでは全く自己の見解を附言していない(「本草綱目」引用と訓点を附しただけの特異点)。彼は実はトタテグモを見たことがなかったのかも知れない。以下、ウィキの「トタテグモ」を引いておく。『原始的なクモ類で』、『地中に』『トンネル状の』『穴を掘り、その入り口に扉を付けること』『からその名がある』。『日本で最も普通の種は』トタテグモ科トタテグモ属キシノウエトタテグモ Latouchia swinhoei typica である(現行は亜種扱い。以下の記載を参照)。『本州中部以南に分布し、人家周辺にも普通に生息する。コケの生えたようなところが好きである。地面に真っすぐに穴を掘るか、斜面に対してやや下向きに穴を掘る。穴は深さが』約十センチメートル程度、『内側は糸で裏打ちされる。巣穴の入り口にはちょうどそれを隠すだけの楕円形の蓋がある。蓋は上側で巣穴の裏打ちとつながっている。つながっている部分は狭く、折れ曲がるようになっていて、ちょうど蝶番のようになる。蓋は、巣穴と同じく糸でできている。そのため、裏側は真っ白だが、表側には周囲と同じような泥や苔が張り付けられているため、蓋を閉めていると、回りとの見分けがとても難しい』。クモ本体は体長一センチ五ミリほどしかない。『触肢が歩脚と見かけ上』では『区別できないので十本足に見える。これは原始的なクモ類に共通する。鋏角は鎌状で、大きく発達していて、穴掘りに使用する。全身黒紫色で、腹部にはやや明るい色の矢筈(やはず)模様がある。クモは巣穴の入り口におり、虫が通りかかると、飛び出して捕まえ、巣穴に引きずり込んで食べる。大型動物が近づくと、蓋を内側から引っ張って閉じる。さらに接近すると、巣穴の奥に逃げ込む。巣穴の奥に産卵し、子供としばらくを過ごす。子供は巣穴を出てから空を飛ぶことなく、歩いて住みかを探す』。『環境省のレッドデータブックでは、「準絶滅危惧」とされる』。本キシノウエトタテグモ Latouchia swinhoei typical は『近年、近似種のオキナワトタテグモ Latouchia swinhoei swinhoeiの亜種とされた』。『オキナワトタテグモは沖縄本島に、さらに周辺諸島ではそれぞれ固有種が分化している』。『同じように地中に穴を歩って巣を作り、入り口に扉をつけるものにキムラグモ』(クモ目ハラフシグモ亜目ハラフシグモ科キムラグモ属 Heptathela に属する種或いは同属キムラグモ Heptathela kimurai)『があるが、巣穴の裏打ちに糸を使用しない点が異なる』。『両開きの扉を作るものもある。カネコトタテグモ科』(Antrodiaetidae)『に属するもので、日本では本州の固有種であるカネコトタテグモ』(カネコトタテグモ科カネコトタテグモ属カネコトタテグモ Antrodiaetus roretzi)『がそれである。多くは苔の生えた斜面に巣穴を掘る。その巣穴の入り口は、左右に開くようになっているが、キシノウエトタテグモの場合のように、蝶番部がはっきりしている訳ではないので、あまり扉らしくは見えない。閉じている時には、中央に、縦に閉じ目がわずかに見えるが、蓋の表面は周囲と同じ苔などで覆われ、発見するのは大変困難である。北海道のエゾトタテグモ』(カネコトタテグモ属エゾトタテグモ Antrodiaetus yesoensis)『も同様の巣を作る』。『近縁なものであるが、生息環境が変わっているのが、キノボリトタテグモ』(トタテグモ科キノボリトタテグモ属キノボリトタテグモ Conothele fragaria)『である。このクモは、ほかの仲間と異なり、巣穴を掘らない。苔むした樹や、岩の上に生息し、樹皮や岩の上に、指貫き状の短い袋を糸で作る。そしてその口に一枚扉をつける。蓋の表と同様に、巣の表面にも周囲の苔や泥などをつけるため、発見はやはり難しい。クモは蓋の裏側に留まっており、餌が通りかかるのを待っている。蓋を無理やり開けてやると、蓋の裏側に身を縮めて留まっているのが見える。神社など、古い森林に見つかるが、近年は減少が著しい』。『キシノウエトタテグモには、冬虫夏草の一種であるクモタケ』(菌界子嚢菌門チャワンタケ亜門フンタマカビ綱ボタンタケ亜綱ボタンタケ目オフィオコルジケプス科 Nomuraea 属クモタケ Nomuraea atypicola)『がよくつく。クモタケがクモにつくと、巣穴の底で死んだクモからキノコの子実体が伸び、扉を押し上げて地上にその姿を現す。キシノウエトタテグモの巣はなかなか発見しづらいので、キノコが出現したことで、初めてクモの存在に気が付くという場合がある』。『トタテグモの仲間は、他のクモが』二齢虫期(一回目の脱皮後の幼虫期)に『行なうバルーニングを行なわない。そのため、オキナワトタテグモは沖縄本島とその周辺諸島で固有種が分化していると考えられている』とある。

 

・「土蜘蛛」良安がストイックなのが気に入らねえ。大脱線も構わず、本邦のまつろわぬ民「つちぐも」を語ろう。ウィキの「土蜘蛛」より引く。『本来は、上古に天皇に恭順しなかった土豪たちである。日本各地に記録され、単一の勢力の名ではない。蜘蛛とも無関係である』が、大和朝廷に逆らった者たちの常道として、後世では『蜘蛛の妖怪』に零落させられ、『別名「八握脛・八束脛(やつかはぎ)」「大蜘蛛(おおぐも)」』などと呼んだ。『八束脛はすねが長いという意味』である。『なお、この名で呼ばれる蜘蛛は実在しない。海外の熱帯地方に生息する大型の地表徘徊性蜘蛛』類の一グループである節足動物門鋏角亜門クモ(蛛形)綱クモ目オオツチグモ(大土蜘蛛)科 Theraphosidae (所謂、タランチュラ(tarantula)の類)の和名の一部は、『これらに因んで和名が付けられている』ものの、『命名は後年近代に入ってからであり、直接的にはやはり無関係である』。『古代日本における、天皇への恭順を表明しない土着の豪傑などに対する蔑称。『古事記』『日本書紀』に「土蜘蛛」または「都知久母(つちぐも)」の名が見られ』、『陸奥、越後、常陸、摂津、豊後、肥前など、各国の風土記などでも頻繁に用いられている』。『また一説では、神話の時代から朝廷へ戦いを仕掛けたものを朝廷は鬼や土蜘蛛と呼び、朝廷から軽蔑されると共に、朝廷から恐れられていた。ツチグモの語は、「土隠(つちごもり)」からきたとされ』、『すなわち、穴に籠る様子から付けられたものであり、明確には虫の蜘蛛ではない(国語学の観点からは体形とは無縁である)』。『土蜘蛛の中でも、奈良県の大和葛城山にいたというものは特に知られている。大和葛城山の葛城一言主神社には土蜘蛛塚という小さな塚があるが、これは神武天皇が土蜘蛛を捕え、彼らの怨念が復活しないように頭、胴、足と別々に埋めた跡といわれる』。『大和国(現奈良県)の土蜘蛛の外見で特徴的なのは、他国の記述と違い、有尾人として描かれていることにもある。『日本書紀』では、吉野首(よしののおふと)らの始祖を「光りて尾あり」と記し、吉野の国樔(くず)らの始祖を「尾ありて磐石(いわ)をおしわけてきたれり」と述べ、大和の先住民を、人にして人に非ずとする表現を用いている。『古事記』においても、忍坂(おさか・現桜井市)の人々を「尾の生えた土雲」と記している点で共通している』。「肥前国風土記」には『景行天皇が志式島』(ししきしま:現在の平戸南部地域)『に行幸した際』、『海の中に島があり、そこから煙が昇っているのを見て探らせてみると、小近島の方には大耳、大近島の方には垂耳という土蜘蛛が棲んでいるのがわかった。そこで両者を捕らえて殺そうとしたとき、大耳達は地面に額を下げて平伏し、「これからは天皇へ御贄を造り奉ります」と海産物を差し出して許しを請うたという記事がある』。「豊後国風土記」にも『五馬山の五馬姫(いつまひめ)、禰宜野の打猴(うちさる)・頸猴(うなさる)・八田(やた)・國摩侶、網磯野(あみしの)の小竹鹿奥(しのかおさ)・小竹鹿臣(しのかおみ)、鼠の磐窟(いわや)の青・白などの多数の土蜘蛛が登場する。この他、土蜘蛛八十女(つちぐもやそめ)の話もあり、山に居構えて大和朝廷に抵抗したが、全滅させられたとある。八十(やそ)は大勢の意であり、多くの女性首長層が大和朝廷に反抗して壮絶な最期を遂げたと解釈されている』。『この土蜘蛛八十女の所在を大和側に伝えたのも、地元の女性首長であり、手柄をあげたとして生き残ることに成功している(抵抗した者と味方した者に分かれたことを伝えている)』。「日本書紀」の記述でも景行天皇一二年』の冬十月、『景行天皇が碩田国』(おおきたのくに:現在の大分県。「おおいた」はこれが訛ったものとも言われる)『の速見村に到着し、この地の女王の速津媛(はやつひめ)から聞いたことは、山に大きな石窟があり、それを鼠の石窟と呼び、土蜘蛛が』二人住んでおり、『名は白と青という。また、直入郡禰疑野(ねぎの)には土蜘蛛が』三人いて、『名をそれぞれの打猿(うちざる)、八田(やた)、国摩侶(くにまろ・国麻呂)といい、彼ら』五人は『強く仲間の衆も多く、天皇の命令に従わないとしている』とある(以下、彼らを零落させた(と私は思っている)妖怪の記載は不快なので省略する)。

・「顚當蟲〔(てんたうむし)〕」これは「頭(頭胸部)と腹部がひっくり返っている虫」、或いは「ひっくり返って頭が腹を打ち当てる虫」という雰囲気が伝わってくるくるように私には思われる。すると、ここに同定を留保してしまった「ジグモ」(クモ亜目トタテグモ下目ジグモ科ジグモ属ジグモ Atypus karschi(本邦には本種一種のみ))の特殊な習性が想起されてくるのである。ウィキの「ジグモ」によれば、その形状は、は『大型で、メスは体長が』二センチメートルにも『達する。頭胸部は正中線の隆起が弱く扁平である。また、触肢はやや小型化しており、歩脚との区別が明瞭である。歩脚は太いが』、『トタテグモ科ほど太くはなく、その色彩は頭胸部と同じで暗黄褐色化しない。腹部は無紋』。『鋏角が非常に大きく発達し、ほとんど頭胸部と同じくらいの長さがある』。『触肢は小さく、四対の歩脚は中程度。全身は黒褐色で、模様はない。腹部は楕円形で柔らかい。なお、雄は基本的な特徴は同じだが、腹部が小さく歩脚が細長いため、かなり異なった印象を与える』。このの形状は写真を見ると、頭胸部と腹部がほぼ同じぐらいか遙かに腹部が大きいことが判る。これは静止個体を一定の距離をおいて見ると、どっちが前後か素人には分らないようにも見える。さらに着目すべきは「人間との関係」の項で、そこには、『鋏角が長大なため、鋏角を腹部の方に曲げてやると自分の腹を切り裂いてしまう事から、かつては子供が「ハラキリグモ」「サムライグモ」などと呼んで遊んでいた』とあることである(下線やぶちゃん)。以上から、もしかすると「顚當蟲」という「土蜘蛛」の異名は実はトタテグモ(トタテグモ科 Ctenizidae)の類にではなく、このジグモ科 Atypidae の誰彼に対して冠せられたものではなかったかとも思えてくるのである。識者の御教授を乞う。

・「網絲〔(まうし)〕す」網をかける。

・「楡莢〔(ゆきやう)〕」バラ目ニレ科ニレ属 Ulmus に属する広葉樹の種子。扁平な堅果で膜質の翼を持つ風散型の種である。実際にトタテグモ類の巣の蓋に色も形状も似ている。

・「仰捍〔(ぎやうかん)〕し」巣の奥から仰いで見守って。

・「蠖〔(しやくとりむし)〕」鱗翅シャクガ科 Geometridae の蛾類の幼虫の総称。

・「纔かに」この場合は時間が頗る短いことであるから、瞬く間に、の意。

・「地と一色、隙ま、無し」主語は「蓋」である。

・「尋ねて、蜂、復た、之れを食ふべし。」この箇所がどうも気になる。東洋文庫版現代語訳は「尋ねて」の訓読を上に回し(そこに関してはそれが正しいと私も思う)、「蜂をも復た、之れを食ふ」の訓読をしたものらしく、『蜂をもまた食べる』と訳してあるのである。この前後の「本草綱目」の原文を今一度、見よう(推定の切れ目を総て句点に変えた)。

   *

常仰捍其蓋。伺蠅蠖過。輙翻蓋捕之。纔入閉。與地一色。無隙可尋。而蜂複食之。

   *

これ、私なら、

   *

常に其の蓋(ふた)を仰捍(げうかん)し、蠅・蠖(しやくとりむし)の〔近きを〕過ぐるを伺ひ、輙(すなは)ち、蓋を翻して之れを捕る。纔(またた)くまに入りて閉づ。〔其の蓋は〕地と一色にして、尋ぬべき隙(すきま)も無し。而して蜂、複た、之れを食らふ。

   *

 どうもおかしい。

 通常の摂餌対象である「蠅・蠖」の位置から、ずうっと離れた最後の最後に、あの強力な毒針を持つ「蜂」だって食べるのだ、というのは何となく気になるのである。

 無論、蠅を食うなら、蜂を食っても(逆に針で対抗されて命を落とすリスクはあっても)おかしくはない。

 おかしくはないが、翻って言えば、肉食性の蜂類も当然、蜘蛛類を捕食する。中型種であるトタテグモは相応に蜂にとっても豊かな摂餌対象とは言えよう。しかも、どうだろう? この直前の箇所は、

――土蜘蛛の巣の蓋は地面「と一色にして、尋ぬべき隙(すきま)も無」く、見分けることも出来ぬほどに巧妙に作られている。――

とあるのだが、「而」は「しかモ」或いは「しかれドモ」と訓じて、逆接で訳し

――而れども、蜂も復た、之れ(土蜘蛛)を食ふ。――

とは読めないか?……さらに私の妄想は続くこの土蜘蛛を襲う蜂はそれを食うのではないのではないか? それに麻酔針を打ち込み、不動状態とし、卵を埋め込み、まさに土蜘蛛の巣に戻し入れ、蓋の部分を開かないように封鎖する寄生蜂なのではないか?……但し、残念ながら、そのようなトタテグモ類に特化した寄生バチの記載をネット上で見出すことは出来なかったから、このトタテグモの巣まで利用してしまうチャッカリ寄生バチはヤッパリ私の妄想の域を出ないのであった。大方の御叱正を俟つものである。

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