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2016/04/16

原民喜「雜音帳」(自筆原稿復元版) 繪艸紙

  繪艸紙

 

 ものものしい氣配が、よく晴れた秋空の下に滿ちてゐた。衢は正〔午〕近く往交ふ人の足どりで忙しさうだ。手に手に風呂敷包や籠を提げた女たちの表情は、食べもののありかを嗅ぎつけることで一杯になつてゐるらしい。電柱の向ふに、人の行列があつて、私ははつとした。見ると蒲鉾屋の前に人々は順番を待つてゐるのだ。老人も娘も若い男も、みんながおとなしく奧の方の光景を伺つてゐる。見給へ、奧は薄暗くてそして何となしにものものしいのだ。まづ、入口のところの、リヤカーの上に据ゑられた樽には氷詰の魚がいかめしい背を反らしてゐるが、あれは大方鮫といふ魚なのだらう。それから、正面の釜の側で、せつせと働いてゐる男の姿はどうだらう。大きな杓子のやうなもので、白いとろとろの液體を捏ねては小さな四角形の函の中に詰込んでゐるが、その男は何か運命を支配してゐるかのやうに、落着拂つた素振である。釜では今くらくらと湯氣が立騰つて、白いはんぺんが木蘭の花瓣のやうにふわふわ浮上つてゐるのを、老婆が一つ二つと棒でひつくり返して行く。さて、一枚ほど開かれた表口の硝子戸の處では、そこでは、男も女も、てんでに五十錢札と新聞紙を展げながら、五枚のはんぺんを素ばしこく掌に奪ひ取らうとしてゐるのだ。ところで、盥の中に打上げられたはんぺんは既にして盡きてしまつた。私達はしばし惘然として、次のが煮えるのを待たなけれはならなかつた。私達の姿はみんな煤けてもの淋しく、釜の中なるはんぺんは儚く淡い夢に似通ひ、笏もて白い液體を捏ねてゐる若衆の姿も、これも、遠い昔の繪艸紙のやうであつた。

             (昭和十七年)

 

[やぶちゃん注:「見給へ、奧は薄暗くてそして何となしにものものしいのだ。」の句点は青土社版全集には、ない。因みにこの読点は原稿では禁則処理的に行末二十字目のマスの「へ」と同一マスに一緒に打ち込まれてある。これは明らかに初出の校正者の見落としである(無論、青土社版が完全無欠であるとして、である)。「まづ、入口のところの」の読点は青土社版には、ない。これも初出の校正ミスである。

 実は、この「繪艸紙」のパートの頁番号「7」(「8」の右半分)は理由は不明ながら、「8」から切り離されて欠損している。そのため、底本ではまさに青土社版でそこを補填してあるのであるが(広島市立図書館に失礼乍ら、その補填は十全でなく、誤りが複数個所ある)、私は独時に青土社版をそこに当て嵌めて、原稿用紙の字数で再現を試みてみたところ、美事、次の「8」の冒頭に繋がることが確認出来た。而して、青土社版のその部分は漢字を総て正字化した状態で挿入してある。

 「惘然」「まうぜん(もうぜん)」「ばうぜん(ぼうぜん)」と二様に読めるが意味は同じで、「呆然」(ばうぜん(ぼうぜん))と同義。ここは、気抜けしてしまって、すっかりぼんやりしているさまを言う。

最後のクレジットは、底本では行間に小さく、下インデントで附されてある。青土社版全集年譜によれば昭和一七(一九四二)年当時、民喜は三十七歳。この年の一月から千葉県立船橋中学校で英語教師として雇われ、週三回出勤するようになった。]

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