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2016/04/09

和漢三才圖會卷第五十二 蟲部 雪蠶

Sessan

せつさん 雪蛆

雪蠶

 

本綱雪蠺生陰山以北及峨嵋山其二山積雪歷世不消

其中生大如瓠

水蠺 員嶠之山有水蠺長六七寸黒色有鱗角以霜雪

 覆之則作繭長一尺抽五色絲織爲文錦入水不濡投

 火不燎堯時海人獻之其質輕暖柔滑此亦雪蠶之類

石蠺【石蠹蟲石下新沙蝨】 山河中多有附生水中石上作絲繭如

 釵股長寸許以蔽其身其色如泥有其中春夏羽化

 作小水上飛【又石類亦有石蠺與此不同又水中細蟲有沙蝨者與此同名異物矣】

海蠺 生南海山石間狀如蠺大如拇指其沙甚白如玉

 粉狀毎有節難得眞者

 

 

せつさん 雪蛆〔(せちしよ)〕

雪蠶

 

「本綱」、雪蠺は、陰山以北、及び峨嵋山に生ず。其の二つの山、雪を積みて、歷世、消えず、其の中に生ず。大いさ、瓠〔(ひさご)〕のごとし。

水蠺 員嶠〔(いんきやう)〕の山に「水蠺」有り。長さ六、七寸。黒色にして、鱗角、有り。霜雪を以て之れを覆ふ時は、則ち繭を作〔(な)〕す。長さ一尺、五色〔(ごしき)〕の絲を抽〔(ひ)〕きて、〔これを〕織りて文錦と爲す。水に入れて濡れず、火に投じて燎(や)けず。堯の時に、海人、之れを獻ず。其の質、輕暖・柔滑なり。此れも亦、雪蠶の類なり。

石蠺【石蠹〔(せきと)〕蟲石下新沙蝨〔(しやしつ)〕】 山河の中に多く有り、水中の石上に附生す。絲繭〔(しけん)〕を作る。釵股〔(さこ)〕のごとし。長さ寸許り。以て其の身を蔽ふ。其の色、泥のごとし。其の中に有り。春・夏、羽化して小䖸と作〔(な)〕る。水上に飛ぶ【又、石の類にも亦、石蠺、有り。此れと同じからず。又、水中の細蟲に、沙蝨と云ふ有るは、此れと〔は〕同名異物〔なり〕。】。

海蠺 南海の山石の間に生ず。狀、蠺のごとくして、大いさ、拇指のごとし。其の沙、甚だ白く、玉粉の狀のごとし。毎、節、有り。眞なる者を得難し。

 

[やぶちゃん注:なかなか難物の項である。正直、カイコ類でないものの方が多いというのは一読、お分かりのことと思う。仕方がない。各個撃破しよう。

・「雪蠶」異名を「雪蛆」とする。こちらの和名異名は私の愛読書である鈴木牧之編撰「北越雪譜」(私は真夏のスペインのコスタ・デ・ソルの砂浜で平然と本書を読んだ変人である)の「上之卷」に「雪中の蟲」に「雪蛆(せつじょ)」として出る。以下に全文を引く(底本は国立国会図書館デジタルコレクションの万笈閣の当該箇所の画像を視認したが、読みは難読部だけのパラルビとした。また適宜、句読点や記号を附した。「蠅」は「蝿」であるが、後者の字が生理的に嫌いなので正字の「蠅」とした。「蟲」と「虫」の混在はママ。図は同国立国会図書館デジタルコレクションの当該頁の画像(上記のリンク先の次の頁)からトリミングし、補正はせずに汚れを出来る限り、除去した)。

   *

 

   雪中の虫

 

唐土蜀(もろこししよく)の峨眉山には、夏も積雪(つもりたるゆき)あり。其雪の中に、「雪蛆(せつじよ)」といふ虫ある事、「山海経(さんがいきやう)」に見えたり【唐土の書。】。 此説、空しからず。越後の雪中にも、「雪蛆」あり。此虫、早春の頃より雪中に生じ、雪、消え終(をはれ)ば虫も消終(きえをは)る。始終の死生(しせい)を雪と同うす。字書を按(あんず)るに、「蛆」は腐中(ふちゆう)の蠅とあれば、所謂、蛆蠅(うじばへ)也。「(だつ)」は蠆(たい)の類[やぶちゃん字注:「」=「虫」+「旦」。]、人を螫(さす)とあれば蜂の類也。雪中の虫は「蛆」の字に从(したが)ふべし。しかれば「雪蛆」は雪中の蛆蠅也。木・火・土・金・水の五行中、皆、蟲を生ず。木の蟲、土の蟲、水の蟲は、常に見る所めづらしからず。蠅は灰より生ず。灰は火の燼末(もえたこな)也。しかれば蠅は火の蟲也。蠅を殺して形あるもの、灰中(はひのなか)におけば蘇(よみがへる)也。又、虱(しらみ)は人の熱より生ず。熱は火也。火より生じたる蟲ゆゑに、蠅も虱も共に暖(あたゝか)なるをこのむ。金(かねの)中の虫は、肉眼(ひとのめ)におよばざる。冥塵(ほこり)のごとき蟲ゆゑに、人、これをしらず。およそ銅銕(どうてつ)の腐るはじめは、蟲を生ず。虫の生じたる所、色を變ず。しばしばこれを拭(ぬぐへ)ば、虫をころすゆゑ其所、腐らず。錆(さびる)は腐(くさる)の始、錆の中、かならず虫あり、肉眼(にくがん)におよばざるゆゑ、人、しらざる也【蘭人の説也。】。金中、猶(なほ)蟲あり。雪中蟲、無(なから)んや。しかれども、常をなさざれば、奇(き)とし妙(めう)として、唐土の書にも記(しる)せり。我越後の雪蛆はちひさき事、蚊(か)の如し。此蟲は二種あり。一ツは翼(はね)ありて飛行(とびあるき)、一ツははねあれども蔵(おさめ)て蚑行(はひありく)。共に足六ツあり、色は蠅に似て淡(うす)く【一は黑し】、其居(を)る所は、市中(しちゆう)・原野(げんや)、蚊におなじ。しかれども、人を螫(さす)むしにはあらず。驗微鏡(むしめがね)にて視たる所を、こゝに圖して物産家の説を俟つ。

Yukimusi

[やぶちゃん注:以下、附図のキャプションを読み易く繋げた。]

〇雪蛆の圖

此蟲夜中は雪中に凍死(こふりしゝ)たるがごとく日光を得ればたちまち自在をなす。又、奇とすべし。色、蒼(くろ)し。

   *

この文中のうち、「蠆」は後で項立てされる「水蠆」ならば太鼓虫(たいこむし)のことで、トンボの幼虫であるヤゴを指すが、ここは、後の「蜂」の類いと並列され、それも人を刺すとするならば、本草書類で鈴木も知っていた本邦に棲息しない「蠍」のことかも知れぬ(実際に「蜂蠆」(ホウタイ)という、人を刺す毒虫としてのハチとサソリを指すところの熟語がある)。ともかくも、これは冒頭からして鈴木は明らかに、この「雪蠶」と同じものを、彼が現に見て知っている「雪中の虫」、「雪蛆」と同類と真面目に認識しているわけである。まず問題は鈴木が二種を掲げている点であるので、迂遠であるが、この「北越雪譜」の「雪虫」の同定からとりかかることとする。彼はこの「越後の雪蛆」について、

 二種孰れも大きさは小さい。

 蚊に似ている。

とした上で、二種いる、として、

 翅を持っていて飛翔する種。

 翅はあるものの飛ばない種。

と記す。孰れも脚は六本であり、

 その体色は、一種は蠅に似た淡い色をするが、一方は黒い。

とする。問題はこれらが①②のどちらなのかが分からぬ点であるが、記述に即すとするならば、

 の種は蠅に似た淡色の体色。

 の種は黒色。

とし得る。生態上の特徴は①②種ともに、

 〇蚊に似て、市中にも野原に棲息している。但し、蚊のようには人を刺さない。

とする。附図は二個体をを描いており、鈴木の律義さから考えれば、二種を描いていると読むべきで、とすれば、上方の翅を立てているのが、飛ぶであり、下部のそれはであうと判断してよいであろう。しかし、図の形状は孰れも酷似しており(触角の形状がは羽毛状に大きいが、は細い点では相異する)、図からはその有意な生物種の違いは、昆虫に冥い私にはよく判らない。ただ、ここに私の有する「北越雪譜」の複数の版本のうちで、最もよく出来ていると感じている平成五(一九九三)年野島出版刊(改訂版)の宮栄三監修・井上慶隆及び高橋実校註「校註 北越雪譜」の脚注で、

 を『ユスリカであろう』

 を『フタトゲクロカワゲラか、それに近似したものであろう』

と推定してある。即ち、

 は双翅目糸角亜目カ下目ユスリカ上科ユスリカ科 Chironomidae のユスリカ類(本邦産は約二千種)

 は襀翅(せきし/カワゲラ)目キタカワゲラ亜目オナシカワゲラ上科クロカワゲラ科フタトゲクロカワゲラ Capnia bituberculata 或いはその近縁種か形状の似たもの

と推定同定していることになる。

 さてしかし、本「和漢三才図会」のこの「雪蠶」の総論部に描出されるそれは、大きさが「瓢」ほどもあるとする。これはスミレ目ウリ科ユウガオ属ヒョウタン Lagenaria siceraria var. gourda のことである。無論、ヒョウタンにも、長さが五センチメートルほどしかない「極小千成」などという品種もあるものの、ここでの謂いは大きな瓢(ひさご)ほどあるという意味にしかとれないから私はこの鈴木牧之が言い、上記で推定同定されるも「雪蠶」の同定候補には全くならないと考えるものである。

 では「雪蠶」とは何ものか?

 その条件は、生息域の限定である。まずは「陰山以北」とある。「陰山」は現在の陰山(インシャン)山脈のこと。即ち、オルドス地方(中国内モンゴル自治区南部で北と西を黄河に囲まれ、南を万里の長城に区切られている地域。大部分が砂漠で現在は灌漑による農業と牧畜が行われている。古くから漢族と北方遊牧民族が奪い合った地域で、明代にはモンゴル族のオルドス部が占拠した。中国名を河套(かとう)と称する)の西北から隆こり、東で大興安嶺山(だいシンアンリン)山脈に繋がる山脈で、黄河屈曲部北端北側に黄河に沿って東西に走り、南側に急峻な断層崖を持ち(北側は緩やかにゴビ砂漠に続く)、東西千二百、南北幅は五十から百キロメートル、最高峰は狼(ラン)山西部の呼和巴什格(フーへバシゲ)山の標高二千三百六十四メートルで、平均標高は千五百から二千三百メートルの高山地帯である。そこから「以北」だという。しかしこれ、「以北」と言うても、次に「雪を積みて、歷世、消えず、其の中に生ず」とあるんだから、これはゴビ砂漠を含まない。

 次に現在の四川省峨眉山市の「峨嵋山」へ「点」で飛ぶ。同山(山塊)は、最高峰の万仏頂が標高三千九十八メートルある。それにしてもここは実に陰山山脈の狼山と「点」で計測すると、直線距離で軽く千三百キロメートル以上も離れる。これでは、分布域の「域」の体を成さない(なお、峨眉山は現在、約三千種の植物と、絶滅危惧種を含む約二千種の動物の宝庫とされるとウィキの「峨眉山」にはある)。

 以上と、「其の二つの山、雪を積みて、歷世、消えず、其の中に生ず」とあることから、高高度の溶解することのない雪渓、万年雪の中に棲息する立派な「蠶」(挿絵を見られたい)で、しかもその大きさは実に「瓠」(ひさご)、瓢簞(ひょうたん)ほどもあるというののである。既に注した通り、通常のカイコ(家蚕)の場合、最終齢期(五齢)では五・五センチメートルから一度は八・五センチメートルをも越えるから、ここでヒョウタン(Lagenaria siceraria var. gourda)の実を比喩に出す意図は、それよりも遙かに大きい「ヒョウタン」ほどもある、という謂いとしか読めないから、最低でも十~二十センチメートルのカイコ幼虫を想起しなくてはならぬ。そんなにデカいカイコ(幼虫)はいるか? と言われると、実は、いることは、いる。最大級は想像される通り、やはりヤママユガ(本邦主とは属が異なる)の一種で、鱗翅目ヤママユガ科Citheronia 属リーガル・モス(egal mothCitheronia regalis、北アメリカ大陸に棲息する蛾の幼虫の中では最大とされ、約十五センチメートルもある(英名の通り、如何にもB級アメリカ・ホラー映画染みた定番的な悪魔見たような角が頭部に生え、体節からはハード・ゲイの好きそうな如何にもなトゲトゲ装飾が突き出るトンデモない姿だが、実際には毒は無く、人間が触れても害はないらしい。画像も見つけたが、これも精神衛生上、リンクはしない。学名で画像検索をかければ出現する。自己責任で、どうぞ)。

 しかしながら、リーガル・モス Citheronia regalis も実に鮮やかな緑色をしているし、天蚕(野蚕)に含まれるヤママユガ科 Saturniidae などの大型幼虫を生活環に持つ類の幼虫は鮮やかな緑色をしているものが多い。無論、白いものもいるカモ知れないし、アルビノもあろうとは思うが、何よりの問題は、高高度の万年雪の上に彼らが棲息するというのは凡そ考えにくいように思われることである(ヤママユガの起源は熱帯から亜熱帯域であろう)。

 なお、他に「天山雪蛾」というのを中文サイトに発見し、画像を見ると一見、木の枝にぶら下がる恐ろしく巨大なカイコのように見えたものの、この画像を拡大してよく見ると、これは真っ白な幼体か蛹か成虫(小さな白色有毒蛾らしい)の集合体であると見た。残念。

 さてもここで私の幻の「雪蠶」の探索の旅は一先ず、終りとすることとした。識者でこれを同定出来る方は、是非、御教授下されたい。吉報を待つ。

 

・「水蠶」これは「本草綱目」の、

   *

員嶠之山有冰蠶、長六、七。投火不燎。堯時海人獻之、其質輕暖柔滑。按、此亦雪蠶之類也。

   *

に一応、基づくのであろうが、この文字列で調べてみると、「四庫全書」に所収する宋の李石撰「續博物志卷十」に、

   *

東海員嶠山有氷蠶長七寸有鱗角以霜雪覆之始為繭其色五綵織為文錦入水不濡投火不燎

   *

とあるもの、また同じ「四庫全書」にある宋の呉淑撰「事類賦巻十」の「寳貨部」に、

   *

員嶠有霜蠶之異拾遺記曰員嶠之山有環丘東有雲石廣五百里有蠶長七寸黒色有鱗角以霜雪覆之然後作繭長一尺其色五采纎為文錦入水不濡其質輕暖柔滑

   *

と出る(孰れも中文サイトから引いた)ところの「氷蠶」「霜蠶」とほぼ同一であることが判る。しかも「本草綱目」が「冰」でここが「水」となると、これは実は「氷蠶」の良安の誤字のように私には思われる。良安の本文も以上の記載を巧みにカップリングしていることも判明したことも言い添えておく。以下、「火に投じて燎(や)けず」、繊維に水が全く浸潤せず、柔かで滑かであるという点などを勘案するなら、この妖しい「水蠶」、それが生み出すとする繊維の正体は、火浣布(火で洗える布の意)として珍重された石綿(アスベスト:asbestosが深く疑われる。

 

・「員嶠〔(いんきやう)〕の山」中国神話上で渤海の遙か東方にあったとされる五つの神山の一つ(他に岱輿(たいよ)・方丈(方壺とも)・瀛洲(えいしゅう)・蓬萊山)。これら五神山は十五匹の亀によって支えられていたが、後にその六匹を龍伯国の大巨人が釣り上げてしまった結果、この員嶠と岱輿は支える亀がいなくなって波に流され、やがて海の底に沈んでしまった。結果として残った方丈・瀛洲・蓬莱が三神山と呼ばれて、今に知られるとする。

・「六、七寸」十八・二~二十一・二センチメートル。

・「鱗角」一語で難く角質化した鱗状の表皮とも読めるし、「鱗・角」と分ければ、全身が鱗で覆われており、その一部から角状のものが突き出ているとも読める。

・「霜雪を以て之れを覆ふ時は、則ち繭を作〔(な)〕す」湿気を嫌うカイコ類としては寧ろ、霜や雪が襲ってくる前に、いち早く蛹化して繭を作り、越冬をする、と読むべきところであろう。

・「文錦」「あやにしき」と訓じておく。綾と錦で高級で華麗美麗な衣服のこと。

・「堯」中国神話に登場する理想的君主で五帝(司馬遷の「史記」では黄帝・顓頊(ずいぎょく)・嚳(こく)・堯・舜の順列で出す)の一人。陶唐氏とも称し、儒家に於いて聖人とする。

・「海人、之れを獻ず」何故、海人なのか。不審(アスベストなら寧ろ、内陸山岳地帯から出るであろう)。或いは、国外から船でもたらされたことを暗に指すか。

・「石蠺」「石蠹〔(せきと)〕蟲」「石下新」「沙蝨〔(しやしつ)〕」これらの文字列から容易に連想される生物が私には、いる。しかもそれは、

――その生活環のステージの中の一つで山間部の川の中に多く棲息

――そのステージでは水中の石の表面に多数附着して棲息しており

――そのステージでは「絲繭〔(しけん)〕」、糸で綴り合わせたように何かが繋がっている繭状のものの中に棲んでいる

のである。なお、この場合、「絲繭」という語を、必ずしも蚕の繭と同質のものである必要はなく、ある生物が中にいて生命を保っている巣、保護するための鞘のようなものも「繭」と言える点に注意する必要がある。そもそもが直後の記述で、それはあたかも「釵股(さこ)」のような形状を成すとしているのである。「釵股」(「サイコ」とも音読みする)とは簪(かんざし)の二股になった箇所、或いは二股状の簪の謂いである(東洋文庫版現代語訳はこれに『さすまた』とルビを振るが、これは採れない。中国語にはかの武具としての刺股(さすまた:「指叉」と書く)の意はないからである)。これは私は二股に分かれている必要はないと思う。即ち、この生き物は、

――そのステージでは上部は一つでそこから下部に向かって有意に太くなって丁度、簪見たような形の棲管の中にいる

ということを示した表現ではなかろうかと思うておる。

――その鞘の長さは三センチメートルほどしかない

そしてその鞘で「以て其の身を蔽ふ」ているところの、

――その中にいる生き物は鞘の長さの三センチメートルよりさらに小さい

のである。

――その鞘の色はくすんだ泥のような感じである

その中にその生き物は棲んでいるのである。そうしてその生き物は実は完全変態の飛翔する昆虫である生物の水棲幼虫であることが以下で判明する。

――年に春と夏の二度、羽化して「小さな蛾」となって、水の上を盛んに群れ飛ぶ

という

――蛾のような水生幼虫期を経る二化の昆虫であり、その幼虫期を河川の川床で送る水棲昆虫の一種

であることが判るのである。しかもここにはそれからカイコのように糸が得られ、それを人が使用するとはどこにも書かれていない。即ち、これは「蠶」の同類異種として限定的に考証する必要がないのである。

 もう既に多くの方が私が何を想起想定同定しているお判りであろうと存ずる。

この「石蠶」とは昆虫綱毛翅上目トビケラ目 Trichoptera の中で多数を占める、水生の幼虫期に於いて川床の砂や植物片などを自ら出す絹糸で絡め、円筒形その他形状の棲管(巣)を営巣するトビケラ類

に他ならない。ウィキの「トビケラ」より引く。『トビケラ目は毛翅目ともいい、ほとんどの種で翅が刺毛に覆われている』。全世界で四十六科、一万二千種以上が『認められており、日本ではそのうち』の二十九科に含まれるところの四百種以上の『生息が認められている。体は管状、長い糸状の触角を持ち、羽根を背中に伏せるようにして止まる姿は一部のガ類に似ている』。『完全変態をする。幼虫はほとんどが水生で、細長いイモムシ状だが胸部の歩脚はよく発達する。頭胸部はやや硬いが、腹部は膨らんでいて柔らかい。また、腹部に気管鰓を持つものも多い。砂や植物片を自ら出す絹糸に絡めて円筒形その他の巣を作るものが多い。巣の中で蛹になる。羽化の際は、蛹自ら巣を切り開き、水面まで泳ぎ上がり、水面や水面上に突きだした石の上などで成虫になる。この様な羽化様式が多いが,クロツツトビケラ』エグリトビケラ亜目クロツツトビケラ科クロツツトビケラ(黒筒飛螻蛄) Uenoa tokunagai)『などでは、水中羽化も報告されている』。『また、トビケラは種による差が認めにくいものがあるために同定は難しいものも多い。幼虫は巣の形で属レベルの同定が可能なものもある。成虫については、翅に明瞭な斑紋や色彩を持つ種もあるが、地味なものが大部分で、雌雄の生殖器の構造を見ることが必要になる』。『水生昆虫としては流水性のそれとして』カワゲラ目 Plecoptera のカワゲラ類や有翅亜綱旧翅下綱 Ephemeropteroidea 蜉蝣(カゲロウ)目 Ephemeroptera のカゲロウ類と『肩を並べる。幼虫の生活する水域は種によって異なる。渓流やきれいな川に多いが、湖沼や池などの止水にも生息する。そのほか小さな湧水や岩盤を滴る流れにも生息する種がある。海産』『や陸生種』『もわずかだが知られる。ただし最近のスカンジナビアやカナダにおける研究では、汽水域には予想以上に多くの種が生息すると報告されている。日本の汽水域における研究は皆無である』。『トビケラ類の幼虫はいさご虫(沙虫)と呼ばれ、水中生活で、多くが巣を作る事で有名である。巣は水中の小石や枯れ葉などを、幼虫の出す糸でかがって作られる。巣の型には大きく携帯型(移動できる)のものと固定型の』二種がある。『もっとも一般的なのは、落葉や砂粒・礫などを綴り合わせて作られる鞘状や筒状の巣で、携帯巣(けいたいそう)、筒巣(とうそう)あるいはケーシング(casing)と呼ばれる。体がぴったり入る大きさで、前方から頭胸部を出して移動したり採餌したりするもので、言わば水中のミノムシ状態である。水中の植物質を餌とするものが多く、礫で巣を造るニンギョウトビケラなどが有名である』。『これに対して、シマトビケラやヒゲナガカワトビケラなど「造網性」と呼ばれる種類の作る巣は、渓流などの石に固定されており、その一部に糸による網が作られ、ここにひっかかった流下微粒子を食べる』。『これらに対して、例外的なのがナガレトビケラ科で、巣を作らない。幼虫は裸で水中を移動し、他の水生昆虫を餌とする』。以下、営巣形状別の識別記載。

シマトビケラ亜目シマトビケラ科Hydropsychidae・同亜目ヒゲナガカワトビケラ科 Stenopsychidae など――乱雑な巣を植物片や小礫で営巣

エグリトビケラ亜目ヒゲナガトビケラ科 Leptoceridae(前のヒゲナガカワトビケラ科 Stenopsychidae とは上位の亜目のタクサで異なる別種なので注意)――砂粒や植物片など、さまざまな材料を用いた筒巣を営巣

エグリトビケラ亜目トビケラ科 Phryganeidae ――植物片を螺旋状などに編んで営巣

エグリトビケラ亜目キタガミトビケラ科 Limnocentropodidae : 円錐形の巣の末端を石などに固定して営巣

イカ、「人間とのかかわり」の項より(抜粋)。『渓流釣りに於ける餌として使われる例が』ある他、『長野県では渓流の水生昆虫をザザムシと呼んで食用にする。その中心はヒゲナガカワトビケラである』とある。ヒゲナガカワトビケラとはトビケラ目ヒゲナガカワトビケラ科ヒゲナガカワトビケラ属ヒゲナガカワトビケラ Stenopsyche marmorata 。「ザザムシ」(語源は「ざーざー」した所にいる虫、あるいは浅瀬(ざざ)にいる虫と言われる。なお、かつての「ザザムシ」には他のカワゲラやトビケラ類の幼虫や脈翅(アミメカゲロウ)上目広翅(ヘビトンボ)目ヘビトンボ科ヘビトンボ亜科ヘビトンボ属ヘビトンボ Protohermes grandisの幼虫なども含まれていた)は私の例外的な昆虫食の大好物である。やや『特殊な利用例として、山口県岩国市の錦帯橋付近ではニンギョウトビケラ』(人形飛螻蛄:トビケラ目ニンギョウトビケラ科ニンギョウトビケラ属ニンギョウトビケラ Goera japonica)『の巣を土産物として販売している。この種は筒巣の両側にやや大きめの砂粒を付け、蛹化する際には前後端に砂粒をつけて蓋をする。この後端の石を頭に見立て七福神や大名行列を作る』。『害がある例も少ないが』、シマトビケラ亜目 Annulipalpia の『シマトビケラ類は、水力発電所のダムの配水管に幼虫が入り込んで、その壁面に巣を作り、水の速度を落としてしまうことがある。大発生した成虫が不快害虫とされる種もあるほか、アレルゲンとなることも知られる』。『河川では数の多い昆虫であり、多くの種があることから、カワゲラやカゲロウと並んで河川の水質調査の際の指標生物とされる。特に、シマトビケラ』(シマトビケラ科 Hydropsychidae 或いは同科のシマトビケラ属 Hydropsyche)『やヒゲナガカワトビケラ』(学名既注)『などの造網性の種は、水中の小石が増水等で移動するような場所では安定して生活できないと考えられる。そこで水生昆虫の中にこの類の占める割合を造網係数と呼び、河川の安定を示す指標と考えている』とある。

・「石の類にも亦、石蠺、有り。此れと同じからず」「本草綱目」に、

   *

石蠶【宋「開寶」】

釋名 石僵蠶【「綱目」】。

集解 「志」曰、石蠶生海岸石旁、狀如蠶、其實石也。

氣味 苦。熱。無毒。「藥訣」曰、苦、熱、有毒。獨孤滔曰、製丹砂。

主治 金瘡止血生肌、破石淋血結、磨服、當下碎石【開寶】。

   *

とはある。また、元祖石狂いの木内石亭の著した、私の耽読する「雲根志」(安永二(一七七三)年~享和元(一八〇一)年にかけて刊行された三編十六巻の岩石・鉱物・化石・石器など約二千品目を分類し、記載したもの労作)の「後編卷之三」の第二十一項目に(底本は昭和五四(一九七九)年現代思潮社版「覆刻 日本古典全集 石根集」に拠ったが、読み易くするために、句読点を補った。文中の「予」(自分)は底本では同ポイントで右にずれる)、

   *

   石蠶(せきさん) 廿一

石蠶(せきさん)は自然の石にして蠶(かひこ)の形なり。色白く、赤筋(あかすぢ)あり。長さ三五寸、或いは、一寸。いもむしの如し。或人、肥後國益城(ますき)郡の小川(おがわ)村海邊にて拾ひ得たり、とて、二枚、予に惠む。珍藏す。化物(くはぶつ)にあらず。天然の産にして似像(じざう)の物なり。恰も虫の形に似たり。首尾の形もあり。其後、彼邊に行(ゆく)人ありてたのみ、遣すに、夷虫(えびすむし)、大黑虫(だいこくむし)を拾ひ來る。しかれども、是、生虫(せいちゆう)の化物(くはぶつ)にして自然の物にあらず。或人、是を當るは誤ならんか。

   *

とある。彼の言う「石蠶」は、

――長さは小さいものは三センチメートル、大きくなると九~十五センチメートルの芋虫のような形状のもの

(石亭に二個の標本を齎した人物の報告であろう)とする。「益城(ますき)郡」は通常は「ましき」と読み、現在の熊本県宇城(うき)小川町に相当する。ここは八代海の湾奥沿岸に当たる。「天然の産にして似像(じざう)の物なり」とは、自然現象によって生じた天然の鉱物であって、たまたま蚕に酷似した形象になった、即ち、シミュラクラ(Simulacra)だと言っているのである。「夷虫(えびすむし)、大黑虫」は不詳ながら、海産貝類の一種の死貝と思われ(「生虫(せいちゆう)の化物」)、一つの同定候補としては「夷虫」が腹足綱前鰓亜綱古腹足目ニシキウズガイ科エビスガイ属エビガイ Calliostoma unicum 或いはその仲間辺りか(本和名は石亭が「雲根志」を刊行した三十六年後に、武蔵石寿の著した「六百介品」(天保七(一八三七)年)に載るものであるが、だからと言ってこの和名を出すのが適切ではでないと批難することも私は出来ないと思っている。武蔵石寿は和名を自分勝手に付けたのではなく、漁民のその通称をも確認していたと私は思っているからである)。「大黑貝」はお手上げだが、大黒さまが載る俵や、打ち出の小槌の形状から、私は腹足綱直腹足亜綱 Apogastropoda下綱新生腹足上目吸腔目高腹足亜目タマキビ下目タカラガイ超科タカラガイ科 Cypraeidae のタカラガイ類ではないかと推理した(但し、民俗学的には俵は実は陽物崇拝の名残とも思われるようであるが、私は寧ろ、ファルスではなくヴァギナを連想させるところへ持っていきたいと考えたところに私の深層心理があるとは言えるかも知れぬ)。

 閑話休題。

 さて、良安も「本草綱目」の李珍も「雲根志」の石寿も皆、生物ではなく正真正銘の石、鉱物だと言っている。前二者は別として、石(彼は化石さえも検証しているのである)フリークの石寿が貝殻(と思われる)ものと区別して「石」だ、と主張する以上は石なんだろうなぁと少し自信をなくすのであるが、しかし敢えて私は、

――良安が鉱物としての石の中に「石蠶」はあるが、それはここで説明した「石蠶」、即ち、トビケラの棲管とは同じものではないと述べている点(これは同じものが河川にあるのなら、それを明記するから、彼の言う「真の鉱物の石蠶」は川にはいないことになり、陸か海のどちらかにいることを意味する

――時珍が「志」(晋の張華が撰した博物書「博物志」であろう。原典は散佚したが、こうした引用で断片が比較的多く伝わる)から引用して「石蠶」は岩礁性海岸の石の傍らに生ずるもので、形は蚕に似ている(ものの、その実、本物の鉱物である)と述べている点

――石寿の所蔵する「石蠶」の標本を採取した場所が海浜である

――石寿が蚕或いは芋虫の形状に酷似していて、頭と後部の区別さえあるように見えると述べている点(これはそれが物理的に同じ太さでないこと、頭と思しい部分が分かることを意味する)

――石寿が全体に白色であるが、一部に赤い筋があると述べている点

――石寿がその海産の「石蠶」の全長は三~十五センチメートルと長短があると述べている点

これらを総合すると、私は、

この海の「石蠶」とは腹足綱前鰓亜綱盤足目オニノツノガイ超科ミミズガイ科ミミズガイSiliquaria cumingi の螺管の頭頂部分が欠損した破片

であると思う。ミミズガイは、本邦で房総半島以南、西太平洋の水深十メートルから~百メートル程度の岩礁に棲息する海綿類の体内中に棲息する寄生性の巻貝である。生時は海綿類に殻の大部分が埋没しており、殻口のみがその表面に露出している。鰓の繊毛を以って浮游物を集めて摂餌する。ミミズガイ科の仲間の殻は初期の螺旋はやや規則的であるものの、成長とともに途中から巻きが解けてしまい、不規則な螺状の管になる。また、理由は不明であるが、一部の標本を画像で見ると、不明瞭な成長線や螺層の一部或いは全体に暗い赤褐色を帯びたものを見ることが出来る。大方の御批判を俟つものではある。

・「水中の細蟲に、沙蝨と云ふ有るは、此れと〔は〕同名異物〔なり〕」「沙蝨」自体が難物で、比較的知られた命名としては、かの恐ろしいツツガムシ病を媒介する節足動物門鋏角亜門クモ綱ダニ目ツツガムシ科 Trombiculidae のツツガムシ類の一名であるが、ここが「水中」とあるので、違う。甲殻亜門軟甲綱真軟甲亜綱フクロエビ上目端脚目ヨコエビ亜目 Gammaridea の仲間、例えば跳ねるだけでなく、海水中で泳ぐのも上手いヒメハマトビムシ Platorchestia platensis をいの一番に想起したが、どうも「水中」と頭から明記しているので

迷う。迷うた末に、金魚の飼育を古くから中国が出掛けて来たことを考え――「あれか?!」――とハッタ! と膝を打った。これは、

甲殻亜門顎脚綱鰓尾(えらお)亜綱鰓尾(チョウ)目チョウ科チョウ属チョウ Argulus japonicus 或いはその仲間

ではあるまいか? 「チョウ」は「金魚蝨」などとも書く(知られた動物学者飯島魁が「動物学提要」で最初にこれらArgulus属を「てふ」と和名呼称したことによるもので、私は漢字を当てたのを見た記憶がないあい、「日本国語大辞典」でも見出しとしてこの生物が出るものの、漢字を当てず、語源も記されていない(これは珍しいことと思う)。円盤状の薄い形状はするが、「蝶」由来なのかどうかもよく判らない。識者の御教授を乞うものではある)。よく知らない方(子供向けに限らず、淡水産生物(「チョウ」には海産もいる)の図鑑類でもあまりお目にかかったことはないから知らない人の方が多いであろう。小さくて目に見えにくいことと、知ってみるとこれまた、吸血鬼みたようで気持ちのいい生き物じゃあないことによるものではあろう)ために説明しておくと、簡単に言えば、魚類概ね外皮に吸着して血や体液を吸う寄生性の甲殻類の仲間で、別名をズバリ、「ウオジラミ」と言うんである。ウィキの「チョウ(甲殻類)」から引いておく。『チョウは薄い円盤状の体の甲殻類で、淡水の魚類の外部寄生虫である。鰓尾綱では最もよく知られたものである。吸盤や鈎など、魚にしがみつく構造を持つと同時に、游泳の能力も持ち、よく泳ぐことができる。養魚場など、魚を多数飼育している場所では重篤な被害を出すことがある。別名を「ウオジラミ」と言うが、この名はカイアシ類の寄生虫などにも用いられるので、注意を要する。チョウの名の由来についてはよくわからない』。『小型の動物で、大抵』は三~六ミリメートル前後である。『ほぼ透明で、黒い色素が点在する。全体に円盤形をしている。これは、頭胸部が左右に広がり、さらに腹部の両側にも広がって全体の形を作っているためである。そのため、全身で吸盤になるような構造をしている。頭部の先端付近の腹面には、触角に由来する』二対の『小さな鈎がある。その後方、腹側に』一対の『大きな吸盤を持つ。その吸盤は』第一小顎の『変形したものである』。『腹部は頭胸部に埋もれたようになっているが、はっきりした体節が』五節あって、『最初の節には顎脚が、残りの四節には遊泳用に適応した附属肢がある。尾部は頭胸部の形作る円盤から突き出しており、扁平で後端が二つに割れる』。『キンギョ、コイ、フナなどの淡水魚類の皮膚に寄生して鋭い口器で、その血液を吸う外部寄生虫である。全身のどこにでもとりつき、体表に付着した姿は鱗の一枚のように見える』。『自由に游泳することができるため、時折り宿主を離れて泳ぐ』。三~五日間は『宿主を離れても死ぬことはない。ただし、魚を離れて泳ぎだしたものが魚に食われる例も多いようである』。『産卵時には宿主を離れ、水底の石の表面などに卵を産み付ける。産卵は夜間に行われ、』一頭のが四日おきに時には十回も産卵し、一回の産卵数は数十個から数百個であるが、総計二千個を『生んだ例もあるという』。卵は二~四週で『孵化、七齢の幼生期がある。幼生は外見的には成体に似ているが、当初は腹部の附属肢がなく、触角は游泳に適する形をしているので、ノープリウスに近い体制と言える』。『なお、何種かの金魚が混泳する水槽でチョウが発生すると、次第にリュウキンなどひれの長い品種の寄生率が高くなるという。これは、この寄生虫が時折、魚を離れて泳ぐこと、それにひれの長い品種ほど泳ぐのが遅い傾向があることによるものらしい』。『養魚家の最も嫌うものの』一つで、『チョウの駆除にはディプテレックスが有効。少数の場合には目につきにくいので、いつの間にか大繁殖している場合がある。体液を吸われて魚が衰弱するだけでなく、体表に傷を付けられることからミズカビ類の侵入を引き起こしやすいと言われる』。『日本で発見、記載されたものが先取権を持ったために japonicus(日本の)の名を持つが、現在はユーラシア、アメリカなど、世界各地に広く分布することがわかっている。おそらく魚類の人為的な移動、移植によって移動したためと考えられる』。『日本ではごく近似のものとして』チョウモドキ Argulus coregoni がおり、本種は『チョウにごく似ている。相違点としては腹部の游泳脚の基部の節に羽状棘毛があること、腹部がより長く尖ることなどがある。ヨーロッパが原産で魚類の移植によって持ち込まれたとの説がある』。なお、『さらにいくつかの海産種が知られる』とある。

・「海蠺」「本草綱目」には、

   *

海蠶【「海藥」】

集解 李珣曰、按、「南州記」云、海蠶生南海山石間。狀如蠶。大如拇。其沙甚白、如玉粉。每有節、難得眞者。彼人以水搜葛粉、石灰以梳齒印成僞充之。縱服無益、反能損人、宜愼之。

氣味 鹹。大溫、無毒。

主治 虛勞冷氣、諸風不遂。久服補虛羸、令人光澤、輕身延年不老【李珣】

   *

とあるのだが、まるで分らぬ。まず、「南海の山石の間に生ず」とあるのだから、陸産であって「海蠶」とあっても海産ではないことになる。そこから先が如何にも視界が俄然、暗くなってしまう。形状は蚕に似ており、大きさも親指位はある(ということは単に太さだけでなく、短いことをも意味していると私は読む)。問題はその先で、本種はともかく「沙」、砂状のものを吐き出すか、その体から採取出来るのであるらしく、しかもその「沙」は非常に白く細かく緻密で、高価な「玉」(この場合は真珠を想起し得るように思う)を「粉」にしたかのようであるというのである。分からん。

 砂を摂餌し、それが体内に多量にあるとすれば、ナマコ類が浮かぶが、白く緻密な砂なんぞにはならんぞ。……待てよ?! これ、

――ナマコ類の精子放出はどうよ?!

 ところが、その後、これまたその成体の形状に戻って

――体に節がある

と言い出す始末や! しかも、その生物の本物を捕獲することは極めて困難だというじゃねえか。そうしてまた以下、省略された「本草綱目」の部分ではだ、先の白い砂の偽物(服用すると害があると要注意書もある)の製造法が語られてあるんである。

――体節構造を持っており、「沙」に関わる「蚕」見たような生き物

……となると! さても! これは、

――「沙蚕」、多毛綱サシバゴカイ目ゴカイ超科ゴカイ科 Nereididae のゴカイ類

やないかい! 中文サイトで「沙蚕」を検索すれば、出て来るのは確かに Alitta 属アシナガゴカイ Alitta succineaNereis succinea とあるものはシノニム)が引っかかりはする。しかしだな、ゴカイが「白い砂」なんぞ吐くか? 吐かんだろ!……いや! 待てい! さっきのナマコと同んなじやがな! もしかしてこれって、

――ゴカイ類の生殖群泳じゃなかとか?!

――その時の精液を指しているんじゃあ、ないか!?!

……にしても「南海の山石」はおかしいやろ?……「南海の石」にしといて呉れよ、もぅ。というわけで、流石の私も、ここまでが我慢の限界、これ以上、幻の蚕捜しには真面目に付き合っていけませぬ。ちょうど、「蠶」はここで終わり。本草記載の蚕の懐古はこれにて!]

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