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« 和漢三才圖會卷第五十二 蟲部 鳳蝶 | トップページ | 死について   原民喜 (自筆原稿復元版) »

2016/04/11

ある時刻   原民喜

ある時刻   原民喜

 

[やぶちゃん注:本篇は昭和二一(一九四六)年十月十一月合併号『三田文学』に初出する十八篇からなる散文詩である。

 底本は一九七八年青土社刊「原民喜全集Ⅰ」を用いたが、本全篇の末尾には、「一九四三―一九四四年」というクレジットがあることから、恣意的に漢字を正字化した。

 一九四四年(昭和十九年)の九月、原民喜の妻貞恵が亡くなっている。]

 

 

  ある時刻

 

 

  晝

 

 わたしは熱があつて睡つてゐた。庭にザアザアと雨が降つてゐる眞晝。しきりに虛しいものが私の中をくぐり拔け、いくらくぐり拔けても、それはわたしの體を追つて來た。かすかな悶えのなかに何とも知れぬ安らかさがあつた。雨の降つてゐる庭がそのまゝ私の魂となつてゐるやうな、ふしぎな時であつた。私はうつうつと祈つてゐるのだつた。

 

 

 

  夕

 

 わたしはあそこの空に見とれてゐる。今の今、簷近くの空が不思議と美しい。一日中濁つた空であつたのが、ふと夕ぐれほんの一ところ、かすかな光をおび、淡い靑につゝまれてゐる。病み呆けたはての空であらうか。幻の道のゆくてであらうか。あやしくもかなしい心をそゝるのである。

 

 

 

  あけがた

 

 あけがたになつて見るさまざまの夢。私は人から責められてひどく弱つてゐる。夢の中で私を責める人は私がひどく弱つてゐるゆゑなほ苛まうとするらしい。夢のなかゆゑ、かうも心は細るのに、暗い雨のなかをつきぬけてその人はやつて來る。

 

 

  晝すぎ

 

 朝はたのしさうに囀つてゐた小鳥が晝すぎになると少し疲れ氣味になつてゐる。晝すぎになると、夕方のけはひがする。ものうい心に熱のくるめき。

 

 

 

  浮寢鳥

 

 冷え冷えとしたなかに橫はつて、まだはつきりと目のさめきらないこのかなしさ。おまへのからだのなかにはかぎりない夢幻がきれぎれにただよつてゐて、さびれた池の淡い日だまりに、そのぬくもりにとりすがつてゐる。

 

 

 

  梢

 

 散り殘つた銀杏の葉が、それがふと見える窓が、晝のかすかなざわめきに悶えてゐる姿が、わたしが見たのか、むかふの方からわたしを見てゐるのか、はつきりしないのだが、たしかに透きとほつたものゝ隙間が、ひつそりとすぎてゆく夢のやうに。

 

 

 

  徑

 

 逃げて行つた秋のはばたきが、叢と木立の奧に消えてゆく徑の方に、鋭い叫びを殘して。

 

 

 

  枯野

 

 薄の穗の白い光があとからあとから見えては消え、消えては見え、眞晝ではありながら、まよなかの夢のさけびを。

 

 

 

  星

 

 星が私の額を突き刺した。その光は私の心臟に喰入り、夜每、怪異な夢魔となつた。私が魔ものに追駈けられてゐる時、天上の星も脅えきつてゐた。呪はれの夜があけてゆく時、消えのこる星がしづかに頷いたものだ。

 

 

 

  曉

 

 外は霙でも降つてゐるといふのだらうか。みぞれに濡れてとぼとぼと坂をのぼる冷えきつた私の姿があり、私のからだは滅入りきつてゐる。もう一ど暗いくらい睡りのなかへかへつてゆくことよりほかになんののぞみもない。いじけた生涯をかへりみるのであつた。

 

 

 

  夜あけ

 

 おまへはベットの上に坐りなほつて、すなほにならう、まことにかへらうと一心に夜あけの姿に祈りさけぶのか。窓の外がだんだん明るんで、ものゝ姿が少しづつはつきりしてくることだけでも、おまへの祈りはかなへられてゐるのではないか。しづかな、やさしいあまりにも美しい時の呼吸づかひをじつと身うちに感じながら。

 

 

 

  夕ぐれになるまへ

 

 夕ぐれになるまへである、しづかな歌聲が廊下の方でする。看護婦が無心に歌つてゐるのだ。夕ぐれになるまへであるから、その歌ごゑは心にこびりつく。

 

 

 

  遠景

 

 うすい靄につゝまれた遠くの家々の屋根がふと一樣に白い反射で浮上つてゐる。まるでいまなにかが結晶してゐるやうな、つめたい窓にしづまりかへるながめ。

 

 

 

  枯木

 

 ふとわれに立ちかへり、眼は空の枯木の梢にとどく。網の目をなして空にひろがる梢の、かなたにのびてゆくものがある。かすかにそれをみとどけねばならぬ。

 

 

 

  枯木

 

 夢のなかで怕い老婆は私を背に負つたまゝ眞黑な野をつ走つた。靑白い棚雲の下に箒を倒立てたやうな枯木が懸つてゐて、それがつぎつぎに闇の底に倒れて行つた。

 

[やぶちゃん注:「怕い」は「こはい(こわい)」(怖い)、「倒立てた」は「さかだてた」と訓じていよう。]

 

 

 

  三日月

 

 細つそりした顏も姿も象牙でできてゐる人物が灰暗い廊下を橫ぎり、寒い雲に乘る三日月のうしろには茫とした翳がついてゐた。

 

 

 

  ある時刻

 

 ある朝ある時刻に中空の梢からひらひらと小さな木の葉は舞ひ落ちてゐた。それをひきちぎるなにものもないやうな、そんな靜けさのなかにありながら、やはり木の葉はキラキラと輝いて美しい流れをなしてゐた。

 

 

 

  雪の日に

 

 私はのぞみのない物語を讀んでゐた。雪のふりつもつた廣場に荷車が棄てられてゐて悲しい凹みを白い頁にのこしてゐる。それは讀みかゝりの一章であつた。だんだん夕ぐれが近づいて來ると軒の雪は靑くふるへた。混みあふ電車の中で娘はひしがれた顏をゆがめた。すべてがわびしい闇のなかに――物語の終結は近づいてゐた。

一九四三―一九四四年 

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