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2016/04/30

原民喜「幼年畫」(恣意的正字化版)附やぶちゃん注 「石の礫」 / 「幼年畫」~完

[やぶちゃん注:以下の「朝の礫」(本篇のエンディングの描写からこれは「あさのれき」と私は読む。朝の、石を粉砕したものを敷いた砂利道の景である)は唯一、戦後の昭和二三(一九四八)年八月号『饗宴』を初出とする。当時、民喜満四十二歳。この発表から二年七ヶ月後、民喜は自死した。

 冒頭、「雄二」は小学校の入学試験を受けているが、その際、兄「大吉」が同じ小学校にいることが明らかにされる。原民喜は明治四五(一九二二)年四月に満六歳五ヶ月ほどで広島県立広島高等師範学校(本文に出る「縣師」)付属小学校に入学しており、すぐ上の兄(三歳上)の守夫も恐らく同小学校在学中であった(後の守夫が同付属中学校に在学している事実から推定される)。]

 

 

 石の礫

 

 竹藪や桃の花やギラギラ光る白い雲や繪の描いてある貝殼や、石筆、提灯、螢がくるくる、くるめきながら流れる。つい近所のお菓子屋、そこでは入學試驗の願書を賣つてゐるのだが、願書の紙と白い飴がちらつと見えたかとおもふと、橋の向の親類の戸口に來てゐる。石段を降りて行くと足もとに廣い庭園がある。藤棚のペンキ塗の窓際で菊子によく似た先生がオルガンを彈いてゐる。雨で柔らかになつた枯葉がするりと叢の上に落ちる。すると叢の方が急に暗くなり、いつのまにか雄二は廣い座敷に來てゐる。話では聞かされたが見たことのない、おぢいさんとおばあさんが坐つてゐる。おぢいさんは雄二のことを何でもちやんと知つてゐるらしい。ほう、今度から學校へ行くのかね、しつかりやるんだよ。おぢいさんは何だか非常に感心してゐる。おぢいさんの後には茶簞笥があつて、おばあさんが抽匣から繪本を出してくれる。あの繪本、おばけの繪本だ、さう思ふとあたりがだんだん薄暗くなつて稻妻が閃く。ばさばさばさ、雨のなかに、青く光る棕梠の葉。今ここは雄二の家の庭なのだ。しかし雄二は何處にゐるのやらわからなくなる。すぐ耳許でみんなが娯しさうに唱歌歌つてゐるし、雀まで元氣よく囀つてゐる。ぼくだけが睡つてゐるのかしら。生暖かい風が障子のまはりを走つてゐる。睡つてゐる間に庭の草の芽はずんずん伸びてゆく。雄二もずんずん大きくなつてゆく。ほら、といつてお母さんのところへ飛んでゆきたい。だけど、もつと隱れんぼしてゐようかなと雄二はおもふのだつた。

 鐘が鳴ると校舍も運動場も急に變つて行つた。雄二は二階の窓から下の運動場を見下ろしてゐた。廊下の下駄箱のところに生徒が一塊り黑くなつて揉みあつてゐる。それらの生徒は揉み合つて叫びあつて、そして雄二の知らない遊戲をしてゐた。「兄さんがゐるかもしれんよ」父が囁いたので、雄二は熱心に見てゐた。と、生徒の四五人が運動場を斜に突切つてこちらへ走つて來る。ゐた、ゐた。走つてくる大吉の顏は一瞬こちらの二階を見上げたが、すぐ建物の蔭に隱れた。また鐘が鳴ると運動場の生徒はみんな教室の方へ吸はれて行つた。それから暫くすると、雄二のシケンが來た。

「元氣よく行つてくるんだよ」

 父は雄二が立上つたとき小聲で囁いた。小さな袴を穿いてゐる雄二は廊下に出て、次の部屋の入口に立つた。すると、詰襟を着た、口鬚のある先生が彼の姿を見ると、まるで前から識つてゐるやうな顏つきで手招いた。先生は雄二の名前を訊ね、それから兄弟の數をきく。赤や綠の色紙を示して名前を云はす。雄二が一つ一つ先生の問に答へてゐるうちに、先生の顏は段々親密さが加はつて來た。雄二はその部屋にある面白さうな掛繪や標本に見とれてゐた。

「あれは何といふものかね」と、その時、先生は部屋の隅にある猿の標本を指差した。

「猿」と雄二は即座に應へた。

「猿さんだね、あのお猿さんを撫でてやつてみ給へ」先生は面白げに云ふ。雄二は猿の方へ近づくと、手を差伸べて何氣なくその頭に觸らうとした。と、その瞬間、「嚙みつくぞ」と、嚴しい聲が後でした。雄二は吃驚して手を引込め、猿の眼球を凝視した。その眼はキラキラ怒つてゐるやうだつたが微動だにしなかつた。先生の方を振向くと、先生は奇怪な顏つきで、「よろしい、歸つてよろしい」と頷いた。かうして雄二の入學試驗は濟んだ。

「どうだつた」と父はふと雄二を顧みて訊ねた。雄二と父は學校の門を出て川の近くまで來かかつてゐた。早速、雄二は猿のことを話した。

「それでは手を引込めたのだね……さうか、あれは標本といつて、死んだ猿の皮に棉を詰めて拵へたものなのだが」

 それは最初から雄二にも薄々わかつてゐたやうな氣がした。しかし、それなら何故先生は脅すやうな聲を出したのだらう、それに、あの時見上げた猿の眼はまるで今にも雄二の方へ挑みかからうとしてゐたのだ。

「眼球は」と彼は不思議さうに父に訊ねた。

「眼球か。あれはガラスで拵へてあるのだよ」

 恰度、二人は橋の上に來かかつてゐた。不思議なおもひに火照る頰を涼しい風が來て撫でた。

「まあ、いいさ、駄目だつたら、町の學校へ行けばいい」さういつて、父は橋の欄杆から水の上に唾液を吐いた。……

 一週間すると、試驗の發表があつた。雄二は安田に自轉車へ乘せてもらつて縣師へ行つた。雄二は二部へ合格してゐた。櫻並木の堤の路を雄二を乘せた自轉車は速く走つた。帽子に白線の入つてゐる附小の生徒たちをつぎつぎに追越して行つた。

 

「その筆入は女の子のだよ」

 隣にゐる子供が自分の筆入の模樣と見較べて云つた。たつた今、入學式が濟んで、はじめて教室へ這入り、先生から筆入を渡されたばかりのところだが、これはどうした間違なのだらう。前の席にゐる女の子も振返つて雄二の筆入を眺めた。その女の子の筆入と雄二の筆入は同じやうに菖蒲の模樣だが、雄二の隣にゐる男の子の筆入は竹の模樣だ。雄二は凝として居られなくなり、席を離れて先生の所へ行つた。

「これは違つてゐます」雄二は先生の目の前に筆入を差出した。猿を撫でてみ給へと云つた先生は一寸珍しげに雄二を眺めた。

「どうして達つてゐるのだね」

「これは菖蒲の模樣で女の筆入です」

 雄二は先生が「あ、さうだつたね」と云つてすぐ竹の模樣のと取替へてくれると思つた。ところが、先生は筆入を雄二の方へ押もどしながら、

「そんなことはない、菖蒲の模樣で、これはなかなかいいぢやないか」と平然としてゐる。急に雄二は眼の前が茫と暗くなるやうな氣持で、顏は赫と赤くなつて來た。いま教室の後方には講堂から戾つて來た時附添の父兄たちが一杯立つてゐるし、この教室の半分の席は二年生が占めてゐたが、それらの眼がみんなこちらへ注がれてゐるやうだ。そのなかから彼はとくに父の眼を感じた。「どうしたの」と父はこの失敗を後で訊ねるだらう。自分の席に戾ると、耳まで燃えてくる顏を冷たい窓ガラスの方へ向けた。すると、小さな山の姿が雄二の眼に映つた。すぐ近くにあるその山は線の襞がはつきり刻まれてゐる。それは何だか女のひとの顏のやうな氣がして、困りきつた雄二の顏を遠くからそつと靜かに慰めてくれてゐるやうだつた。……

 翌日から雄二は兄の大吉と一緒に學校へ行くことになつた。何でも分らないことは先生に訊くのですよ、はつきり云ふのですよ、母や菊子のいつてくれることはみんなもうわかつてゐたから何でも立派に出來さうだつた。兄の歩く足は速くて、雄二は穿きなれない靴でちよこちよこ從いて歩いた。學校までの路は長かつた。堤を通りすぎて橋を渡つて山が近くに見えてくると、漸く學校の近くらしくなる。彼はその路をもうすつかり憶えてゐると思つてゐた。

 その日は學校はすぐ終つたので、みんなはぞろぞろ門を出て行つた。雄二はまだ顏も名前もよく知らない子供達と一塊りになつて、とつとと橋の處まで來た。子供達はわいわい騷ぎながら橋を渡つたが、そこから路は三つに岐れてゐた。大概の子供がまつすぐ下り坂になつてゐる路の方へ行くので、雄二もついその方へ誘はれさうになつたが、ふと戸惑つて立どまつた。すると、女の子に附添つて歸る他所の小母さんが、「あなたもこちらへお歸りなの」と訊ねた。雄二は固くなつて首を振つた。「あ、さう、それならさよなら」小母さんは女の子を連れて堤の路を曲つた。「さよなら」小母さんに連れられてゐる二人の女の子も雄二の方を振返つて云つた。みんなが行つてしまふと、こんどはほんとにどちら側へ行つたらいいのか分らなくなつてしまつた。女の子たちの去つた堤の方角には見識らない赤煉瓦の建物がある。が、その反對の堤の入口のところには大きな榎のよぢくれた怕さうな姿がある。急にこれはこれまで彼の見たことのない場所のやうに思へだした。ふと氣がつくと、榎の裏側のところに人力車の小屋があつた。雄二はつかつかとそこへ行くと車夫を呼んだ。「N町の森まで行つてくれ」雄二が云ふと、日に焦げた顏の車夫はすぐ頷いた。雄二は膝に毛布を掛けられ、やがて俥は走りだした。俥が走りだすと彼はすぐ路の順序に氣づいてゐた。

 

 佐伯先生は不思議な話や面白い話をしてくれる。雄二は先生が彈みのある調子で話しだすので、つい釣込まれてゐるが、ふと氣がつくと先生の顏には短かい口鬚や光つてよく動く眼があつた。どうかするとその眼は「猿を撫でてみ給へ」と云つた時の奇妙なものを含んでゐたが、話は輕くおもしろく續いて行つた。前からよく知つてゐる話でも、先生の口から語られると不思議な生彩を帶び、話のいきれは雄二の頭に芯となつて殘つた。

 ある日、佐伯先生は二時間目の授業が濟むと、みんなを連れて門の外に出た。H山へ登るのだつた。彼が先日、筆入のことで氣まり惡いおもひをし窓の外を眺めた時、すぐ近くに見えてゐた靜かな山が、今は何かわくわくしながら向から見えてきた。列の先頭の方からも後の方からもみんなの聲や叫びが混りあつて、とつとと歩いてゆく雄二の傍に藁葺屋根や雞小屋のある小路が見える。とある小路から路はだんだん坂路になつた。麓の崖の赤土の皺やまはりの熊笹などが嶮しさうな氣持を誘ひ、佐伯先生の不思議な話の顏つきに似てくる。赤く燃えてる躑躅の花を見てふと雄二はカチカチ山にゐるやうな氣がした。雄二は眼を瞠つてあたりを眺めた。高いところにある梢の紅い花と葉に白い光が蒸れてゐて、その後の空は靑々と潤んでゐる。山は今、魔法に掛つてゐるのだつた。「……滑るぞ」「……蜂だ」「……赤い花よ」「ワアワアワア」櫻の花や山吹の花が生徒の喚き聲で渦を卷いて現れた。ふと川が見えて來た。小さな家や樹木がごつちやになつてゐる紫の塊のなかを川は白く這つてゐた。小さな橋の上を行く小さな人の影や、車の姿はひつそりしてゐた。が、川をめぐつて並んでゐる無數の屋根や樹木はそれぞれ何か賑やかに囁き合つてゐるやうだ。「僕の家あそこだ」「わたしの家見えるよ」さういふ聲に應じて、物干臺や火見櫓がゴタゴタしたなかから見える。甍や道路の色あせて行く果てに靑い山脈があつた。その山脈は靜かな空を支へて海の方へ續いてゐた。海も川のやうに白い色で靜かに島々を浮べてゐた。

 翌日、雄二は運動場に立つて、塀の向うに見えるH山をぼんやり眺めてゐた。昨日登つたその山は今もまだ何かわくわくしたものがあるやうだつたが、運動場の騷ぎが一頻り高まると山の松は妙にしーんとしてゐた。と突然、後から誰かがゴツンと彼の背を小衝いた。振向くと意地惡さうな男の子が挑戰の身構で立つてゐた。雄二はいきなり相手の手を拂ひ退けようとした。と、相手の顏は急におそろしく獰猛になつた。それから滅茶苦茶に飛掛つてきた。

「まあ、惡い子」と、その時、上級生の女生徒が二人を引わけた。それから女生徒は雄二を勞はるやうに眺めた。耳許で始業の鐘が烈しく鳴りだしたが、雄二は靑ざめた顏で立つてゐた。と急に淚が溢れだした。「淚を拭きなさい」女生徒はハンカチを差出した。「早く早く、教室へ行くのですよ」さう云ひながら女生徒は走り去つた。

 その喧嘩はそれきり終つてゐたが、ある日、學校が濟んでみんなが下駄箱の所で靴を穿きかへてゐると、ふと先日の相手が雄二に話しかけた。「君はN町の方へ歸るの。それなら僕と一緒に歸らないか」「君は――」「K町だよ、だけど大丈夫N町の方へ行ける」相手はいかにも大丈夫だといふ顏つきをした。「ね、一緒に來給へ、僕が町の方へ行く路教へてあげるから」雄二はまだT橋からまつすぐの路を通つたことがなかつたが、あの方へ廻つてもN町へ出られるといふのは何だか素晴しさうだつた。先日の憎惡はもうすつかり消えてゐたので、お互に名前を訊ねあつた。相手は矢野といふのだつた。T橋から坂路をまつすぐに降りて行くと、家並が狹くなつて人通りは繁かつた。兩側に並ぶ格子造の家や店もみんな雄二にははじめて見る處だつたが、「もう少し行くと看板が見られるよ」と、矢野は馴れた調子で歩いてゐた。やがて二人は芝居小屋の前の柳の木のある空地に來てゐた。矢野は小屋に近寄つて、頻りに芝居の看板を見上げてゐた。小屋の前にある幟はだらりと睡むさうに垂れ下つてゐた。暫くして二人は小屋の前を離れて、四つ角まで來た。この時急に矢野は、「ぢや、僕の家あそこだから失敬するよ」と云ひだした。雄二はびつくりして、顏が少しひきつつた。「N町の方へ行く道教へてやるといったぢやないか」「困つたよ、僕にもよく分らなくなつた」矢野はうろたへ顏であたりを見廻してゐた。それから矢野は震へ聲で「さよなら」と云つた。矢野が行つてしまふと、雄二は眼の前がずしんと靑ざめてしまつた。しーんとした氣持で暫くあたりを見廻してゐると、ふと人力車の小屋が見つかつた。「俥屋」と雄二は小屋の内に聲をかけたが、それから後はうまく言葉が出て來なかつた。老人の車夫は吃驚した顏つきで心配さうに、いろんなことを訊いた。それから漸く彼の云ふことを了解すると、俥に乘せてくれた。

 俥が雄二の家の玄關に着くと、彼は大急で母を搜した。母は風呂場で洗濯をしてゐた。「俥で戾つた」と云ふと、彼はわツとそのまま泣き崩れてしまつた。それから、力一杯、淚があとから、あとから溢れ出た。暫くして、母は雄二を宥め、玄關の方へ連れて行つた。車夫は叮嚀にしかし珍しげに母に話した。

「さうでしたか。お母さんはゐられたのですか。僕が『お母さんは』と、この坊ちやんに訊ねたら、お母さんはないと云はれましたので、それは大變だと思ひましたが、さうでしたか。道を迷はれたのでしたか。でもよかつたです。膿も隨分心配しました」

 

「瓣當を持つて來なかつた人は」と教生の先生がみんなを見廻した。午後から體格檢査があるので辨當を持つて來ることになつてゐたのだが、雄二は忘れてゐた。雄二はすぐに手をあげた。と、雄二の席から斜橫に見える女の子が手を擧げたかと思ふと、わツと泣きだした。教生の先生はその側へ行つて暫く慰めてゐた。それから先生は雄二と女の子にパンを持つて來てくれた。……體格檢査が濟んだ翌日、教室の座席の入替が行はれた。トラホームの生徒は赤いしるしを胸につけ、その赤いしるし同志で並ばされた。雄二の隣にゐた男の子も赤いしるしを貰つた。そして雄二の隣の席には宮内といふ女の子が來た。

 粗い髮の毛と、きつとした眼つきの宮内は絶えず雄二の隣でガサガサしてゐた。鉛筆の芯をせつせと尖らせてゐると、その折れ端が雄二の方へ飛んでくる。消ゴムをこね廻して小さなお團子を拵へる。そして彼女は時々こちらの机の方へ侵略の氣配を示す。雄二の帳面を覗き込んだり雄二が他所見してゐる隙にすぐ何かいたづらをする。彼がちよつと腹立てて相手を睨みつけても、宮内のきちんとした白い襟は女の子らしい冷たい抵抗を示した。……佐伯先生はみんなに圖畫の紙を配ると、教室の半分側にある二年生の方を教へてゐた。雄二と宮内は机の上の白い紙を見較べた。沈默のうちに何か始まりさうだつた。雄二は緊張して鉛筆を握り締めてゐた。宮内もぢつと眞面目さうな顏をして考へ込んでゐる。が、暫くすると彼女はすぐに、もぢもぢして、こちらを覗き込む。それからまた何か描かうと紙を視つめてゐる。それからまた雄二の方を覗ふ。雄二もいつのまにか宮内の眞似をして何も描けなくなつてゐた。と、そのとき宮内の鉛筆が雄二の畫用紙にやつて來て小さな點を打つて逃げた。雄二の鉛筆も早速、宮内の畫用紙に伸びて行つて點を打つ。それから戰鬪が始まつた。はじめはお互に用心して攻擊もまだ控へ目だつたが、紙面が縱橫に傷つけられてゆくに隨つて、鉛筆の速度と痛快さが加はつて來た。たうとう鐘が鳴つて時間が終るまで、この戰鬪は續いた。

 ある日、遠足の日がやつて來た。學校全體の遠足で、街はづれの山へ登るのだつた。H山よりももつと遠い、もつと高い山にくるのは雄二にははじめてだ。頂上登つて、辨當を喰べると、その後は勝手に遊んでいいことになつた。みんなは、てんでに好きな方向に散つた。雄二は、ふと何か元氣よく立上ると、ひとりで藪の方へ進んで行つた。何か素晴しいものが隱されてゐる。はじめて來たこの山の上にはお伽噺の寶があるにちがひない。彼は勇士のやうにづかづか歩いた。とすぐ上の枝に何か珍しい恰好の木の實のやうなものが目につくと、殆ど雄二はそれが何か確かめもせず手に取つて得意だつた。きつと寶だ、すばらしい寶だ、と彼は眼を輝かし、その寶を少し高く持ち上げ大急で佐伯先生を探した。佐伯先生は空地の處に女の生徒たちと一緒にゐた。もうみんなは雄二の獲ものを遠くから注目してゐるらしかつた。彼はわざと默つて少しゆつくりと先生の方へ近づいて行つた。すると宮内が雄二の側へ近寄つて、じろじろ手の中のものを眺めてゐた。

「それ蜂の巣よ」と彼女は吃驚するやうな大聲を放つた。雄二はパツと手のものを捨てた。と思ふと、宮内は「わあー」と歡聲をあげた。つづいて女の子たちは地に墜ちて碎け中から散つたものの方へ駐寄り、てんでに拾ひだした。それは木の實の中から跳ねだした白い小さな澤山の人形に似た粒々であつた。「お猿さんよ。お猿さんの子よ」と女の生徒たちはその粒々を帶にして喜んだ。……山の樹は若葉でかつと明るかつた。白い砂の小徑に枯葉が溜つてゐた。草原の傾斜には藤の花が咲いてゐた。雄二の時に映るものは油繪のやうにギラギラしてゐた。彼はあちこち歩いた揚句、ふとぼんやり立どまつた。それから滴るやうな靑空に見とれてゐた。さうしてゐると、すぐ側でする皆の騷ぎ聲も何か遙かな夢のやうだつた。何も考へてゐるのではなかつたが、空氣はふんわりと氣持よかつた。ふとそのとき雄二の方へ誰か近寄つて來ると「わあ」と頓狂な調子で、兩手で雄二の肩を搖さぶつた。それは雄二のよく知つてゐない他所の組の先生だつた。

「わあ、びつくりしただらう。おや、平氣なのかい」と先生は雄二が靜かな顏つきしてゐるので却つてびつくりした。「どうしたのだね」と先生は珍しげに訊ねる。すぐ側でこれを眺めてゐた紫の袴を穿いた女の先生も雄二の顏をぢつと見守つた。

「わかつた、あなたは少し氣分がわるいのでせう」女の先生はとても優しげに訊ねる。彼は默つて首を振つた。雄二はそれを説明する言葉を持たなかつた、だが、何だか今彼は先生とはもつと異ふ世界にゐるやうな氣持だつた。

 

 佐伯先生は雄二にとつて、友達のやうに思へたり、急に大人に變つたりした。讀み方の帳面にはいつも先生から罫を引いてもらつて書くことになつてゐた。雄二はその時、授業の途中で帳面の罫が無くなつてゐたので、席を離れると佐伯先生の所へ持つて行つた。先生は教室の後の机のところに陣どつて教壇の方の教生の授業を眺めてゐた。雄二が物尺と鉛筆と帳面を差出すと、「何故休みの時賴まなかつたのだ」と澁い顏で見返した。雄二は默つてもう一度帳面を差出すと、先生は物尺を把んで帳面の上をぴしつと彈いた。

「先生にものを渡すときお時儀しないとは何ごとか」

 雄二は全身が爆發しさうな怒りで震へてゐたが、やがてわツと泣き喚いた。と、あたりは眞暗になつて雄二の眼には何も彼も暫く見えなくなつた。しかし自分の席に戾ると間もなく泣き歇んでゐた。雷雨の後のやうに泣き歇むと氣分はからりとしてゐたが、その時間が終ると彼は廊下の階段のところに蹲つてゐた。すると後から佐伯先生がやつて來て雄二の横に腰を下ろした。

「森、どうしてさつきは泣いたの」先生の態度はさつきとは變つてゐた。「腹が立つたのかい」

「ああ」と雄二は大きく頷いた。

「さうか」先生は珍しげに雄二を眺めた。「罫を引いてあげよう、帳面を持つて來給へ」

 

 體操の時間だつた。先生はおどけた身振りで、ちよつと飛び上つた。

「さあさ、みんなで、みんなで先生にかかつて來い。負けないぞ。先生は一人、一人だが負けるものか」

 みんなわツと歡聲をあげながら、バラバラに攻擊して行つた。かかつて行くもの行くものが、みんな追拂はれてしまふのを雄二は遠くから見てゐたが、ふと負けないぞと思ふと突然、先生をめがけ彈丸のやうに全身で飛掛つて行つた。相手に烈しく衝突したかと思ふと、もう次の瞬間雄二はキリキリ舞ひして砂上に放り出されてゐた。向ではわツと歡聲があがつてゐた。雄二が砂を拂つて立上つた時には、みんなは逃げて行く先生を追つて、建物の向にある運動場の方へ消え去つてゐた。

 やがて、あたりはひつそりとしてゐた。見ると今ここの運動場には女の子が二人とり殘されてゐた。「ね、これから三人で、鬼ごつこして遊びませう」その一人が雄二の方に近づいて來ると親しげに頰笑んだ。もう一人の背の高い女の子は無表情に立つてゐた。雄二は誘はれるままに頷き、早速彼が鬼になつた。はじめから餘り氣乘しない樣子の女の子は、そのうちふいと別の運動場の方へ行つてしまつた。あとには雄二に頰笑みかけた女の子だけが殘つたが、彼女はいつまでも雄二を相手にうち興じた。雄二が追かけて行つて把へると、彼女ほニコニコ笑ひながら「ノウカウンよ、今のは」と少し甘えて云ふ。さう云はれると雄二はまた鬼にされてゐた。それからまた彼女を把へると、「ノウカウンよ、今のは」と首をかしげて云ふ。雄二は鬼にされてゐる。暫くして雄二は塀の近くの石の上に膜を下ろして休んだ。すると女の子も側にやつて來て腰を下ろす。ぽうつと上氣した頰に小さなハンケチをあてながら彼女は何か眩しげに頰笑んだ。何がうれしいのかわからないが、雄二も何かうれしいやうな氣がする。雄二は彼女のすぐ頭上に塀の方から展がつてゐる芭蕉の葉に透きとはる翡翠の光に見とれてゐた。…………學校が終つて、雄二がひとり門の方へ出て行かうとすると、小使室の前の池のまはりに女の生徒たちが群がつてゐたが、先刻の女の子がふと彼の方に走り寄つて來た。彼女は雄二について歩きだした。

「一緒に歸りませう。あなたはどちらへお歸り」門を出ると彼女は懷しげに訊ねた。「あなたはこの前お辨當忘れましたね、私もさうでした。それでパンを頂きましたね」

「あなたは何といふお名前? 私は若山です、若山いと子といひます」さういふ口をきく彼女は何か大人びて、きちんとしたところがあつた。その顏はさつき運動場で巫山戲た時とちがつて、ひどく眞面目さうだつた。T橋の袂まで來ると、二人はそこで別れなければならなかつた。「それではさよなら」と彼女は叮嚀に頭をさげてお時儀する。彼もひよいと帽子を脱つてお時儀した。…………若山と別れると、雄二は橋を渡つて堤に添ふ路をとつとと歩いてゐた。家並の杜切れたところに川が見え、ひどく曲つた路に添うて生垣がある。それから陰氣な工場の塀があつて材木屋の空地まで來ると、その向ひの石段を降りて行くところに、前に一度母と一緒に雄二が訪ねたことのある親類の別莊がある。彼が何氣なくそこまでやつて來た時、向から二三人の子供がどかどか走つて來た。「鬼が來た」「鬼が來た」と子供たちの興奮の囁がふと雄二の耳にはいつた。彼はどきりとして立ちどまつた。路が曲つてゐて、行手は見渡せなかつたが、材木屋の空地に立並ぶ竹竿や、あたりの破垣が、急に瞼しく目に迫つて來る。いつも鬼が出るのは秋のお祭り頃だつたが、雄二はまるで不意打を喰らつたやうに思つた。と彼の耳には鬼をそそのかす太鼓の音まで微かに聞こえて來るのだつた。靑ざめた顏で雄二はくるるりと蛙をかへし、石段を降りて親類の玄關の前に立つた。薄暗い奧から出て來た別莊番の老人は雄二の訴へをぼんやり聞いてゐたが、すぐに理解した。

「それではこちらからお歸りなさい。儂が連れて行つてあげる」

 老人は彼を導いて、靑い廣い庭を横切り、その邸の裏門の扉をあける。すると別の通りがそこには控へてゐた。その通りに出て、四つ角のところまで老人は從いて來た。…………老人に別れて家に戾ると雄二は吻としてゐた。それから暫くして彼は家の前に出て、往來を眺めた。つい先刻ひどく不安な思ひをしたこと、その少し前には女の子と仲よしになつてゐたこと、そのまた少し前に先生に跳ね飛ばされたことなど、今日半日のことがまるで遠い出來事のやうにおもへた。

 それから雄二が家に戾ると、玄關にお醫者の俥が留まつてゐて、そのピカビカ光る俥が何だか怕いやうな氣持だつた。お醫者は奧の部屋で雄二の弟を診てゐるのだつた。………‥その奧まつた部屋は、晝でも雨降のやうに薄暗かつた。弟の四郎は白い貌をして毎日そこに寐てゐた。その頃もう妹の芳子はものが言へて歩けだしてゐたのに、四郎はまだものを言へず、笑ひ顏も見せなかつた。いつも四郎は首を投げ出すやうにして枕にあほのけになつてゐる。「靜かにするのですよ、吃驚させてはいけません」母から教へられてゐるので雄二は靜かに弟の側に坐る。「四郎君、四郎君」雄二はそつと呼んでみる。たまに「うん」と返事してくれることもあるが、眼はぼんやり外の方を眺め、無表情の白い淚は年寄のやうに靜かだつた。時たま母に抱へられて緣側の方へ連れて行かれると、そんなとき彼の眼はちよつと眩しげに瞬き、額にひどい皺が寄つてゐた。

 

 その日、雄二は學校でちよつとお腹が痛くなつたが、その時から暗いものが眼さきに顫へたので、「病氣」かしらといふ氣がした。すると「病氣」はずんずん雄二を押しつけて來た。家に戾つてお醫者に診てもらふ頃には、雄二はすつかり病氣になつてゐた。すると「病氣」は更に彼をずんずん押しつけて行つた。いろんなものの形があらはれて流れた。熱と暈のなかに母の白い手が見えてゐた。と思ふと家を押し流しさうな雨が降りつゞいてゐる。學校の建物が薄暗い夢のなかで哀しげにふるへる。雨は毎日降りつづいてゐるやうにおもへた。「もう大丈夫」とある日母が云つてくれると、「病氣」は遠くへ行つてしまひ、雨はもう歇んでゐた。…………とある朝、座敷の方に雄二は呼ばれた。四郎が死んだのだつた。白い布で覆はれた四郎の枕頭に、父と母は坐つてゐた。「四郎さんよ、可哀相に」と父は眼に指をあてて泣いた。その光景は雄二にとつて何か新鮮で奇異な印象だつた。四郎の葬式は翌日行はれた。雄二はまだ元氣がなかつたので、女中の背に負はれて街角でその行列を眺めた。

 その翌々朝、雄二は父に連れられて外に出た。街はまだ淸々しい朝の空氣につつまれてゐた。簞笥や鏡臺など並べた同じやうな店のつづく細長い路を通り拔けて、橋を渡ると、そこからまた町は續いてゐた。その町を過ぎると、また橋があつた。そのあたりから靑々とした堤が見渡せた。堤に添つて暫く行くと、水の乾いた河に假橋が懸つてゐる。その橋を渡ると火葬場だつた。

 父は骨壺を求め、暗いガランとした建物の中に這入つて行つた。竃のやうな所に來て屈むと、黑い灰や白いものが見えた。默つて父は黑いものを搔き分けては白い骨を拾つてゐた。「四郎さんの骨を拾つてあげなさい」父は長い箸を雄二に渡した。彼が二つ三つ小さな骨を拾つて壺に入れると、父は穩かに頷き「さあ歸らう」と立上つた。歸りの路も雄二はあまり草臥れなかつた。「明日から學校へ行けるね」と父は滿足さうに云つた。

 

 雄二は久振りに朝禮前の運動場の藤棚の下に立つてゐた。すると、宮内が懷しげに近づいて來た。

「あんた病氣だつたの、弟さん死んだの」男のやうに意地惡の宮内も今はちよつと優しげだつた。

「うん、弟は死んだ。僕だつて死にさうだつたのだよ」宮内はひどく吃驚したやうに眼球をまるくした。雄二は少し得意だつた。

 學校から戾りの路がもう少し暑く眩しかつた。雄二は庭を通り拔け緣側の方から家に上らうとした。と、靴を脱いで上つて來る雄二の體を側から眺めてゐた父が、ふと急に橫に掬つて抱へた。

「大きくなつたね。今日は何といふ字おぼえた」父の目はひどく眞面目さうだつた。

「フネ」と雄二は元氣よく答へる。

「さうか、その字を書いてみせてくれ」雄二が緣側に指で書くと、父はただ大きく頷いた。

 

 簷の梅の木が薄暗く繁つて、透間に靑い小さな果が見えてゐた。雨が毎日降りつづいて、庭の雜草から奇妙な茸が生えだした。雨に濡れた錢苔や黑い苔が氣味わるさうだつた。そんなものを見てゐると、雄二はすぐ皮膚に寒氣を覺え鳥肌がたつ。父が飼つてゐるカナリヤの卵が孵つて裸の小さな生きものが藁の中で首を振つた。それも雄二には何か蒸苦しさうで怕かつた。――急にいろんなおそろしいものが土からも夢からも匐ひ出して來た。家の前をよく通る狂女は亂れ髮を雨に晒したまま、いつも慍つたやうな顏をしてゐた。牛乳屋のライオンに似た犬は、狂犬病流行のため、口のところに金網の筒を嵌められてゐた。その犬は利功な犬でよくおつかひをするといふのだが、雄二は兄の大吉や大吉の友達と一緒にその犬の前を通るとき、犬がこちらを見咎めはすまいかと心配だつた。夜は大吉が、

〈ねう、ねう、ねうねう坊主とつらつてねよう〉と奇怪な歌を歌つた。

 恐怖を暗示するやうな、兄の意地の惡い調子は、いつも雄二を眞靑にさせた。ほかの人達にはわからなくても、たしかに、ねうねう坊主は庭の闇を匐つて、ぬつと雄二の襟首のところまで來てゐるのだ。雄二は狂人のやうに身悶えして泣喚く。興奮が鎭まつても、餘波は噦りながら神經に殘つてゐた。日が暮れて薄暗くなると、彼はもうぢりぢりと何か不安に脅えるのだつた。殆ど毎晩彼は恐ろしい夢をみた。「夢をみるから今晩は寢ない」あるとき彼は苦痛のあまり菊子に訴へた。「胸の上に手をやらないでおやすみ、何も考へないで安心しておやすみなさい」と姉は靜かに宥めてくれた。だが、どうしたら、ほかの人達のやうにいつも安心してゐられるのか、雄二にはとてもわからなかつた。

 晝間、學校では夜の恐怖を忘れてゐることがあつた。しかし、どうかすると黑板の前の佐伯先生の顏つきが、がふと夜の怪物に見え、その顏は雄二の感じてゐる幽靈を知つてゐるかも知れないやうに思へた。

 二年生のいたづら小僧がよく雄二に喧嘩を挑んできた。彼は猛然と無我夢中で抵抗して行つた。そんなとき彼は殆ど何ものにも臆せず、ただ全身が赫と快く燃燒して行つた。「森の自棄ん坊 森のキチガヒ」二年生たちは罵倒して逃げるのだつた。…………帳面も本もひどく亂雜だつた。學課にはまるで無頓着でよく忘れものをした。それから毎朝遲刻するやうになつてゐた。遲刻は殆ど強迫のやうになつてゐた。靴の紐がうまく結べない、出際に生じるそんな一寸した障碍が忽ち雄二を絶望に突き陷す。そして、泣きだせば、あとはもう何も彼も滅茶苦茶になるのだが何も彼も滅茶苦茶になつたといふ心配が一層彼を泣き猛らせた。…………「森君 森君 眼がわるいのかい、眼赤いよ」と惡童たちは朝の運動場で訊ねる。大泣きして家を出て來たことをおもふと、雄二はまだ頭の蕊がまつ暗になつてゐるやうで、眼がうづうづするのだつた。

 

 恰度その頃、雄二は古川君といふ仲のいい友達が出來てゐた。古川君と雄二の家はあまり離れてゐないことが、ある日一緒に連らつて歸つたとき分つた。それから後はいつもお互に待ち合はせて一緒に歸つた。學校が終つて門の所までは、みんな騷ぎながらバラバラに出るが、その邊で二人はいつのまにかうまく落合つてゐた。

 古川君は皆とは違ふ羅紗の服着てゐて、丈は雄二と同じ位だつたが、賢こさうな黑眼といつも微笑してゐるやうな頰をしてゐた。毎日、古川君と一緒に並んで歸れるやうになつてから、雄二は不思議に心に張合ができた。雄二が幽靈を怕がつたり自棄起して大泣することを古川君は知つてゐるだらうか。入學以來、教室で演じた恥かしい失敗も古川君は覺えてゐるかもしれない。――しかし、そんなこと何でもないさ、といふ風に古川君の頰は雄二をいつでも微笑で迎へてくれてゐた。教室でも、古川君はよく先生から褒められた。彼が佐伯先生に褒められると、その後で雄二はよく學校の長い廊下や高い天井に一心に眼をやつた。すると雄二の氣持は遠くまで一杯に擴がつてゆくやうだつた。

 雨が霽れてからりとした日だつた。學校の近くで雄二は古川君と出逢ふと、二人は密着して歩いてゐた。そのまはりにゐた二年生や一年生たちがふと雄二を呼びとめた。

「やい、やい、少年」

 少年といふのは仲よしといふ意味だつた。雄二はさう云はれても少しもその言葉はわるく響いて來なかつた。急に心が高まり擴がつてゆくのを覺えた。

「やい、やい、少年」と彼等はまた聲をかける。

「少年だよ」雄二はさう返事すると、古川君の肩へ手をかけ、二人は肩に手を組みあはせて歩いた。雨で洗はれた礫の路が白く光つてつづいてゐる。遠い世界のはてまで潤歩して行くやうな氣持がした。

 

[やぶちゃん注:「棕梠」「しゆろ(しゅろ)」。単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科シュロ属 Trachycarpus の類。「棕櫚」「椶櫚」などとも漢字表記する。葉が垂れるワジュロ Trachycarpus fortunei 或いは、垂れないトウジョロ(唐棕櫚)Trachycarpus wagnerianus であろう。

「二部」不詳。単に新入学の生徒を、ずらした二部授業としていた、その後の部(午前・午後の部かどうかは不詳)の意か。しかし、だとすると、後で兄の大吉と一緒に通学するのが不自然な気がする。或いは、一部というのは何らかの優遇措置を受け得る特待生レベルなのか。識者の御教授を乞う。【2016年5月7日削除・追記】昨日入手した二〇一六年岩波文庫刊「原民喜全詩集」巻末の竹原陽子氏の手に成る「原民喜年譜」によれば、『二部(男女共学クラス)』とある。一部が男子クラスなのであろう。

「赫と」「かつと(かっと)」と訓じておく。

「いま教室の後方には講堂から戾つて來た時附添の父兄たちが一杯立つてゐるし」「戾つて來た時附添の父兄たちが」の「時附添の」はママ。――「いま教室の後方には講堂から戾つて來た時」で、「附添の父兄たちが一杯立つてゐるし」――辺りの、脱字か誤植であろうか?

「N町」既に述べた通り、民喜の実家は幟町にあった。

「森」民喜の父は幟町で陸海軍用達の原商店を経営していた。

「K町」「けど大丈夫N町の方へ行ける」鶴見橋(「T橋」は「靑寫眞」既出の際、既に私は「鶴見橋」と推定している)から現在の平和大通りを西下すると、最初に「鶴見町」が、次に「田中町」の交差点がある。「鶴見町」では近過ぎ(鶴見橋西詰から百八十メートル程)、描写のロケーションに合わないので「田中町」のそれか。そこなら現在の「駅前通り」との交差を少し過ぎた位置の「四つ角」で四百メートル強あり、地図上ではここを北北東に一キロ弱直進すれば幟町に辿り着く位置ではあるから、小学一年生でも「N町の方へ行ける」ルートと距離と言える。決して、この少年が「雄二」に意地悪したものではあるまい。私は同じ小学一年生の頃、もっと陰湿ないじめを受け、何キロも歩かされ上、見も知らず、訊ぬべき農家もない山中に独り取り残されて、途方に暮れたことを思い出す。

「教生の先生」ここは広島師範学校付属小学校であるから、頻繁に教育実習生の大学生がいるのである。

「トラホームの生徒は赤いしるしを胸につけ、その赤いしるし同志で並ばされた」トラホーム(Trachoma:「トラコーマ」のドイツ語読み)は 真正細菌クラミジア門クラミジア綱クラミジア目クラミジア科クラミジア属クラミジア・トラコマチス Chlamydia trachomatis を病原体(感染経路などの別で非常に多くの型に細分される)とする感染症で、伝染性の急性及び慢性の角結膜炎を指す。参照したウィキの「トラコーマ」によれば、『直接接触による感染のほか、手指やタオルなどを介した間接接触による感染も多い。また、母親が性器クラミジア感染症を持つ場合、分娩時に産道で垂直感染することがある』。『先進国ではほとんど見られなくなったが、アジアやアフリカなどの発展途上国ではいまだに流行が見られ、年間』六百万人が『失明するといわれている。先進国でも見られるトラコーマはほとんどが垂直感染によるものである』。『病原菌は結膜上皮細胞内に寄生する。初期には結膜に濾胞や瘢痕を形成したり、乳頭増殖したりする。その結果、充血や眼脂が見られる。慢性期には血管新生が見られ、トラコーマパンヌスと呼ばれる状態になる』。『その後瘢痕を残し』て『治癒することもあるが、さらに重症となり、上眼瞼が肥厚することがある。その結果睫毛が偏位し、角膜に接触するため、瞬きするたびに角膜を刺激し、角膜潰瘍を引き起こす。そこに重感染が起こることで、失明や非可逆性の病変を残すこととなる』。『産道感染例では重症化することはほとんど無い』。私の小学校時代の保健室のムラージュ(Moulage)で未だに忘れられないのは、まさにこの――「トラホーム」のそれ――であった。にしても、「赤いしるし」とは、ナチス・ドイツ並みの恐るべき差別である。

『「それ蜂の巣よ」と彼女は吃驚するやうな大聲を放つた。雄二はパツと手のものを捨てた。と思ふと、宮内は「わあー」と歡聲をあげた。つづいて女の子たちは地に墜ちて碎け中から散つたものの方へ駐寄り、てんでに拾ひだした。それは木の實の中から跳ねだした白い小さな澤山の人形に似た粒々であつた。「お猿さんよ。お猿さんの子よ」と女の生徒たちはその粒々を帶にして喜んだ』私が馬鹿なのか、このシーンのそれが何か、分らぬ。本当に蜂の巣であるとすれば、種は何なのか? 何故、親蜂(働き蜂)は襲って来ないのか? 彼らが全滅したのであるなら、その理由は何か?「白い小さな澤山の人形」というのは蛹化して死んだ蜂の子であろうが、それを何故、可憐な女生徒たちは群がって平気なのか? いやさ、「その粒々を帶にして喜んだ」とは、何をどうしたというのか? 「雄二」ではないが、私は何かひどく恐ろしい気さえ、してくるのである。どなたか、私のこの恐懼の真相を解り易く説明して下さらぬか?

「ノウカウン」和製英語の「ノー・カウント」(nocount)。スポーツ競技などで得失点に数えないこと。

「前に一度母と一緒に雄二が訪ねたことのある親類の別莊がある」鯉」の中で描かれる長姉「淸子」の実家「石井」のそれである。

「囁」「ささやき」。

「破垣」「やぶれがき」。

「雄二の弟」「弟の四郎」民喜のすぐ下の弟六郎は明治四一(一九〇八)年生まれであったがまさに事実、明治四五年に享年五歳で夭折している。

「妹の芳子」民喜のすぐ下の妹である四女千鶴子(明治四三(一二一〇)年生まれ)がモデル。当時数えで三つであった。

「暈」「めまひ(めまい)」。

「慍つた」「いかつた」。

「狂犬病流行のため」ウィキの「狂犬病によれば、本邦では明治六(一八七三)年に『長野県で流行したのを最後にしばらく狂犬病被害は途絶えたが』、明治一九(一八八六)年頃から『再び狂犬病被害が発生するようにな』り、明治二五(一八九二)年には『獣疫豫防法が制定され、狂犬病が法定伝染病に指定されるとともに狂犬の処分に関する費用の国庫負担と飼い主への手当金交付が定められた』。『しかし狂犬病は』明治三九(一九〇六)年頃から『徐々に全国規模に広がり、特に関東大震災があった』大正一二(一九二三)年から大正一四(一九二五)年にかけての三年間、大流行を示し、全国で実に九千頭以上の『犬の感染が確認された』とある。本篇の設定のモデルは明治四五(一九一二)年である。

「利功」ママ。

「身悶えして」ママ。

「噦りながら」「しやくりながら(しゃくりながら)」。

「自棄ん坊」「やけんぼう」。

「蕊」経験上、原民喜はこれで「しん」(芯)と読んでいるものと思われる。

「連らつて」「つらつて(つらって)」。一緒になっての意の、中部から西日本での方言と思われる。

「羅紗」「ラシヤ(ラシャ)」。ポルトガル語 raxa で、羊毛を原料として起毛させた厚地の毛織物。]

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