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« 和漢三才圖會卷第五十二 蟲部 蜻蛉 | トップページ | 原民喜自筆原稿「永遠のみどり」と現行通行の「永遠のみどり」の異同その他についての注 藪野直史 »

2016/04/15

永遠のみどり   原民喜   (自筆原稿復元版)

[やぶちゃん注:本篇は原民喜の自死四ヶ月後に、遺稿として昭和二六(一九五一)年七月号『三田文学』に発表された。今回、広島市立中央図書館の「原民喜の世界」の「画像ギャラリー」の原稿を視認底本とした。原稿用紙は一字マスが独立したもの(マスがスパンを持って繋がっていないもの)で行縦罫も存在せず。中央の柱もない。即ち、中央に縦の有意な間隙を挟んで左右に二重罫で囲まれた二〇×一〇=一〇〇字分が配された、私はあまり見かけたことのない原稿用紙で(左上部端に『No. 』欄があり、民喜はちゃんと数字を打っている)、『20×20 四百詰原稿用紙』という印刷文字が左下角下方外罫線の一部を消失させて印刷されているだけで製造元は不明である。標題「永遠のみどり」は一枚目の第一行目に書かれてある。全三十七枚。以下、今回の電子化の凡例を示す。

 

《凡例》

 正字か新字か迷ったものは正字とした。

 また、多くの拗音の「っ」は有意に小さく見え、民喜は確信犯で拗音表記を行っていることが通常の「つ」の筆体と比して強く感じられ、それも再現しようと考えたが、小さくない箇所も混在し、統一がとれずに読み難くなるので、それらは通常の「つ」(拗音表記でない「つ」)で統一した。一部現行のものと異なる拗音が使われてあるが、異同(後述)では五月蠅くなるので原則、指示していない。

 原稿への差し込み(湧きへの書き入れ挿入)などは〔 〕で示した。

 抹消字は取消線で示し、書き換え字がある場合は直下に書き換え字を〔 〕で示した。書き換え字を抹消している場合は例えば、「木〔→樹〕」と示した。これは――「木」を抹消して「樹」と書き換えたものの、それを再抹消したこと――を示す。

 改行を連続させる、文を入れ替えるなどの校正指示は本文で示すことは難しいので、概ね、異同注で解説したが、本文中で簡潔に示し得る「トル」などの校正記号は【 】で解説して入れ込んだ。

 下線を引いた箇所は自筆原稿で特殊な囲みが成されている箇所、或いは、上部横罫罫外に特殊な枠や記号が附されてある箇所である。注で総て解説したが概ね現在知られている(現行)の「永遠のみどり」にはない、除去或いは略述された箇所である。

 添書き及び抹消字などで判読が不能な字は「■」で示した。

 

 なお、作中で「フランスへ留學することに決定してゐるE」とあるのは、遠藤周作のことであり、戦後初のフランスへの留学生として彼が渡欧したのが昭和二五(一九五〇)年六月四日であること、民喜は昭和二四(一九四九)年末に『三田文学』編集人を辞任していること、翌年一月に民喜が間借りしていた神田の能楽書林を立ち退いて、武蔵野市吉祥寺川崎方へ転居していること、冒頭で「吉祥寺の下宿へ移つてからは」と述べていること(但し、第三段落ではその直前も描き込まれている)などから、概ねの作中全体の時間の範囲は昭和二五(一九五〇)一月転居前か前年末から、本篇のクライマックスである、中半から後半総てを占める重要なシークエンスである広島帰郷(これは昭和二五(一九五〇)年四月に「日本ペンクラブ広島の会」主催の平和講演会への参加の折りの体験に基づくもの)からの帰還直後まで(詳細データを精査すれば、日附まで限定出来よう)となり、作品内時間の終わりは作品コーダの叙述から、昭和二五(一九五〇)年四月末か五月初めと推定出来る。但し、私は本篇自体の執筆はその直後ではなく、それよりももっと後と考えている。具体的には、本文に挿入される激烈なカタカナ詩はこの昭和二五(一九五〇)年八月号『近代文学』に「水ヲ下サイ」の標題を持って相同の詩篇本文が初出するから、

 

本「永遠のみどり」の初稿起筆は、少なくとも広島から帰った翌月の昭和二五(一九五〇)年五月から同年七月(上記「原爆小景」執筆以前或いは共時)まで

 

と私は踏んでおり、その後も昭和二六(一九五一)年三月十三日の自死直前まで推敲を重ねたものであったに違いないと推定している。

 

 一九七八年青土社刊「原民喜全集 Ⅱ」の同篇と校合したが、その異同数は最終的に実に個別に数えるなら百箇所以上に及ぶ夥しいものとなったことから、別ウィンドウで対照しなければ読み難いと判断、――『原民喜自筆原稿「永遠のみどり」と現行通行の「永遠のみどり」の異同その他についての注 藪野直史』――として別立てで示すこととした(リンク先は同じブログであるので、別ウィンドウで開いてサイズを小さくして並べて読まれることをお勧めする)。異同及び自筆原稿の校正指示による私の操作(主たるものは文の順列移動で、一部は移動元の開始部分が示されていないことから、同現行通行本文(以下、(現行)と表記する)と比較して推定で行った箇所もある。但し、それを説明するのは極めて煩瑣であるので省略した。悪しからず)は以下の通りである。(現行)のそれと大きな異同と認められるもの、或いは(現行)と比べて不審なものに、特に「◎」を附した(「△」は備考解説)。

 

 私は思うのだが、これは遺稿で、自筆原稿には校正の後まである決定稿であるはずなのに、現行のそれとこの自筆原稿がこれほど一致しないというのは異常なことのように思われる。別な清書原稿があったか、或いは、考えたくないが、これを最初の載せた『三田文学』の編集者が恣意的に改変した可能性をも疑わざるを得ない心境に私はあることを明記しておく。 藪野直史]

 

 

 

    永遠のみどり

 

                原 民喜

 

 梢をふり仰ぐと、嫩葉のふくらみに優しいものがチラつくやうだつた。樹木が、春さきの樹木の姿が、彼をかすかに慰めてゐた。吉祥寺の下宿へ移つてからは、人は稀れにしか訪ねて來なかつた。彼は一週間も十日も殆ど人間と會話をする機會がなかつた。外に出て、煙草を買ふとき、「タバコを下さい」といふ。喫茶店に入つて、「コーヒー」と註文する。日に言葉を發するのは、二ことか三ことであつた。だが、そのかはり、聲にならない無數の言葉は、絶えず彼のまはりを渦卷いてゐた。

 水道道路のガード近くの叢に白い小犬の死骸がころがつてゐた。春さきの陽を受けて、安らかにのびのびと睡つてゐるやうな恰好だつた。誰にも知られず誰にも顧みられず、あのやうに靜かに死ねるものなら…‥彼は散歩の途中、いつまでも野晒しになつてゐる小さな死體を、しみじみと眺めるのだつた。これは〔、〕彼の記憶に灼きつけられてゐる人間の慘死圖とは、まるで違ふ表情なのだ。

 

 「これからさき、これからさき、あの男はどうして生きて行くのだらう」――彼は年少の友人達にそんな噂をされてゐた。それは彼が神田の出版屋の一室を立退くことになつてゐて、行先がまだ決まらず、一切が宙に迷つてゐる頃のことだつた。雜誌がつぶれ、出版社が倒れ、微力な作家が葬られてゆく情勢に、みんな暗澹とした氣分だつた。一そのこと靴磨にならうかしら、と、彼は雜沓のなかで腰を据ゑて働いてゐる靴磨の姿を注意して眺めたりした。

 「こないだの晚も電車のなかで、FとNと三人で噂したのは、あなたのことです。これからさき、これからさき、どうして一たい生きて行くのでせうか」近くフランスへ留學することに決定してゐるEは、彼を顧みて云つた。その詠嘆的な心細い口調は、默つて聞いてゐる彼の腸をよぢるやうであつた。彼はとにかく身を置ける一つの部屋が欲しかつた。

 荻窪の知人の世話で借りれる約束になつてゐた部屋を、ある日、彼が確かめに行くと、話は全く喰ひちがつてゐた。茫然として、夕ぐれの路を歩いてゐると、ふと、その知人と出逢つた。その足で、彼は一緖に吉祥寺の方の別の心あたりを探してもらつた。そこの部屋を借りることに決めたのは、その晚だつた。

 騷騷しい神田の片隅〔一角〕から、吉祥寺の下宿の二階に移ると、彼は久振りに自分の書〔齋〕へ戾つたやうな氣持がした。靜かだつた。二階の窓からは、【読点に「トル」】竹藪や木立や家屋が、ゆつたりと空間を占めて、【読点に「トル」】展望された。ぼんやり机の前に坐つてゐると、彼はそこが妻と死別した、【読点に「トル」】以前の、【読点に「トル」】千葉の家のつづきのやうな氣持さへした。五日市街道を歩けば、樹木がしきりに彼の眼についた。楢、欅、木蘭、…‥あ、これだつたのかしら、久しく戀してゐたものに、めぐりあつたやうに心がふくらむ【「~」で「‥‥」(四点リーダ)を挿入。以下の句点後の五点リーダは抹消】。…‥だが、微力な作家の暗澹たる豫想は、ここへ移つても少しも變つてはゐなかつた。二年前、彼が廣島の土地を賣つて得た金が、まだほんの少し手許に殘つてゐた。それは、このさき三、四ヶ月生きてゆける計算だつた。彼はこの頃また、あの「怪物」の比喩を頻りにおもひ出すのだつた。- - - -非力な戰災者を絶えず窮死に追ひつめ、何もかも奪ひとつてしまはうとする怪物にむかつて、彼は廣島の燒跡の地所を叩きつけて逃げたつもりだつた。これだけ怪物の口に與へておけば、あと一年位は生きのびることができる。彼は地所を賣つて得た金を手にして、その頃、昂然とかう考へた。すると、怪物はふと、おもむろに追求の手を變へたのだ。彼の原稿が少しづつ賣れたり、原子爆彈の體驗を書いた作品が、一部の人に認められて、單行本になつたりした。彼はどうやら二年間無事に生きのびることができた。だが、怪物は決して追求の手をゆるめたのではなかつた。再びその貌が眞近かに現れたとき、彼はもう相手に叩き與へる何ものも無く、今は逃亡手段も殆ど見出せない破目に陷つてゐた。

 「君はもう死んだつていいぢやないか。何をおづおづするのだ」

 特殊潜〔水〕艦の搭乘員だつた若い友人は醉ぱらふと彼にむかつて、こんなことを云つた。虛しく屠られてしまつた無數の哀しい生命にくらべれば、窮地に追詰められてはゐても、とにかく彼の方が幸かもしれなかつた。天が彼を無用の人間として葬るなら、止むを得ないだらう。ガード近くの叢で見た犬の死骸はときどき彼の腦裏に閃いた。死ぬ前にもう一度…‥といふ言葉が、どうかするとすぐ浮んだ〔。〕が、それを否定するやうに激しく頭を振つてゐた。しかし、もう一度、彼は鄕里に行つてみたかつたのだ。かねて彼は〔作家の〕Mから、こんど行はれる、日本ペンクラブの「廣島の會」に同行しないかと誘はれてゐた。廣島の兄からは、間近かに迫つた甥の結婚式に戾つて來ないかと問合せの手紙が來てゐた。倉敷の妹からも、その途中彼に立寄つてくれと云つて來た。だが、旅費のことで彼はまだ何ともはつきり決心がつかなかつた。

 ある日、彼はすぐ近くにある、井ノ頭公園の中へはじめて足を踏込んでみた。ずつと前に妻と一度ここへ遊んだことがあつたが、その時の甘い記憶があまりに鮮明だつたので、何かここを再び訪ねるのが躊躇されてゐたのだつた。薄暗い木〔→樹〕蔭〔並木〕の〔下の〕路を這入つて行くと、すぐ眼の前に糠の糠のやうに小さな蟲の群が渦卷いてゐた。彼は池のほとりに出ると、水を眺めながら、ぐるぐる歩いた。水のなかの浮草は新しい蔓を張り、そのなかを、おたまじやくしが泳ぎ廻つてゐる。なみなみと満ちあふれる、明るいものが、しきりに感じられるのだつた。- - - -彼が日に一度はそこを通る樹木の多い路は、日每に春らしく移りかはつてゐた。枝についた新芽にそそぐ陽の光を見ただけでも、それは酒のやうに彼を醉はせた。最も微妙な音樂がそこから溢れでるやうな氣持がした。

  とおう とおう あまぎりいい

  朝がふたたび みどり色にそまり

  ふくらんでゆく蕾のぐらすに

  やさしげな豫感がうつつてはゐないか

  少年の胸には 朝ごとに窓 窓がひらかれた

  その窓からのぞいてゐる 遠い私よ

 これは二年前、彼が廣島に行つたとき、何氣なくノートに書いておいたものである。鄕愁が彼の心を嚙んだ。甥の結婚式には間にあはなかつたが、こんどのペンクラブ「廣島の會」には、どうしても出掛ようと決意してしまつた。…‥〔たくなつた。〕彼は舟入川口町の姉の家にある一枚の寫眞を忘れなかつた。それは彼が少年の頃、死別れた一人の姉の寫眞だつたが、葡萄棚の下に佇んでゐる、もの柔かい少女の姿が、今もしきりに懷しかつた。さうだ、こんど廣島へ行つたら、あの寫眞を借りてもどらう――さういふ突飛なおもひつきが、彼には最も切實な課題となつてゐた。〔更らに彼の鄕愁を煽るのだつた。〕

 ある日、彼は友人〔か〕ら、子供〔少年〕向の飜譯〔單行〕本の相談をうけた。それは、確實な出版社の企畫で、その仕事をなしとげれば、彼にとつては六ケ月位の生活が保証されるわけだつた。急に目さきが明るくなつて來たおもひだつた。その仕事で金が貰へるのは、六ケ月位あとのことだから、それまでの食ひつなぎのために、彼は廣島の兄に借金を申込むつもりにした。……〔ペンクラブの一行とは廣島で落合ふことにして、彼は一足さきに出發することにした〔つもりだつた〕。〕

 倉敷の姪たちへの土産ものを買ひながら、彼はなんとなく心が彈んだ。少女の好みさうなものを選んでゐると、やさしい交流が遠くに感じられた。……それは戀といふのではなかつたが、彼は昨年の夏以來、ある優しいものによつて搖すぶられてゐた。ふとしたことから知りあひになつた、uといふ二十二になるお孃さんは、彼に〔と〕つて不思議な存在になつた。最初の頃、その顏は眩しいやうに彼を戰かせ、一緖にゐるのが何か呼吸苦しかつた。が、馴れるに隨つて、彼のなかの苦しいものは除かれて行つたが、何度逢つても、繊細で〔淸楚な〕鋭い感じは變らなかつた。彼はそのことを口に出して讚めた。すると、タイピストのお孃さんは云ふのだつた。

 「女の心をそんな風に美しくばかり考へるのは間違ひでせう。それに、美はすぐにうつろひますわ」

 彼は側にゐる、この優雅な少女が、戰時中、十文字に欅をかけて挺身隊にゐたといふことを、きいただけでも何か痛痛しい感じがした。一緖にお茶を飮んだり、散歩してゐる時、聲や表情にパツと新鮮な閃めきがあつた。二十二歳といへば彼が結婚した時の妻の年齡であつた。

 「とにかく、あなたは懷しいひとだ。懷しいひととして憶えておきたい」

 神田を引あげる前の晚、彼が部屋中を荷物で散らかしてゐると、uは窓の外から声をかけた。彼はすぐ外に出て一緖に散歩した。吉祥寺に移つてからは、逢ふ機會もなかつた。が、廣島へ持つて行くカバンのなかに、彼はお孃さんの寫眞をそつと入れておいた。……ペンクラブの一行とは廣島で落合ふことにして彼は一足さきにひとり東京を出發し〔てゐ〕た。

 

 倉敷驛の改札口を出ると、小さな犬を抱へたゐる女の兒が目についた。と、その女の兒は默つて彼にお時儀した。二年〔暫く〕見なかつた間に小さな〔この〕姪は、どこか子供の頃の妹の顏つきと似てきた。

 「お母さんは今、ちよつと出かけてゐますから」と、小さな姪は勝手口から上つて、玄関の戸を内から開けてくれた。〔その〕座敷の机の上に〔は〕黃色い箱の外國煙草が置いてある〔つた〕。「どうぞ

 「どうぞ、お吸ひなさい」と姪はマツチを持つてくると、これで役目をはたしたやうに外に出て行つた。彼は壁際によつて、そこの窓を開けてみた。窓のすぐ下に花畑があつて、スミレ・雛菊・チユーリツプなどが咲き揃つてゐ〔た〕。〔その〕色彩の渦にしばらく見とれてゐると、表から妹が戾つて來た。

 〔すると〕小さな姪は母親の側に〔やつて來て〕ぺつたり坐つてゐた。こんど小學三年生に進級したこと、將來は女醫にならうとしてゐることなど、妹は説明した。

 「いいこときいた。それでは僕が死ぬ時には、あんたに看病してもらへる」

 大きい方の姪はまだ戾つて來なかつたが、彼が土産の品を取出すと、「まあ、こんなものを買ふとき、やつぱし、あなたも娯しいのでせう」と妹は手にとつて笑つた。

 先日、廣島の〔すんだ〕〔の〕甥の結婚式の時の〔の〕模樣を妹はこまごまと話しだした。「とてもいいところから貰へて、みんな滿足のやうでした」

 終戰後、急に好學心に燃えて、東京では彼のところへ時時訪ねて來てゐた甥も、學資が續かないから、と父親に退學を云渡されると、そのまま廣島に戾つて家業を手傳つてゐた。前には不平らしい手紙を彼のところへ寄越すこともあつたが、それも近頃は來なくなつてゐたので、今は甥がすつかり落着いたことが想像された。

「式のとき、あなたの噂も出ましたよ。あれはもう東京で、ちやんと、いいひとがあるらしいとみんなさう云つてゐました」

 急に彼はをかしくなつた。妻と死別してもう七年になるので、知人の間でとかく揶揄や嘲笑が絶えないのを彼は知つてゐた。- - - -

 「あんまり、いい嫁入支度だつたので、末雄が少しやきもきしだして‥‥」と、妹の話は廣島の弟のことに移つてゐた。昨年の暮、彼が神田でまだ引越先が見つからない〔でいる〕頃だつた。三年前シベリアから戾つて來た弟が、はじめて上京して姿を現はした。兄の家の浦の物置小屋で新婚生活を營んでゐる、この弟は、「金が欲しい、金が欲しい、せめて小さな家でも建てられる位の」と、その時も頻りに嘆息してゐた。母親の存命中は充分に甘やかされ、華やかなスポーツ選手だつた弟も、長い戰爭と捕虜生活の揚句、變り果てた郷里に舞戾つたので憂欝なのだらう。今でもこの弟はまだ兄たちと時時、衝突してゐるらしかつた。

 「時時、ふいと倉敷へやつて來るのです。帽子から靴から、みんな友達のものを貸りて、お洒落して、それに家の人には行先も告げずに、やつて來るのです」。

 妹が夕飯の仕度にとりかかると、彼は應接室の方へ行つてピアノの前に腰を下した。そのピアノは昔、妹が女學生の頃、廣島の家の座敷に据ゑてあつたものだ。彼はピアノの蓋をあけて、ふとキイに觸つてみた。暫く無意味な音を叩いてゐると、そこへ中學生の姪がつと姿を現した。すつかり少女らしくなつてゐる〔つた〕姿が彼の眼にひどく珍しかつた。「何か彈いてきかせて下さい」と彼が賴むと、姪はピアノの上に樂譜をあれこれ搜し廻つてゐた。

 「この『エリーゼのために』にしませうか」と云ひながら、また別の樂譜をとりだして彼に示しては、「これはまだ彈けません」とわざわざ斷つたりしてゐた。〔する。〕その忙しげな動作は戸迷と躊躇に充ちて危ふげだつたが、やがて、エリーゼの樂譜に眼を据ゑると、指はたしかな音を彈いてゐた。

 翌朝、彼が眼をさますと、枕頭に小さな熊や家鴨の玩具が並べてあつた。姪たちのいたづらかと思つて、そのことを云ふと、「あなたが淋しいだらうとおもつて、慰めてあげたのです」と妹は〔をかしさうに〕笑ひだした。ふと、彼は昨日から氣になつてゐる史朗のことを訊ねてみた。

 「あれはしよんぼりしてゐます」と側から姪は口を出した。罹災當時、彼は寡婦の妹とその息子の史郎と三人で、次兄の避難先の八幡村の二階で暫く同居してゐた。ひどい飢餓におののきながら、殆ど毎日、生きた氣持はしなかつた。その後、妹は再婚したが、息子の史朗は長兄の家に引とられ、そこで、ずつと養はれてゐるのであつた。

 その日の午后、彼は姪に見送られて汽車にまづ倉敷を發つた。〕乘つた。〔彼はその日の午后、倉敷を出發した。〕各驛停車のその 〔列〕車は地方色に染まり、窓の外の眺めも、のんびりしてゐたが、尾道の海が見えて來ると、久振りに見る明るい綠の色にふと彼は惹きつけられた。それから、彼の眼は何かをむさぼるやうに、だんだん窓の外の景色に集中してゐた。彼は妻と死別れてから、これまで何度も妻の鄕里を訪ねてゐた。それは妻の出生にまで遡つて、失はれた時間を、心のなかに、もう一度とりかへしたいやうな、漠とした氣持からだつたが、その妻の生れた土地ももう間近かにあつた。…‥本鄕驛で下車すると、亡妻の家に立寄つた。その日の夕方、その家のタイル張りの湯にひたると、その風呂にはじめて妻に案内されて入つた時のことがすぐ甦つた。あれから、どれだけの時間が流れたのだらう、と、いつも思ふことが繰返された。

 

 翌日の夕方、彼は廣島驛で下車すると、まつすぐに幟町の方へ歩いて行つた。道路に面したガラス窓から何氣なく内側を覗くと、ぼんやりと兄の顏が見え、兄は手眞似で向へ廻れと合圖した。ふと彼はそこは新しく建つた工場で家の玄關の入口はその橫手にあるのに氣づいた。

 「よお、だいぶ景氣が〔よ〕ささうですね」

 甥がニコニコしながら声をかけた。その甥の背後にくつつくやうにして、はじめて見る、快活さうな細君 〔新妻〕がゐた。彼は明日こちらへ到着するペンクラブのことが新聞にかなり大きく扱はれてゐて、彼のことまで鄕土出身の作家として紹介してあるのを、この家に來て〔はじめて〕知つた。

 「原子爆彈を食ふ男だな」と兄は食卓で輕口を云ひだした。が、少し飲んだビールで忽ち兄は皮膚に痒みを發してゐた。

 「こちらは喰はれる方で…‥こないだも腹の皮をメスで剝がれた」

 原子爆彈症かどうかは不明だつたが、近頃になつて、兄は皮膚がやたらに痒くて困つてゐた。A・B・C・C(原子爆彈影響硏究所)で診察して貰ふと、皮膚の一部を切とつて、硏究のため、本國へ送られたといふのである。三年この前見た時にくらべると、兄の顏〔色〕は憔悴してゐた。すぐ側に若夫婦がゐるためか、嫂の顏も年寄めいてゐた。

 その夜遲く彼は下駄をつかけて裏の物置部屋を訪ねてみた。勤から戾つたままの洋服姿で、弟は炬燵にあたつてゐた。細君は平田屋町の次兄の店に晝間勤め、ここは夫婦共稼ぎの生活だが、早く復員した友人たちは羽振のいい地位にゐたりするので、そんなことも、この弟には憂欝の種らしかつた。ここにはシベリアから戾つた弟夫婦が住居してゐるのだつた。

 「だが、何といつても貧乏では女の方はがより苦勞するのだから」と彼は曖昧に弟を宥めるやうな口をきいてゐた。

 翌朝、彼が緣側でぼんやり佇んで〔あたりを見廻した。〕ゐる史朗の姿を認めると、後からちよつと坊主頭を撫でてみた。

 「お早う」と史朗はくすりと笑つて、それきり向へ行つてしまつた。昨日も彼が土産を渡すと、史朗は「有難う」と一こと禮を云つたきりで、まるで、ものを云はぬ少年になつてゐた。…‥

 〔翌朝、緣側でぼんやり佇んでゐると、〕畑のなかを、朝餉前の一働きに、肥桶を擔いでゆく兄の姿が見かけられた。今、彼のすぐ眼の前の地面に金盞花や矢車草の花が咲き、それから向の麥畑のなかに一本の梨の木が眞白に花をつけてゐた。二年〔この〕前彼がこの家に立寄つた時には麥畑の向の道路がまる見えだつたが、今は黑い木塀がめぐらされてゐる。表通りに小さな縫工場が建つたので、この家も少し奧まつた感じになつた。が、燒ける前の昔の面影を偲ばすものは、嘗て庭だつたところに殘つてゐる築山の岩と、麥畑のなかに見える井戸ぐらゐのものだ。彼はあの慘劇の朝の一瞬のことも、自分がゐた場の狀況も、記憶のなかではひどくはつきりしてゐた。火の手が見えだして、そこから逃げだすとき、庭の隅に根元から〔、〕ぽつくり折れ曲つて靑い枝を手洗鉢に突込んでゐた楓の生生しい姿は、あの家の最後のイメージとして彼の目に殘つてゐる。それから原爆〔壞滅〕後、一ケ月あまりして、はじめてこの邊にやつて來てみると、悲慘な一めんの燃えがらのなかに、赤く錆びた金庫が突立つてゐて、その脇に木の立札が立つてゐた。これもまだ刻明に目に殘つてゐる。それから、彼が東京からはじめてこの新築の家へ訪ねた時も、その頃はまだ人家も疎らで殘骸はあちこちに眺められた。その頃からくらべると、今この辺は見違へるほど街らしくなつてゐるのだつた。

 彼は〔午后、〕ペンクラブの到着を迎へに行く〔る〕ため〔駅に行くと、〕外に出た。

が、ふと平田屋町の次兄の店に立寄つてみた。婦人・子供服の並んだ店さきで、次兄は客と應対してゐた。奥から出て來た嫂は彼の樣子を珍しげに吟味しながら云つた。

 「この頃はだいぶいいのでせう。顏色もいいし、何だかとても裕福さうですね」

 ゆつくりしてゐる時間もなかつたので、彼はすぐそこを辞した。驛の改札〔降車〕口には街の出迎へらしい人々が大勢集つてゐた。が、〔やがて〕汽車から降りて來たペンクラブの一行は、〔が着くと、人人 〔■■〕はみんな〕驛長室の方へ行きだした。彼も人人について、そちら側へ廻つた。大勢の人人のなかからMの顏はすぐ目についた。そこには、彼の顏見知りの作家も二三ゐた。やがて、この一行に加はつて彼も市内見物のバスに乘つたのである。……バスは比治山の上で停まり、そこから市内は一目に見渡せた。すぐ叢のなかを雜囊をかけた浮浪兒がごぞごそしてゐる。それが彼の目には異樣におもへた。それからバスは瓦斯會社の前で停まつた。大きなガスタンクの黝んだ面に、原爆の光線の跡が一つの白い梯子の影となつて殘つてゐる。このガスタンクも彼には子供の頃から見馴れてゐたもの〔な〕のだ。……バスは御幸橋を渡り、日赤病院に到着した。原爆患者第一號の姿を見るのは、彼にははじめてだつた。背の火傷の跡の光澤や、左手の爪が赤く凝結してゐるのが、標本か何かのやうであつた。…‥市役所・國秦寺・大阪銀行・廣島城跡を見物して、バスは産業奬勵館の側に停まつた。子供の時、この洋式の建物がはじめて街に現れた時、彼は父に連れられて、その階段を上つたのだが、あの円い屋根は彼の家の二階からも眺めることが出來、子供心に何かふくらみを與へてくれたものだ。今、鐵筋の殘骸を見上げ、その円屋根のあたりに目を注ぐと、春のやはらかい夕ぐれの陽ざしが虛しく流れてゐる。雀がしきりに飛びまはつてゐるのは、あのなかに巢を作つてゐるのだらう。‥‥時は流れた。今はもう、この街もいきなり見る人の眼に戰慄を呼ぶ姿で〔もの〕はなくなつた。そして、和やかな微風や、街をめぐる遠くの山脈が、靜かに何かを祈りつづけてゐる〔呟いて〕やうだ。バスが橋を渡つて、己斐の國道の方に出ると、靜かな日沒前のアスファルトの跡を、よたよたと虛脱の足どりで歩いて行く、ふわふわに脹れ上つた黒い幻が〔、〕何となく〔ふと〕眼に見えてくるやうだつた。

 翌朝、彼は瓦斯ビルで行はれる「廣島の會」に出かけて行つた。そんな建物がこの街に出來たのも彼には珍しかつたが、そこの二階で、廣島ペンクラブと日本ペンクラブのテーブルスピーチは三時間あまり續いた。話題の焦点はやはり原爆のことであつた。會が終つた頃、サイン・ブックが彼の前にも廻されて來た。

 <水ヲ下サイ>

 と彼は何氣なく突嗟にペンをとつて書いた。それから彼はMと一緖に中央公民館の方へ、ぶらぶら歩いて行つた。Mは以前から廣島のことに關心をもつてゐるらしかつたが、今度ここで何を感受するのだらうか、と彼はふと想像してみた。よく晴れた麗しい日和で、空氣のなかには何か細かいものが無数に和みあつてゐる〔やうだつた〕。中央公民館に來ると、會場は既に聽衆で一杯だつた。彼も今ここで行はれる、講演會に出て喋ることにされてゐた。彼は自分の名や作品が、まだ廣島の人人にもよく知られてゐるとは思はなかつた。だが、やはりあのことの遭難者の一人として、この土地とは切り離せないものが彼のなかで疼くやうだつた。〔ある〔やうだ〕のではないかとおもへた。〕…‥喋らうとすることがらは前から漠然と考へつづけてゐた。子供の時、見なれた土手町の櫻並木、少年の頃、くらくらするやうな氣持で仰ぎ見た國秦寺の樟の大樹の若葉靑葉、‥‥そんなことを考へ耽けつてゐると、いま頭のなかは疼くやうに綠のかがやきで一杯になつてゆくやうだつた。すると、講演の順番が彼にめぐつて來た。彼はステージに出て、渦卷く聽衆の顏と對きあつてゐたが、綠色の幻は眼の前にチラついた。顏の渦のなかには、あの日の體驗者らしい顏もゐるやうにおもへた。

 その講演會が終ると、バスはペンクラブの一行を乘せて夕方の觀光道路を走つてゐた。眼の前に見える、瀨戸内海の靜かなみどりは、ざわめきに疲れた心をうつとりとさせるやうだつた。汽船が棧橋に着くと、燈のついた島がやさしく見えて來た。旅館に落着いて間もなく、彼はある雜誌社主催の四五名の原爆體驗者の座談會の片隅に坐つてゐた。語る言葉は、彼にききとれるばかりだつた。その當時、一週間あまりは澄江堂遺珠民もとらず重傷者の手當に夢中だつたといふ語る看護婦の〔声は涙ゝに■■り、頰は、ヒリヒリ〔と〕戰いゐるやうにおもへた。

 翌日、ペンクラブは宮島口で晝餐をとつて、解散になつた。〔ので、〕彼は一行と別れ、ひとり電車に乘つた。高須で下車すると、妹の家に立寄つてみたが留守だつたので、またすぐ電車に乘つた。幟町の家へ歸つてみると、裏の弟と平田屋町の次兄が來てゐた。かうして兄弟四人が顏をあはすのも十数年振りのことであつた。が、誰もそれを口にして云ふものもなかつた。三疊の食堂は食器と人でぎつしりと一杯だつた。「廣島の夜も少し見よう。その前に平田屋町へ寄つてみよう」と、彼は次兄と弟を誘つて外に出た。次兄の店に立寄ると、カーテンが張られ灯は消えてゐた。

 「みんなが揃つてゐるところを一寸だけ見せて下さい」

 奧から出て來た嫂に彼はさう賴んだ。寢巻姿や洋服の子供がぞろぞろと現れた。みんな、嘗て、八幡村で侘しい起居をともにした戰災兒だつた。それぞれ異ふ顏のなかで、彼に一番懷いてゐた長女のズキズキした表情が目だつてゐた。彼はまたすぐ往來に出た。次兄は自宅の裏にあたる通りへ彼を導いてゐた。まだ建築中のところもあるが、そのあたりがネオン街になるらしかつた。〔それから〕三人はぶらぶらと廣島驛の方まで歩いて行つた。夜はもう大分遲かつたが、猿猴橋を渡ると、橋の下に満潮の水があつた。それは昔ながらの〔夜の川の〕感觸だつた。

 「さうだ。川があるのだつた、夜の川が‥‥」

 京橋の手前まで戾つて來ると、人通りの絶えた路の眼の前を、何か素速いものが橫切つた。

 「いたち」と次兄は珍しげに聲を發した。そんな動物も今はこの街に來て棲むやうになつたのだらうか。

 彼はまだ見ておきたい場所や訪ねたい家が少し殘つてゐた。罹災後、半年あまり、そこで悲慘な生活をつづけた八幡村へも、久振りで行つてみたかつた。今では八丁堀街からバスが出てゐて、それで行けば簡單なのだが、五年前とぼとぼと歩いた、一里あまりの、あの路を、もう一度〔■て足で〕歩いてみたかつた。それで、翌日、彼はまづ〔、〕高須の妹の家に立寄つた。この新築の家にあがるのも、再婚後産れた子供を見るのも、これがはじめてだつた。

 「もう年寄になつてしまひました。今ではあなたの方が弟のやうに見える」と妹は笑つた。側では這ひ歩きのできる子供が拗ねた顏で母親を〔視〕凝めてゐた。

 「あなたは別に異狀ないのですか。眼がこの頃、どうしたわけか涙が出てしようがないの。A・B・C・Cで診て貰はうかしらと思つてるのですが」

 〔この〕妹と彼とは同じ屋内で原爆に遭つたのだが、五年後になつて異狀が現れるといふことがあ〔(り得〕るのだらうか。‥‥だが、妹は義兄の例を不安げに話しだした。その義兄はあの當時、原症で毛髮まで無くなつたのに〔が〕、すぐ元氣になり、その後長ピンピンしていゐたのだが、〔長らく異狀なかつたの〔が〕に〕、〔最〕近になつて、【読点に「トル」】頰の筋肉がひきつけたり、衰弱が目だつて來たといふのだ。そんな話をきいてゐると、彼はあの直後、廣島の地面のところどころから、突き刺すやうに感覺を脅かしてゐた異臭を〔また〕想ひ出すのだつた。

 妹のところで晝餉をすますと、彼は電車で樂樂園驛まで行き、そこから八幡村の方へ向かつて、小川に沿つた〔ふ〕〔路〕を歩いて行つた。遙か向に、彼の眼によく見憶えのある山脈があつた。その山を眺めて歩いてゐると、嘗ての、ひだるい、悲しい、怒りに似た感情がかへりみられた。……飢餓のなかで、よく彼はとぼとぼとこの路を歩いてゐたものだ。冷却した宇宙にひとりのこされたやうに、彼はこの路で、茫然として夜の星を仰いだものだ。だが、生存の脅威なら、その後もずつと引續いてゐるはずだつた。今も、生活の破局に晒されながら、かうして、この路をひとり歩いてゐる。だが、とにかく、あれから五年は生きて來たのだ。……いつの間にか、風が出て空氣にしめりがあつた。山脈の方の空に薄靄が立ちこめ、空は曇つて來た。すぐ近くで、雲雀の囀りがきこえた。見ると、薄く曇つた中空に、一羽の雲雀は靜かに翼を顫はせてゐた。と、彼の歩いて行くすぐ前を、一羽の雲雀は橫切つてゐた。

 八幡村は入ると、三尺幅の小川がこんこんと水を湛へて走つてゐる。負傷者と一緒にこの村に入つた五年前も、この水は輕ろやかに流てゐたのだ。澄んだ水の上に浮かぶ、透きとほつた、小波にみとれながら、彼は歩いて行つた。製粉所の深井氏の土間へ這入つて行くと、そこには饂飩製造機が据ゑられ、白いものが、いくすぢも流れ動いてゐる。その側で、深井氏は默默と白いものの流れを捌いてゐた。…‥夕方、深井氏のところを辞して、帰途はバスにした。廣島の終点で降りると、ふと彼は人混のなかから声をかけられた。ペンクラブの會で知りあつた、新聞社のK君だつた。

 彼はその翌朝、白島の方へ歩いて行つた。寺の近くの花屋で金盞花の花を買ふと、亡妻の墓を訪ね、それから常盤橋の上に佇んで、泉邸の川岸の方を暫く眺めた。曇つた綠色の岸で、何か作業をしてゐる人の姿が小さく見える。あの岸も、この橋の上も、彼には死と焰の記憶があつた。が、それをおもひだせば、殆ど限りがなかつた。彼は饒津公園やその堤をぼにゃり逍遙い歩いて、それから、家に戾つた。

 午后は基町の方へ出掛けて行つた。そこは昔の西練兵場跡なのだが、今は引揚者、戰災者などの家が建ならび、一つの部落を形づくつてゐる。野砲連隊の跡に彼の探す新生學園はあつた。だが、今日は遠足で孤兒たちは殆ど見かけられなかつた。それに、あの當時の孤兒は、大概今では子を亡つた戰災者の家庭に引取られてゐることがわかつた。彼は園主に案内されて〔孤兒たちの〕部屋を見て歩いた。廣い勉強部屋にくると、城跡の石垣と靑い堀が、明暗を混じへてガラス張りの向にあつた。

 新生學園を出ると、彼は電車で舟入川口町へ行つた。姉の家の勝手口から廻つて声をかけると、居間の方から姉は現れた。

 「こちらへおあがりなさい。あちらは他人に貸してゐるのです」

 彼が居間の方へ上ると、姉はすぐいろんなことを喋りだした。

 「あんたの食器をあづかつてあるのは、あれはどうしたらいいのですか」

 食器といふのは、彼が地下に埋めておき、家の燒跡から掘出したものだが、以前、旅先の家で妻が使用してゐた品だつた。姉のところへ、あづけ放しにしてから五年になつてゐ〔た〕。

 「あ、あれですか。もう要らないから勝手に使つて下さい」

 彼はそれよりも、アルバムが見せてもらひたかつた〔ので、そのことを云つた。〕どの寫眞が見たいのかと、姉は三冊のアルバムを奧から持つて來た。昔の家の裏にあつた葡萄棚の下にたたずんでゐる少女の寫眞は、すぐに見つかつた。これが、廣島へ來るまで彼の念頭にあつた、死んだ姉の面影だつた。彼はそれを暫らく借りることにして、アルバムから剝ぎ取らうとした。が、變色しかかつた薄い寫眞は〔、〕ぺつたりと台紙に密着してゐた。破れて駄目になりさうなので、彼は斷念した。

 「あんた、一昨年こちらへ戾つたとき土地を賣つたとかいふが、そのお金はどうしてゐますか」

 「大かた無くなつてしまつた」

 「あ、金に替へるものではない〔の〕ね。金に替へればすぐ消える…。あ、〔あ、〕さうですか」

 姉は〔しきりに感心してゐた。〕こんど改造した家のなかを見せたがつた。〔てくれた。〕恰度、下宿人はみな不在だつたので、彼は應接室から二階の方まで見 てもらつたて歩いた。疊を置いた板の間が、薄い板壁のしきりで二分されて、二つの部屋として使用されてゐる。どの部屋も學生の止宿人らしく、侘しく殺風景だつた。玄関脇の三疊は、姉の息子たちの勉強部屋にされてゐた。内職のミシン仕事も思はしくないので、下宿〔屋〕を始めたのだが、

 「この私を御覽なさい。十萬圓貯めてゐましたよ。そのうち六萬圓で今度、大工を〔雇〕つたのです」と姉は彼を何か鞭撻するやうに云ふ〔のだつた〕。こ〔こ〕は爆心地より遠隔に〔離れて〕あつたので、家も燒けなかつたの〔なかつた〕だが、終戰直後、姉は夫と死別し、二人の息子を抱へながら奮鬪してゐるのだ。だが、その割りには、PL信者の姉は暢氣さうだつた。「しつかりして下さい。しつかり」と姉は別際まで繰返した。

 「あ、僕も何とかして掘立小屋の一つぐらゐ建てませう」と彼は〔ぼんやり〕笑ひながら立ち去つた。

 

 明日は出發の豫定だつたが、彼はまだ兄に借金を申込む機會がなかつた。いろんな人人に遇ひ、さまざまの風景を眺めた彼には、何か消え失せたものや忘却したものが、地下から頻りに湧き上つてくるやうな氣持だつた。きのふ八幡村に行く路で雲雀を聽いたことを、ふと彼は嫂に話してみた。

 「雲雀なら廣島でも囀つてゐますよ。この裏の方で啼いてゐました」

 〔彼は奇奇な→彼は奇異の感にうたれた。〕先夜瞥見した鼬(いたち)といひ、雲雀といひ、そんな風な動物が今はこの街に親しんできたのだらうか。- - - - - 〔ふと嫂はこんなことを云つた。〕

 「井頭公園は下宿のすぐ近くでせう。ずつと前に上京したとき、一度あの公園には案内してもらひました」- - - - -死んだ妻が、嫂をそこへわざわざ案内したといふことも、彼には初耳のやうにおもはれた。

 彼はその晚、床のなかで容易に睡れなかつた。<水ヲ下サイ>といふ言葉がしきりと頭に浮んだ。それはペンクラブの會のサイン・ブックに何氣なく書いたのだが、その言葉からは無数のおもひが湧きあがつてくるやうだつた。火傷で死んだ次兄の家の女中も、あの時しきりに水を欲しがつてゐた。水ヲ下サイ…水ヲ下サイ‥‥水ヲ下サイ…水ヲ下サイ…それは夢魔のやうに彼を呻吟させた。彼は帰京してから、それを次のやうに書いた。

 

  水ヲ下サイ

  アア 水ヲ下サイ

  ノマシテ下サイ

  死ンダハウガ マシデ

  死ンダハウガ

  アア

  タスケテ タスケテ

  水ヲ

  水ヲ

  ドウカ

  ドナタカ

    オーオーオーオー

    オーオーオーオー

  天ガ裂ケ

  街ガナクナリ

  川ガ

  ナガレテヰル

    オーオーオーオー

    オーオーオーオー

  夜ガクル

  夜ガクル

  ヒカラビタ眼ニ

  タダレタ唇ニ

  ヒリヒリ灼ケテ

  フラフラノ

  コノ メチヤクチヤノ

  顏ノ

  ニンゲンノウメキ

  ニンゲンノ

 

 出發の日の朝、彼は漸く兄に借金のことを話しかけてみた。

 「あの本の收入はどれ位あつたのか」

 彼はありのままを云ふ〔より〕他はなかつた。原爆のことを書いたその本は、彼の生活を四五ケ月支へてくれたのである。

 「それ位のものだつたのか」と兄はかなり意外らしい顏つきだつた。だが、兄の商賣もひどく不況らしかつた。それは、【読点に「トル」】若夫婦の生活を蔭で批評する嫂の口振りからも、ほぼ察せられた。

 「會社の欠損をこちらへ押しつけられて、どうにもならないんだ」と兄は屈托げな顏で暫く考へ込んでゐた。

 「何なら、あの株券を賣つてやらうか」

 それは死んだ父親が彼の名義にしてゐたもので、その後、長らく兄の手許に保管されてゐたものだつた。それが賣れれば、一萬五千円の金になるのだつた。母の遺産の土地を二年前に手離し、こんどは父の遺産とも別れることになつた。

 

 十日振りに歸つてみると、東京は雨だつた。フランスへ留學するEの送別會の案内狀が彼の許にも屆いてゐた。ある雨ぐもりの夕方、神田へ出たついでに、彼は久振りでu孃の家を訪ねてみた。玄關先に現れた、お孃さんは濃い綠色のドレスを着てゐたので、彼をハツとさせた。だが、綠色の季節は吉祥寺のそこここにも訪れてゐた。彼はしきりに少年時代の廣島の五月をおもひふけつてゐた。………

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