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2016/04/06

和漢三才圖會卷第五十二 蟲部 原蠶

[やぶちゃん注:以下、前の「白殭蠶」との間に縦罫一本。]

 

原蠶 晩蠺 夏蠺 魂蠺 熟蠺【和名奈都古】

此第二番蠺蓋再養者也周禮禁原蠺注云蠺生于火而

藏于秋與馬同氣物莫能兩大禁原蠺爲其害馬也白殭

蠶爲末塗馬齒即不能食草以桑葉拭去乃還食蓋馬與

龍同氣故有龍馬而又蠶與馬同氣故蠶有龍頭馬頭者

北人重馬故禁原蠺南方無馬則有一歳至再或三及七

出八出者矣然先王仁愛及物蓋不忍其一歳再致湯鑊

且妨農事亦不獨專爲害馬殘桑而已

三才圖會云蠺神名天駟淮南王蠶經云黃帝元妃西陵

氏始蠶至漢祀宛窳婦人寓氏公主蜀有蠶女馬頭娘此

歷代所祭不同【以有馬頭娘之名爲馬皮卷女入桑化蠶之説此附會耳】

日本紀云保食神死而口裏含蠶便得抽絲至雄畧天皇

六年欲使后妃親桑以勸蠶事爰命蜾蠃【人之名】聚國内蠶

     するかなる富士のくはこの新わたは高根の雪の色に似るらん爲家

按今養蠺之地多【但畿内多作草綿不養蠺】其綿加賀越前爲最上

 但馬丹後次之共潔白爲婦人帽子佳也近江飛驒雖

 不潔白性強故堪爲衣服讃岐丹波伊勢上野又次之

 其他不遑悉記

養蠺法毎仲夏取繭收之半月而繭中蛹化蛾出放蛾於

 紙則遺卵於紙而蛾死取紙收于櫃至翌年三月桑芽

 生比出所藏紙則卵孚成1畧似小蟻而微黑色歷半

[やぶちゃん字注:「1」=「虫」+「少」。]

 月則變白色有黒點者初生者用桑嫩葉細剉養之稍

 長者用桑葉拭乾不剉養之將脱衣時不食葉半日許

 似煩狀既脱皮成蛻五月初將作繭時用葭簾爲棚放

 之擇取不食桑身白色透明者以投櫃中先用2或枯

[やぶちゃん字注:「」=「絹」-「糸」+(へん)「禾」。]

 菁草縦内而爲蠶之寓居數千蠶各作繭蟄【有不能作繭自死者

 即是白殭蠶也】採其繭晒乾二日則蠶死【欲爲種者不晒別收之】投沸湯

 鍋中煑之【二百或三百數少則絲細】待煑起用筯纏緒繰取之用藁

 灰汁煉則爲絲

欲爲綿者用藁灰汁煑繭投水中擴于板上則爲綿如一

 繭二蛹者不成綿

蠶能跋行而不出於席外亦一異也其席宜要清浄但臭

 穢之氣腦麝香煙草之烟共忌之最可畏鼠

蠺如咬人毒入内取苧麻汁飮之即解凡以麻子近蠺種

 則蠺不生【本草見于苧麻下】

春蠶夏蠶異種也夏蠶形大而繭亦大六月作繭極暑不

 養易又不堪爲絲惟可取綿所謂原蠶是也蓋南方有

 再三或七出八出蠶者未審

 

 

原蠶(なつご) 晩蠺 夏蠺 魂蠺 熟蠺【和名。奈都古。】

此れ、第二番の蠺。蓋し、再たび養ふ者なり。「周禮〔(しうらい)〕」に原蠺を禁ず。注に云はく、蠺、火に生じて秋に藏〔(か)〕くる。馬と氣を同じうす。物、能く兩〔(ふたつ)〕ながら大なること、莫し。原蠺を禁ずるは、其の馬を害するが爲なり。白殭蠶を末と爲し、馬の齒に塗れば、即ち、草を食ふこと能はず。桑の葉を以て拭〔ひ〕去れば、乃ち、還へりて食ふ。蓋し、馬と龍と、氣を同じうする故に、龍馬〔(りゆうめ)〕有り、而〔して〕又、蠶、馬と氣を同じうする故に、蠶に龍頭・馬頭の者、有り。北人は馬を重ずる故に、原蠺を禁ず。南方には、馬、無し。則ち、一歳〔に〕、再び或いは三たび、及び、七出・八出に至る者、有り。然れども、先王、仁愛、物に及び、蓋し、其の一歳〔に〕、再び湯鑊〔(ゆがま)を〕致さすに忍(しの)びず、且つ、農事を妨ぐ。亦、獨り、專ら馬に害を爲し、桑を殘(そこな)ふのみならず〔と〕。

「三才圖會」に云はく、蠺の神を天駟と名づく。淮南王の「蠶經」に云はく、黃帝の元妃西陵氏、始めて蠶す〔と〕。漢に至り、宛窳〔(ゑんゆ)〕婦人・寓氏公主を祀(まつ)る。蜀に蠶女馬頭娘、有り。此れ、歷代の祭る所、同じからず【「馬頭娘」の名、有るを以て、馬の皮、女を卷〔きて〕桑に入りて蠶に化〔すと〕の説、此れ、附會〔せる〕のみ。】。

「日本紀」の云はく、保食神〔(うけもちのかみ)〕死(みまか)りては、口の裏〔(うち)〕に蠶を含む。便〔(すなは)〕ち、絲を抽〔(ぬ)く〕ことを得〔と。〕雄畧天皇六年に至りて、后妃らをして親(みづか)ら桑を以て蠶事を勸めんと欲し、爰に蜾蠃〔(すがる)〕【人の名。】に命じて國内の蠶を聚〔(あつ)め〕しめ玉ふ〔と〕。

     するがなる富士のくはこの新〔(にひ)〕わたは高根の雪の色に似るらん爲家

按ずるに、今、養蠺の地、多し【但し、畿内には多く草綿を作る。蠺は養はず。】其の綿、加賀・越前を最上と爲し、但馬・丹後、之れに次ぐ。共に潔白にして婦人の帽子(ぼうし)と爲すに佳なり。近江・飛驒、潔白ならずと雖も、性〔(しやう)〕、強き故に衣服と爲すに堪へたり。讃岐・丹波・伊勢・上野、又、之れに次ぐ。其の他、悉く記すに遑(いとま)あらず。

養蠺の法 毎仲夏、繭(まゆ)を取りて之れを收む。半月にして繭の中の蛹、蛾に化して出づ。蛾を紙に放つ。則ち、卵を紙に遺して、蛾、死す。紙を取りて櫃〔(ひつ)〕に收む。翌年三月、桑の芽(め)生ずる比〔(ころ)〕に至りて、藏〔(おさ)〕むる所の紙を出せば、則ち、卵、孚(かへ)りて「1(びやう)」と成る[やぶちゃん字注:「1」=「虫」+「少」。]。畧〔(ほぼ)〕小さき蟻(あり)に似て微黑色。半月を歷〔(へ)〕て、則ち、白色の黒點有る者に變ず。初生の者には桑の嫩葉〔(わかば)〕を用ひ、細〔かに〕剉〔(きざ)〕みて、之れを養ふ。稍(やゝ)長ずる者には桑の葉を用ひて、拭〔ひて〕乾〔かして〕剉まずして、之れを養ふ。將に衣(きぬ)を脱〔が〕んとする時、葉を食はざること、半日許り、煩〔(わず)〕らふ狀に似たり。既に皮を脱して「蛻〔(だつ)〕」と成る。五月の初め、將に繭を作らんとする時、葭簾(よしず)を用ひて棚と爲し、之れを放ち、桑を食はず、身、白色に透明(すきとを)る者を擇〔び〕取〔つ〕て、以て櫃の中に投ず。先づ、2(むぎわら)或いは枯菁草(なたねがら)を用ひ、縦(たてざま)に内(い)れて蠶の寓居と爲す[やぶちゃん字注:「2」=「絹」-「糸」+(へん)「禾」。]。數千の蠶、各々繭を作り、蟄(すごも)る【能く繭を作らず自死せる者有り。即ち、是れ、「白殭蠶」なり。】。其の繭を採りて、晒〔し〕乾すこと、二日、則ち蠶、死す【種〔(たね)〕と爲〔(せ)〕んと欲する者〔は〕、晒さずして別に之れを收む。】。沸湯の鍋の中に投じて之れを煑る【二百或いは三百なり。數、少き〔時〕は、則ち、絲、細〔し〕。】煑(に)ゑ起(た)つを待ちて筯(はし)を用ひ、緒(いとぐち)を纏め、繰り取る。之れ、藁(わら)の灰汁〔(あく)〕を用〔ひて〕煉〔(ね)〕と時は、則ち、絲と爲る。

綿に爲さんと欲する者は、藁の灰汁(あく)用いて繭を煑て、水中に投じて、板の上に擴(ひきひろ)げ〔なば〕、則ち、綿と爲る。如〔(も)〕し、一繭〔(けん)〕二蛹の者は、綿に成らず。

蠶、能く跋行(はひある)けども、而も、席〔(むしろ)〕の外に出でざるも亦た、一異なり。其の席、宜しく清浄なることを要すべし。但し、臭穢〔(しうゑ)〕の氣・腦麝〔(なうじや)〕の香〔(か)〕・煙草〔(たばこ)〕の烟〔けぶり〕、共〔(とも)〕に之れを忌む。最も鼠を畏るべし。

蠺、如〔(も)〕し、人を咬(か)みて毒、内に入〔る時は〕、苧麻〔(ちよま)の〕汁を取りて之れを飮めば、即ち、解す。凡そ麻子〔(あさのみ)〕を以て蠺種〔(かひこだね)〕に近くる時は、則ち、蠺、生ぜず【「本草」「苧麻」の下を見よ。】

春蠶(はるご)・夏蠶(なつご)は異種なり。夏蠶は、形、大にして、繭も亦、大なり。六月に繭を作れども、極暑、養〔ふに〕易からず。又、絲と爲るに堪へず、惟だ、綿を取るべし。所謂〔(いはゆ)〕る、「原蠶」、是れなり。蓋し、南方には再三、或いは七出・八出の蠶、有りと云うは、未審(いぶか)し。

 

[やぶちゃん注:文中、「蠶」と「蠺」の字体が混淆しているのはママである。

・「原蠶」ルビで「なつご」とあり、以前にも述べ、ここでも最後に示されるように、四月に蛹化したものを春蚕(はるご)というのに対して、夏に蛹化するものをかく言う。書かれてある通り、絹は質量ともに春蚕に有意に劣る。

・「周禮」「しゆらい(しゅらい)」とも読む。「儀礼(ぎらい)」「礼記(らいき)」と共に「三礼(さんらい)」と呼称され、儒教で重んじられる経書(けいしょ)群である「十三経」の一つ。周公旦が書き残したものとされるものの、実際には後の戦国時代以降になって周王朝の理想的制度を仮想して書かれたものとされる。礼(れい)に関する書物の中では最も需要なものとされた。

・「火」五行のエレメント(木・火・土・金(ごん)・水)としてのそれ。夏は「火」、秋は「金」に当たる。

・「物、能く兩〔(ふたつ)〕ながら大なること、莫し」陰陽五行説に立つと――現象世界にあっては同一のエレメントを出自とする二つの存在が同時に強く活性化することは、ない――と謂いであろう。

・「末」粉末。

・「還へりて」元通りに元気になって。

・「龍馬〔(りゆうめ)〕」一般名詞としては、非常にすぐれた馬・駿馬として現在に残る語であるが、恐らく元は龍と相同のパワーを持った超自然的な怪馬・神馬といったニュアンスであったに違いない。ここでもそういう意味が隠れているように私には思われる。

・「蠶に龍頭・馬頭の者、有り」終齢期近くで大きく成長した蚕の幼虫(実は最後には少しだけ縮む)は外見が馬に似ていると私は思う(頭部を挙げている蚕はそこにある眼状斑紋が馬の眼に見え、馬が頭を上げたその部分的な姿によ相似するからである)。まさにこれは類感呪術的な連想で、遠野の「おしらさま」が蚕神であると同時に馬であるのもこれと関係するものと私は思う(実際にそういう説もある)。

・「北人は馬を重ずる」うへぇ! 南船北馬!

・「一歳」一年。

・「七出・八出」七度或いは八度も蛹化する蚕種。実際に養蚕では一化蚕・二化蚕・多化蚕に分けられ、以前に注したように本邦でも春蚕・夏蚕に初秋蚕・晩秋蚕の四化蚕が現実にいる以上(実際に現在、それを飼育している例がある。こちら(前橋の例)の記事を参照されたい)、中国産や欧州産のカイコの中にそうしたものがいたとしても不思議ではない。

・「湯鑊(ゆがま)」東洋文庫版現代語訳のルビを援用させて戴いた。音なら「タウカク(トウカク)」で「鑊」は大きな釜を指す。

・「淮南王」前漢時代の皇族劉安(紀元前一七九年~紀元前一二二年)。漢の高祖(劉邦)の七男淮南(わいなん)王劉長の子。武帝の匈奴討伐に反対、謀反を計画したが密告によって未然に露顕し、自害した。道家思想の強い「淮南子(えなんじ)」(書名では何故かかく読むが、おそらくは「荘子(そうじ)」と同じく、意味はないと私は思う)として知られる。

・「蠶經」恐らくは原典は既に亡失しているものと思われる。以下は、後のこの明の王圻の「三才図会」のように、それ以降の本草書に孫引きされて生き残った断片であろう。

・「黃帝」中国神話の三皇五帝の一人。姓は公孫、名は軒轅(けんえん)、中国古代の諸王朝や諸侯などの諸姓は、その総てが黄帝を濫觴とするとされ、最高の帝王として尊ばれ、後に多くの超自然的な説話が創られた。

・「元妃西陵氏、始めて蠶す」人類で初めて蚕を飼育し、初めて絹糸を紡いだ、といシルク発祥神話である。「元妃」というのは何だか妙だが、これは一部の資料では妃ではなく、「皇女」(黄帝の娘)ともする。まあ、どっちでもよろしい。

・「宛窳〔(ゑんゆ)〕婦人・寓氏公主」孰れもやはり中国神話上の女性で、蚕の神様に祀られたというのである。公主は狭義には皇帝の娘のことであるから、釣り合いから言って前の人物も皇女という設定であろう。

・「蜀に蠶女馬頭娘、有り」うーん! おしらさま、だ!

・『「馬頭娘」の名、有るを以て、馬の皮、女を卷きて桑に入りて蠶に化すとの説、此れ、附會せるのみ』良安、俺の「おしらさま」説に水を注すようで、はなはだ、気に入らねえぞ! ウィキの「蚕馬」(さんば)から引いておく(下線やぶちゃん)。中国の伝説の一つで、『馬の皮と融合した少女が蚕に変身してこの世に絹をもたらしたとされる伝説。蚕女(さんじょ)・馬頭娘(ばとうじょう)の別名があり、日本の「おしらさま」伝説のモデルになったともされる』(ヤッタね!)。『中国では古くから絹や蚕にまつわる伝説や説話が存在していた。戦国時代に荀況が記した『荀子』(賦篇)には、蚕の身体は柔軟で頭は馬に似ていると記されている。前漢の書物である『山海経』(海外北経)には、欧糸の野(おうしのの)という土地があり、そこでは少女が跪き木につかまって糸を欧(吐)いていると記されている。更に古くから絹の産地として知られていた蜀(現在の四川省)では、古代の(古)蜀の王である蚕叢が蚕の飼い方を人々に教えたとする伝説など様々な伝説があったとされている。こうした伝説・説話が結びついた事で誕生したのが「蚕馬(蚕女・馬頭娘)」の伝説であったと考えられている』。『蚕馬のもっとも古い形態であるとされるのは、東晋の干宝が記した』「捜神記」(巻十四)の「女、蚕と化す」で(私の偏愛する書である)、『昔、ある家の父親が戦争に駆り出され、家には娘と雄馬だけが残された。娘は父親恋しさの余り、雄馬に冗談半分で「もし、御父様を連れて帰ってきてくれたら、あなたのお嫁さんになるわ」と言ったところ、雄馬はすぐさま父親を連れて家に戻ってきた。ところが、娘を目にした時の雄馬の様子がおかしいので父親が娘に事情を問いただすと、娘が一部始終を打ち明けた。これを知った父親は激怒して弩で雄馬を射殺して皮を剥いで晒しものにした。その後、娘が雄馬の皮の側で戯れていると、馬の皮が不意に飛び上がって娘に巻き付いて家から飛び出していった。数日後、娘が発見された時には娘は馬の皮と一つになって大木の枝の間で蚕に変身して糸を吐いていた。そのため、大木は「喪」と同音(ソウ)である「桑」と名付けられたと言う』。北宋の李昉が勅命によって編纂した「太平広記」(巻四百七十九)が引く「原化伝拾遺」には、『高辛王の時代、蜀の地には君王がおらず、一族がまとまって暮らして他の一族と争っていた。ある娘の父親もその戦いで敵の捕虜となって一年以上経過し、娘は父親の事を考えると居た堪れなくなった。娘の母親は一族の男達に対して、「もし、夫を助けだしくれたら、その者に娘を嫁がせる」と述べた。だが、それに応える者はいなかった。ところが、その話を聞いていた父親の乗馬が手綱を振りほどいて家を飛び出すと、数日後に父親を連れて戻ってきた。母親は驚いて約束の件を父親に打ち明けると、父親は「どうして人間を獣類に嫁がせる事が出来よう」と述べたが、それを聞いた馬が暴れ出したため、父親は激怒して弓で馬を射殺して皮を剥いで晒しものにした。その数日後、娘が馬の皮の側を通った時、馬の皮が不意に飛び上がって娘に巻き付いて家から飛び出していった』。十日後に『皮は娘ごと桑の木に落ち付いて娘の姿は蚕に変化して糸を吐いてこの世に絹をもたらした。これによって娘は蚕女と呼ばれるようになるが、両親はとても悲しんだ。ところが、突然天から娘が例の馬を御しながら降臨を果たし、太上が自分を仙嬪』(せんぴん:天上の仙界の女官)『にして天上で長生させてくれることになったことを伝えて両親を慰めたと言う』。この「太平広記」の引用した「原化伝拾遺」にはまだ続きがあり、『蚕女の遺跡は広漢に存在し、什邡・綿竹・徳陽の人々が毎年宮観にある少女の塑像に馬の皮を着せて「馬頭娘」と呼び、桑や蚕を供えて祈る儀式があったと』する。なお、『徳陽には蚕女の廟や墓が伝わったとされているが、清の時代に洪水の影響で荒廃したと』一八七四年編纂の「徳陽県志」に伝える、ともある。

・「日本紀」「日本書紀」。

・「保食神〔(うけもちのかみ)〕」ウィキの「保食神」より引く。本神は「古事記」には登場せず、「日本書紀の『神産みの段の第十一の一書にのみ登場する。一般には女神と考えられている』。『天照大神は月夜見尊に、葦原中国にいる保食神という神を見てくるよう命じた。月夜見尊が保食神の所へ行くと、保食神は、陸を向いて口から米飯を吐き出し、海を向いて口から魚を吐き出し、山を向いて口から獣を吐き出し、それらで月夜見尊をもてなした。月夜見尊は「吐き出したものを食べさせるとは汚らわしい」と怒り、保食神を斬ってしまった。それを聞いた天照大神は怒り、もう月夜見尊とは会いたくないと言った。それで太陽と月は昼と夜とに別れて出るようになったのである』。『天照大神が保食神の所に天熊人(アメノクマヒト)を遣すと、保食神は死んでいた。保食神の屍体の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれた。天熊人がこれらを全て持ち帰ると、天照大神は喜び、民が生きてゆくために必要な食物だとしてこれらを田畑の種とした』。『この説話は食物起源神話であり、東南アジアを中心に世界各地に見られるハイヌウェレ神話型の説話であ』って(ハイヌウェレ神話とは世界各地に見られる殺された神の死体から作物が生まれたとする、食物起源神話の型の一つ。名称はドイツの民俗学者アードルフ・イェンゼンがこの典型例としたインドネシア・セラム島のヴェマーレ族の神話に登場する女神の名から命名したもの。ここはウィキの「ハイヌウェレ型神話」に拠った)、「古事記」では、『同様の説話がスサノオとオオゲツヒメ』(大気都比売神)『の話となっている。よって、保食神はオオゲツヒメと同一神とされることもある。また、同じ食物神である宇迦之御魂神とも同一視され、宇迦之御魂神に代わって稲荷神社に祀られていることもある』。『神名のウケは豊受大神の「ウケ」、宇迦之御魂神の「ウカ」と同源で、食物の意味である』。『食物神というだけでなく、「頭から牛馬が生まれた」ということから牛や馬の神ともされる。東日本に多い駒形神社では、馬の神として保食神が祀られており、さらに「頭から馬」ということで馬頭観音とも同一視されている』(下線はやぶちゃん)。

・「口の裏〔(うち)〕に蠶を含む」「古事記」の大気都比売神の場合は頭から蚕が生まれている。口というのはもしかすると、良安が繭から糸を採る際に女工が口にそれを含み銜えるさまから、かく誤って記述したものではあるまいか?

・「雄畧天皇六年」機械的に置き換えると西暦四六二年。

・「蜾蠃〔(すがる)〕」少子部蜾蠃(ちいさこべのすがる)。「日本書紀」にみえる豪族の名で雄略帝が皇后に養蚕を勧めるため、蚕(こ)を集めてくるように、帝から命ぜられたが、誤って児(こ:乳児)を集めて献上してしまった(まるで狂言「鐘の音」そのもの)ことから、その子らの養育を命ぜられて、この氏姓を与えられたという(講談社「日本人名大辞典」に拠る)。

・「するがなる富士のくはこの新わたは高根の雪の色に似るらん」「爲家」「新撰六帖題和歌集」(平安時代に編纂された私撰和歌集「古今和歌六帖」に倣った類題和歌集。藤原家良(いえよし)・為家・知家・信実・光俊の五名が詠んだ和歌二千六百三十五首を収録。この歌もそうだが、奇矯・特異な歌風を特徴とする)に載る、藤原定家の息子の前大納言藤原為家の和歌。但し、結句が誤っている。正しくは、以下。

 駿河なる富士のくはこのにひわたは高ねの雪の色に似るらし

――駿河(するが:ここに出すということは「すがる」を駄洒落ていると良安は面白がって考えているのであろう。多分、そうではないが)の国の富士の辺りの桑子(カイコ)の吐いた、その新しい綿(絹)は、きっと富士の高嶺の雪に似て、実に実に真っ白なであるに違いあるまい――

洒落がなければ(だったら、いっそ「すがるなる」としちまえばよいのにと思うぐらい)、実に実に、つまらん歌である。

・「草綿」アオイ目アオイ科ワタ属 Gossypium の種子の周囲から採取される植物繊維。

・「婦人の帽子」婚礼用の綿帽子のことか。本来は真綿を薄く引き伸ばし広げてふのりで固めて丸形や船形にした被り物であったが、後に練絹という精練した絹で作られた「練帽子(ねりぼうし)」が登場した。それを指すようだ。良安の女性への感覚の深層が垣間見られるような気がする一コマではないか。

・「仲夏」夏半ばの一ヶ月。陰暦五月。

・「紙」前に出て注した「蠶紙」(さんし)のこと。

・「1(びやう)」(「1」=「虫」+「少」)前の「蠶」に既出。以下の「蛻〔(だつ)〕」なども同じステージの名。以下のこうした中は略す。

・「小さき蟻(あり)に似て微黑色」ウィキの「カイコ」に、孵化したての一齢幼虫は、『黒色で疎らな毛に覆われるため「毛蚕」(けご)と呼ばれ、また、アリのようであるため「蟻蚕」(ぎさん)とも呼ばれる。桑の葉を食べて成長し、十数時間程度の「眠」(脱皮の準備期間にあたる活動停止期)を経て脱皮する』とある。

・「拭〔ひて〕乾〔かして〕」蚕は湿気を嫌うことは先に出た。

・「煩〔(わず)〕らふ狀に似たり」病んで食欲を失ったかのように一見、見える。

・「能く繭を作らず自死せる者有り。即ち、是れ、「白殭蠶」なり」前項「白殭蠶」の私の詳注を参照されたい。

・「種〔(たね)〕と爲〔(せ)〕んと欲する」これは次の種蚕(たねご)、解説の流れから言えば、翌年の「春蚕(はるご)」の卵ということになる。

・「筯(はし)」箸。

・「灰汁〔(あく)〕」植物を焼いた灰を水に浸した際に得られる上澄み。かなり強い塩基(アルカリ)性を示し(地上性植物由来では主として炭酸カリウム、海産植物類由来では炭酸ナトリウムが含まれる)、洗浄作用があって、よく汚れを落とすことから、古くから洗剤・漂白剤、また染色などの作業で広く用いられた。

・「一繭〔(けん)〕二蛹」これは「玉繭(たままゆ)」(double cocoon)という現象で、言わずもがな乍ら、一卵性双生児なのではなく、二頭(或いはそれ以上)の熟蚕が作ってしまう一個の繭のこと。二頭の熟蚕の吐糸が不規則に重なり合っているため、繰糸が困難であ選除繭(除去される繭)とされている。発生する割合は品種や蔟(まぶし)の種類によって異なるが、上蔟(じょうぞく)の際に熟蚕を一つの蔟に多く入れ過ぎたり、過熟蚕を上蔟する場合にも多くなる。「同功繭」とも称する(以上は「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。

・「跋行(はひある)けども」這い歩くけれども。

・「席〔(むしろ)〕」養蚕用の蓆(むしろ)。「席」の原義は草や竹などで編んだ「蓆」の謂いである。

・「一異なり」一つの不思議である。

・「臭穢〔(しうゑ)〕の氣」汚物の臭気。

・「腦麝〔(なうじや)〕の香〔(か)〕」

・「煙草〔(たばこ)〕の烟〔けぶり〕」カイコのニコチン中毒症は既に以前の注で述べた。

・「鼠」無論、摂餌されてしまうからである。

・「蠺、如〔(も)〕し、人を咬(か)みて、毒、内に入〔る時は〕」研究者の記載ではカイコは人を嚙まないとある。この場合は、カイコに常時触れていることによる何らかのアレルギー症状と読むべきか。

・「苧麻」現代仮名遣では「ちょま」。イラクサ目イラクサ科カラムシ属ナンバンカラムシ変種カラムシ(苧)Boehmeria nivea var. nipononivea のこと。しつこい雑草として嫌われるが、茎の皮からは衣類・紙・漁網にまで利用できる丈夫な靭皮繊維が取れることから、古くから利用されてきた身近な植物であった。「紵(お)」「苧(ちょ)」「青苧(あおそ)」「山紵(やまお)」「真麻(まお)」など、異名が多い(以上はウィキの「カラムシ」に拠った)。

・「麻子〔(あさのみ)〕」ここにあるのは不審である。何故なら、「麻」はバラ目アサ科アサ属 Cannabis であって、前の「苧麻」(カラムシ)は「麻」という字を含むものの、アサとは縁が遠いからである。但し、麻の実には多様な脂肪酸が含まれているから、それをカイコの卵のそばに置いておくと孵化を阻害する可能性はありそうではある。

・『「本草」「苧麻」の下を見よ』。「本草綱目」の「草之四」の「苧麻」の項の「發明」に、

   *

藏器曰、苧性破血、將苧麻與産婦枕之、止血暈。産後腹痛、以苧安腹上即止也。又蠶咬人毒入肉、取苧汁飮之。今人以苧近蠶種、則蠶不生是矣

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と、確かにある。]

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