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2016/05/01

忘れがたみ 原民喜 (恣意的正字化版) 附やぶちゃん注 「手帳」

   手帳

 

 枕頭においてゐた小さな手帳には遺言狀をしたためてゐた。その手帳の第一頁に、

 蓋(そは)もし衣にだにも捫(さは)ら

 ば愈(いえ)んと意(おも)へばなりイ

 エスふりかへり婦(をんな)を見て曰け

 るは女(むすめ)よ心安かれ爾の信仰な

 んぢを愈せり即ち婦この時より愈(いゆ)

と鉛筆で書いてあり「昭和十九年三月二十九日午後八時四十分」とある。私は妻が入院中糖尿の食餌療法のために誌してゐた、もう一つの手帳で、三月二十九日はどんな日だつたか調べてみた。すると、三度の食事を記入した欄外に「夜法話を聞き眠れなく氣分惡し、ホテリ」とある。ホテリといふのは頰が火照つて苦しいことである。

「蓋もし衣にだにも……」といふ一節はマタイ傳の中に見つかつた。が「十二年血漏を患へる婦うしろに來て其衣の裾に捫れり」といふ句に續くものであつた。

 十二年血漏を患へる婦――それを凝と睡れないで考へ詰めてゐた顏が、私には何だか怕しい。三月二十九日午後八時四十分、その時から妻も心安らかであつたのだらうか。

 

[やぶちゃん注:引用部は表記通り、全体が一字下げである。ブログでの表示の不具合を考えて、一行字数をわざと減じてある。

 この記載によって、彼女の入院が同年年初辺りであったこと、その後何時かは不明ながら、晩春か初夏には自宅での療養に切り替えたものと推定される。これは何度も引くが、底本年譜の昭和一九(一九四四)年の条の最初に、『三月、船橋中学退職。四月、一月より同居中の義弟、佐々木基一氏が、治安維持法違反の容疑で警視庁に検挙され、そのため妻貞恵の病状が悪化する』とあるから、入院の直後に弟の検挙があったものと思われる。或いは、これは「三月二十九日」であるから、そうした弟の検挙が近いかもしれないという不安が既に貞恵を襲っていた可能性も十分にあるように思われるのである。

 ここに貞恵が引いているのは新約聖書の「マタイによる福音書」の第九章第二十節から第二十二節の部分である。

 まず、私の持つ岩波文庫刊塚本虎二訳「新約聖書 福音書」から前後の部分(第九章も含めて引く(ルビは一部を省略し、各節の数字と空隙は詰めた。下線は私が引いた貞恵が引いた部分に相当する箇所である)。断食をしないイエスの弟子を洗礼者ヨハネの弟子が旧態然の戒律に基づいて批判し、それにイエスが敢然と「新しい葡萄酒は新しい皮袋に入れるべきである」という喩えで反論する(以下の冒頭の「こう話しておられると」はそこを受ける)、かなり知られたシークエンスの直後である。

   《引用開始》

 こう話しておられると、そこに一人の礼拝堂の役人が進み出て、しきりに願って言った、「わたしの娘がたった今死にました。それでも、どうか行って、手をのせてやってください。そうすれば生き返りますから。」イエスは立ち上って彼について行かれた、弟子たちも一しょに。するとそこに、十二年間も長血(ながち)にかかっていた女が近寄ってきて、後(うしろ)からイエスの上着(うわぎ)の裾(すそ)にさわった。「お召物(めしもの)にさわるだけでも、なおるにちがいない」と、ひそかに思ったのである。イエスは振り向いて、女を見ながら言われた、「娘よ、安心しなさい、あなたの信仰がなおした。」するとちょうどその時から、女はなおった。やがてイエスは役人の家に着いて、笛吹き男と騒いでいる群衆とを見ると、言われた。「あちらに行っておれ。少女は死んだのではない、眠っているのだから。」人々はイエスをあざ笑っていた。群衆が外に出されると、イエスは部屋に入っていって少女の手をお取りになった。すると少女は起き上がった。この評判がその土地全体に広まった。

   《引用終了》

次に、ウィキソースの「マタイ伝福音書」の「第九章(文語訳)」から貞恵が引いたのと同じ箇所を前の部分を含めて引く(節番号を除去し、総て繋げた)。

   *

視(み)よ、十二年(じふにねん)血漏(ちらう)を患(わづら)ひゐたる女(をんな)、イエスの後(うしろ)にきたりて、御衣(みころも)の總(ふさ)にさはる。それは、御衣(みころも)にだに觸(さは)らば救(すく)はれんと心(こころ)の中(うち)にいへるなり。イエスふりかへり、女(をんな)を見(み)て言(い)ひたまふ『娘(むすめ)よ、心安(こころやす)かれ、汝(なんぢ)の信仰(しんかう)なんぢを救(すく)へり』女(をんな)この時(とき)より救(すく)はれたり。

   *

この文語訳は貞恵のものとは異なる。そこで調べてみると、どうも上記のものは聖書文語訳でも「大正訳」と呼ばれるものであり、貞恵のものはそれ以前の「明治訳」と呼ばれるものであることが判った。文字列で検索したところ、文語明治訳の「馬太傳福音書」を電子化ものを発見したので当該箇所引く。句読点がないので、節(番号は省略)の間だけは一字空けを施した。

   *

十二年血漏を患へる婦うしろに來て其衣の裾に捫れり 蓋もし衣だにも捫らば愈んと意へばなり イエスふりかへり婦を見て曰けるは女よ心安かれ爾の信仰なんぢを愈せり即ち婦この時より愈

   *

まさに、これである。なお、「蓋(そは)」は通常、漢文で「けだし」と読み、「思うに」の謂いである。「捫(さは)らば」の「捫る」は「触る」であるが、この字は漢語としては「撫(な)でる」「探(さぐ)る」「捻(ひね)る」の意で、古語としては「捫(もじ)ふ」(もじう)で「捩じ(ね)る・捩(よじ)る」の意のハ行下二段活用動詞である。

 さて「血漏」(「ちらう(ちろう)」とは変な読みで「けつらう(けつろう)」であろうとは思う。塚本訳では『長血』)であるが、これは重い月経異常或いは激しい出血が続いて止まらない何らかの女性生殖器の重篤な疾患のようにも思われる。貞恵の場合、罹患していたのは結核とⅠ型糖尿病と思われるが、月経異常は女性の糖尿病患者の症状として挙げられるものではある。そうした実際を考えずとも、血糖値が異常に上がってしまう病いとは、見かけ上では素人ならば「血」の病いと認識するであろう(言っておくが、私はⅡ型の糖尿病で、三年前から血糖値上昇をコントロールするジャヌビアという薬物を一日一回服用し、取り敢えずはHbA1cで許容上限値ギリギリを守ってはいる)。

「怕しい」「おそろしい」。「怕」は民喜の好んだ字で、「こはい(こわい)」の訓でしばしば用いられる。

「法話」は通常は仏教の「説教」であるが、仏教が本来の義とする「説教」という語はキリスト教の「説教」と同義であるから、ここはキリスト教の「説教」を聴いたものと考えてよかろう。敢えて複雑に坊主の「法話」を聴いて気が滅入って「氣分」が「惡」くなったから、そこで新約聖書を開いて(或いは思い出して)「マタイ伝」の一節を綴ったなどとうがって考えるには及ぶまい。]

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