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2016/05/02

忘れがたみ 原民喜 (恣意的正字化版) 附やぶちゃん注 「讀書」

   讀書

 

 妻はあまり讀書家ではなかつた。範圍も狹く、好みも偏つてゐたし、それに病氣してからは餘程氣分がいい時でないと讀書しなかつた。

「ドルヂエル伯の舞踏會」を讀んで興奮して熱を出したことがある。チェーホフや、モーパツサンの短篇を好み、シエークスピヤの豐饒さに驚き、健康になつたらこれはみんな讀んでみたいと云つてゐた。どうも、讀んだ後で鬱屈した氣分を解放してくれるものを好んだやうだ。

 鏡花の「高野聖」の頓智や芥川の「河童」の機智を愛し、里見弴の彈むやうな文體に惹かれ、十和田操を期待してゐた。それから、堀辰雄のものも讀んでゐた。

 惟ふに、機智や諧謔の表面的な面白さより、それを創り出す人間性の逞しさに憧れてゐたのかもしれない。私はいつかはセルバンテスを讀ませたかつた。

 死ぬる半年程前のこと、妻はプーシキンの「ベールギン物語」を讀んでひどく喜んだ。いかにもプーシキンの短篇は病人に讀ませていい書だ。私は病人に向く小説といふものを考えてみたし、そんなものを書いてみたかつた。

 

[やぶちゃん注:私は私のよく知り、好むところの作家(里見弴は好まないが比較的よく知ってはいる)や文芸作品については原則、注をしない(ここでは「ベールギン物語」の注は例外的。私自身が遠い昔に読んでいるものの、内容を忘れているからである)。悪しからず。

「ドルヂエル伯の舞踏會」デビュー第一作「肉体の悪魔」(Le Diable au corps)で知られる夭折(死因は腸チフスとされる)のフランスの作家レイモン・ラディゲ(Raymond Radiguet 一九〇三年~一九二三年)の二番目の小説にして遺作となってしまった長編小説「ドルジェル伯の舞踏会」(Le Bal du comte d'Orgel)。ウィキの「ドルジェル伯の舞踏会によれば、『頽廃的な社交界を舞台に、貞淑な人妻の伯爵夫人が夫への貞潔と、青年への情熱との板ばさみに苦悩する三角関係の恋愛心理の物語』。『フランス伝統の心理小説に連なる傑作とされ』る。『ある日知り合った青年へ恋心を抱き、その燃え上がる情熱を自制しようと苦悩する貞淑な夫人の感情の動きと、仮装の社交界で孤独を感じる青年の一途な慕情との絡み合いを中心に、人工的感情の仮面をつけた様々な人物がそれと意識せずに弄する心の軌跡を、盤上のチェス駒を動かすかのような端麗なる筆致と硬質な文体で細密画のように美しく描いている』。「心理がロマネスクであるところの小説」、「もっとも純潔でない小説と同じくらいにみだらな貞潔な恋愛小説」(レイモン・ラディゲ「ノオト」(生島遼一訳)(引用元は一九七〇年(改版)新潮文庫刊「ドルジェル伯の舞踏会」)を『企図した作品で』、『簡素な三角関係の筋立てながらも格調高く、夫人の秘めやかで熾烈な恋を通じて、結末で古典劇のヒロインのような壮大な姿に化身する小説的美学が示されている』とある。私は大学時分に「肉体の悪魔」とともに読んだが、正直、退屈であった。

「十和田操」(とわだみさお 明治三三(一九〇〇)年~昭和五三(一九七八)年)は作家。本名は和田豊彦。岐阜県郡上郡生まれで父は逓信官吏であった。大正一三(一九二四)年。明治学院高等学部文藝科卒(在学中に受洗した)。上京して時事新報社に入り、昭和四(一九二九)年に同人誌『葡萄園』に参加、吉行エイスケ・古谷綱武らを知る。昭和一一(一九三六)年に時事通信社が解散、翌年、朝日新聞社に入社した。昭和一四(一九三九)年には「屋根裏出身」で芥川賞候補となっている(貞恵発病の年である)。兵役で満洲・フランス領インドシナに転戦した。戦後も朝日新聞に勤める傍ら、創作を行った(以上はウィキの「十和田操」に拠った)。民喜より五歳年上であった。広島市立中央図書館の原民喜関連資料詳細目録(PDF:貞恵の弟で文芸評論家であった佐々木基一夫人永井いく氏から広島市が寄贈を受けたもののリスト)に戦後の十和田からの民喜宛書簡(目録番号七六〇から七六五・一四〇九の計七通)や十和田の名刺などが残されていることから、その簡単な注記内容から見ると、民喜から『三田文学』に載せる原稿依頼などがあったこと、十和田が「夏の花」の感想などを綴っているらしいことが判る。七六〇番書簡(封書)は昭和二二(一九四七)年五月三十日附で(この前年の三月号に本「忘れがたみ」は掲載されているから、十和田はそこに自分の名が記されていること、民喜の妻貞恵が彼を高く評価していた事実を知っていた可能性が高い)、その注記には『おなつかしく存じました。』『奥様のご冥福をお祈りしてやみません。』とあり、原稿依頼のお礼が朝日新聞東京本社用箋に記されていることが判る。この『おなつかしく存じました』という言葉からは寧ろ、戦前からの民喜との接触を感じさせるものであり、名刺には裏に手書きの地図が記入されている。直接の面識もあったものと考えてよい。私は彼の小説を一作も読んだことがない。

「ベールギン物語」ロシアの詩人で作家のアレクサンドル・セルゲーヴィチ・プーシキン(Александр Сергеевич Пушкин 一七九九年~一八三七年)の書いたロシア近代文学に於ける散文小説の濫觴とされる一八三一年刊の短編小説集(前年の秋、プーシキン三十歳の時の執筆)。現行では一般には「ベルーキン物語」(Повести Белкина)と表記する。「その一発」「吹雪」「葬儀屋」「駅長」「贋百姓娘」(私の所持する一九六七年岩波文庫刊神西清訳「スペードの女王・ベールキン物語」の邦題)の五篇から成る。冒頭の「その一発」「駅長」は悲劇と哀話であるが、残る三つはどちらかと言えば、『明るい諧謔の調べ』(前記神西氏訳本の解説)を有するものである。]

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