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2016/05/14

ジョナサン・スイフト原作 原民喜譯 「ガリヴァー旅行記」(やぶちゃん自筆原稿復元版) 小人國(4) 四章 宮殿見物

 

四章 大てがら 宮殿見物

 

 鎖を解かれると〔たので、〕私はまづ第一まづ、〕〔この國の〕首府ミレンドウを見物させて頂けないでせうか〔、〕と〔皇帝に〕お願ひしました。皇帝はすぐ承知されましたが、。ただ〔、〕住民や家屋を傷つけないようにせよ〔、〕特に〕注意れました。〔せよ、と云はれました。〕ました。私が首都を訪問するといふことは〔、〕前もつて〔、〕市民に知らされてゐました。街を圍んでゐる城壁は〔、〕高さ二呎半、幅は少くとも十一吋ありますから、その上を馬車で走つても〔安〕全です。さ〔そ〕して城壁は〔城壁には〕十呎おきに〔、〕丈夫堅固丈夫〕な塔が築かれてゐます。

[やぶちゃん注:「特に〕注意れました。〔せよ、と云はれました。〕ました。」の併存はママ。現行版では以下の通り(下線やぶちゃん)。

   *

 鎖を解かれたので、私は、この国の首府ミレンドウを見物させていたゞけないでしょうか、と皇帝にお願いしました。皇帝はすぐ承知されました。たゞ、住民や家屋を傷つけないよう、注意せよ、とわれました。

 私が首都を訪問することは、前もって、市民に知らされていました。街を囲んでいる城壁は、高さ二フィート半、幅は少くとも十一インチありますから、その上を馬車で走っても安全です。城壁には十フィートおきに、丈夫な塔が築いてあります

   *

二段落に分離されており、以上のように細部の違いがある。

「二呎半」一メートル五十七・五センチメートル。

「十一吋」二十八センチメートル弱。

「十呎」]三メートル五センチ弱。

 私は西の大門を〔、〕一跨ぎで越えると、〔私は〕そ〔ろ〕つと橫向きになつて〔、〕靜かに步きました。〔だしました。〕上衣の〔上衣の〕裾が、〔人〕家の屋根や軒にあたるといけないので、上衣は〔それは〕脱いで、手に持ち〔かかへ〕、チヨツキだけで〔の〕姿に〔一つに〕なつて、步きました〔いて行きます〕。市民は危險だから〔一切〕外に出てゐてはいけないといふ前からきびしいお達し〔は〕ありま〔前から出てゐま〕したが、それでも〔、〕まだ街中をウロウロしてゐる人間も〔が〕少しゐました。〔もいます。〕踏みつぶしでもすると大変ですから〔なので〕、私はとても氣をくばつて步きました。

[やぶちゃん注:現行版とはかなり異なる。整序すると、

【自筆原稿版】

 西の大門を、一跨ぎで越えると、私はそろつと橫向きになつて、靜かに步きだしました。上衣の裾が、人家の屋根や軒にあたるといけないので、それは脱いで、手にかかへ、チヨツキ一つになつて、步いて行きます。市民は危險だから一切外に出てゐてはいけないといふ前からきびしいお達しは前から出てゐましたが、それでも、まだ街中をウロウロしてゐる人間もいます。踏みつぶしでもすると大変なので、私はとても氣をくばつて步きました。

であるが、

【現行版】

 西の大門を、一またぎで越えると、私はそろっと横向きになって、静かに歩きだしました。上衣の裾が、人家の屋根や軒にあたるといけないので、それは脱いで、手にかゝえ、チョッキ一つになって、歩いて行きます。市民は危険だから外に出ていてはいけない、という命令は前から出ていたのですが、それでも、まだ街中をうろうろしている人もいます。踏みつぶしでもすると大へんですから、私はとても気をくばって歩きました。

である(下線やぶちゃん)。]

 屋根の上からもにもからもも〕、屋根〔家家〕の窓からもにもからもも〕、〔大ぜいの〕見物人の顏が一杯は蟻のやうにで一杯での顏がこちらを覗き込んではの顏がこちらを覗き込んででは〔、〕〕ワイワイ云つてゐます。私も隨分あちこちと旅行したことがありますが、〔私は〕これほどは大勢の人間を見たことはなかつたのです。《》[やぶちゃん割注実は以上の神経症的な改稿が実はここで一挙に無化されて、新たに原稿用紙の右罫外に、以下のように全文改稿(但し、不完全で非常に判読しづらい)なされてある「家々」の「々」はママで特異点である。一部、画像が切れている部分があるが、微かな字の断片と原稿から推定した(下線部分)前の部分を無効化しているので(但し、現行には全部を削除するような記号は一切ない)、敢えて太字で示した

 §

屋根の上からも、家々の窓からも、見物人の顏が一杯覘いてゐます。私も隨分あちこちと旅行はしましたがこんなに大勢人のゐるところ大勢〔の〕人〔のゐるところ〕見たのははじめてでした。

 §

 以下、現行版を示す。

 §

屋根の上からも、家々の窓からも、見物人の顔が一ぱいのぞいています。私もずいぶん旅行はしましたが、こんなに大勢、人の集っているところは見たことがありません。

 §

非常によく似ているものの、同一ではない。たった七十七文字(決定稿版)、元の原稿用紙にして四行分しかないこの箇所の産みの苦しみは強烈である。是非、原稿を御覧になられたい(同リンク先で「ブラウザに合わせる」を選択(後から選択すると最初の頁に戻ってしまうため)、原稿用紙の外の右上「40」頁まで「次へ」をクリックされたい)。以下は前の文に続いているので注意されたい(《》で連続箇所を示しておいた)。]《》市街は正方形の形になつてゐて、城壁の四邊はそれぞれ五百呎です。全市を四つに分けてゐる、十文字の大通りの幅は五呎。私は小路や橫町にははいれないので、ただ〔上から〕見て通りすぎましたが、。街の人口は五十萬。〔人〕家は四階建から六階建まであり、商店や市場には、なかなか、いろんな品物がありました〔す〕。

[やぶちゃん注:「五百呎」百五十二メートル四十センチ。

「五呎」一メートル五十二センチ強。]

 皇帝の宮殿は、街の中央の、二つの大通りが交叉するところにあります。高さ二呎の壁で圍まれ、他の建物から、二十呎離(はな)れています。私は皇帝の〔お〕許しを得て、この壁を跨いで越えました。壁と宮殿との間には、廣い場所がありますから〔るので〕、私はそこで、あたりをよく見𢌞すことができました。外苑は方四十呎、その他に〔、〕二つの内苑があります。一番奧の庭に御座所があるのです。

[やぶちゃん注:「二呎」六〇・九六センチメートル。

「二十呎」六メートル強。

「方四十呎」四辺が一二・二メートル弱。]

 私はそ■■へ行つて〕見〔たくてたまら〕なかつたのですが、どうも〔これは〕無理のやうでした。〔す。〕なにぶん、廣場から廣場へ通じる大門といふのが、〔高さは〕たつた十八吋の高さ、幅はわづかに七吋です。それに、外苑の建物といふのはみな高さ五呎以上あ〔り〕るのですが〔で、〕壁は厚さ四吋もあつて〔、〕丈夫な石で出來てはゐますが、それを〔私が〕跨いで 〔え〕行つたら、建物〔が〕壞すことになます。〔れてしまひさう〔なの〕です。〕

[やぶちゃん注:「十八吋」四十五センチメートル七ミリほど。

「七吋」十七センチメートル八ミリほど。

「五呎」1メートル五十二センチメートル強。

「四吋」十センチメートル二ミリ弱。

 ここも試みに整序して比較すると、

【自筆原稿版】

 私はそこへ行つて見たくてたまらなかつたのですが、どうもこれは無理のやうです。なにぶん、廣場から廣場へ通じる大門といふのが、高さはたつた十八吋、幅はわづかに七です。それに、外苑の建物といふのはみな高さ五以上で、壁は厚さ四吋もあつて、丈夫な石で出來てはゐますが、それを私が跨いで行つたら、建物が壞れてしまひさうなのです。

【現行版】

 私はそこへ行ってみたくてたまらなかったのですが、どうもこれは無理でした。なにぶん、広場から広場へ通じる大門というのが、たった十八インチの高さ、幅はわずかに七インチです。それに、外苑の建物というのはみな高さ五フィート以上で、壁は厚さ四インチもあり、丈夫な石で出来ていますが、それを私がまたいで行ったら、建物がこわれてしまいそうなのです。

   *

で、今まで同様、修正を施した箇所が逆に戻っていたりするのが分かる。]

 ところが、皇帝の方では、御殿の美しさを見せてやらうと、頻りに仰せになります。

[やぶちゃん注:ここは現行では改行せず、次に続いている。しかも現行ではわざわざ移動して挿入してある「頻りに」が現行では元の位置に戻され、『ところが、皇帝の方ではしきりに、御殿の美しさを見せてやろう、と仰せになります。』となっている。「頻りに」の位置は、私はこの原稿版の方が日本語として自然であると思う。]

 〔その日は御殿を見るのは、あきらめしたがて、帰りましたが、何とか〕〔ふと〕〔私は踏台を作ることを〔いいことを〕思ひつきました。〕それで私は何とか〔いい〕工夫して〔なければなりませんでした。〕、御殿を拜見しようと思案しました。 私は三日がかりで、踏臺を作りました。〔翌日〕〔私は〕市街から百ヤードばかり隔つた〔離れた〕ところにある林に行つて、一番高さうな木を五六本、小刀で伐倒〔きりたほ〕しました。それで、高さ三呎の踏台を二つ〔、〕作りました。私が乘つても、グラつかないやうな、丈夫な踏台に〔→■〕しました。〔のを作りました。〕

[やぶちゃん注:「百ヤード」九十一・四四メートル。

 ここも実は推敲が錯雑している。原稿自体は最初、マスにきっちりと、

   *

【初筆】

 それで私は何とか工夫して、御殿を拜見しようと思案しました。 私は三日がかりで、踏臺を作りました。市街から百ヤードばかり隔つたところにある林に行つて、一番高さうな木を五六本、小刀で伐倒しました。それで、高さ三呎の踏台を二つ作りました。私が乘つても、グラつかないやうな、丈夫な踏台にしました。

   *

書かれたのであるが、前の部分に、原稿用紙の中央の柱部分を用いて、多量の挿入が行われた上、その後の前半部がかなり大きく書き換えられたである。

   *

【現行整序版】

 その日は御殿を見るのは、あきらめて、帰りましたが、何 ふと私はいいことを思ひつきました。何とかいい工夫して、翌日私は市街から百ヤードばかり離れたところにある林に行つて、一番高さうな木を五六本、小刀できりたほしました。それで、高さ三呎の踏台を二つ、私が乘つても、グラつかないやうなのを作りました。

   *

となったのである(但し、抹消に不完全な箇所がある)。しかし乍ら、これが今は、段落が改変され、

   *

【現行版】

 ところが、皇帝の方ではしきりに、御殿の美しさを見せてやろう、と仰せになります。その日は御殿を見るのは、あきらめて帰りましたが、ふと、私はいゝことを思いつきました。

 翌日、私は市街から百ヤードばかり離れたところの林に行って、一番高そうな木を、五六本、小刀で切り倒しました。それで、高さ三フィートの踏台を二つ、私が乗っても、グラつかないような、丈夫な踏台を作りました。

   *

となっている。くだくだしい説明箇所が思い切ってカットされているのはよいと言える。]

 これが出來上ると、私はまた市街見物を〔皇帝にお〕願 しました。〔すると〕市民〔に〕はまた家〔〕のうちに引込んでゐるやうお達しが出ました〔したす〕。すそこで、私は二つの踏台を抱〔かか〕へて市街を通つて行きました。外苑のほとりに來ると、私は一つの踏台の上に立ち〔あがり、もう一つの踏台は〕手に持ち〔つてゐち〕ました。そして手〔の〕持つてゐる〔の方〕の踏臺を屋根越しに高く持上げ、第一の内苑と第二の内苑の間にある幅八呎の空地へ、そつと〔、〕おろしました。

[やぶちゃん注:「〔皇帝にお〕願 しました」の空隙はママ、「お達しが出ました〔したす〕。すそこで」の併存と衍字もママ。なお、「そこで、私は二つの踏台を抱〔かか〕へて……」以下は、現行版では改行されている。]

 こんな風にして〔、〕私は建物を跨いで一方の踏台から〔、〕もう一方の踏臺へ〔、〕乘移つて行くことができました。乘捨てた方の踏台は、棒の先につけた鈎で〔、〕釣りよせて〔、〕拾ひ上げるのです。かういう工夫〔こと〕を繰返して、私は一番奧の内庭にやつて〔(まで)〕來ました。〔そこで〕私は橫むきに寢轉んで、二三階の窓に顏をあててみました。〔その〕窓はわざと開け放しになつてゐましたが、その室内の美しくて立派なことは、何に〔とおもふぐらいゐ美しいのです。〕たとへていいかわからないのです。〔だつたな〕〔。まるで夢かどの部屋も目がさめるばかりの美しいのです。〕

[やぶちゃん注:以上の改稿の後半には効率的に組み合わされた推敲跡をなるべく分かり易く再現するため、実際には重複が施してある。現行版は以下。

   *

 こんなふうにして、私は建物をまたいで、一方の踏台から、もう一方の踏台へ、乗り移って行くことができました。乗り捨てた方の踏台は、棒の先につけた鈎で、釣り寄せて、拾い上げるのです。こういうことを繰り返して、私は一番奥の内庭まで来ました。そこで、私は横向きに寝ころんで、二三階の窓に、顔をあてゝみました。窓はわざと開け放しにされていましたが、その室内の立派なこと、どの部屋も、目がさめるばかりの美しさです。

   *]

 皇后も皇子たちも〔、〕從者たちと一緒に〔、〕それぞれ〔、〕部屋に坐つてをられます。皇后は〔、〕私を御覽になると〔、〕優しく笑顏を向けられ、わざわざ窓から手をお出しになりました〔す〕。私はその手を恭しく頂いて接吻〔キス〕しました。

 

 私が自由な身になつてから、二週間ぐらゐたつた頃のことでした。ある朝、宮内大臣のレルドレザルがひよつこり〔、〕一人の從者をつれて〔、〕私を訪ねて來ました。彼は〔乘つて來た〕馬車〔は〕遠くへ待たしておき、彼は、

 「一時間ばかり〔、〕お話がしたいのです。」と〔私に面會を〕申込みました。

 私は〔がしきりに〕皇帝へ解放の嘆願〔書を出〕してゐた頃、彼にはいろいろ世話になつたこと〔つた〕のです。で、私はすぐ彼の申込を承知しました。

 「〔なん〕なら私は〔一つ〕橫になりませうか。さうすれば、あなたの口は〔、〕この耳〔許〕にとどいて、お互に話しいいいでせう。」

 「いや、それよりか、あなたの掌の上に乘せてください。その上で〔、〕私は話します。から

 私が彼を掌に乘せてやると、彼はまづ、私が自由釋放  自由にな釋放されたことのお祝いを〔述〕べました。

 「あなたを自由の身にするについては、私も〔、〕だいぶ骨折つたのです。だが、それも現在、宮廷にいろいろ混みいつた事情があつたから〔こそ〕うまくいつたのです。」 と、彼は宮廷の事情を〔、〕次のやうに話してくれました。

 「今、わが國の狀態は〔、〕〔何もしらぬ〕外國人の眼には〔平和で榮へてゐるやう〕隆盛に見えるかもしれませんが、内幕は大へん苦しい〔でな〕のです。一つは〔、〕國内に激しい黨派爭があり、もう一つは〔、〕ある極めて強い外敵から〔、〕わが國は〕ねらはれてゐて、この二つの國難〔大事件〕に惱まされてゐるのです。

[やぶちゃん注:民喜は最後の「二つの國難〔大事件〕に惱まされてゐるのです。」という部分を前の「大へんで」の後に移動する案を持っていたことが、校正書き込みらしき線によって推定出来る。また、「隆盛」の「隆」の字は「降」に酷似した字で、下方罫外に奇妙な「隆」の字に似たような嘘字を大きく書いていて、「隆」の正しい字が思い出せなかったことを物語っている。さらに「極めて」下方罫外には「きはめて」と大きな字で斜めに書き込みがあり、これも平仮名化することを検討していたことが窺われる。]

 〔まづ〕國内の爭いの方から〔申上げ〕説明しますが、この國では〔、〕ここ七十ケ月以上といふもの、トラメクサン党とスラメクサン党といふ二つの政党があつて〔、〕絶えず爭つてゐるのです。〔こ〕の党派の名前は〔、〕はいてゐる靴の踵かかとの高さからつけられたもので、踵の高い〔か〕〔、〕低い〔■■〔か〔、〕〕によつて區別されてゐます。〔一般に〕わが國では〔の〕〔昔〕から〔のしきたりでは〔、〕〕高い踵の方をいいとしてゐました。

 ところが、それなのに、皇帝陛下は〔、〕政府の方針として〔、〕低い踵の方〔ば〕かりを用ひ〔る〕ことに決められました。特に陛下の靴など〔、〕宮廷の誰の靴よりも踵が一ドルル(ドルルは一吋の約十四分の一)だけ踵が低いのです。この二つの黨派の爭ひは〔、〕大変〔猛烈な〕もので、反對党の者とは〔、〕一緒に飮食もしなければ、話もしません。数ではトラメクサン、即ち高党の方が多数なのですが、實際の勢力は〔、〕われわれ低の方にが握つてゐ〕あります。

[やぶちゃん注:「一吋の約十四分の一」一インチは二・五四センチメートルであるから、一・八ミリメートルとなる。]

 ただ心配なのは、皇太子が〔、〕どうも〔、〕高党の方に傾いてゐられるらしいのです。その證據〔に〕は、〔少し皇太子の靴は〔、〕一方の踵が他の一方の踵よりいのでく、步くたびに〔び〕つこをひいてゐられることは〔のです〕。

 ところが、こんな党派爭ひの最中に、われわれはまた、プレフスキユ島からの敵に〔ねらは〕脅かされてゐるのです。プレフスキユといふのは、丁度この國と同じぐらゐの強國で、國の大きさからいつても、國〕力からいつても〔、〕〔ほとん〕ど似たり〔よつ〕たりなのです。

[やぶちゃん注:「プレフスキユ島」はママ。現行は「ブレフスキュ島」。原文は「Blefuscu」である。次の段では「プレフスキュ」とある。]

 あなたのお話によると、なんでも、この世界には〔、〕まだやはまだ〕いろいろ國があつて、あなたと同じぐらいの大きな人間が住んでゐるさうですが、それはわが國の哲學者は〔、〕大いに疑つてゐます〔て、〕矢張り、あなたは月は星か〔の世界〕か〔、〕星の世界から落ちて來られたものだらうと考へてゐます。〔それ〕といふの〔も〕、あなたのやうな人間が百人もゐれば、わが國の果實も家畜も〔、〕食ひつくされてしまふではありませんか。それに、この國六千月の歷史〔を調べてみても、〕リリバットとプレフスキュ〔二大國の〕外に〔〕〔、〕國があること〔などと〕は〔本に〕書いてありません。

[やぶちゃん注:「六千月」リリパット国の暦がグレゴリオ暦と酷似した太陽暦方式の十二ヶ月一年とするのなら、このリリパット国は建国から五百年ということななる。]

 ところで、この二大國のお話〔こと〕ですが、この三十六ヵ月間といふもの、兩國と実に〔、〕しつこく、戰爭をつづけてゐるのです。ことの起りといふのは〔、〕かうなのです。もともと〔、〕われわれが〕卵を食べる時には、その大きい方の端を割るのが〔、〕昔からのしきたりだつたのです。

 ところが〔、〕今の皇帝の祖父君がまだ幼かつた頃子供の子供の頃、卵を食べよ〕うとして、習慣どほりの割り方をしたところ、小指に怪我をされました。さあ、そこで〔大変だといふので〕、〔時の〕皇帝は〔〔、〕こんな〕敕令を出して〔され〕ました。『卵は小さい方の端を割つて食べよ。これにそむくものは〔、〕〔きびしく〕刑す。』と、この命令〔こと〕をきびしく〔國〕民につたへられまし〔命令されまし〕た。だが、國民は〔、〕この命令をひどくいやがりました。歷史の傳へるところによると、このために、六囘も内亂が起り、ある皇帝は〔、〕命を落されるし、ある皇帝は〔、〕退位されました。

[やぶちゃん注:現行版は「きびしく罰す」となっている。]

 ところが、この内亂〔と〕いふのは、いつでもブレフスキ〔ュ〕島の皇帝が、おだててやせたのです。だから内亂が鎭まると、いつも謀反人はブレフスキ〔ュ〕に逃げて行きました。とにかく、卵の小さい端を割るぐらゐなら〔、〕死んだ方がましだといつて、死刑にされたものが一万一千人からゐます。この爭については、何百冊も書物が出てゐますが、大きい端の方がいゝと書ゐた〔本〕は 禁止  人人國民に讀むことを禁止されています。また、大きい端の方がいいと考へる人は〔、〕役人〔官職〕になる〔つく〕こと〔も〕できません。

 ところで、ブレフスキ〔ュ〕島の皇帝は〔、〕こちらから逃げて行つた〔謀反〕人たちを〔、〕非常に大切にする〔して〕よく待遇するし、おまけに、こちらの不平分子〔反対派〕反對派までも〕〔、〕こつそり〔これを〕應援するので、兩國〔二大〕國の間に激三十六ケ月にわたる戰爭がはじまつたのです。その間にわが國は〔、〕四十隻の大船と〔、〕多數の小船と〔、〕〔それから〔、〕〕三万人の海陸兵を失ひました。が、敵の損害は〔、〕それ以上だつたといはれてゐます。

 しかし〔、〕今また敵は新しく、大艦隊をととのへ、こちらに向つて攻め入らうとしてゐます。それで皇帝陛下は〔、〕あなたの勇氣と力を非常に信賴されてゐるの〔てゐるので〕、〔こ〕の國難〔こと〕を〔あなたと〕相談してみてくれ〔、〕と言はれ〔たので〕、私をさしむけられたのです」

 

 宮内大臣の話が終ると、私は彼に〔かう〕言ひました。

 「どうか陛下にさう傳へて下さい。私は〔外國人ですから〔どんな骨折で〕もいといません。しかし〔、〕私は外國人ですから〔、〕政党の爭のこと〔に〕は立ち入りたくありません。が、外敵に対して 國から〔外敵に対してなら、〕陛下とこの國を護るために命がけで戰ひませう。」

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