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« 和漢三才圖會卷第五十二 蟲部 青腰蟲 | トップページ | ガリヴァの歌   原民喜 »

2016/05/13

ジョナサン・スイフト原作 原民喜譯 「ガリヴァー旅行記」(やぶちゃん自筆原稿復元版) 小人國(3) 第三章 いろいろな曲藝

    第三章 〔いろいろな〕曲藝かくし

[やぶちゃん注:想像するに「かくし」は「かくしゆ」(各種)と書こうとして、子供向けでないからやめて、改めて上に「いろいろな」を挿入したものであろう。]

 

 私の性質がおとなしいといふことが、みんなに知れ〔わた〕り、皇帝も宮廷も軍隊〔も〕國民すべてが〔國民も、みんなが〕、私を信用してくれるやうになりました。で、私は近いうちに自由の身にしてもらへる〔の〕だらう〔、〕と思ふやうになりました。私はできるだけ、みんなから良く思われるやうに努めました。

[やぶちゃん注:「と思ふやうになりました。」と「私はできるだけ」の間には改行指示が一度書き込まれて、抹消されてある。]

 人々はもう私を見でも、だんだん怖がらなくなりました。私はねころんだまま、手の上〔で〕五六人の人間を〔おど〕らせたりしました。時には子供たちがやつて來て、私の髮の毛の間で、かくれんぼうをして遊ぶこともありました〔す〕。もう私は彼等の言葉を聞いたり〔、〕話したりすることに〔に〕〔も〕馴れてゐました。或る日、皇帝は、私を慰め 見世物を私にしてみせてく〔→や〕れること一つこの國私を喜ばすために、この國〕〔と思れました。ひつかれました。〕〔私に一つこの國の見世物を見せて喜ばせてやらうと思はれたのです。→ました。私の慰めに、この國の見世物をやつて〔み〕せて〔くれることににありました。〕〔、私を〔大へん〕喜ばしてくれました。〕が、この見〔世〕物は實に巧みで華やかでした。それは實さい素晴らしい見世物でした。なかでも面白かつたのは綱渡で、これは地面から二呎十二吋ばかりに細い白糸を張つて、その上でやるのです。

[やぶちゃん注:「もう私は彼等の言葉を聞いたり〔、〕話したりすることに〔に〕〔も〕馴れてゐました。」は現行版では削除の方が生きていて、「もう私は彼等の言葉を聞いたり、話したりすることに馴れていました。」となっている。

「馴れてゐました。」と「ある日、皇帝は」の箇所は現行では改行されている。

「二呎十二吋」九十一・四四センチメートル。

 この「或る日、皇帝は」以下はかなり推敲している。現行版では改行された独立段落で、

   *

 ある日、皇帝は、この国の見世物をやって見せて、私を喜ばしてくれました。それは実際、素晴しい見世物でした。なかでも面白かったのは、綱渡りです。これは地面から二フィート十二インチばかりに、細い白糸を張って、その上でやります。

   *

となっている。]

 この曲藝は、宮廷の高い〔地〕位につきたいと望〔んでゐる〕人たちが、〔出て〕演じるのでした→した〕。選手たちは子供の時から〔、〕この藝を仕込まれるのです〔ます〕。かりにもし→かりに〕、宮廷の〔高〕官が死んで〔、〕その〔その〕椅子が一つ空いたとします。するとその椅子 に腰かけたいもの〔すると〕五六人の候補者が〔出て來て〕、綱渡りをして皇帝に御覽に入れます。〔そしてなかで〕一番高く飛び上つて〔、〕落ちない者が、その空いた椅子に坐れる〕〔腰かけさせてもらへる〕のです。時には皇帝の命令で、大臣たちが、この曲藝をして〔、〕〔皇帝に〕御覽に入れることもありますこんなに高く跳びます〔よ〕と 大藏大臣〔のフリムナム〕など実に巧み高く〕で〔みごと〕〔あざやかで上手高く〕〔跳び上ります。〕續けざまに宙還りするところを私は見ました。 この人は〔私は彼が〕細い糸の上へ皿をおいて、その上でトンボ返りをするところを見ました。

[やぶちゃん注:現行版では「〔腰かけさせてもらへる〕のです。」と「時には」の間で改行されており、後半部は大臣の固有名詞を含め、かなり異なる。まず削除に従って整序した自筆原稿版(句点落ちと助詞の異常や削除忘れは好意的に追加変更しておいた)、次に現行版を示す(下線やぶちゃん)。

   *

【自筆原稿版】

時には、大臣たちが、この曲藝をして、皇帝に御覽に入れることもあります。こんなに高く跳びますよと大藏大臣のフリムナムなど実にあざやかに跳び上ります。私は彼が細い糸の上へ皿をおいて、その上でトンボ返りをするところを見ました。

【現行版】

ときには大臣たちが、この曲芸をして、こんなに高く跳べますよと、皇帝に御覧にいれることもあります。大蔵大臣のフリムナップなど、実にあざやかで、高く跳び上ります。私は彼が細い糸の上に皿を置いて、その上でとんぼ返りをするところを見ました。

   *

太字にした「とんぼ」は底本では傍点「ヽ」である。]

 だが、この曲藝〔で〕は時時、死人や怪我人を出すことがあります。私も選手が手足を〔くじ〕いたのを二三回見ました。なかでも、一番あぶないのは〔、〕大臣たちの曲藝です。それはお互に仲間の者に負けまいとして、あんまり氣張つてやるので、よく綱から落こちます。大藏大臣のフリムナムでさへ、以前、一度なんか、〔頭の〕骨を、も少しで折るところだつたさうですが、〔のです。〕 たまたま下に國王のクシヨンがあつたので助かつたといひます。

[やぶちゃん注:ここも後半がかなり異なる(下線やぶちゃん)。

【自筆原稿版】

大藏大臣のフリムナムでさへ、一度なんか、頭の骨を、も少しで折るところだつたのです。下に國王のクシヨンあつたので助かつたいひます

【現行版】

大蔵大臣のフリムナップでさえ、一度なんか、も少しで頭の骨を折るところでしたが、下に国王のクッションあったので、助かったいうことです。]

 それから、もう一つ、ほかの見世物があります。これは皇帝と皇妃と總理大臣の前だけで演ぜら〔やらさ〕れる特別の餘興なのです。皇帝はテーブルの上に、長さ六吋の細い絹糸を三本置きます。一つは靑、一つは赤、もう一つは綠。この綠は〔の糸です。〕皇帝が〔は〔、〕〕とくに取り立ててヒイキ〔目をか〕けてやらうとする人たちに〔〔、〕このやる〕賞品なのです〔をやるの〕です。

 まづ宮廷の大廣間で、候補者たちは〔、〕皇帝からいろんな試驗をされます。皇帝が〔手に〕一本の棒を水平にしてゐるとぢつまつ→まつすぐ橫に構へ〕てゐると、候補者たちが一人ずつ進んで來て〔ます。〕棒が上下に動かされると、の指図に隨つて、人人は、その上を跳び越えたり潛つたりします。 候補前へ行つたり後へ行つたりします。そんなことを何度も繰返すのです。

 この藝を一番、身輕に〔、〕〔そして〕ねばり〔辛抱〕強くやつたもの〔に〕、〔優等〕賞として〔、〕〔靑〕色の絲が授けられます。二等賞は赤絲で、綠が三等賞です。もらつた絲は〔、〕みんな腰のまはりに卷いて飾ります。ですから、宮廷の大官は大概、この帶をしてゐます。

[やぶちゃん注:最初の一文は整序に従うなら、

   *

 この藝を一番、身輕に、そして辛抱強くやつたものに、優等賞として、靑色の絲が授けられます。

   *

となるはずであるが、現行版は、

   *

 この芸を一番うまく熱心にやった者に、優等賞として、青色の糸が授けられます。

   *

で有意に異なる(下線やぶちゃん)。]

 軍隊の馬も皇室の馬も、毎日、私の前を引き𢌞されまし〔たの〕で、もう私を怖がらなくなり、平氣で私の足許までやつて來るやうになりました。私が地面に手を〔差→さ〕し出すと、乘手が馬を躍らしてヒラリと飛越えます。主馬頭などはある男〕大きな馬に打乘つて、私の片足を靴ごと跳び超えます。〔るのも人も→のも〕ゐます。〕これは実にみぎとなものでした。

 ある日、私は非常にとても〕面白いこと〔餘興〕をして御覽入れて〔みせて〕、皇帝に喜ばれたことがあります。〔をひどく喜ばしました。〕先づ私は、〔皇帝に、〕高〔長〕さ二呎、太さ普通の杖ほどの棒を數本何本取寄せてゐたゞきたい〔、〕と願ひ〔出〕ました。〔すると〕皇帝は、すぐ山林官に命じられたので、翌朝、六人の樵夫が六台の荷車を、それぞれ八頭の馬に曳かせてやつて來ました。

[やぶちゃん注:冒頭の一文は現行版では、「ある日、私は非常に面白い余興をして見せて、皇帝にひどく喜ばれました。」で異なる。

「二呎」二〇・九六センチメートル。以下、先に示すが、次の「二呎半」は一メートル五十七・五センチメートル、「五吋」は十二・七センチメートル。]

 私は九本の棒をとつて、二呎半の正方形が出來るやうに〔、〕地面に打こみました。それから四本の棒を〔、〕二本づつ平行に並べて、地面から二呎ばかりのところで、四隅を結びつけました。そして今度は〔、〕ハンケチを九本の棒に縛りつけ、これを太鼓の皮のやうに〔、〕ピンと張りました。すると橫に渡した四本の棒は〔、〕ハンカチより五吋ばかり高くなつたので、これは丁度、欄干の代りになりました。これだけ用意が出來たので、私は皇帝にお願ひ〔申上げ〕ました。

 「騎兵の馬、二十四騎をこの上で〔野原の〕上で〔一つ〕走らせて〔〕御目にかけたいのです〔ませう〕」

 皇帝はこの申出〔に〕すぐ賛成なさい〔され〕ました。

 私は、武裝した乘馬兵を〔馬と一緒に〔、〕〕一人一人つまみ上げて〔、〕ハンケチの上におき、それから指揮官たちも〔、〕その上に載せました。整列が終ると、彼等は敵味方に分れ、襲擊のどつと〕模擬戰をやりはじめました。

 矢を射かけるやら、劔を拔いて追つかけつこするやら、進んだり退いたり、こんな見事な訓練は私も〔まだ〕はじめてるのでした〔たことがない〔の〕でした。〕橫棒が渡してあるので、馬も人も、舞台から落つこちる心配はありません。

 皇帝は〔、〕これがすつかりお気に召したので、何日も何日も〔、〕この餘興をやつてみせと仰せになります。一度などは〔、〕御自身〔で〕ハンケチの上が〔にお上りになつて〔、〕〕號令を〔お〕かけになりました。たうとう〔仕〕舞には〔、〕いやだと仰しやる皇后を無理にすすっめて、皇后にも上つてみよとおすすめになり、いやがる皇后を無理に説き〔すかして〕、椅子のまま私に持ち上げさせ〔ました。〕〔私はその椅子を〕〔私は〕訓練の有樣を十分に見物させ〔がよく見えるやうに〔、〕〕よく見えるやうに、舞臺〔から〕二ヤードばかりのところから→に〕〔、〕〔皇后の椅子をやりました。〕持上げたのです。

[やぶちゃん注:「二ヤード」一メートル八十三センチメートル弱。]

 幸ひに〔も〕この餘興の間〔中〕、故障は〔一つも〕出ませんでした。〔なかつたのです。〕〔もつとも、〕ただ一度だけ〔、〕こんなことがありました。

 ある隊長の乘つてゐたあばれ馬が蹄で〔、〕足掻きま〔は〕つて〔、〕ハンケチに穴をあけ〔、〕片足足をすべらしました。〔、〕乘手もろとも轉んだのですが、。すぐ私は助け起し〔ました。〕、片手でその穴をふさぎ、片手で一人づつ、兵隊を下しました。轉んだ馬は〔、〕左肩の筋を違へましたが、〔。〕乘手の方は怪我なしでした。〔無事でした。〕〔私は〕ハンケチの穴 出來→はよく〕繕ひましたが、〔私は〕もう心配→危〕ないので、こんな藝當をやる気はしませんでした。〔キケンな餘興はしないことにしました。〕

 私が自由の身にしてもらへる二三日前のことでした。宮廷の人たちを集めて、こんな〔ハンケチの〕餘興をしてゐる最中〔ところ〕へ、〔にはかに〕一人の使が到着しました。

 〔なん〕でも、數人の者が馬で、いつか私が捕つた場所を通りかかると、一つの大きな黒いものが落ちてゐるのを見つけました。たのです。→たといふのです。〕〔それは〕非常に奇妙な形のもので、緣が圓く拡がつてゐます。〔その〕廣さは〔、〕陛下の寢室ぐらゐあり、眞中のところは〔、〕人の背ほど高くなつてゐます。はじめ、みんなは、これは生きものからかしら→だらう〕と思つて、何度もその周りを步いてみましたが、〔それは〕草の上にぢつとしたきり動かないのです。そこで、お互に肩を踏台にして〔、〕頂上に〔のぼ〕つてみると、上は平べつたくなつてゐます。足で〔ふ〕んでみると、〔内側〕は〔どうも〕空つぽだといふことが〔わか〕りました。そこで、彼等〔みんな〕は〔、〕これはどうも人間山の物らしい→らしい〕と考へました。

[やぶちゃん注:下線「人間山」は原稿では傍点「ヽ」。現行版では傍点は、ない。]

 「馬五頭あればそれをすぐ運んで參ります」と使者は皇帝に申上げました。私にはすぐ〔、〕ははあ〔、〕さうか〔、〕とわかりました。そして、これはいい知らせを聞いたと喜びました。

 〔今から〕考えてみると、ボートを漕いでゐ〔た〕時に、〔私は〕紐で帽子をしつかり頭に〔むす〕びつけていました。それから、泳いでゐる時も〔、〕帽子〔それ〕は絶えず頭にかむつてゐました。ところが、難船後はじめて陸にたどりついた時には、なにしろ〔私は〕ひどく疲れてゐたので、何かの拍子に〔、〕紐が切れて落ちたのを〔を→を私は〕氣がづかなかつた〔らしいのです〕のです。〔も知らなかつたのです。〕帽子は海で失くした〔もの〕と思ひちがひをして〔ばかり思つて〕ゐました。

 私は皇帝に〔、〕それは帽子〔といふもの〕だといふことをよく説明して、どうか早速それを取寄せてください〔、〕とお願ひしました。すると翌日、馬車挽がそれを屆けてくれましたが、〔た。〕〔その〕帽子は〔、〕かなりひどいことになつ〔をされ〕てゐました。す。した→した。〕緣から一吋半ばかりのところに穴を二つ開け、〔こ〕これに鈎(かぎ)が二つ引掛けてあります。その鈎〔を〕長い綱で馬車にくくり、こんなふうにして一哩半以上も引きずつて來らた帽子→たの〕です。ただこの國は地面が非常に平らなので、それほど 帽子〔の〕傷ついてゐませんでした。〔もそれほどではなかつたのです。〕

[やぶちゃん注:「一吋半」三・八一センチメートル。

「一哩半以上」凡そ二キロ五百メートル以上。]

 それから二日たつと、皇帝は〔、〕首府の内外に滯在してゐ→る〕軍隊に出動を命じられ、させた。→て、〕また途方もない遊びを思ひつかれました。〔〔、〕ました。〕〔それから、〕私にはできるだけ大跨〔股〕を拡げて、巨人像(コロツサス)のやうに立つてゐよと仰せられます。それから今度は將軍(この人は何度も戰場に出たことのある老將軍で、私の恩人でもあります)に命じて、軍隊を集めて、 〔あ〕の跨の下を軍隊に行進させ〔てみ〕よと仰せになるのでした。

[やぶちゃん注:「跨〔股〕」の併存はママ。但し、「股」の方は実際には「股」ではなく、(「路」-「各」+「殳」)の字体である。民喜は漢字表記が気になったらしく、この段落の最後の空きマスには、この上の妙な字を一つ、その二マス下に「股」その一マス下に「胯」の字を少し大きめにメモのように書き並べている。]

 歩兵が二十四列、騎兵が十六列に並び、太鼓を鳴らし、旗をひるがへし、槍を橫たへ、步兵三千、騎兵一千〔、〕みごとに行進しました。陛下は各兵士にむかつて、行進中は私 自躰對してよく禮儀を守ること、背けば死刑に處すると申渡されてゐました。しかし、それでも若い士官などが、私の跨の下を通るとき〔など〕、ちよつと眼をあげて上を見るのは仕方がありませんでした。〔といふのは〕、その時、私のずぼんは〔もう〕ひどく破れ〔綻び〕てたので、下から見上げると〔たら〕、〔さぞ〕をかしいやらびつくりした■■■〕〔びつくりした〕ことでせう。

[やぶちゃん注:以上の段落は現行通りに整序すると、

   *

【自筆原稿版】

 歩兵が二十四列、騎兵が十六列に並び、太鼓を鳴らし、旗をひるがへし、槍を橫たへ、步兵三千、騎兵一千、みごとに行進しました。陛下は各兵士にむかつて、行進中は私によく禮儀を守ること、背けば死刑に處する申渡されてゐました。しかし、それでも若い士官などが、私のの下を通るとき、ちよつと眼をあげて上を見るのは仕方がありません。といふのは、その時、私のずぼんはもうひどく綻びてたので、下から見上げたら、さぞびつくりしたことでせう。

   *

であるが、現行版は二段構成にされて、

   *

【現行版】

 歩兵が二十四列、騎兵が十六列に並び、太鼓を鳴らし、旗をひるがえし、槍を横たえ、歩兵三千、騎兵一千、見事に私の股の下を行進しました

 陛下は各兵士に向って、行進中は私によく礼儀を守ること、背けば死刑にする申し渡されていました。しかし、それでも若い士官などが、私のの下を通るとき、ちょっと眼をあげて上を見るのは仕方がありません。私のズボンは、もうひどく綻びていたので、下から見上げると、さぞびっくりしたことでしょう。

   *

となっている(下線やぶちゃん)。]

 私は度度度度〕何回となく〔皇帝に〕書面を送つて、「自由な身にして下さい」とお願ひしてゐましたが、〔ついに〕皇帝もこのことについて〔を〕〔、〕を大臣と相談され〔たり〕、それから 評議員〔國會議員〕の意見〔も〕お求めになりました。なつたりされ→なりました。〕議会では〔、〕別に誰も反対する人はありませんでした〔なかつたのです〕が、ただ一人、スカイリッシュ・ボルゴラムだけが反対しました。ボルゴラムは〔、〕何か私を怨んでゐるらしく、どうしても〔絶対〕反対だ〔、〕と云張りました。しかし〔、〕儀会彼の反対〔状〕は通らなかつたので、〔私〔を〕〕〔釋放を〔自由にすることに〕決め、〕〔いよいよそれで更らに→ついに〕皇帝の許可も得られました。〔も出ました。〕

[やぶちゃん注:現行版を示す。

   *

 私は何回となく皇帝に書面を送って、「自由な身にしてください。」とお願いしていましたが、ついに皇帝もこの問題を大臣と相談され、議会の意見もお求めになりました。議会では誰も反対する者はなかったのですが、ただ一人、スカイリッシュ・ボルゴラムだけが反対しました。ボルゴラムは、何か私を怨んでいるらしく、どうしても絶対反対だ、と言い張りました。しかし、議会は私を自由にすることに決め、ついに皇帝の許可も出ました。

   *]

 このボルゴラムといふ男は、この國の海軍提督で、皇帝からも篤く信任されてゐて〔をり〕、海軍のことについ〔かけ〕ては〔〔、〕なかなか〕專門家なのですが、どうも〔、〕氣むつかし屋〔で〔、〕〕苦がむし顏のをした男でした。〔をつぶしたやうな顏をしています。〕

 けれども、とうたう〔、〕この人もみんなに説きふせられて〔、〕承知しました。それでも〔、〕私を自由にするには、私は〔いろんなことを〕誓はせなければならないのですが、その條件は彼が書いて私に誓はせるのだと云ひ讓り〔俺が書くのだ〔、〕とあくまで押とほし〕ました。その誓約書を私のところへ持つて來たのも〔この〕スカイレシユ・ボルゴラムでした。二人の次官と数人の名士を引つれてやつて來ましたが、誓約書を讀み上げると、私に、一々それを→の〕實行すると〔を〕誓はせませた。ました。→へと云はれひます。〕

 まづ初めに私の國のやり方によつて誓ひ、次にこの國のやり方で誓はされたのですが、そ〔れ〕は右の足先を左手で持ち、右手の中指を頭の上に、拇指〔を右の耳朶におくのでした。この〔その時の〕誓約書といふのは、次のやうなものでした〔す〕。

 この宇宙の歡喜恐怖にもあたるリリパト國大皇帝、ゴルバスー・モマレン・エヴレイム・ガルディロー・シェフィン・ムリ・ウリ・ギュー、領土は地球の端から端まで五千プラストラグ(周圍約十二マイル)に亙り、帝王中の帝王として、人の子より背が高く、足は地軸にとどき、頭は天をつき、一度首を振れば草木もなびき、その德は春、夏、秋、冬に通じる。ここにこの大皇帝は、この頃、わが神聖なる領土に到着した人間山に対し、次の條項を示し、嚴肅にその〔誓はせ、その〕實行を求める〔も〕のである。

[やぶちゃん注:下線を附した「人間山」は原稿では傍点「ヽ」である。以下同じ(現行版には総てに傍点はない)。この誓約書前文は、現行版では前の本文との間に一行空きが施されており、国名や皇帝の名前などに有意な変更がある。以下に示す(冒頭に鍵括弧がある。しかし終りの鉤括弧は現行版になく、これはおかしいと言える)。

   *

「この宇宙の歓喜恐怖にもあたる、リリパット国大皇帝、ゴルバストー・モマレン・エブレイム・ガーディロウ・シェフィン・ムリ・ギュー皇帝、領土は地球の端から端まで五千ブラストラグにわたり、帝王中の帝王として、人の子より背が高く、足は地軸にとゞき、頭は天を突き、一度首を振れば草木もなびき、その徳は春、夏、秋、冬に通じる。こゝにこの大皇帝は、この頃、わが神聖なる領土に到着した人間山に対し、次の条項を示し、厳粛に誓わせ、その実行を求めるものである。

   *

「十二マイル」「マイル」はママ(前では「哩」と漢字表記)。約十九・三キロメートル。

 次の一行空きは原稿のママ。]

 

 第一 人間山は朕が押し〔の許可〕狀なしに、この國土を離れることはできない。

 第二 人間山は朕が特に許した以外には〔場合でなくては、〕勝手に首都に入ることはできない。首都に入る時は、市民は二時間前に、家〔の中〕に 引込んでゐるやうに注意されることになつてゐる。

 第三 人間山の步いてもいい場所は〔主要〕國道   〔だけ〕に限られてゐる。牧場や畠地を步いたり、そこ〔で〕 はる〔寢ころんだりする〕ことは許されない。

[やぶちゃん注:三字分の空白はママ。私には何かを後から書き加えるために設けた意識的欠字のように見受けられる。]

 第四 人間山 許可されてゐる〔主要國道を步く〕際には、よく注意して、朕の良民、馬、車などを踏みつけないやう〔よく注意〕すること。また良民の承知なしに勝手〔矢鱈〕に〔人を〕つまみあげて掌に乘せてはいけない。〔ることはでき〕ない。

 第五 人間山は急用の使が要る際には、毎月一回、六日間のその傳令と馬を〔〔、〕人間山の〕ポケットに入れて運ぶこと。また場合によつては〔、〕更にこれを宮殿〔廷〕に送りかへさねばならない。

[やぶちゃん注:このカットされた「人間山」及び挿入されたそれには傍点が振られていない。]

 第六 人間山は朕〔と→の〕同盟して〔者となり〔、〕〕ブレスキュ島の敵を攻め、朕の國をねらつてゐる〔ふ〕敵艦隊を〔うち〕滅ぼせよ。〔す〕ことに努力しなければならない。

 第七 人間山時間〔閑〕の時には〔、〕朕の勞役者の手助をして、公園その他帝室用建ものの外壁に大きな石を運搬する〔の〕を手傳はねばならぬ。

 第八 人間山は二ケ月以内に〔、〕海岸を一周して〔て、〕步いて〔き〔、〕〕その距離を〔はか〕り、朕の領土の測量〔地〕圖をつくつて出すこと。

[やぶちゃん注:「人間山」に傍点なし。「て〔て、〕」の併存はママ。]

 第九 これまで述べた條項を人間山よく謹んで守るならば、人間山は毎日、朕の良民一七二四人分の食料と飮料を與へられ、自由に朕の近くに侍ることを許され、その他、いろいろ優遇されるであらう。

[やぶちゃん注:現行版では次に一行空けがあるが、原稿にはない。]

 聖代第九十一月十二日

 ベルファボラク皇宮にて

[やぶちゃん注:現行版では、宮殿名が違うだけでなく、以上の二行が、

   *

  ベルファボラック皇宮にて

  聖代第九十一月十二日

   *

と逆転している。原作原文ではこちらの方が正しいが、邦文のこの手の書式では原稿のような記載の方が一般的であるように思われる。また、現行版では次に一行空けがあるが、原稿にはない。]

 私は大喜びで滿足し、これらの條件をよく守ると誓ひのサインをしました。ただ、〔この〕條項のなかのある〔うちには〕全く提督ボルゴラムが惡意で押しつけたものがあり、それは〔あまり〕有難くもなかつたものですが〔いのもあります〕〔ものもあ〕りますが、それは〔どうも〕仕方のないことでした。

[やぶちゃん注:「〔いのもあります〕〔ものもあ〕りますが」の併存はママ。現行版は「たゞ、この条項の中には、提督ボルゴラムが悪意で押しつけたものあり、あまり有り難くないものもありましたが、それはどうも仕方のないことでした。」である(下線やぶちゃん)。]

 すぐに私の鎖は解れました。私は全く自由の身になつたのです。この儀式には〔、〕皇帝もわざわざ出席されました。私は陛下の足下にひれふして感謝しました。すると皇帝は私に「立て」と仰せになり、それから、いろいろと有難い言葉を賜た後〔りました。〕〔私が〕國家有用の人物となり〔、〕陛下の恩に〔そむ〕かないやうにして貰〔もら〕いたい〔、〕といふ御言葉でした。

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