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2016/05/27

芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 民衆

 

       民衆

 

 民衆は穩健なる保守主義者である。制度、思想、藝術、宗教、――何ものも民衆に愛される爲には、前時代の古色を帶びなければならぬ。所謂民衆藝術家の民衆の爲に愛されないのは必ずしも彼等の罪ばかりではない。

 

       又

 

 民衆の愚を發見するのは必ずしも誇るに足ることではない。が、我我自身も亦民衆であることを發見するのは兎も角も誇るに足ることである。

 

       又

 

 古人は民衆を愚にすることを治國の大道に數へてゐた。丁度まだこの上にも愚にすることの出來るやうに。――或は又どうかすれば賢にでもすることの出來るやうに。

 

[やぶちゃん注:大正一三(一九二四)年八月号『文藝春秋』巻頭に後の「チエホフの言葉」「服裝」「處女崇拜」(三章)「禮法」とともに全九章で初出する。

 このアフォリズム漫然と読むと、ギクシャクした論理の躓きを感じざるを得ない奇妙な章列に一見、読め、それがある種の生理的な不快感を惹起させるからである。それはまた、自分は「民衆」ではない自覚するような選民的現代人は決して多くはないからである。

 その強烈な不快感は実に、序章で「民衆は穩健なる保守主義者である」と既定しておきながら、残りの二章では「民衆」を「愚」なるものとして「愚」弄しているとしか一見、読めぬからである。

 以下、私なりに順を追って解析してみよう。

 

【第一章】

――命題「民衆は穩健なる保守主義者である」から引き出される属性。

――「民衆」は「民衆」相互の共有的視点からも見た目でも――「愚」――である。

――何故なら、「前時代の古色を帶び」ていることを嗜好する「穩健なる保守主義者」である「民衆」とは、当時の大正デモクラシーの洗礼を受けた「民衆」、モボ・モガといった一見軽薄な同じの流行に乗った「民衆」から見て「愚」とされるからである。

――ところが逆に、新しい思潮を謳歌する集団を見て「大正でも暗し」と揶揄し、奇体な役者めいた風俗を蔑視するところの、「穩健なる保守主義者」である大多数の「民衆」から見れば、彼等こそが真の「愚」と映るであるからである。

【第二章】

――「民衆藝術家」(第一章からの敷衍)或いは、そうではない「藝術家」(この「我々」とは広く作家・芸術家・思想家を指すと考え得る。それは不倶戴天の仇敵的対峙者であっても、である。「我我」の一人である芥川龍之介は自身を「民衆藝術家」として意識していないはずであるから)と対峙させた場合でも「民衆」、見かけ上――「愚」としか当然の如く、映らぬ(「民衆の愚を發見するのは必ずしも誇るに足ることではない」という命題から)。

――しかし同時に「我我」自称「藝術家」(前で述べた広義の意)にとって「我我自身も亦民衆であることを發見するのは兎も角も誇るに足ることである」ことは疑いない。

――則ち、「大衆」の「藝術家」と自認する者も、そうでない「藝術家」(例えば芥川龍之介のような「藝術」至上主義的立場をどこかで支持するような「藝術家」と例示してもよい)も、その本質に於いて「民衆」の一人である。

【第三章】

――古来の賢哲は、「民衆」を「愚」なるものし続けることこそが「治國の大道」(国家安泰の王道)の大事な要素の一つに数えて「ゐた」(いや、正しくは「いる」である。今の国家の権力者も基本的な精神に於いてそれは変わらない、と芥川龍之介は謂いたいのである。この肝心の最後の章がでなければ単なる古い哲学史に終わってしまうからである。さればこそ以下の倒置表現が読む者の心を痛く突き抉るのである)。

――その「民衆」を社会的に対象化物質化し、統御し、支配し、不要化廃用化すれば処理廃棄することを企むところの「国家権力」や「大衆」を扇動する「思想集団」の精神的な高みの立ち位置から俯瞰してみても、「大衆」は見かけ上、やはり――「愚」――である。

――古来の賢哲も、現代の「国家権力」も「大衆」を扇動する「思想集団」も、十全に「愚」と見える「民衆」をダメ押しでさらにさらに「愚」にすることが出来ると確信し、そうすることを望んででもいるかのように。

――或いはまた、どうかすると、今度は本来、救いがたい「愚」としか見做していないはずの「民衆」を『俺たちは「賢」いんだぞッツ!』と錯覚させることさえも出来ると確信し、そうすることを望んででもいるかのように。

 

 まさにこの論法の帰結するところ、結局は

 

――「民衆」というものは、その各個一個人の「民」という存在は実相に於いて「愚」ではないとしても、それが集合した「民衆」は必ず「衆愚」に他ならぬ。

 

といった、

 

「民衆に」とって絶望的な命題に帰結する「かのように」思わせる荒野に、これらのアフォリズムが多くの読者を導く「かのように」感じさせてしまう――それがこの――「民衆」三章のアフォリズムの「見かけ上の生理的不快感」――の正体

 

である、と私は思う。

 何故に私は「見かけ上の生理的不快感」と言うか?

それは、この「民衆」三章のアフォリズムは、芥川龍之介の素(す)の思索上の感懐をそのままただ投影したものではないと私は思うからである。

 この一読、如何にもバランスの不安定な、逆説と反則に満ちたように見えるこれら、

 

――「侏儒の言葉」の「民衆」(三章)は――実は芥川龍之介編になる「大正文学史」である。

 

 これは実に、当時の大正デモクラシーに始まり、「民衆文学」「大正労働文学」から、遂に革命のための道具として文学を変容させることとなる「プロレタリア文学運動」へと展開していく、大きな一つの文学を取り込んだ「民衆」を旗印に掲げた文化文芸思潮の潮流が、まず第一に龍之介の解析対象となっている。

 そうして第二章では、それに加えて、そうした流れに違和感を覚え、ある距離を置いて冷たい視線で眺めていた「新浪漫派」の流れを汲む「耽美派」「唯美主義」、及び、その辺りから社会主義思想とは異なる形で芸術表現を試みようとした「新感覚派」、或いはまた、既にして世界に例を見ない「私小説」という奇体な奈落への道を進みつつあった「自然主義」(西欧の「自然主義」とは似ても似つかぬ本邦独自に奇形化してしまったそれ)、宗教的な人道主義やら博愛主義やらに基づくお目出度い「白樺派」(批判的なのはどうにも仕方がない。私は「白バカ派」が総じて嫌いだから)が、龍之介の分析の視野には入ってくる。無論、自分の姿(後に「新現実主義」などと言う訳のわからぬグループに纏められる)もそこには含まれている。

 最後の第三章では、ここまで当の「民衆」を導かんとするインテリゲンツアの影と共時的に、そうした文学・芸術などというものを全的に認めない連中が登場してくる。そうして彼らは、彼らにとってクソにしか見えぬ芸術が、あろうことか、脅威を与え、これはどうにか懲らしめてやらんといかん思い始めた軍靴の音を立てている日本帝国という「国家権力」が、やおら、登場するという仕掛けとなっているのである。

 

 但し、ある意味、ぶっ飛んでいた大正の文学思潮を「民衆」と言う観点から、たった二百数十字で語り切るというのは暴虎馮河であり、この確信犯で取り組んだアンビバレントな三連章は「侏儒の言葉」の中では必ずしも成功しているとは言い難い。

 さても以上の私の解は、或いはとんでない誤認誤読かも知れぬ。大方の御叱正を俟つものではある。

 なお、読者諸君の中には私の「大正文学」認識の内容を疑う者もあろう。されば、私が十八の時、大学生になったその四月、立ち食い蕎麦で飢えを凌いでいた私が、國學院大學の生協の職員に「近代文学やるなら、これでしょ!」と半ば騙されて買ったものの、今日まで一度として役に立ったという記憶がない、岩波小事典の片岡良一編の「日本文学―近代」(一九五八年刊)の「大正文学」の項を引いておく。片岡氏は一九五七年に逝去しているのでパブリック・ドメインである(今後、電子化でせいぜい使ってやろうと思う)。なお、アラビア数字を漢数字に、ピリオド・コンマを句読点に代え、注記号は省略した。また、私は以上の部分は私の乏しい知識でオリジナルに書いたもので、以下を参考にはしていないことを断わっておく。

   《引用開始》

 大正文学 大正期の文学は新浪漫派の支配にはじまる。新しい文学を確立した自然主義は、それの意図した人間解放の道の梗塞多さにたじろいで、明治四十三、四年(一九一〇、一一)頃から分化期的な低迷に入ったし、四十三年に出発した白樺派の主我的成長主義は容易に一般化しえない社会的制約があったため、その制約や梗塞への抵抗を姿勢して耽美的な享楽主義などに傾いていた新浪漫派が、文芸界の主潮流とならずにはいなかったのである。が、それは明治末年から大正二、三年までのことで、大正三、四年頃にな ると、第一次大戦下の気流に即して著しく人道主義化した白樺派の文学が、唯美派系統の情話文学や遊蕩文学を圧倒して第一線に出た。と同時に、そこにも見られた文学における社会的関心の濃化が並行的に主知的な探求精神の強化を生んで、自然主義の伝統に数年来の低迷を越えた客観主義的成熟をもたらす一方、民衆芸術論書やデモクラシズムの擡頭を生み、それが従来の個人主義伝統と対立することになったところに大きな転換期の到来を思わせるものがあった。が、その転換はさすがにそう急速には行われず、民衆芸術やその延長線上にあらわれた無産者文学にだんだんと侵蝕されながらも、白樺派の主観的飛躍を現実にひきもどし、唯美派風の享楽主義や芸術主義をも適度にとかしこんで、自然主義以来見失われていた個人的な生の調和を現実に即して見いだそうとする新現実主義の風潮が、一般的には支配的な位置をしめることになった。しかもその道が結局は狭隘化された心境小説書や私小説を結論とするほかないものであったため、伝統の内部から新感覚派による反逆運動が生れた(大十三)年頃には、無産者文学もまたプロレタリア文学にまで成長し、そこに生れたはげしい時代的な蕩揺が、芥川竜之介の自殺(昭二)という終幕をもたらしたのである.唯美派の支配から或る意味でそれの崩壊とも見られるこの芥川の自殺までを大正時代と見ることもできるし、新感覚派結成の大正一三年(一九二四)以後を昭和文学として考える人も多い。自然主義の客観主義的成熟や唯美派系統の情話文学や遊蕩文学への転落までを明治文学の直接延長線上のものと見、時期的にはそれと重なり合った白樺派の進出から新現実主義にかけてを大正文学と規定すれば最もすっきりする。そう見れば、とにもかくにも解放された個人が現実に即して調和的な生の道を求めたのが大正文学であり、それが結局は狭いところに落ちこんだにしても、そこに市民文学の日本的達成が見られることになる。転換期的揺蕩の一翼として生れた宗教文学書が、そういう歴史にそって相当の勢力を持ったことや、それだけその奥には怖れや虚無感がただよっていたことも見落してはならない。

   《引用終了》

 

・「民衆藝術家」小学館「大辞泉」の「民衆芸術」には、『民衆が作り出す、また、民衆のための芸術。日本では大正中期、大杉栄らによって論じられ、詩壇では白鳥省吾らの民衆詩派が台頭、プロレタリア文学の先駆となった』と出、平凡社「世界大百科事典」の「民衆芸術論」には(コンマを読点に代えた)、大正期の文壇に於いて特に大正五(一九一六)年から『数年にわたって交わされた〈民衆と芸術〉のテーマをめぐる論議。大正デモクラシーの思潮の中から、芸術の民衆化、あるいは民衆の芸術参加という課題が浮かび、〈民衆芸術とは一般平民のための芸術〉と規定した本間久雄の論文』「民衆芸術の意義及び価値」(大正五年八月『早稲田文学』掲載)『が論議の発端になった。安成貞雄、加藤一夫、大杉栄、平林初之輔、生田長江などが発言したが、本間が民衆を教化する芸術を論じたのに対し、急進的な大杉は〈民衆によって民衆の為に造られ而して民衆の所有する芸術〉と規定して、労働階級の政治的自立と芸術的自立の同時達成を主張し、両者の論旨が有効にかみあうまでにいたらず、論議は労働文学や民衆詩などと一つになって、大正末年のプロレタリア文学をめぐる大渦の中に吸収されていった』と出る。岩波新全集の山田俊治氏の注ではこれに、『支配階級の専有物でない、民衆のための芸術を目的として実践する芸術家。大正期、ロマン・ロランらの影響下に、大杉栄などが提唱し、一九一七―二〇年にかけて活発な論議を呼び、プロレタリア文学理論の先駆とな』ったとする。

・「古人は民衆を愚にすることを治國の大道に數へてゐた」「論語」「泰伯第八」の第九章目に、「論語」の中ではあまり人気のない一節として、

 

子曰、民可使由之、不可使知之。(子曰く、「民は之れに由(よ)らしむべし。之れを知らしむべからず。」と。)

 

がある。この一章には幾つかの解釈があるようだが、文化大革命当時、この一節が「批林批孔」で孔子が愚民政治を主張した根拠とされた通り、素直に読むなら、新潮文庫の注の神田由美子氏の訳の如く、

『人民は道理に暗いものだから、いろいろ指導してただ従わせること。その原理を理解させようとしても無駄である』。

となろう。参照したネットのこの箇所の解釈についてのQ&Aサイトの親切な回答には、他に、

「能力がある人物はそのまま即座に起用し、能力がない者にはしっかりと教育を施すがよい。」(回答者は教育者孔子の言としては、これが正しいとされておられる)

「能力がある人物は彼らの自由にやらせるのがよい。能力がないなら、指導してやるのがよい。」

「民は自由にさせればよいか? いいや、教えなければならない!」

といったような訳(私が少しいじくってある)が示されてある。龍之介がこれを念頭に置いたかどうかは確約は出来ぬが(神田氏注以外にも筑摩全集類聚が「論語」のこの部分を注に載せている)、まずこれを指しているとみて間違いなかろう。そうして、龍之介のこの箇所の解釈は明らかに神田氏の訳のように、民衆を「愚」とする(『その原理を理解させようとしても無駄である』)ものである。]

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