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2016/05/27

芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 或辯護

 

       或辯護

 

 或新時代の評論家は「蝟集する」と云ふ意味に「門前雀羅を張る」の成語を用ひた。「門前雀羅を張る」の成語は支那人の作つたものである。それを日本人の用ふるのに必ずしも支那人の用法を踏襲しなければならぬと云ふ法はない。もし通用さへするならば、たとへば、「彼女の頰笑みは門前雀羅を張るやうだつた」と形容しても好い筈である。

 もし通用さへするならば、――萬事はこの不可思議なる「通用」の上に懸つてゐる。たとへば「わたくし小説」もさうではないか? Ich-Romanと云ふ意味は一人稱を用ひた小説である。必ずしもその「わたくし」なるものは作家自身と定まつてはゐない。が、日本の「わたくし」小説は常にその「わたくし」なるものを作家自身とする小説である。いや、時には作家自身の閲歷談と見られたが最後、三人稱を用ゐた小説さへ「わたくし」小説と呼ばれてゐるらしい。これは勿論獨逸人の――或は全西洋人の用法を無視した新例である。しかし全能なる「通用」はこの新例に生命を與へた。「門前雀羅を張る」の成語もいつかはこれと同じやうに意外の新例を生ずるかも知れない。

 すると或評論家は特に學識に乏しかつたのではない。唯聊か時流の外に新例を求むるのに急だつたのである。その評論家の揶揄を受けたのは、――兎に角あらゆる先覺者は常に薄命に甘んじなければならぬ。

 

[やぶちゃん注:大正一三(一九二四)年九月号『文藝春秋』巻頭に、前の「貝原益軒」と、後の「制限」とともに全三章で初出する。

 

・「或新時代の評論家」不詳(岩波新全集の山田俊治氏の注も『不祥』とする)。芥川龍之介は、よっぽどこの人物のこの誤使用にイラッときていたものか、既に四年も前の「骨董羹壽陵余子の假名のもとに筆を執れる戲文(大正九(一九二〇)年の『人間』に連載)の「誤謬」の冒頭でも、この誤りを最初に糾弾している。

   *

 門前の雀羅蒙求を囀ると説く先生あれば、燎原を燒く火の如しと辯ずる夫子あり。明治神宮の用材を贊して、彬々(ひんひん)たるかな文質と云ふ農學博士あれば、海陸軍の擴張を議して、艨艟(もうどう)罷休(ひきう)あらざる可らずと云ふ代議士あり。昔は姜度(きようと)の子を誕するや、李林甫手書(しゆしよ)を作つて曰、聞く、弄麞(ろうしやう)の喜ありと。客之を視て口を掩ふ。蓋し林甫の璋(しやう)字を誤つて、麞字を書せるを笑へるなり。今は大臣の時勢を慨するや、危險思想の瀰漫(びまん)を論じて曰、病既に膏盲(かうまう)に入る、國家の興廢旦夕にありと。然れども天下怪しむ者なし。漢學の素養の顧られざる、亦甚しと云はざる可らず。況や方今の青年子女、レツテルの英語は解すれども、四書の素讀は覺束なく、トルストイの名は耳に熟すれども、李青蓮の號は眼に疎きもの、紛々として數へ難し。頃日(けいじつ)偶書林の店頭に、數册の古雜誌を見る。題して紅潮社發兌(はつだ)紅潮第何號と云ふ。知らずや、漢語に紅潮と云ふは女子の月經に外ならざるを。

   *

この擬古文、なかなかに手強い(因みに、この文章は龍之介満二十八の時のものである)。リンク先の私の原文テクストにも私の注を附してあるが、失礼乍ら、それでも分らない部分は多かろう。何なら、私がこれを暴虎馮河に現代語敷衍訳した『芥川龍之介「骨董羹寿陵余子の仮名のもとに筆を執れる戯文」に基づくやぶちゃんという仮名のもとに勝手自在に現代語に翻案附註した「骨董羹(中華風ごった煮)寿陵余子という仮名のもと筆を執った戯れごと」という無謀不遜な試み』の方の「誤謬」を参考にされんことをお薦めする。いや、無論、上記で十分、解るという御仁はもう、その限りではない。

・「蝟集する」「蝟」は針鼠(はりねずみ:哺乳綱ハリネズミ目ハリネズミ科ハリネズミ亜科 Erinaceinae に属するハリネズミ類)のことで、彼らの自己防衛用の針(体表の背部側一面に生えるが、これは体毛の一本一本がまとまって硬化したものである)のように多くの対象物が、うじゃうじゃと一時のうちに寄り集まる、の謂い。

・「門前雀羅を張る」「雀羅」は「じやくら(じゃくら)」と読む。雀を捕えるための「かすみ網」のことである。訪れる人もなく、門の前には雀が沢山群れ飛んでいて、網を張れば容易に捕えられるほどだ、という謂いで、「訪れる者もいなくなってしまい、ひっそり如何にも寂れてしまっている」ことの喩えである。これはもと、司馬遷の「史記」汲・鄭(てい)列伝が元であるが(昔、翟(てき)公が官をやめたとたん、誰も来ずなって、「廢門外可設雀羅」(門を廢し、外に雀羅を設くべし)というありさまに成った)、かの白居易の「寓意詩五首」の一節(高位高官が左遷されてしまい、主の居なくなった屋敷は「賓客亦已散、門前雀羅張」(賓客亦(ま)た已(すで)に散じ、門前、雀羅張る。))によって広く知られるようになったものである。

・「わたくし小説」「私(わたくし)小説」(「ししょうせつ」とも読む)のこと。この四年前の大正九(一九二〇)年頃から使用され始めた文学用語。平凡社「世界大百科事典」の高橋英夫氏の解説から引く(現代部分を大幅にカットし、コンマを読点に代えた)。『作者自身とわかる人物が〈私〉として作中に登場し、〈私〉の生活や想念、目撃見聞した出来事を虚構を交えずありのまま語ったとみなされる小説をいう。これに類似するものに、ドイツの』「イッヒ・ロマン」(本文で芥川龍之介が謂っている「Ich-Roman」)『(主人公が一人称で語る小説)や自伝があるが、私小説は近代日本の特殊性につよく規定される点でそれらとは異なる。最も日本的な文学形態だけに、日本的な偏りを批判されることが多かった』。『用語例として〈私小説〉が確立される以前、田山花袋』の「蒲団」(明治四〇(一九〇七)年)が『赤裸々な恋愛感情を表現したのが私小説の事実上の発祥とされている。ヨーロッパの自然主義の影響による事実尊重と近代自我拡充の欲求が結合して私小説を生んだのである。しかし花袋のように、事実尊重は、公認の社会道徳から逸脱した私的側面、主として男女の情痴や破れかぶれの生活をえがく方向に向かい、岩野泡鳴〈泡鳴五部作〉』(「放浪」・「断橋」・「発展」・「毒薬を飲む女」・「憑き物」)(明治四三(一九一〇)年から翌年に発表)、近松秋江の「疑惑」(大正二(一九一三)年)などを経て、葛西善蔵の苛烈で自虐的な自己剔抉(てつけつ)に達した、「子を連れて」(大正七(一九一八)年)などが書かれた。『そこまでいくと赤裸々な自己暴露も、人生の卑小さ醜さの底での自己観照、自己救済に転ずる契機をつかむが、それが私小説の究極的形態としての心境小説になってゆく。心境小説の典型には透明な死生観を述べた志賀直哉』「城の崎にて」(大正六(一九一七)年)が挙げられる。『心境小説にいたって私小説は自然主義風の暗さを脱したため、大正中期以降は《白樺》派や佐藤春夫、芥川竜之介ら芸術派までも手を染めるようになっていった。この段階で私小説の日本的特異性が気づかれ始め、〈私小説〉が概念として確立され、私小説論議が盛んになった。その中で中村武羅夫』が「本格小説と心境小説」(大正一三(一九二四)年)で『心境小説批判の側に立ったのに対し、久米正雄』は「私小説と心境小説」(大正一四(一九二五)年)で『本格小説を通俗的と決めつけ、私小説こそ人の肺腑をつく芸術の本道であるとする擁護の立場に立っていた』。『私小説の長所はつくりごとや虚飾を去った自己認識を通じ、人間性の醇化(じゆんか)と救済に向かい、東洋的悟道、全世界と自己の宥和(ゆうわ)に達するところにある。反面その弱点は』、第一に、『裸一貫の〈私〉の経験、思索に忠実たらんとするため、作品に社会的広がりが乏しくなることである。作品が私的日常性の範囲に限定され、みすぼらしい貧乏生活、主観的想念の自己満足的表現になりやすい』。第二に、『〈私小説演技説〉が伊藤整により唱えられたように、私小説を書くための作者の意図的な自己演技がいつわりなきものであるべき生活をゆがめかねない』。第三に、『作品世界が実生活と別次元に立つことを忘れ、作品と実生活の混淆が生じがちである』という点にあった。『こういう得失の検討はすべての私小説論でなされてきたが、中でも小林秀雄』の「私小説論」(昭和一〇(一九三五)年)は重要で』、『小林はその中で〈社会化した私〉というキーワードを用いて私小説を批判しつつ、その批判を通じて否定しえぬ〈私〉の存在することを指摘した』。『このように私小説について特徴的なのは作品と論議とが同程度の重要さをもって発表されてきたことである。小林秀雄や後の中村光夫の』「風俗小説論」(昭和二五(一九五〇)年)の〈風俗小説〉『批判にもかかわらず』、『私小説は盛んに書かれ』続けた。第二次大戦後、『私小説は近代的自我を阻害し、近代小説の成立を妨げるものとして手きびしく論難されたが、その生命力は強卑で、旧来の作家のほか新しい作家たちも私小説を執筆している。その中のかなりの部分は私小説への批判や提言に対応する形で私小説の変質を実現しつつある』。ともかくも、『私小説が賛否を』越えて、『近代小説の日本的変種として日本人の体質と発想に適合していることには変りはない』とある。新潮文庫の神田由美子氏の注では、『芥川龍之介も晩年は「点鬼簿」 「蜃気楼(しんきろう)」 「歯車」など、私小説的作風に向かっていき、谷崎潤一郎と「『話』らしい話のない小説論を闘わす』(「文藝的な、餘りに文藝的な」を指す)『など、「私小説」に深い関心を抱いていた』と記す(リンク先は私の電子テクスト)。但し、それはあくまで私小説の技法上の興味に過ぎず、晩年の告白体形式のそれらは凡百の読まれなくなった私小説とは、自ずと一線を画するものであることは疑いない。]

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