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2016/05/22

芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 人生(三章)

 

       人生

        ――石黑定一君に――

 

 もし游泳を學ばないものに泳げと命ずるものがあれば、何人も無理だと思ふであらう。もし又ランニングを學ばないものに駈けろと命ずるものがあれば、やはり理不盡だと思はざるを得まい。しかし我我は生まれた時から、かう云ふ莫迦げた命令を負はされてゐるのも同じことである。

 我我は母の胎内にゐた時、人生に處する道を學んだであらうか? しかも胎内を離れるが早いか、兎に角大きい競技場に似た人生の中に踏み入るのである。勿論游泳を學ばないものは滿足に泳げる理窟はない。同樣にランニングを學ばないものは大抵人後に落ちさうである。すると我我も創痍を負はずに人生の競技場を出られる筈はない。

 成程世人は云ふかも知れない。「前人の跡を見るが好い。あそこに君たちの手本がある」と。しかし百の游泳者や千のランナアを眺めたにしろ、忽ち游泳を覺えたり、ランニングに通じたりするものではない。のみならずその游泳者は悉く水を飮んでをり、その又ランナアは一人殘らず競技場の土にまみれてゐる。見給へ、世界の名選手さへ大抵は得意の微笑のかげに澁面を隱してゐるではないか?

 人生は狂人の主催に成つたオリムピツク大會に似たものである。我我は人生と鬪ひながら、人生と鬪ふことを學ばねばならぬ。かう云ふゲエムの莫迦々々しさに憤慨を禁じ得ないものはさつさと埒外に步み去るが好い。自殺も亦確かに一便法である。しかし人生の競技場に踏み止まりたいと思ふものは創痍を恐れずに鬪はなければならぬ。

 

       又

 

 人生は一箱のマツチに似てゐる。重大に扱ふのは莫迦々々しい。重大に扱はなければ危險である。

 

       又

 

 人生は落丁の多い書物に似てゐる。一部を成すとは稱し難い。しかし兎に角一部を成してゐる。

 

[やぶちゃん注:大正一二(一九二三)年八月号『文藝春秋』巻頭に前の「告白」とこの三篇の「人生」の計四章で初出する。

 但し、底本の後記よれば、単行本化の際、初出の末尾にあった全六文に及ぶ長い段落が丸ごとカットされている。その省略部を以下に前の段落全部に繋げる形で復元しておく。

   *

 人生は狂人の主催に成つたオリムピツク大會に似たものである。我我は人生と鬪ひながら、人生と鬪ふことを學ばねばならぬ。かう云ふゲエムの莫迦々々しさに憤慨を禁じ得ないものはさつさと埒外に步み去るが好い。自殺も亦確かに一便法である。しかし人生の競技場に踏み止まりたいと思ふものは創痍を恐れずに鬪はなければならぬ。

 四つん這ひになつたランナアは滑稽であると共に悲慘である。水を呑んだ游泳者も涙と笑とを催させるであらう。我々は彼等と同じやうに、人生の悲喜劇を演ずるものである。創痍を蒙るのはやむを得ない。が、その創痍に堪へる爲には、――世人は何と云ふかも知れない。わたしは常に同情と詩語とを持ちたいと思つてゐる。

   *

カット・パートの前半分は確かにやや第三段落とダブるイメージがあり、最後の謂いも、「同情と詩語」という癒しがあるとするのでは、「人生」苛烈な「創痍」が、どうも、湯治に浸かっているような気になってよろしくない。カットは必然であった気はする。しかしながら、「我々は彼等と同じやうに、人生の悲喜劇を演ずるものである。創痍を蒙るのはやむを得ない。が、その創痍に堪へる爲には、――世人は何と云ふかも知れない。わたしは常に同情と詩語とを持ちたいと思つてゐる」という告解こそ、実は侏儒たる龍之介の本音でもあったことにも、我々は気づかねばなるまい

 副題の「石黑定一」(明治二九(一八九六)年~昭和六一(一九八六)年)というのは、岩波新全集に附録する「人名解説索引」(関口安義・宮坂覺(さとる)両氏編著)によれば、芥川がこの二年前の大正一〇(一九二一)年の『中国特派旅行中に知り合った友人』で、東京高等商業学校(現在の一橋大学の前身)卒で、当時は三菱銀行上海支店に勤務しており、後に『同行名古屋支店長をつとめた』とある。例えば、私は「上海游記 五 病院」に登場する謎の「石黑政吉」という人物はこの石黒定一ではないかと秘かに疑っている(リンク先は私のブログ版「上海游記」の当該章。詳細はその私の注を参照されたい。なお、「上海游記 附やぶちゃん注釈」(全)のHTML版はこちら)。読者の中には、本章の真の読解のためにはこの献ぜられた相手である石黒定一なる人物を明らかにする必要があるとお考えになる方が多くおられるのではないかと思っている。実際、私も高校時代に初めて読んだ時に、この名前が頭に刻まれて仕方がなくて、いろいろ考えた。例えば、この石黒なる人物は実は、オリンピックで期待された水泳か陸上の選手なのではないか? ここに開陳される如何にもな神経症的「人生」観を体現する数奇な運命を辿っている芥川龍之介の秘密の友人なのではないか? 等々である。ところが、どうもそういう意味深長な背景は、ない、ようなのである。少なくとも、この長めの「人生」(及び後の二つの「又」も合わせてそうとは読める)を献呈した理由は、以下の当の石黒定一宛のこの年の末の龍之介書簡(大正一二(一九二三)年十二月十五日田端発信・旧全集書簡番号一一五二)を読む限りでは、隠された秘密の暗号はないように(或いは石黒には分かる特別な仕掛けはあるのかも知れないが、現時点ではそれを明らかにしている研究者はいないと思われる)感ぜられるのである(底本は旧全集に拠ったが、踊り字は正字化した。下線はやぶちゃん)。

   * 

冠省御手紙ならびに奈良漬難有く落掌いたしました君の前に上海から東京へ來られた時日本橋の何處かの宿屋から僕へ手紙を頂いたことがあるでせうあの時僕は病の爲湯河原へ行つてゐたのです湯河原で君の手紙を(附箋のついた)受取つた時はもう君の東京にゐない時分だつたのですが念の爲宿へ長距離電話をかけて見ましたさうしたら昨日お立ちになつたとか云ふ事でしたその次第を手紙に書かうと思つてゐるうちに無精の爲、とうとうお流れになつたのですすると春服の出た時君に手紙を頂いたので、今度こそはと思つたのですがやつぱり天性の疎懶に負けてしまつたので、おわび代りに侏儒の言葉の一章を君に獻ずる事にしましたかう云ふ具合にこの手紙を書く迄には何度も書かう書かうと思つたのですがいつも思ひ思ひ書かずにしまふのですどうか失禮は不惡御高免下さい實はこの手紙ももつと早く差上ぐべきものですが新年號の〆切りや何か控へてゐた爲、又だらだらとのびてしまつたのです僕は明朝京都へ行き一週間ばかり遊んで來るつもりです 以上

     十五日   芥川龍之介

   石黑定一樣

   *

書簡中の「とうとう」はママ。「あの時僕は病の爲湯河原へ行つてゐた」龍之介は湯河原へは、中国から帰国(七月)した年の大正一〇(一九二一)年十月と、この大正一二(一九二三)年の三月から四月にかけて静養のために出かけているが、ここは後者か。「春服」は大正一二年五月十八日に春陽堂から刊行した第六作品集の書名。「疎懶」は「そらん」と読み、無精なこと・なまけることの謂い。以上は、老婆心乍ら、今の「侏儒の言葉」を愛読する若者たちが、若き日に私がとらわれた莫迦げた疑念の轍を踏まぬように、敢えて注しておくこととする。

 

・「創痍」「さうい(そうい)」「創」も「痍」も傷の意で、元来は刃物などによって体に受けた傷、創傷を指すが、転じて精神的な痛手の謂いとしてもよく用いられる。

を負はずに人生の競技場を出られる筈はない。

・「澁面」「じふめん」或いは「じぶづら」であるが、私は後者で訓じたい(筑摩全集類聚版は前者でルビを振る)。言わずもがなであるが、意味は、不愉快そうな苦々しい顔つき。しかめっ面。

・「埒外」通常の辞書では読みは「らちがい」であるが、私などは「らつがい」と読みたくなる(夏目漱石の作品ではしばしば「らつがい」とルビされる)。ある物事や対象の範囲外の意。

・「便法」「べんぱふ(べんぽう)」あることを成すのに手っ取り早い簡単容易に出来る方法。こんな短文にも龍之介の鋭いアイロニーはジャック・ナイフのようにキラりと光る。

・「人生は一箱のマツチに似てゐる。重大に扱ふのは莫迦々々しい。重大に扱はなければ危險である。」「侏儒の言葉」といえば、私は後の「わたし」、

 

 わたしは良心を持つてゐない。わたしの持つてゐるのは神經ばかりである。

 

の次に、この一章を直ちに想起するものである。龍之介の修辞の絶妙なることは、「重大に扱ふのは莫迦々々しい。」と「重大に扱はなければ危險である。」の二文の間に次のアフォリズムのような「しかし」という逆説の接続詞を配さない上手さにある。我々凡夫は必ずや、ここに流れの説明を示す語や表現を入れ込みたくなり、そうして文章の輝きは即座に消え失せるのである。芥川龍之介の盟友菊池寛は「人生を銀のピンセツトで弄んでゐる」と龍之介を洒落て評したが、それとこのマッチの一章を並べて見れば、自ずとどっちが文学の本物であったかがよく判ると私はいつも思う。

・「人生は落丁の多い書物に似てゐる。一部を成すとは稱し難い。しかし兎に角一部を成してゐる。」さて、落丁のある書物の場合――その落丁が一ヶ所なら――私はそのまま力技で読む。読み終わってしかし、その落丁部分には同書の核心的記述や重大な伏線が書かれているかも知れぬと漠然と夢想し、結局、購入した書店に持って行き、交換して貰う。しかし結局、その落丁部分にはたいしたことは書かれていないのである――私は生涯に文庫本の鎌倉時代について書かれた歴史解説書で一度、海外の幻想小説の単行本で一度、落丁本を買い、事実、そうした。そうして実際、交換して読んだその落丁部分にはたいした内容は記されていなかった。なお、力技で読んでから交換という仕儀は、単に綺麗な本を残しておきたいという書痴感覚に過ぎぬ――。即ち、――「他人の人生」という「書物」の一ヶ所の落丁――ならば、その「落丁」部分には――その人の人生の秘鑰(ひせき:その人を真に知り得る秘密の鍵)が隠されているやも知れぬ――とことさらに憧憬するやも知れぬとは言えるのである。しかし乍ら、所詮、それは私の実際経験の物語るように、結果的に失望する妄想に過ぎぬものである(しかしそれは実際にその「一ヶ所の人生の落丁」部を覗き読み得た場合に限る訳でもある)。……しかし「落丁の多い書物」となると、事態は全く変わってくる。複数の落丁がある場合、最早、類推によって読み進める意欲は失われ、早々にその書物を読むことはやめ、即座に新本との交換を求める。即ち、――その「落丁の多い」「人生」という「書物」は見かけ上の「書物」という実体を成しているようでありながら――その実――それは読むに値する/味読することの出来る「人生」という「書物」ではなく、「人生」という御大層な標題を冠した――「永遠に誰にも読まれことがない」ところの「人生」という題名の「書物」という形式上の「一部を成してゐる」に過ぎない。――それは、その内実からは「一部を成すとは稱し難い、しかし「兎に角一部を成してゐる」ようには見える/見えるだけの現実的には無用不用の形骸物・廃棄物――に過ぎないということになる。そうして……それが「自分の人生」であるとしたら……これは考えるだに胸掻き毟られるような焦燥ではないか?!……いや……しかし必ずしもそうではないかも知れない。そもそも落丁などなくとも、殆ど誰にも読まれることのない書物は、実際にあるではないか。しかし――果たしてそのような「書物」は本当に「あらゆる他者に対して無用不用の意味のないもの」なのであろうか?――その答えは後の芥川龍之介の私遺愛の掌品「詩集」(大正一四(一九二五)年『新小説』)に求めることが出来るであろう。短いので総てを掲げる(底本は岩波旧全集。大きな活字でお読みになりたい方は最古電子テクストであを見られたい。なお、四度あるリフレインの最初と最後の一行目末の読点がないのはママである)。

   *

 

  詩集

 

 彼の詩集の本屋に出たのは三年ばかり前のことだつた。彼はその假綴ぢの處女詩集に「夢見つつ」と言ふ名前をつけた。それは卷頭の抒情詩の名前を詩集の名前に用ひたものだつた。

    夢みつつ、夢見つつ

    日もすがら、夢見つつ……

 彼はこの詩の一節ごとにかう言ふリフレエンを用ひてゐた。

 彼の詩集は何冊も本屋の店に並んでゐた。が、誰も買ふものはなかつた。誰も? ――いや、必ずしも「誰も」ではない。彼の詩集は一二册神田の古本屋にも並んでゐた。しかし「定價一圓」と言ふ奥附のあるのにも關らず、古本屋の値段は三十錢乃至二十五錢だつた。

 一年ばかりたつた後、彼の詩集は新しいまま、銀座の露店に並ぶやうになつた。今度は「引ナシ三十錢」だつた。行人は時々紙表紙をあけ、卷頭の抒情詩に目を通した。(彼の詩集は幸か不幸か紙の切つてない装幀だつた。)けれども滅多に賣れたことはなかつた。そのうちにだんだん紙も古び、假綴ぢの背中もいたんで行つた。

    夢みつつ、夢見つつ、

    日もすがら、夢見つつ……

 三年ばかりたつた後、汽車は薄煙を殘しながら、九百八十六部の「夢見つつ」を北海道へ運んで行つた。

 九百八十六部の「夢見つつ」は札幌の或物置小屋の砂埃の中に積み上げてあつた。が、それは暫くだつた。彼の詩集は女たちの手に無數の紙袋に變り出した。紙袋は彼の抒情詩を橫だの逆樣だのに印刷してゐた。

    夢みつつ、夢見つつ、

    日もすがら、夢見つつ……

 半月ばかりたつた後、是等の紙袋は點々と林檎畠の葉かげにかゝり出した。それからもう何日になることであらう。林檎畠を綴つた無數の林檎は今は是等の紙袋の中に、――紙袋を透かした日の光の中におのづから甘みを加へてゐる、靑あをとかすかに匂ひながら。

    夢みつつ、夢見つつ

    日もすがら、夢見つつ……

 

   *

この「詩集」は決してたった十四部しか買われなかった――買ったからといって読まれる訳ではない。しかもこの詩集はフランス装であるために残りの九百八十六部は確実に誰も立ち読みでさえ読まれることはなかったのである。しかし、である。この小品が描いているのは――「夢見つつ」という「詩集」(という「人生」の――「悲劇」(的末路)――では――ない。このエンディングの如何にも掌(たなごころ)に感ずる林檎の温もりとそこから伝わってくる林檎の甘みの、何とリアルなことであろう! 私は――荘子の言った「無用の用」の如き――真の「詩の光栄」こそがこの「林檎の至福」としてある――と読むのである。

 なお、この一章は前章よりも無論、インパクトは落ちる。そういう意味では「甘い」。

 しかしそれこそが芥川龍之介の確信犯なのである。

 

――これあればこそ――前のマッチが恐ろしい――かの「地獄變」の絵巻のような――紅蓮の焰を上げて燃えさかるから、である…………]

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