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2016/05/25

芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈)  醜聞(二章)

 

       醜聞

 

 公衆は醜聞を愛するものである。白蓮事件、有島事件、武者小路事件――公衆は如何にこれらの事件に無上の滿足を見出したであらう。ではなぜ公衆は醜聞を――殊に世間に名を知られた他人の醜聞を愛するのであらう? グルモンはこれに答へてゐる。――

 「隱れたる自己の醜聞も當り前のやうに見せてくれるから。」

 グルモンの答は中つてゐる。が、必ずしもそればかりではない。醜聞さへ起し得ない俗人たちはあらゆる名士の醜聞の中に彼等の怯懦を辯解する好個の武器を見出すのである。同時に又實際には存しない彼等の優越を樹立する、好個の臺石を見出すのである。「わたしは白蓮女史ほど美人ではない。しかし白蓮女史よりも貞淑である。」「わたしは有島氏ほど才子ではない。しかし有島氏よりも世間を知つてゐる。」「わたしは武者小路氏ほど……」――公衆は如何にかう云つた後、豚のやうに幸福に熟睡したであらう。

 

       又

 

 天才の一面は明らかに醜聞を起し得る才能である。

 

大正一三(一九二四)年四月号『文藝春秋』巻頭に後の「輿論」二章と「敵意」「ユウトピア」「危險思想」「惡」の全八章で初出する。「醜聞」は「しうぶん(しゅうぶん)」で、聞き苦しい噂・良くない風評・スキャンダル(scandal:不祥事・疑獄/醜聞に対する世間の反感・物議/不面目・言語道断な事柄/中傷・悪口・陰口)・ゴシップ(gossip:人の私事に関する噂話・世間話/新聞雑誌に載る名士などに関する噂話)である。…どこかのゲスな某自称ミュージシャン……どこかの某都知事……どこかの某総理大臣……
  
底本後記によれば、初出では二章目の頭の部分が、

 天才の一部は明らかに醜聞を起し得る才能である。

となっている。

 

・「白蓮事件」「びやくれんじけん(びゃくれんじけん)」と読む。ウィキの「白蓮事件」から引く。この発表の二年半前の大正一〇(一九二一)年十月二十日、福岡の炭鉱王であった伊藤伝右衛門の妻で歌人として知られた柳原白蓮(本名・燁子(あきこ) 明治一八(一八八五)年~昭和四二(一九六七)年)が滞在中の東京で出奔、『社会運動家で法学士の宮崎龍介』(明治二五(一八九二)年~昭和四六(一九七一)年)『と駆け落ちした事件。新聞紙上で妻白蓮から夫への絶縁状が公開され、それに対して夫・伝右衛門から反論文が掲載されるマスコミのスクープ合戦となり、センセーショナルに報じられた』。なお、ウィキの「宮崎龍介」によれば、以後、終生、燁子は夫の良き理解者となり、一男一女をもうけている、とある。因みに、これは実にまさにこの「醜聞」というタイトルが鏡返しで作者芥川龍之介に返って来、そこには何と! この白蓮がいる! この発表から四年後の昭和二(一九二七)年四月のこと、龍之介は妻文(ふみ)の幼馴染みで、文から龍之介の話し相手になって呉れと頼まれて龍之介と交際していた平松麻素子(ますこ)と帝国ホテルで心中未遂をした際、この柳原白蓮の追憶に従うなら(柳原白蓮「芥川龍之介さんの思ひ出」によるが、一九九二年河出書房新社刊の鷺只雄編著「年表作家読本 芥川龍之介」に載るもの)、現場に白蓮が駆けつけ、説得して思い止まらせたという、まさに「龍之介事件」となるところだった「醜聞」未遂が記されてある(但し、この「龍之介事件」には白蓮の登場しない妻の文や盟友小穴隆一・甥葛巻義敏が止めるというシチュエーションの別話が現行では一般に知られている)。いやぁ、そうか! 「天才の一面は明らかに醜聞を起し得る才能である」と「又」で龍之介が追加したのは自分のためだったの、ね。

・「有島事件」作家活動に行き詰っていた有島武郎(明治一一(一八七八)年~大正一二(一九二三)年六月九日)がこの前年の六月に軽井沢の別荘で中央公論社の雑誌『婦人公論』の記者で愛人であった波多野秋子(明治二七(一八九四)年~大正一二(一九二三)年六月九日)と縊死心中した事件。当時の武郎は妻と既に死別(大正五(一九一六)年)していて独身であったが、秋子は人妻であり、それが露見して武郎はその夫から脅迫を受けていた。ウィキの「有島武郎」によれば、七月七日になって発見されたが、梅雨期に一ヶ月も『遺体が発見されなかったため、相当に腐乱が進んでおり、遺書の存在で本人と確認されたという。複数残されていた遺書の一つには、「愛の前に死がかくまで無力なものだとは此瞬間まで思はなかつた」と残されていた』とある。芥川龍之介は満二十七の大正八(一九一九)年五月三十一日に有島と初めて会っている(神田のレストラン「ミカド」で行われた「ホイットマン百年祭」)。武郎の心中を知った龍之介は大いに憂鬱となり、小島政二郎に「死んじゃ、敗北だよ」と語ったという(新全集宮坂覺編年譜の同年七月八日の条に拠る)。

・「武者小路事件」新潮文庫の神田由美子氏の注によれば、作家武者小路実篤(明治一八(一八八五)年~昭和五一(一九七六)年)が、この二年前の『大正十一年に夫人房子』(明治二五(一八九二)年~平成二(一九九〇)年)『と離婚し、あらたに飯河安子と家庭を持ったことをさす』とある。宮崎県公式サイト内の「みやざきの百一人」の武者小路房子」によれば、『「お互いが人間らしく生き、むつみ合い、そしてお互いの個性を尊重し、他人を傷つけることなく、しかも天命を全うすることができる理想郷、いわば調和的な共同体をめざす」そんなスローガンを掲げて』、大正七(一九一八)年十一月に「新しき村」が現在の木城町(きじちょう)石河内(いしかわうち)に『開設された。その中心人物は「白樺」派同人・武者小路実篤。房子夫人を伴っての入村であった。小説『土地』にようやく桃源郷を探し当てて驚喜する場面があるが、その時』実篤三十三歳、房子二十六歳であった。『房子は福井県大野の素封家竹尾茂の』四人姉妹の長女として生まれ、大正元(一九一二)年に『実篤と結婚。やがて千葉県我孫子の家を処分して、夫に従い』、遙か、『日向の山村に居を定めた。入村者は子供を含めて』約二十人であったが、五年後には四十四人となった。『その間』、『レコードコンサート、演劇、絵を描き、通信を出し、農作業をし、水路を開いたりした。しかし実篤と飯河安子の恋愛問題が起こり、彼は去り』、『村外会員になった。房子もまた杉山正雄との恋愛事件が起こり、実篤とは別れて生活することになった』。四年後の昭和七(一九三二)年に房子は『杉山と正式に結婚。実篤は』二人を『養子にして武者小路姓を名乗らせ』、二人は『「日向新しき村」に生涯をかけることとなった』。昭和一三(一九三八)年に『小丸川総合開発計画で美田が湖底に沈み、村のシンボルだったロダンの岩が消えたのが致命的であった。夫杉山は村の存続にすべてをささげた。房子は理想の灯を消すことなく』、『誇りを持って天寿を全うした』とある。因みに共同体「新しき村」は現在も埼玉県入間郡毛呂山町にあるが、ウィキの「によれば、二〇一三年現在で村内生活者数は十三人、村外会員は約百六十人ほどであり、『近年、村内の高齢化が進み、農業収入の低迷もあり、村の運営に困難が増している』とある。私は武者小路実篤が生理的に大嫌いであるが、今回、かく知って、ますますさらに嫌いになった。

・「グルモン」フランスのサンボリスム(象徴主義)の批評家で小説家レミ・ド・グールモン(Remy de Gourmont 一八五八年~一九一五年)ノルマンディーの名門の出身でカーン大学に学び、後にパリの国立図書館司書となったが、一八九一年に『メルキュール・ド・フランス』誌(Mercure de France:前年創刊で彼は創刊者の一人であった)に載せた論文「愛国心という玩具」(Le joujou patriotisme)の過激な反愛国主義的口調が筆禍事件に発展し、免官となった。同時期に結核性狼瘡(ろうそう)に罹患、醜い痕が顔面に残り、それが免職以降の一層の孤独幽閉の生活を強いることとなった。この二つの出来事と『重なり合って始まる彼の文学活動は、象徴主義的風土と充実した生の現実、知的生活と感覚的生活、プラトニックな恋愛と官能的恋愛の間を、絶え間なく微妙に揺れ動きつつも、バランスを保った』。有名な「シモーヌ」(Simone)詩編を含む「慰戯詩集」(Divertissements 一九一二年)、二十世紀を美事に先取りした作品である「シクスティーヌあるいは頭脳小説」(Sixtine, roman de la vie cérébrale 一八九〇年)、傑作「悍婦(アマゾーヌ)への手紙」(Lettres à l'Amazone 一九一四年)など、『いずれも前記のテーマに沿っている。批評家としての彼は、「観念分離」なる用語を用いて、観念あるいはイメージの月並み部分を排除することを説いたが、実をいうと、例の反愛国主義的論文もそれの一例であった。批評の代表作は』「神秘ラテン語」(Le Latin mystique 一八九二年)・「観念陶冶」(La Culture des idées 一九〇〇年)・「仮面集」(Le Livre des masques 一八九六年~一八九八年)・「文学散歩」(Promenades littéraires 一九〇四年~一九一三年)・「哲学散歩」(Promenades philosophiques 一九〇五年~一九〇九年)などである。(以上は引用を含め、小学館「日本大百科全書」の松崎芳隆氏の解説を主に用いた)。岩波新全集の山田俊治氏の注には、彼は『特に芸術における無意識の役割を強調した』とある。

・「隱れたる自己の醜聞も當り前のやうに見せてくれるから」同じく山田氏の注によれば、この引用はグールモンの「対話 Pensées inédites」『の中の言葉とされる』とある(一九二〇年の作)。「される」というのは意味深長。筑摩全集類聚版は同書に『「対話」にある』と断言、神田氏の注もはっきり同「対話」『に見える』と記す。さて、誰の謂いが正確なのかな? という気がしてくるね。

・「中つて」「あたつて」。当たって。

・「怯懦」既注であるが再掲しておく。「けふだ(きょうだ)」。臆病で気が弱いこと。意気地(いくじ)のないこと。

・「好個」「かうこ(こうこ)」あり対象や事柄がまさにちょうど良いこと・適当なこと。

・「臺石」「だいいし」。より高みに登るためのステップになる石。]

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