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2016/06/15

芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 或惡魔主義者

 

       或惡魔主義者

 

 彼は惡魔主義の詩人だつた。が、勿論實生活の上では安全地帶の外に出ることはたつた一度だけで懲り懲りしてしまつた。

 

[やぶちゃん注:標題「或惡魔主義者」本文で「詩人」と出るので、これは文芸思潮の「惡魔主義」diabolism/フランス語:satanismeで、主に十九世紀末のヨーロッパで起こった、耽美主義が極端に進んだ、悪魔的なものの中に美を求める文芸上の主張を指す。小学館「日本大百科全書」の船戸英夫氏の解説によれば、『至高善である神のアンチテーゼである悪の権化、悪魔を神のように崇拝し、人生または思想のよりどころにする考え』で、十九世紀末、『反道徳的退廃主義や耽美(たんび)主義が横溢(おういつ)し、人生の裏に潜む暗黒面をひたすらに凝視する作家が悪魔主義的というレッテルをはられ、ボードレール、ホフマン、ユイスマンスらが登場し、日本でも谷崎潤一郎の初期の作品がこの系譜に連なる』とある。このアフォリズム、「詩人」(芥川龍之介は自らを詩人と認識していた)、「實生活の上では安全地帶の外に出ることはたつた一度だけで懲り懲りしてしまつた」という謂いから、秀しげ子との不倫、更には悪魔主義的な内容を持つ「地獄變」辺りを連動させて、芥川龍之介自身を言っていると読む方もあるやも知れぬが、芥川龍之介は「侏儒の言葉」を髣髴させる悪魔的対話劇である遺稿「闇中問答」(昭和二(一九二七)年九月号『文藝春秋』――芥川龍之介追悼号――)の中で(リンク先は私の電子テクスト。下線はやぶちゃん)、

   *

或聲 お前は戀愛を輕蔑してゐた。しかし今になつて見れば、畢竟戀愛至上主義者だつた。

僕  いや、僕は今日(こんにち)でも斷じて戀愛至上主義者ではない。僕は詩人だ。藝術家だ。

或聲 しかしお前は戀愛の爲に父母妻子を抛つたではないか?

僕  譃をつけ。僕は唯僕自身の爲に父母妻子を抛つたのだ。

或聲 ではお前はエゴイストだ。

僕  僕は生憎エゴイストではない。しかしエゴイストになりたいのだ。

或聲 お前は不幸にも近代のエゴ崇拜にかぶれてゐる。

僕  それでこそ僕は近代人だ。

或聲 近代人は古人に若かない。

僕  古人も亦一度は近代人だつたのだ。

或聲 お前は妻子を憐まないのか?

僕  誰か憐まずにゐられたものがあるか? ゴオギヤアンの手紙を讀んで見ろ。

或聲 お前はお前のしたことをどこまでも是認するつもりだな。

僕  どこまでも是認してゐるとすれば、何もお前と問答などはしない。

或聲 ではやはり是認しずにゐるか?

僕  僕は唯あきらめてゐる。

或聲 しかしお前の責任はどうする?

僕  四分の一は僕の遺傳、四分の一は僕の境遇、四分の一は僕の偶然、――僕の責任は四分の一だけだ。

或聲 お前は何と云ふ下等な奴だ!

僕  誰でも僕位は下等だらう。

或聲 ではお前は惡魔主義者だ。

僕  僕は生憎惡魔主義者ではない。殊に安全地帶の惡魔主義者には常に輕蔑を感じてゐる。

   *

とあって、これは芥川龍之介のことではないことは明らかである。

 とすれば――これはもう大正元(一九一二)年に読むもおぞましい「悪魔」を書き、当時、世間一般でも「惡魔主義」(大正一三(一九二四)年の「痴人の愛」をその代表作とする)の作家と言い囃された谷崎潤一郎(明治一九(一八八六)年~昭和四〇(一九六五)年:龍之介より六歳年上)を指すと考えてよい。では、「實生活の上では安全地帶の外に出ることはたつた一度だけで懲り懲りしてしまつた」というのは何かと言えば、言わずもがな、例の妻千代子を佐藤春夫へ譲渡した事件の出来事のプレ状況(譲渡は龍之介の死後)を指すと考えてよかろう。ウィキの「谷崎潤一郎」によれば、大正四(一九一五)年、『谷崎は石川千代子と結婚したが』、六年後の大正一〇(一九二一)年頃、『谷崎は千代子の』実妹石川せい子(『痴人の愛』(大正一四(一九二五)年)のモデル)『に惹かれ、千代子夫人とは不仲となった。谷崎の友人佐藤春夫は千代子の境遇に同情し、好意を寄せ、三角関係に陥った(佐藤の代表作の一つ『秋刀魚の歌』は千代子に寄せる心情を歌ったもの。また、佐藤は『この三つのもの』を、谷崎は『神と人との間』を書いている)。結局』、大正一五(一九二六)年に『二人は和解』、昭和五(一九三〇)年、『千代子は谷崎と離婚し、佐藤と再婚した。このとき』、三人連名の「……我等三人はこの度合議をもって、千代は潤一郎と離別致し、春夫と結婚致す事と相成り、……素より双方交際の儀は従前の通りにつき、右御諒承の上、一層の御厚誼を賜り度く、いずれ相当仲人を立て、御披露に及ぶべく候えども、取あえず寸楮を以て、御通知申し上げ候……」『との声明文を発表したことで「細君譲渡事件」として世の話題になった』。確かに、妻の譲渡というスキャンダルな事件性は龍之介の死後のことであるが、佐藤春夫は龍之介とは大正六(一九一七)年以降の盟友の一人で(芥川龍之介遺著・佐藤春夫纂輯「澄江堂遺珠 Sois belle, sois triste.は彼の成した龍之介への優れたオマージュである。リンク先は私渾身の電子テクスト)、谷崎は「文藝的な、餘りに文藝的な」で知られる通り(リンク先は私の恣意的時系列補正完全版)、全く小説観の異なった、龍之介の相手になろうはずのなかった論争相手であり、当のスキャンダルの片割れである谷崎の妻千代子の妹小林せい子(因みに、同時期に彼女は女優となり、芸名を「葉山三千子」と称した)はと言えば、当時の文士連中と派手な交流をし、龍之介とも顔見知りで親しかったのである。これだけの条件が揃えば、これは谷崎以外には考えられないと私は思う。

 但し、この仮定には一つ、大きな難点がある。

 それは、逆立ちしても谷崎潤一郎は「詩人」ではないからである。比喩としても龍之介が彼を「詩人」と呼ぶとは思えないからである。

 そうなると――「詩人」で「惡魔主義」――これは、初期の永井荷風(明治一二(一八七九)年~昭和三四(一九五九)年:龍之介より十三歳年上)がしっくりとはくる。文人趣味を軽蔑した龍之介は大の荷風嫌いであった(佐藤春夫によれば、荷風は「西遊日記抄」の外は一切認めないといふのをやつと「葡萄棚」だけは承認させたが、多分荷風のあの纏綿たる情緒と江戸趣味とが芥川の気に食はなかつたのであらう芥川の文学はどこまでも情緒と市井を排撃する文学である」とある(「芥川龍之介論」昭和二四(一九四九)年)。但し、この引用は二〇〇三年翰林書房刊「芥川龍之介新辞典」の中村良衛氏の「永井荷風」の項の解説からの孫引き)。同時代に作家として生きながら、交流も全くなく、「断腸亭日乗」の芥川龍之介の自死を新聞で知った昭和二(一九二七)年七月二十四日の記載が正しければ、『震災前新富座の桟敷で偶然席を同じうせしことあるのみ』であった。ただ、龍之介のアフォリズムの「實生活の上では安全地帶の外に出ることはたつた一度だけで懲り懲りしてしまつた」というのはピンと来ない。明治四二(一九〇九)年の「ふらんす物語」と「歓楽」が「風俗ヲ壞亂スモノ」と見做されて発禁となっており、一度どころではない複数の芸妓や娼婦らとの華やかな女性遍歴はそれ以前から後まで永くずっとあったから、「實生活の上では」という条件がしっくりこないのである。ただ、彼は明治四三(一九一〇)年から大正五(一九一六)年三月まで慶應義塾大学文学部主任教授を務めており、それは「安全地帶」の中にいたとは言い得るようには見える。但し、龍之介自死の頃は既に辞任して偏奇館に籠っていた。どうもやっぱり、この「惡魔主義者」を荷風とするには、私はピンとこないのである。

 或いはやはり、これは谷崎潤一郎を揶揄しているものであって、それをぼかす目的で(或いは詩性がないという強烈な皮肉として)「詩人」としたものか? 大方の御批判を俟つ。]

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