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2016/06/16

芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 天國の民

 

       天國の民

 

 天國の民は何よりも先に胃袋や生殖器を持つてゐない筈である。

 

[やぶちゃん注:真面(まとも)に馬鹿正直にこのアフォリズムに対峙してみよう。

 まずは「民」(たみ)とは何かを問題にしないと話にならぬ。

 「民」とは国家・社会を構成する人の内、官や位などの身分を持たない人間たちを指し、要は国家・社会の支配者・権力者によって治められる者たち、「一般の人民」を言う。ここで実は「民」は象形文字であって、〈一つの目を針で刺した形〉に象(かたど)り、自由な独立した自立した自立的生活を別に営む人と区別するために、片目を突いて目を潰されてその印とされた、奴隷や被支配民族を表わすなどという漢和辞典の解字であるとか、同じくそこから派生したところの、目の見えない人のように物事に冥(くら)く愚かで理(ことわ)りを理解しせず、その結果として支配者の配下とされてしまう愚かな人々の意までは問題にせずとも好い。

 従って「天國の民」だろうが「地獄の民」だろうが「一般の人民」は「一般の動物たる人間」、Homo sapiens に他ならない。

 「天國」と言っているからキリスト教を先に例にとるなら、神はアダムをその神の御姿似せて創ったと最初に言ってしまっているわけだから「神の国」の「民」はまさに姿形まで〈人間そっくり〉なわけだ。ともかくもキリスト教だろうが仏教だろうが聖霊だろうが霊魂だろうが「天國」或いは極楽浄土の民草は〈人間そっくり〉であるということである。仏教ではあまり極楽の絵を見ないけれど、地獄絵図は腐るほどあり、そこにいる亡者、即ち、地獄の「民」は概ね、経帷子に三角頭巾の「人間」である。切り刻まれても陰風(いんぷう)が吹けば元に戻るとか特異性を言ったって、戻るのはやっぱり〈人間そっくり〉の形である。とすれば極楽浄土の「民」も推して知るまでもなく、地獄の亡者同様に〈人間そっくり〉なのである。

 さて、私の第一の疑義は以下である。

 だとすると、彼らは〈人間そっくり〉の外観を持ちながら、「何よりも先に胃袋や生殖器を持つてゐない筈である」とは言われない筈である。

 「何よりも先に胃袋や生殖器を持つてゐない」とすれば、彼らは〈人間そっくり〉の形をしている必要がないからである。

 にも拘らず、芥川龍之介のこの命題が成立するとすれば、「天國の民は」〈人間そっくり〉であるにも拘らず、〈人間そのまま〉ではなくて、「何よりも先に胃袋や生殖器を持つてゐない」現世の人間の食欲と性欲から解き放たれた、いや、食欲と性欲がないとすれば同時に物欲もないので、完全に人間の生存悪の根源たるあらゆる欲から解放された「民」だ、ということになる。

 百歩譲ってそうだと仮定してみると、「胃袋」を持っていないということは食物を摂取せずに生きられるヒト型生物(ヒト型であるということは動物とする以外にはないから)、ヒト型動物だということになるがそうすると、口及び口蓋部は著しく退化している可能性が極めて高い(呼吸は鼻腔があるので口でわざわざする必要はない)。歯もいらないから、ただ発声の器官としてだけの反響或いは共鳴空洞として口はごく小さなものとなると考え得る。

 さらに生殖器を持たないのだから、かれらを裸にしてみても、股間はつるんとしたノッペラボウである。それ以前に、生殖器官を持たないということは男女の差が不要であるから、彼等は性的二型を持たないことになる。人間の原型はXX)であり、XY)のY染色体はX染色体の欠損奇形とも理解出来、環境悪化などによる種生存の危機状況ではだけで生殖が可能となるという実例を考えるならば、「天國の民」は皆、「人間の女そっくり」であると推定出来る。

 口のすぼまって退化した人間の女ばかりしかいない、物も食わない、性交渉も行わない世界――それが神仏によって支配された「天國」の社会の姿である。

 因みに、物を食わない動物や生殖器を持たない動物はいるかというと、私はいないと断言出来るように思う。

 生物学好きの誰彼なら、深海の熱水噴出孔や冷水湧出帯周辺でチューブ状の棲管に棲息し、移動することのない、動物界環形動物門多毛綱 Canalipalpata 亜綱ケヤリムシ目シボグリヌム科 Siboglinidae Lamellibrachiチューブワームtubeworm)/ハオリムシ(羽織虫/本邦産種の例としてはサツマハオリムシ属サツマハオリムシ Lamellibrachia satsuma Miura, Tsukahara & Hashimoto, 1997 )類なんぞを挙げる輩がいるかも知れぬ。彼らは確かに口・消化管・肛門などの消化管等を持たないで、バクテリアである硫黄酸化細菌と細胞内共生し、十数センチメートルの棲管の先から出した紅色のハオリ状の器官から硫化水素などを取り込んで、その共生細菌に供給し、細菌の方はそれによって合成した有機物をハオリムシに供給して生きている。しかしだ、これも所詮、ハオリという口から餌を摂餌し、共生バクテリアを含む体のほぼ全体という「胃袋」に於いて作られた有機物を食って生きていると言える。それに異義を唱えるなら、それよりもずっと下等なアルベオラータ界Alveolata繊毛虫門貧膜口綱ゾウリムシ目ゾウリムシ科ゾウリムシ属 Parameciumのゾウリムシやもっと原始的な原生動物界 Protistaのアメーバamoeba類の「食胞」は立派に「胃袋」だろ? 顕微鏡で見りゃ、確かに立派に「胃袋」だ。メカニズムが異なるだけで隠喩としてハオリムシだって胃袋があると言えるわけだ(因みに言っておくとサツマハオリムシの場合は雌雄異体で体内受精することが判明している。彼らは♂♀の性差があり、広義の生殖器官である精巣と卵巣を持つ。ゾウリムシは二形ではない複数の性差がある(現在、アメーバは分裂のみで有性生殖はしないとされている。但し、実際に有性生殖しないかどうかは実はまだ完全には立証されていない)。以上のリンク先はそれぞれのウィキペディアである。以下も同じ)。

 或いは、生殖器がない動物としてバルト海や太平洋の海底に棲息するプラナリア(Planaria:扁形動物門渦虫(ウズムシ)綱三岐腸(ウズムシ)目 Tricladidaのウズムシ(渦虫))に形の似た(勘違いして貰っては困るが、形が似ているだけで、ごく近年になって新たに門のタクサが新設された、分類学上は極めて新しい生物である。但し、生物としては、驚くべきことに、ミトコンドリアのゲノム解析から動物の進化の初期段階に位置する単純な生物という説も出ている文字通り「珍」生物なのである)、動物界左右相称動物亜界Bilateralia 珍無腸動物門 Xenacoelomorpha 珍渦虫(チンウズムシ)科 Xenoturbellidae珍渦虫属 Xenoturbella チンウズムシなんぞを挙げる異形生物フリークもいるやも知れぬ。確かに現在の時点では生殖法は不明とされている。しかし、海外の生物学サイトを見るに、彼らの構造を見るに、何らかの微細な生殖器官がありそうな感じもするし、チンウズムシは実際に産卵が確認されているのである(因みに、下向きの口とそれに続く腸(「胃袋」と考えてよい)がある。肛門はない)。

 ともかくも「胃袋」も「生殖器」もない「ヒト型動物」どころか、そんな「動物」いないのである。だから、「何よりも先に胃袋や生殖器を持つてゐない」「天國の民」は、「民」でなく、即ち、人間でなく、即ち、動物でさえない、奇体な怪物に他ならないのである。

 私は怪物にはなりたくない。

 寧ろ、「もし地獄に墮ちたとすれば、わたしは必ず咄嗟の間に餓鬼道の飯も掠め得るであらう。況や針の山や血の池などは二三年其處に住み慣れさへすれば格別跋渉の苦しみを感じないやうになつてしまふ筈である」(地獄)という先の龍之介の見解にこそ激しく共感するものである。

 女になってしまい、美味いものも食えず、マスターベーションさえ出来ない、渺茫たる果てしなき平安以外には空っぽの永遠の国、或いは蓮の上の退屈な瞑想の永劫の時間たる「天國」のモンストロムたる「民」には、少なくとも私はなりたくない。龍之介もまた然り、であろう。]

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