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2016/06/14

芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 戀愛 / 或老練家

 

       戀愛

 

 戀愛は唯性慾の詩的表現を受けたものである。少くとも詩的表現を受けない性慾は戀愛と呼ぶに價ひしない。

 

[やぶちゃん注:この一章は私は次の「或老練家」の「彼はさすがに老練家だつた。醜聞を起さぬ時でなければ、戀愛さへ滅多にしたことはない。」のための先駆けであると思う。次章の私の注を参照のこと。]

 

 

 

       或老練家

 

 彼はさすがに老練家だつた。醜聞を起さぬ時でなければ、戀愛さへ滅多にしたことはない。

 

[やぶちゃん注:この「老練家」とは島崎藤村であり、「醜聞」とは「新生」に描かれた姪島崎こま子との近親姦を指す。先の新生で引いた通り、遺稿「或阿呆の一生」の第四十六章の「譃」の中で、

   *

……ルツソオの懺悔錄さへ英雄的な譃に充ち滿ちてゐた。殊に「新生」に至つては、――彼は「新生」の主人公ほど老獪な僞善者に出會つたことはなかつた。が、フランソア・ヴィヨンだけは彼の心にしみ透つた。彼は何篇かの詩の中に「美しい牡(をす)」を發見した。……

   *

と述べている。「老獪」はこの「老練」に照応し、フランスの淫蕩のピカレスクで、近代詩の先駆者とも讃えられるフランソワ・ヴィヨン(François Villon 一四三一年?~一四六三年以降)の響きはこの章の「戀愛」という語句から前の章の「戀愛は唯性慾の詩的表現を受けたものである。少くとも詩的表現を受けない性慾は戀愛と呼ぶに價ひしない」と遠く、しかし確かに響き合うように私には感ぜられる。而して「少くとも詩的表現を受けない性慾は戀愛と呼ぶに價ひしない」という文々は、龍之介がかの詩美に富んだ「若菜集」の詩人が、詩的表現を失った自己弁護近親相姦小説「新生」を書いたことへの強い生理的嫌悪の表現と読む。私が嘗て藤村に同様の感を抱いて決別したように、である。]

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