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2016/06/02

芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 「虹霓關」を見て

 

       「虹霓關」を見て

 

 男の女を獵するのではない。女の男を獵するのである。――シヨウは「人と超人と」の中にこの事實を戲曲化した。しかしこれを戲曲化したものは必しもシヨウにはじまるのではない。わたくしは梅蘭芳の「虹霓關」を見、支那にも既にこの事實に注目した戲曲家のあるのを知つた。のみならず「戲考」は「虹霓關」の外にも、女の男を捉へるのに孫呉の兵機と劍戟とを用ひた幾多の物語を傳へてゐる。

 「董家山」の女主人公金蓮、「轅門斬子」の女主人公桂英、「雙鎖山」の女主人公金定等は悉かう言ふ女傑である。更に「馬上緣」の女主人公梨花を見れば彼女の愛する少年將軍を馬上に俘にするばかりではない。彼の妻にすまぬと言ふのを無理に結婚してしまふのである。胡適氏はわたしにかう言つた。――「わたしは『四進士』を除きさへすれば、全京劇の價値を否定したい。」しかし是等の京劇は少くとも甚だ哲學的である。哲學者胡適氏はこの價値の前に多少氏の雷霆の怒を和げる訣には行かないであらうか?

 

[やぶちゃん注:大正一四(一九二五)年二月号『文藝春秋』巻頭に、後の「經驗」「アキレス」「藝術家の幸福」「好人物」(二章)「罪」「桃李」「偉大」と合わせて全九章で初出する。標題『「虹霓關」を見て』の「虹霓關」とは京劇の題名で日本語では「こうげいくわん(こうげいかん)」と読む(中国を音写するなら「ホォンニィーグゥァン」か)。「隋唐演義」の一節を素材とした歴史物で、隋末の群雄割拠の頃、揚州(現在の江蘇省揚州市一帯)の要めである虹霓関の守備大将であった夫が反乱軍に殺される。妻の女将東方夫人が夫の仇きとして探し当てた相手は、自分の幼馴染みで腕の立つ美男子王伯党であった。東方夫人は戦いながらも「私の夫になれば、あなたを殺さない」と誘惑する。伯党は断り続けるが、夫人は色仕掛けで無理矢理、自分の山荘の寝室に連れ込み、伯党と契りを結ぼうとする。観客にはうまくいったかに思わせておいて、最後に東方夫人は王伯党に殺されるというストーリーらしい(私は見たことがないので、複数のネット記載を参考に纏めた)。岩波新全集の山田俊治氏の注によれば、芥川龍之介は大正一三(一九二四)年十月に京劇の女形の名優梅蘭芳(メイランファン:後注参照)の二回目の来日の際に演ぜられた「虹霓關」を観劇している、とある(さらに山田氏は、梅蘭芳の初来日は大正八(一九一九)年であるが、その時ではなかったことは『久米正雄「麗人梅蘭芳」(「東京日日」一九年五月一五日)によってわかる』と記しておられる。ただ、この「虹霓關」観劇の記載は現在の複数の龍之介詳細年譜では記載がない。しかし、宮坂覺氏の新全集年譜の同年十月二十七日の条に龍之介が『演劇新潮』主催の談話会に出席したとあり、その同席者の中にまさに梅蘭芳の名を見出せる

 

・「獵」「れう(りょう)」。狩る。情欲に耽る目的で異性を求めること。一般に「漁色(ぎょしょく)」と言うが、「漁色」は男が女をの一方向でしか用いないから、龍之介は敢えて「獵」を用いたものかと思われる。

・「シヨウ」近現代の英語圏の作家たちに強い影響を与えたアイルランドの劇作家・評論家ジョージ・バーナード・ショー(George Bernard Shaw 一八五六年~一九五〇年)。平凡社「世界大百科事典」の喜志哲雄氏の解説を主として引く(コンマを読点に代えた)。『ダブリン生れ。ロンドンに出てジャーナリストとなり、音楽批評。次いで劇評を執筆。劇評家としては在来のウェルメード・プレー』(wellmade play:「よく作られた戯曲」の意であるが、演劇用語としては、登場人物人物の個性よりも巧みに組み立てられた構成によってプロットが進行する戯曲を指す)『を排撃して、イプセン風の社会意識をもった劇を擁護した。他方、穏健な社会主義者としてフェビアン協会』(Fabian Society:一八八四年に創設されたイギリスの社会主義知識人団体。現在も同国の労働党の基盤団体)『の設立に参加。彼は世界は〈生命力〉に動かされて進化するという哲学をもっていた。戯曲で最初に話題になったのはスラム街の住宅事情を攻撃した』「やもめの家」(Widowers' Houses 一八九二執筆・初演)で、『それ以後、ヒロイズムを風刺した』「悪魔の弟子」(The Devil's Disciple 一八九七年執筆・初演)、『売春問題を扱った』「ウォレン夫人の職業」(Mrs Warren's Profession 一八九四年執筆・一九〇二年初演)、ここで龍之介が挙げる『生命力の哲学を具体化させた』「人と超人」(後注参照)、『英雄を茶化した』「シーザーとクレオパトラ」(Caesar and Cleopatra 一八九八年一九〇六年初演)、『ジャンヌ・ダルクを主人公にした』「聖ジョーン」(Saint Joan 一九二三年初演)の他、『おびただしい数の戯曲を発表した。音声学者が花売り娘に上流階級の言葉づかい、礼儀作法を教えこんでレディに仕立てる』「ピグマリオン」(Pygmalion 一九一三年)は、『のちにアメリカで、ブロードウェーでのミュージカル・ドラマ化を経て』、「マイ・フェア・レディ」(My Fair Lady 一九六四年製作公開/ジョージ・キューカー監督)『として映画化された。ロマンス性も強いが、イギリスの階級制度を風刺している。ショーの作品はいずれも思想性や問題性に富んではいるが、他方、作者が退けたウェルメート・プレーの技巧を取り入れた娯楽劇にもなっており、逆説を盛りこんだせりふによって生気を与えられている』。ショーは一九二五年に『ノーベル文学賞を受賞』している。

・「人と超人と」(Man and superman)ショーが一九〇三年執筆し、一九〇五年に初演された哲学的喜劇。やはりまず、平凡社「世界大百科事典」の喜志哲雄氏の解説を引く(コンマを読点に代えた)。『作者の親友グランビル・バーカーの主演により初演』。但し、『並外れた長さのため、完全』な上演は一九一五年が最初であった。『ドン・フアン』(スペイン語: Don Juan:スペインの伝説上の人物で放蕩無頼の色事師として文学作品に取り上げられる。イタリア語名「ドン=ジョバンニ」で、この「人と超人」はまさに、かのモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」(Il dissoluto punito, ossia il Don Giovanni:罰せられし放蕩者又はドン・ジョヴァンニ)をモチーフにしたともされるのである)『伝説をニーチェの超人思想や生命力の哲学によって解釈した皮肉な作品で、女嫌いを自称する社会主義者の青年が女に追いつめられて結婚を決意する物語が中心になっている』。全四幕の内、第三幕の『大半はドン・フアンなど』四人の『人物が哲学的議論を戦わせる〈地獄のドン・フアン Don Juan in Hell〉というプラトン風対話の場面によって占められて』おり、この部分のみを切り離して一九〇七年に初演された、とある。岩波新全集の山田氏の注では、『「喜劇にして哲学」の副題を持つ四幕劇。恋愛を「生命力」の哲学で捉え、女を猟師、男を獲物として能動的な女を描いた喜劇』とし、新潮文庫の神田由美子氏は、『恋愛の諸相は生の力の動きであり、女性こそが、この力の遂行者であると主張している。男は女の自己達成の手段に過ぎぬという、ドン・ジュアン劇をパロディ化した思想劇で、主人公アン』(Ann Whitefield)『は様々の策略によって、自分に都合のいい夫タナー』(John Tanner)『を手に入れる』と注されている。市川又彦訳の岩波書店目録に附されたコピーには、『宇宙の生の力に駆られる女性アンは、許婚の詩人ロビンスン』(Octavius Robinson)を捨て、「革命家必携」を『書いた精力的な男タナーを追いつめ、ついに結婚することになる』と記す私は十代の終わり、大学生の時に読んだが(私は高校時代は演劇部で真面目に俳優になろうかとも思っていたほどに演劇好きであった。しかし、何より、役者は体力勝負、私のような文弱ではダメと心得たのであった)、実は全くストーリーが思い出せない。ただ、読み終えた後の不快さだけが記憶に残っているシロモノであることを告白しておく。

・「梅蘭芳」(méi lánfāng 本名・梅瀾 méi lán 一八九四年~一九六一年)。ここは「ばいらんはう(ばいらんほう)」ではなく、「メイランフアン(メイ・ランファン)」と中国語音写で読む。彼の芸名は当時から本邦でも一般に中国語音写で通用していたからである(以下のウィキの引用を参照)。芥川龍之介の「上海游記 八 城内(下)」では、かくルビが振られているし(リンク先は私の注釈附電子テクストで、実は注で本アフォリズムを引用し、既に注もしている)、筑摩全集類聚版「侏儒の言葉」でも『メイランフアン』とルビしているからである。彼は清末から中華民国・中華人民共和国を生きた著名な京劇の女形。京劇の名女形を言う「四大名旦」の一人である(他は程硯秋・尚小雲・荀慧生)。ウィキの「梅蘭芳」の旧版(前掲の「上海游記 八 城内(下)」で引用したもの。現在は削除・変更されている)によれば(下線やぶちゃん)、『日本の歌舞伎に近代演劇の技法が導入されていることに触発され、京劇の近代化を推進。「梅派」を創始した』。二十世紀『前半、京劇の海外公演(公演地は日本、アメリカ、ソ連)を相次いで成功させ、世界的な名声を博した(彼の名は日本人のあいだでも大正時代から「メイランファン」という中国語の原音で知られていた。大正・昭和期の中国の人名としては希有の例外である)。日中戦争の間は、一貫して抗日の立場を貫いたと言われ、日本軍の占領下では女形を演じない意思表示としてヒゲを生やしていた。戦後、舞台に復帰。東西冷戦時代の』一九五六年、『周恩来の指示により訪日京劇団の団長となり、まだ国交のなかった日本で京劇公演を成功させた』。一九五九年、『中国共産党に入党』したが、二年後、『心臓病で死去』した。

・「戲考」王大錯の編になる全四十冊からなる膨大な脚本集(一九一五年~一九二五年刊)で、梗概と論評を附して京劇を中心に凡そ六百本を収載する。岩波新全集の山田氏の注に、『芥川旧蔵書には、そのうちの三一冊が残されている』とある。恐るべし! 芥川龍之介!

・「孫呉」孫武と呉起の併称。孫武(紀元前五三五年?~?)はは兵法書「孫子」の著者で、春秋時代の兵家(へいか:軍略と政略を説く諸子百家の一つ)、孫子のこと。呉起(?~紀元前三八一年)は兵法書「呉子」の著者で、戦国時代の軍人・政治家。孫武とその子孫である孫臏(そんぴん 生没年未詳・紀元前四世紀頃とされる)と並んで兵家の祖とされ、兵法は別名「孫呉の術」とも呼ばれる。

・「兵機」戦略・戦術の意。

・「劍戟」「けんげき」。刀剣類で切り合う戦い。

とを用ひた幾多の物語を傳へてゐる。

・「董家山」「とうかざん」。岩波版新全集の山田氏の注によると、『金蓮は、容姿、武勇ともに傑れた女傑。領主である父の死後、家臣と山に籠り山賊となり、一少年を捕虜とする。彼を愛して結婚を強要、その後旧知の間柄とわかり結ばれる』というストーリーとある。

・「轅門斬子」「えんもんざんし」。別名「白虎帳」。野村伸一氏の論文「四平戯――福建省政和県の張姓宗族と祭祀芸能――(PDFファイル)によると、『宋と遼の争いのなか、楊延昭は息子の楊六郎(宗保)を出陣させる。ところが、敵の女将軍穆桂英』(ぼくけいえい)『により敗戦を強いられ、楊宗保は宋の陣営に戻る。しかし、父の楊延昭は息子六郎が敵将と通じるという軍律違反を犯したことを理由に、轅門(役所の門)において、息子を斬罪に処するように指示する。/そこに穆桂英が現れる。そして楊延昭の部下を力でねじ伏せ、楊六郎を救出する。こののち女将軍穆桂英と武将孟良の立ち回りが舞台一杯に演じられる。』(改行は「/」で示し、写真図版への注記を省略、読点を変更した)とあり、岩波版新全集の山田俊治氏の注解では、宋代の物語で、穆桂英は楊宗保を夫とし、楊延昭を『説得して、その軍勢に入って活躍する話』とする。題名からは、前段の轅門での息子楊宗保斬罪の場がないとおかしいので、野村氏の平戯の荒筋と京劇は同内容と思われる。

・「雙鎖山」「さうさざん(そうさざん)」は岩波版新全集の山田俊治氏の注解によると、『宋代の物語。女賊劉金定』(本文にも出るので、ここでは「りゅうきんてい」と読んでおく)『は若い武将高俊保へ詩をもって求婚、拒絶されて彼と戦い、巫術を使って虜にし、山中で結婚する』とある。なお、この下の「等」は「ら」或いは「など」で(龍之介がどちらで訓じているかは不明。筑摩全集類聚版では『ら』とする。読んだ時のハリからすると確かに「ら」の方がよい)、人を表す語に附いて複数を示す接尾語である。ゆめゆめ「金定等」という名と誤読されぬように。

・「悉」「ことごとく」。

・「馬上緣」明治大学法学部の加藤徹氏のHPの「芥川龍之介が見た京劇」によれば、唐の太宗の側近であった武将薛仁貴(せつじんき)の息子薛丁山(龍之介の謂う「少年將軍」)が父とともに戦さに赴くも、敵将の娘の女傑樊梨花に一目惚れされてしまい、無理矢理夫にされてしまう、とある。岩波版新全集の山田氏の注解によると、二人は前世の因縁で結ばれており、梨花はやはり仙術を以っていどみ、遂に丁山と結婚を遂げる、とある。なお、新潮文庫の神田氏は前の「董家山」から、この「馬上緣」までの四作品を並べて、『いずれも女性の武将がヒロインとなる京劇』で、『女が男を口説いて自分のものとするという点で共通している』と一括纏めて注してある。

・「俘」「とりこ」。

・「胡適」(Hú Shì 一八九一年~一九六二年)は「こせき」又は「こてき」と読むが個人的には「こせき」と読みたい(大学時分よりずっと一貫してそう私は読んできたからである)。中華民国の学者・思想家で外交官。自ら改めた名は「適者生存」に由来するという。清末の一九一〇年、アメリカのコーネル大学で農学を修め、次いでコロンビア大学で哲学者デューイに師事した。一九一七年には民主主義革命をリードしていた陳独秀の依頼により、雑誌『新青年』に「文学改良芻議(すうぎ)」(「芻」は中国語の謙譲語に相当する語で、自分に属する事柄を遜(へりくだ)って表現する際に用いる)をアメリカから寄稿、難解な文語文を廃し口語文にもとづく白話文学を提唱し、文学革命の口火を切った。その後、北京大学教授となるが、一九一九年に『新青年』の左傾化に伴い、社会主義を空論として批判、グループを離れた後は、歴史・思想・文学の伝統に回帰した研究生活に入った。一九三一(昭和六)年の満州事変では翌年に日本の侵略を非難、蒋介石政権下の一九三八年には駐米大使となった。一九四二年に帰国して一九四六年には北京大学学長に就任したが、一九四九年の中国共産党国共内戦の勝利と同時に、アメリカに亡命した。後、一九五八年以降は台湾に移り住み、中華民国外交部顧問や最高学術機関である中央研究院院長を歴任した(以上の事蹟はウィキの「胡適」を参照した)。芥川龍之介は中国特派の途次、北京滞在中に胡適と会談している(芥川龍之介の「新芸術家の眼に映じた支那の印象」にその旨の記載がある。リンク先は私の電子テクスト)。先に引いた加藤氏のHPの「芥川龍之介が見た京劇」には胡適の日記の民国十年六月二十七日の条の、芥川龍之介の訪問の際の加藤氏の訳が載り、その中で、龍之介が『中国の旧式の舞台は改良する必要がある』と言ったとして、龍之介の指摘したすこぶる具体的な内容が記されてある(当該日記全部を引用するのは、加藤氏の訳でもあり、気が引けるので前の部分を省略してある)。

   《引用開始》

一、背景幕は色柄が地味なものを用いるべきである。紅や緑の緞帳は不適切である。

二、舞台にしく絨毯も色柄が地味なものにすべきである。

三、伴奏楽隊は幕の中にかくれて坐るべきである。

四、舞台上の助手は、色柄が地味な同じ服を着るべきで、舞台上を駆け回ってはいけない。

 私はこれに答えて、中国の旧式の芝居は歌の部分が往々にして長すぎて役者に茶を飲ませる必要があること、机や椅子なども運ぶ必要があること、もし西洋式に場面転換用の幕を採用すれば、助手が茶や椅子を手に駆けずり回らずに済むかもしれないこと、などを言った。

 彼はまた、旧式の芝居に背景は必要ない、と言った。私も同意した。

   《引用終了》

とあり、加藤氏はこの後で、『芥川の提議は、今日の視点から見ても妥当なものである。実際、その後の京劇の舞台改良運動は、ほぼ彼の意見どおりに進んだ』と解説なさっておられる。リンク先の「芥川龍之介が見た京劇」は一般にあまり知れらているとは言えない、当時としては驚くべき京劇通であった(上記の提案を見ても凄いことはお分かりになろう)芥川龍之介を扱った非常に優れた論考である。是非、御一読されんことをお薦めする(なお、同ページには一部で私のブログ記事が追加で登場するが、お恥ずかしい限りなれば、そこはスルーされたい。私はその追加がなされる以前から、このページには逆に大変、お世話になっているのである)。

・「四進士」恐らく四人の登場人物の数奇な運命を描く京劇。岩波版新全集の山田氏の注解によると、『明代の物語で、楊素貞が夫の死後身売りされ、商人と結ばれ、彼女を陥れた悪人を懲す話』で、題中にある四人の同期に科挙に登第した進士は、一人を除いて悪の道に入ってしまう、といった『複雑な筋に比して、正邪が明確で、情節共に面白く、旧劇中の白眉と胡適が推称した』と記す。新潮文庫の神田氏の注には、腐敗官吏や悪人が登場し、様々の曲折をへて最後に正義感にあふれた州知事毛彭』(もうほう)『の助けでヒロインが幸福になるという筋』とある。

・「是等の京劇」「虹霓關」「董家山」「轅門斬子」「雙鎖山」「馬上緣」の五作品を指す。

・「甚だ哲學的である」かどうかは残念ながら、総て未見の私には分らない。少なくとも龍之介の謂う「哲學的」というのは、人間の男女の恋の駆引や性愛行動に於ける「哲學」という特殊特異なそれであるとは言えるようである。「四進士」については龍之介は何も言っていないが、「哲學者胡適氏」が別格とするのだから、さぞ「哲學的」なのであろう。にしても龍之介が「四進士」については何も述べていないのは不審ではある。それとも「四進士」はまさにこの龍之介の限定した意味に於いては「哲學的」ではないという含みでもあるのか? やはり「四進士」未見の私には何とも言いようがないのである。

・「雷霆の怒」「らいていのいかり」ドスン! と一発の神鳴りのこと。胡適の「わたしは『四進士』を除きさへすれば、全京劇の價値を否定したい」という一刀両断式の強烈な断じ方を喩えたもの。

 

附記

 私は京劇をまともに見たことがない。されば、ここを注する資格は、実は、ない。上記の注も私が昔、芥川龍之介の注で本章を引いた際に使用したものをベースとしただけで、私にとっては実は全く以って新味がない、のである。されば、昨日、中国在住の京劇通の教え子に何かヒントを呉れとメールをしたところ、以下のような返事があった(一部を抜粋)。

   *

『戦う女という意味では、本邦にも巴御前の例があります。しかしそこには戦う女がいるだけで、ちっとも色気を感じない。しかし京劇の女武者は十分にセクシーである。コケティッシュでさえある。彼女たちは、武力と性が渾然と溶け合った非常に特異な存在だと思うのです。暴力とフェロモンの化学反応、そしてあの原色の艶やかな衣装。私はそこに生命というものの官能を見るのです。雌に食われつつ陶然としてしまう雄の蟷螂のように』。『雄としての私が穆桂英[やぶちゃん注:龍之介が挙げている「轅門斬子」の女主人公。京劇や民間説話では穆桂英を主人公とした物語が多い、とウィキの「穆桂英」にある。]の舞台を見に行く時、心の中はそのようなマゾヒスティックな密かなる期待に満たされます。今日はどんな雌蟷螂に喰われるのかという、尾骶骨がビリビリするような官能です』。『暴力と生命と官能をとろ火で煮込んだスープです』。

   *

これは、是非とも、この注の最後に附け加えたい表現であった。]

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