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2016/06/28

ジョナサン・スイフト原作 原民喜譯 「ガリヴァー旅行記」(やぶちゃん自筆原稿復元版) 大人國(2) 見世物にされた私

 

<二章> 見世物にされた私

 

 〔この〕家には九つになる娘がいました。年のわりには〔、〕とても器用な子で、針仕事も上手だし、赤ん坊に着物を着せたりすることも、うまいものでした。この娘と母親の二人が〔相談して、〕赤ん坊の搖籃を私の寢床に作りなほしてくれました。〔私を入れる〕搖籃を簞笥の小さな抽斗に入れ、鼠に食はれないやうに、その抽斗をつるし棚の上においてくれました。

[やぶちゃん注:章題は有意にインクが濃い。現行の改行指示に従う。現行版は改行がない。]

 私がこの家で暮してゐる間は、いつもこれが私の寢床でした。もつとも、私がみんなの〔ここの〕言葉がわかるやうになり、ものが云へやうになると、〔私は〕いろいろ〔と〕賴んで、もつと便利な寢床に〔なほ〕してもらひました。

 この家の娘は大へん器用で、私が一二度その前で洋服を脱いでみせると、すぐに私に着せたり脱がせたりすることができるやうになりました。もつとも、彼女私は娘〕に手傳つてもらはなくても〔いで、時は、私は〕自分ひとりで、着たり脱いだりすることもありました。〔していました。〕〔彼女は〕私にシヤツを七枚と、それから下着などを拵へてくれました。手にのる〔一番柔〕柔らかい布地で拵へてくれたのですが、〔そ〕れでも、ズツクよりもつとゴツゴツしてゐました。〔そして、その〕洗濯も彼女がしてくれるのでした。

 彼女は〔私の〕先生になつて、私へ言葉を教へてくれました。何でも私が指さすものを、この國の言葉で言つてくれます。そんな風にして教へられたので、二三日もすると、私はもう欲しいものを口で云えるやうになりました。

 彼女は大へん氣だてのいい娘で、年のわりに小柄で、四十呎しかなかつたのです。彼女は私に〔、〕グリルドリツグといふ名前をつけてくれました。やがて家の人人も、〔こ〕の名を使ふやうになるし、後には國中の人がみな私のことをさういつて呼びました。このグリルドリツグといふ言葉名は言葉〕は、イギリスの言葉云へば〔なら〕マニキン(小人)といふ言葉と同じ意味でした。

[やぶちゃん注:最後の「た。」は左罫紙外上部に書かれ、次の110の原稿用紙の冒頭は字空けがないが、私の判断で、一マス空け、改行と採った(現行版もここで改行している)。

「四十呎」十二メートル十九センチ。

「グリルドリツグ」原文Grildrig

「マニキン」mannikin。但し原文は“The word imports what the Latins call nanunculus, the Italians homunceletino, and the English mannikin. ”である。英語のそれは「マネキン」であるが、この英語には別に「とても小さい人、但し、他の点では歪んでいて異常な姿の人」の意がある。ここは、それ。]

 私がこの國で無事に生きてゐられたのは、一つには、この娘のお蔭でした。私たちはここにゐる間ぢう、決して離れなかつたものです。私は彼女のことを、グラムダルクリツチ(即ち、可愛いお乳母さん)と呼びました。彼女が私につくしてくれた、親切のかずかずは〔、〕特に〔、〕ここに書いておきたいと思ひます。私は是非〔、〕〔折があつたら、〕彼女に恩返ししたいと〔、〕〔心から〕 願つてゐるのです。

[やぶちゃん注:「グラムダルクリツチ」原文Glumdalclitch

「可愛いお乳母さん」「おうばさん」は妙だから「お乳母(ば)さん」と読ませているのであろうが、実は原文は“little nurse”で「小さなナース(看護婦さん)」である。]

 さて、私の主人が畑で不思議な動物を見つけたといふ噂は〔、〕だんだんひろがつてゆきました。

 その動物の大きさは、スプラクナク(この國の綺麗な動物で、長さはおよそ六呎ほど)ぐらゐで、形はまるで人間と同じ形だし、動作も人間とそつくり、何だか可愛い言葉を喋るし、それにこの國の言葉も今は少し覺えたやうだし、二本足でまつすぐ立つて步けば、〔くし、〕〔それに、この動物は〕すなほで、すなほで、呼べば來るし、言ひつけたことは何でもするし、とても、きやしやな手足をもつてゐて、顏色は三つになる貴族の娘よりもつと綺麗だ、などと〔、〕〔この〕なは口から口へ傳はつてゆきました。〔〔私の〕噂は〔ひようばんは〕だんだん拡まつてゐました。〕

[やぶちゃん注:「スプラクナク」原文“splacnuck”。原文でも訳文でも具体的にどのような生き物なのかは描出されていない。事実、後で国王がガリヴァーをこれと誤認するところから考えるなら、ヒト同様に直立二足歩行性を有している生物と推定は出来るように思われる。

「六呎」一メートル八十三センチ弱。]

 〔〔すいすぐ〕近所に住んでゐる、〕主人の親友の農夫が、この〔こと〕を聞くと、私を〔ほん〕とかどうか見にやつてせてくれと云にやつて〕來ました。私はすぐ〔早速〕〔連〕れだされて、テーブルの上に〔の〕せられました。私は云はれる〔ひつけ〕どほりに、步いて見せたり、短劍を拔ゐたり〔、〕〔おさ〕めたりしてみせました。それから、お客に向つて、うやうやしく、お辞〔じ〕ぎをして、「よくいらつしやいました。御機嫌(キゲン)はいかがですか」と、可愛い乳母さんから教へられたとほりの言葉で云つてやりました。

[やぶちゃん注:細部が現行版とかなり異なる。

   *

 ところで、主人の親友の農夫が、このことを聞くと、ほんとかどうか、見にやって来ました。私はさっそくつれ出されて、テーブルの上に乗せられました。私は言いつけどおりに、歩いて見せたり、短剣を抜いたり、おさめたりして見せました。それから、お客に向って、うやうやしく、おじぎをして、

「よくいらっしゃいました。御機嫌はいかゞですか。」

 と、可愛い乳母さんから教えられたとおりの言葉で言ってやりました。

   *]

 そのお客は年より〔寄〕で目があまり〔よく〕見えないので、もつとよく見ようと眼鏡をかけました。それを見ると〔、〕私は腹を抱へて笑はないではゐられなくなりました。といふのは、彼の目が〔、〕二つの窓から射し込む満月のやうに見えたからです。みんなは〔、〕私のをかしがるわけがわかると〔、〕一緒になつて笑ひだしました。すると〔、〕老人はムツとして顏色をかへました。

 この老人は、けちんぼうだと〔の〕評判でしたが、やはりさうでした。それで〔のため〕私はとんだ災難〔目に〕あふことになりました。ここから二十二哩ばかり、馬でなら半時間かかる、隣りの町の市日に私をつれて行つて一つ見世物にするがいい、と〔彼は〕主人にすすめたのです。

[やぶちゃん注:「二十二哩」三十五キロ四百五メートル。これはガリヴァーにとっての実測。

「市日」「いちび」と訓じておく。定期に市の立つ日の謂いである。]

 主人とその男は、時時、私の方を指して、長い間ひそひそと囁きあつてゐました。私はそれを見て、これは何か惡いことを〔相談〕し合つてるなと思ひました。さう思つて〔じつと〕〔氣〕をつけ〔てゐ〕ると、時時、もれて聞える彼等〔二人〕の言葉は〕、なんだか私にもわかるやうな氣がしました。しかし〔しかし、ほんとのことは〕、次の朝、グラムダムリツチが〔私に〕話してくれたので、それで、すつかり私にわかつたのでした。

[やぶちゃん注:「グラムダムリツチ」はママ。今までのそれを見ても、どうも原民喜は外来語の固有名詞の短期記憶がすこぶる苦手だったように思われる。]

 私が見世物にされるといふことを、グラムダムリツチは、母親から聞き出したのでした。彼女このことを知つて、彼女〕はたいへん悲しがつて〔私と別れることを〕たいへん悲しがつて〔がり〕、私を胸に抱きしめて泣きだしました。

 「見物人たちは、どんな亂暴なことをするかわかりません。あなたを押しつぶしてしまふかもしれないし、もしかすると手を取つて、あなたの手足を一本ぐらゐ折つてしまふかもわからない〔りませ〕ん。」と、彼女は私のことを心配してくれるのでした。

 「あなたは遠慮ぶかい〔、〕おとなしい〔、〕人だし〔そし〕て、氣位の高い人でせう、それなのに、見世物なんかにされて、お金のために卑しい連中の前でなぐさみにされる〔な〕んて、ほんとうに口悔しい〔こと〕でせう。お父さんもお母さんも、私にグリルドリッグはあげると〔云つて〕約束したくせに、今になつて〔、〕こんなことをするのです。去年も仔羊をあげると言つておきながら、その羊が肥えてくると、〔その〕羊が肥えてくるとすぐ肉屋に賣拂つてしまつた、あれと同じやうなことをしようとしてるのです」と、彼女は私のことを嘆くのでした。

 しかし、私は、この乳母さんほどには〔、〕心配してゐなかつたのです。いつかは〔、〕きつと自由の身になつてみせる、と私は強い希望を持つてゐました。それに、私が怪物として、あちこちで見世物にされても、私はこの國には知人一人あるわけではなし、私がイギリスに帰つてからも、なにもこのことは非難されるはずがないと思ひます。イギリスの國王でも、今の私と同じやうなことになつたら、やはり〔、〕これくらいの苦勞はするだらう〔、〕と〔私は〕思ひました。

 主人は友達の意見に從つて、私を箱に入れて、次の市日に隣りの町まで運んで行きました。私の乳母さんの、あの娘も、父親の後に乘つて一緒について來ました。〔この〕私〔の〕入れられた箱は〔、〕四方〔とも〕塞がれてゐて、ただ出入口の〔小さな〕戸口→→の〕、空氣拔きのために〔そのほかには、〕錐の穴が二つ三つあけてあるだけでした。〔空気拔きのためにつけてゐました。つけてあり〕娘は私が寢られるやうに、〔その〕箱の中に赤ん坊の蒲團を敷いてくれました。

[やぶちゃん注:現行版は以下の通り。

   *

 主人は友達の意見にしたがって、私を箱に入れて、次の市日に隣りの町まで運んで行きました。私の可愛い乳母さん(娘)も、父親の後に乗って、一しょについて来ました。私の入れられた箱は、四方とも塞ふさがれていて、たゞ、出入口の小さな戸口のほかには、空気抜きのため錐きりの穴が二つ三つつけてありました。娘は私が寝られるように、箱の中に赤ん坊の蒲団を敷いてくれました。

   *]

 この〔箱の〕旅は、たつた半時間の旅〔行〕でしたが、私は〔身躰が〕ひどく搖られたので、私はくたくたになつてしまひました。なにしろ、馬は一步に四十呎も飛んで、しかも非常に高く跳ねるので、私の箱は、まるで大暴風雨の中を、船が上つたり下つたりするやうなものでした。

[やぶちゃん注:「四十呎」一二・二メートル弱。]

 〔さて、町に着くと、〕主人は行きつけの宿屋の前で馬を降り、しばらく宿の亭主と相談してゐました。それから、いろんな準備が出來上ると、ひろめ東西広告〕屋を傭つて、町中に觸れ步か〔まはら〕しました。

[やぶちゃん注:現行版は「東西屋」(とうざいや:街頭や店頭で広告の口上を述べる宣伝業者の古い呼称。口上の初めに「東西東西」と発したことに由る。「ひろめ屋」も同じい)、併存する末尾は「觸れ步かしました」である。]

 「さあ、いらつしやい、いらつしやい、世にも不思議な生きもの、身の丈はスプラクナック(この國のきれいな動物で長さ六呎ほどのもの)ほどもないのに、頭のてつぺんから足の先まで、身躰は人間にそつくりそのまま、言葉が話せて面白い藝〔當〕を致します。さあ、いらつしやい、靑鷲亭で御覽に入れます〔いらつしやい、靑鷲亭の見世物〕」

[やぶちゃん注:現行版口上は以下。

   *

「さあ、いらっしゃい、いらっしゃい、世にも不思議な生物、身の丈はスプラクナク(この国の綺麗な動物)ほどもないのに、頭のてっぺんから足の先まで、身体は人間にそっくりそのまゝ、言葉が話せて面白い芸当をいたします。」

   *]

 と、こんなふうなことをしやべらせたのです。

 私は〔宿屋で、〕三百呎四方もありさうな、大廣間につれて行かれ、テイブルの上に載せられました。私の乳母は〔、〕テーブルのそばの腰掛の上に立つて、私の面倒をみたり、〔いろいろと〕指圖をしてくれるのでした。そのうちに見物人がぞろぞろと押しかけて來ましたが、〔あまり混雜するので、〕主人は一〔回〕に三十人だけ見せることに決めました。

[やぶちゃん注:「三百呎」九十一メートル四十四センチ。]

 私は乳母の云ひつけどほりに〔、〕テイブルの上を步き𢌞つたり、私にものを云はさうとして〔、〕彼女がいろいろ質問をすると、私は力一ぱいの声で〔、〕それに答へるのでした。それから〔、〕何度も見物人の方を振り向いて、うやうやしく〔叮嚀に〕お〔じ〕ぎをして、「よくいらつしやいました」と云つたり、その他教はつたとほりの挨拶をします。そしてグラムダルクリッチが、指貫(ゆびぬき)に酒を注いで渡してくれると、〔私は〕みんなのために乾盃をしてやります。かと思へば〔、〕短劍を拔いて、イギリスの劍術使ひの眞似をして、振り𢌞します。私の乳母が藁の切れつぱしを渡してくれると、私はそれを槍のつもりにして、若い頃習つた槍の術をして見せます。

 その日の見物人は〔、〕十二組あつたので、私は十二回も、こんなくだらない眞似を繰返さねばならなかつたのです。とうとう私は疲れて腹が立つて、すつかり、へばつてしまひました。

[やぶちゃん注:現行版は最後の一文が、『そうそう、私は疲れて腹が立って、すっかり、へばってしまいました。』となっているが、原文を見ても、この「そうそう」は、この通りの「とうとう」の誤り(校正工か植字工の誤り)ではなかろうか?

 私を見た連中が、これは素晴しいといふ評判を立てたものですから、見物人はどつと押しかけて、戸もやぶれさうになりました。〔大入滿員でした。〕主人は〔、〕私の乳母以外には〔、〕誰にも私に指一本觸らせません。その上、危險を防ぐために、テーブルの周りをぐるりとベンチで取り囲んで、誰の手〔に〕も屆〔〕かないやうにしました。

[やぶちゃん注:現行版では『大入滿員でした。』と生きている。]

 それでも、いたずらの小學生が、私の頭をねらつて榛の實を投げつけたものです。あたらなかつたので助かりましたが、〔もし〕あたつてゐたら、〔私の〕頭は滅茶苦茶にされたでせう。なにしろ榛の実といつても、南瓜ぐらゐの大きさだし、〔それに〕猛烈な勢で飛んで來たのですから。しかし、このゐたずら小僧は撲られて部屋から追出されて〔しまひ〕ました。

[やぶちゃん注:「榛の實」「榛」は「はしばみ」と訓ずる。原文は“a hazel nut”であるから、これは我々が食用の「ヘーゼルナッツ」(Hazelnut)として知っているところの正真正銘のブナ目カバノキ科ハシバミ属セイヨウハシバミ Corylus avellana の実である。因みに、中国(漢文にはしばしば出る)や本邦で「榛」というと、ハシバミ属ハシバミ Corylus heterophylla var. thunbergii(やはり実が食用にはなる)を指すが、ご覧の通り、「ヘーゼルナッツ」のそれとは同属異種であるので、注意されたい。]

 〔市日がすんで、私たちは家に戾りましたが、〕主人はこの次の市日にも、またこの見世物をやると〔いふ〕廣告をしておきました。〔出しました。〕そして、その間〔それまで〕に、私のためにもつと便利な乘り物を用意してくれました。だがそれはあたりまへのことで、なにぶんこの前の旅行で〔、〕私は非常に疲れ、八時間もぶつとほしに見世物にされたの〕で、ヘトヘトになつてしまつたので〔ひま〕した。〔私が〕元氣をとりかへすには〔少くとも〕三日はかかりました。

[やぶちゃん注:「しておきました。〔出しました。〕」の併存はママ。現行版は『出しました。』の方である。]

 ところが、私の評判を聞い〔て〕〔、〕近所〔あちこち〕の紳士たちが〔、〕百哩も先から〔、〕今度は主人の家に押しかけて來ました。私は家でも休めなくなつたのです〔りました。〕〔この〕〔家に〕やつてくる紳士たちは家族ともで三十人よりはありました。少ないことはところで主人は、家で見せる時には、相手が一家族〔毎日毎日、私は殆ど身躰の休まる暇がありませんでした。〔はなかつたのです。〕〕

[やぶちゃん注:「百哩」百六十一キロメートル弱。]

 〔これは儲かりさうだと〔、〕考へた〕主人は、今度は〔〕私を、街から街へ、連〔つ〕れ步いて見世物にすることしようと、すること〕〕〔を〕思ひつきました。長い旅行に必要な支度をとろのへ、家の始末をつけると、細君に別れを告げて、一七〇三年の八月十七日(これは私がこの國へ着いてから〔丁度〕二ケ月目でした)に主人は出發しました。主人は〔、〕この國のほぼまんなかにある〔、〕首都をめざして行くのでしたが〔、〕家からそこまで〔は、〕三千哩の道のりでした。

[やぶちゃん注:「一七〇三年」因みに、本邦では元禄十六年(グレゴリオ暦一七〇三年二月十六日から)で、前年元禄十五年十二月十四日(グレゴリオ暦では一七〇三年一月三十日)には赤穂義士の吉良屋敷夜討が発生している。

「三千哩」四千八百二十八キロメートル。]

 主人は娘のグラムダルクリッチを自分の後に乘せました。私は箱に入られ〔れら〕れ〔たのですが〕、その箱は娘の腰に結びつけて膝の上に〔ありまし〕た。彼女は箱の内側を一番柔らかい布地ですつかり張つてくれ、下には厚い敷物を入れて、その上に赤ん坊の寢台をおいてくれました。私の下着や〔シヤツ〕なにかの身の𢌞りのものも〔んかも 何不自由なく〕、みんな〔彼女が〕ととのへてくれ、何〔〕不自由なくしてくれました。私たちの後から、家の小僧が〔一人〕荷物を持つてついて來ました。

 〔この旅行は〕主人の考へでは、〔この旅は〕途中の町で見世物を開き〔、〕客のありさうな村や、貴人の家には、五十哩や百哩は寄り道するつもりだつたらしいのです。私たちは毎日〔わづかに〕百四五十哩ぐらゐづつ進み、大へん樂な旅をしました。グラムダルクリッチが私を庇ふために、馬の搖れですぐ自分の方が疲れてしまふと云つてくれたからです。私が賴むと、彼女は度々箱から出しては、外の空気を吸はせてくれたり、景色を見せてくれました。そのさうそんな〕時には〔、〕彼女はアンヨ紐でしつかり私を引張つてゐてくれるのでした。

[やぶちゃん注:「五十哩」八十一キロ弱。

「百哩」百六十一キロ弱。

「百四五十哩」二百二十六~二百四十一キロほど。]

 私たちはナイル河やガンヂス河よりも〔、〕何倍も大きな河を〔、〕五つ六つ〔も〕越したのですました。たのです〕。〔ロンドンの〕テムズ河みたいな、小さな川は一つもないのです。〔この〕旅行は十週間かかりました。その間、〔たちは〕十八の大都市〔に立ち寄り〕、〔いろそれから、澤山の〕村村や、貴人の家で、〔何十回となく〕見世物になりました。

 十月二十六日に、〔いよいよ〕私たちは國都に着きました。〔その〕國都の名はローブラルグラットとい〔はれ〕、これは「世界の誇」といふ意味でした。主人は〔、〕宮殿から程遠くない〔、〕目ぬきの大通りに〔、〕宿をとりました。そして、〔この〕私のことを〔、〕委しく書いたビラを〔、〕あちこちに貼り出しました。それから、方三四百呎もある、大きな部屋を借りて、〔そこに〕私の舞臺として、直徑六十呎ばかりのテイブルを置きました。〔そして私が〕落つこちないやうに、〔テーブルの〕緣から三呎入つたところに、高さ〔、〕三呎の柵をめぐらしました。

[やぶちゃん注:「ローブラルグラット」原文Lorbrulgrud

「三四百呎」九十二メートルから百二十二メートル弱。

「六十呎」十八メートル強。

「三呎」九十一センチメートル強。]

 私は毎日、十回づつ見世物にされましたが、人人はすつかり感心して、大満足のやうでした。私はこの頃、もう〔、〕かなりうまく言葉が使へるし〔て〕、話しかけられること〔言葉〕なら〔、〕何でもわかるやうになつてゐました。その上、家にゐる時も、旅行中も、いつもグラムダルクリッチが私の先生になつてくれたので、この國の文字もおぼえ、どころどころちよつとした文章なら〔私に〕説明することが出來るやうになつてゐ〔り〕ました。彼女はポケットに小さな本を入れてゐました。それは若い娘たちによく讀まれる本で、宗教のことが簡單に書いてあります。〔その本から、を使つて、〕彼女は私に字を教へたり、言葉を説明してくれました。

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