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2016/06/18

芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 所謂内容的價値

 

       所謂内容的價値

 

 藝術は表現であるとは近來何人も云ふ所である。それならば表現のある所には藝術的な何ものかもある筈ではないか?

 藝術はその使命を果たす爲には哲學をも宗教をも要せぬであろう。しかし表現の伴ふ限り、哲學や宗教は知らず識らず藝術的な何ものかに縋るのである。シヨウペンハウエルの哲學の如き、藝術的敍述を除き去つたとすれば、(事實上それは困難にしても)我我の心に訴へる所は減じ去ることを免れまい。

 いや、藝術的な何ものかは救世軍の演説にもあり得る。共産主義者のプロパガンダにもあり得る。況や薄暮の汽車の窓に蜜柑を投げる少女の如き、藝術的なのも當然ではないか?

 是等の例の示す通り、他にあり得ると云ふことは必しも藝術の本質と矛盾しない。わが友菊池寛の内容的價値を求めるのは魚の水を求めるのと共に、頗る自然な要求である。しかしその内容的價値を藝術的價値の外にありとするのには不贊成の意を表せざるを得ない。わたしの所見を以てすれば、菊池寛は餘りに内氣であり、餘りに藝術至上主義者である。もつと人生に忠でなければいかん。

 

[やぶちゃん注:・「薄暮の汽車の窓に蜜柑を投げる少女の如き、藝術的なのも當然ではないか?」芥川龍之介自身の珠玉の小品にして私の愛する「蜜柑」(大正八(一九一九)五月『新潮』)のエンディングを指す(リンク先は私の最初期の電子テクスト)。]

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