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2016/07/09

「声なき声」の正体   梅崎春生  (私藪野直史の若き読者の「明日」のためにパート1)

   「声なき声」の正体

 

 近頃時勢が時勢だから、うちにじっとしている時は、かならずテレビのニュースだけは見ることにしている。本当なら外に出かけて飛び廻って、この眼で現場を見て歩くのが一番いいのだけれども、そうそう暇もないし、それに孫悟空みたいにあらゆる場所に飛び廻るのは不可能なので、ついテレビで間に合わせてしまうのだ。

 見慣れて来ると、各社のテレビニュースの編集のしかた、事実に軽重をつけるそのやり方について、いろいろ意見はあるが、ここでは何も言わない。ただカメラは器械だから、架空のものを映し出すことは出来ない。そこに信用を置いて、こちらの胸の中で修正、編集をし直すことにしている。

 それがうちの息子(小学三年生)の気にくわない。修正することがではなく、おやじがせっせとテレビニュースを見ることが、気に食わないのである。

 なぜ気にくわないか。テレビニュースとぶつかって、自分の好きな番組が見られないからである。

 あちこち聞いてみると、よそでもそうらしいが、何故子供というやつは、テレビというものを自分のもののように錯覚するのだろうか。

 あれはおやじが営々としてはたらき、やっと買い求めたものである。子供がこづかいをためて買ったというようなものとは、本質的に性質が違う。所有権はおやじの手にあるのだ。毎月のテレビ代だって、時々の修繕代だって、おやじの乏しいふところから出ている。子供は何も出していないし、いかなる犠牲も払っていない。

 それなのに、見る権利が自分だけにあると思い込むのは、どんな根拠によるのか。間違ってやしないか?

 私はこの欄を借りて、満天下の子供たちに警告を発したいのだが、子供は子供でまだおさないから、私のような高尚な文章を理解する力に欠けているだろう。

 だからそんな子供のおやじに同情を示す程度にとどめるが、テレビに関する限り、子供というやつはあまり説得がきかないものである。

 たとえば私がニュースの重大性をいくら説いても、子供はそれを首肯しようとはしない。

 この間私はあれこれとあらゆる角度から説き聞かせ、問いつめて行ったら、ついに息子はこう言った。

「あんなの、ただうつっているだけじゃないかよ」

 かよというのは気にくわないから、すぐに言い直させたが、彼が言おうとしていることを推察すると、つまりテレビドラマはこちらを面白がらせるためにやっている。これに反し、ニュースはただうつっているだけで、何の意味もないということらしい。

 なるほど、と私は思った。この言い方はこの間の岸信介の発言に、どこか似たところがある。新聞やラジオや、テレビ(も入っていたかどうか)などは、世論を代表しているとは考えない。

 新聞はただ書いてあるだけだし、ラジオはしゃべっているだけだし、テレビはただうつっているだけだ。我が大方針にはいささかの参考にもならぬ。我はただ声なき声を聞くのみだ。

 人間もだんだん齢をとって来ると、肉体だけではなくて精神も硬化し、融通がきかなくなって、聞きわけがない子供みたいになってしまうことがよくある。

 私は李承晩などがその典型的なものだと思っていたが、我が岸首相も声なき声というようなあやしいことを言い出すようになっては、もうよほど追いつめられて来たものらしい。声なき声だの、姿なき姿だの、これはテレビではうつし出せない。

 しかし少年向きのテレビドラマには、しょっちゅう出て来る。たとえば探偵が極悪人を追いつめると、悪人はマントの裾をひるがえしてぱっと姿を消し、姿なき姿となって、一天のどの方角からかは判らないが、おどろおどろと気味の悪い笑い声が降りて来る。

 あとは来週のおたのしみというのだが、あんなのがきっと声なき声というのだろう。

 聞きわけがない子供だの若者だのは、いくらでも、いや、少しはいてもいい。周囲に害を与える程度で、社会全体にはさして実害を与えないからだ。

 しかし社会的地位にある老人に聞きわけがないのがいては、これは困る。たいへん困る。社会的地位が高ければ高いほど、困るのだ。近頃枢要の地位にある老人連が、集団的に声なき声を聞きたがり、聞えもしないのに聞えたふりをしようとしている。

 私は老人を尊敬することにおいては人後に落ちないけれども、いくら尊敬といっても限度がある。そこまで逸脱されては、もう尊敬だの崇拝だの言ってはいられない。何らかの方法で処分しなければならないと思う。

 こういうわけで、私は毎日テレビニュースを見ている。息子は不平らしいが、我が家の家伝の方法で納得させている。

 どんな方法か書いてもいいが、これはかなりダイナミックな方法なので、一般家庭には向かないかも知れないから、発表しない。

 ニュースでこの一箇月間一番印象深かったのは、安保衆院通過と会期延長の時の清瀬議長の姿であった。

 この前の戦争中の軍歌に、

「何度聞いても眼がうるむ。あの日のいくさに散ったとか」

 という一節があったが、私はあの日のテレビニュースを各局、何度も何度も見た。何度見ても眠がうるみにうるんだ。

 この老議長の奮闘ぶりに眠がうるんだのではない。あまりの情けなさに、涙が出て来たのである。

 なぜこれが特に印象深かったかというと、ここには芝居だの演技がなかったせいもあるだろうと思う。

 他のニュースにうつし出される岸信介その他の政治家はある程度うつされていることを意識しているので、したがつてポーズが加わっている。本音をかくして、巧言令色を旨としているおもむきがある。

 ところがあの日の清瀬議長はそうでなかった。

 四五人の男たちに抱きかかえられ、あたふたと、またよろよろと議長席につき、はっきりしないおろおろ声で、

……御異議ございませんか。……全員起立をもって可決といたします」

 てなことを叫ぶ。

 微塵の芝居気もなく、ただもうひたすら何かをおそれているような具合で、彼はことを遂行した。

 私はあの議長のことはあまり知らない。テレビで眺めた程度の知識しかない。あの人は風貌からして、七十か、それを過ぎているのだろう。

 火急の場合、人間がどんなにあさましくなれるものか、この前の戦争でも私はいろいろ経験したが、あんな爺さんが、学識のある爺さんが、いくら火急の場合とは言え、あんなに取り乱すとは予想外のことで、眠がうるんだのもその辺に関係がある。

 あれは信念とか奮闘とかいうものでない。まぎれもなく老醜であり、生き恥というものである。

 七十年も生きて来た揚句、こんな生き恥をさらすなんて、当人も情けないことだろうと思うが、その後の彼の手記などを読んでみると、そうでもないらしい。死ななきゃ直らない性質のものだろう。

 老人に意見するようで悪いけれども、も少し近頃の老人達は恥を知り、なりふりをかまって呉れ。たのむ。今のままでは、あまりにもひどすぎる!

 

[やぶちゃん注:「うんとか すんとか」連載第十一回目の『週刊現代』昭和三五(一九六〇)年六月二十六日号掲載分。当時の梅崎春生の年齢は満四十五歳。

「声なき声」現在の総理安倍晋三の祖父でこの当時の内閣総理大臣岸信介(のぶすけ 明治二九(一八九六)年~昭和六二(一九八七)年)が言った有名な台詞(当時、満六十三歳)。「国会周辺は騒がしいが」、デモの「参加者は限られている。野球場や映画館は満員で、銀座通りもいつもと変わりがない。私には『声なき声』が聞こえる」というもので、安保反対を訴える人々を不逞の輩とし(反対者は国民ではないという謂いである)、大多数の国民は安保に反対などしていない(というよりも野球場と映画館に興じることで満足しているというのだから、遙かに愚民扱いである)という、サイレント・マジョリティ(silent majority:「物言わぬ多数派」)発言を指す。今の最下劣な孫も全く同様に認識していることをお忘れなく。

「李承晩」(イ・スンマン 一八七五年~一九六五年)当時の、そして初代の大韓民国大統領(在任一九四八年~一九六〇年)。この年の四月に発生した四月革命(同年三月に行われた第四代大統領選挙における大規模な不正選挙に反発した学生や市民による民衆デモにより、当時、初代から続いて第四代韓国大統領となったばかりの李承晩が下野した事件。名称は最も大規模なデモの発生した四月十九日に由来)によって、本記事公開直前の一九六〇年五月二十九日に金浦国際空港からアメリカ(ハワイ)に亡命していた。

「清瀬議長」この記事の前月、昭和三五(一九六〇)年五月十九日に米安全保障条約の強行採決を行った衆議院議長清瀬一郎(明治一七(一八八四)年~昭和四二(一九六七)年)。当時、満七十五歳。因みに、この時、彼の護衛役として金丸信が突進、その結果、右足首を負傷骨折している。清瀬は兵庫県飾磨(しかま)郡夢前町(ゆめさきちょう:現在、姫路市内)生まれで、当初、弁護士としては小作争議裁判や思想事件等を手がけ、政界入りしてからも、普通選挙運動推進・台湾議会設置運動支援・治安維持法反対などのリベラルな政治家として知られたが、一九三〇年代(昭和五~十四年)以降は親軍派に転向、第二次世界大戦敗戦直後にも、この時点で依然として日本国籍を有していた旧植民地出身者の参政権行使を恐れて、参政権停止(実質上の剥奪)を行なうべきと主張、同年十二月に行われた衆議院議員選挙法改正によってこの参政権停止が実行されている。昭和二一(一九四六)年に戦前の親軍転向を理由にGHQから公職追放された。極東国際軍事裁判では日本側弁護団副団長とともに東條英機元首相の主任弁護人を務めたで知られる。昭和二七(一九五二)年に追放が解除されると改進党から政界復帰、改進党幹事長・日本民主党政務調査会長を歴任、昭和三〇(一九五五)年の第三次鳩山内閣に文部大臣として入閣、このまさに昭和三十五年、衆議院議長に就任していた。参照したウィキの「清瀬一郎」によれば、『追放解除後も憲法改正を主張するなど』、『典型的な戦前派の保守政治家と目されたが、清廉さを身上とするが故に』、『政界復帰後はハト派の三木武夫と行動をともにした。衆議院議長に就任した際も「公平さを期するため」と党籍を離脱した。当時は議長・副議長の党籍離脱は慣例化しておらず、清瀬の党籍離脱は異例ともいえる』とあり、最終的には自由民主党三木派に属したとある。]

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