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2016/07/30

宗祇諸國物語 附やぶちゃん注   墨染櫻

   墨染櫻


Sumizomezakura

衣更着(きさらぎ)の末のほど、花の盛りにうきたちて、世人(せじん)、淸水(きよみづ)、淸閑(せいがん)の興にあそび、嵯峨、大原のゝ名所に步む事、道もさりあへず、祇はたゞ陰氣の天性にて、人の立籠むかたは喧(かまびす)し、靜かなる花こそ見るかひあれ、と、呉竹のふしみの里の春を心ざし、桑門(よすてびと)の友とすべき墨染櫻、見に行けり。一の橋より左にまがりて、俊芿の舊寺泉涌寺(せんゆうじ)に詣でゝ、いまぐまの、法性寺(ほふしやうじ)など行くに、こゝなん、猶、人、こぞりて靜なるかたなし。東福寺を作禮(されい)し、稻荷に法施(ほつせ)し奉りて深草にかゝる。藤の森は名のみして、紫はさかず、常盤(ときは)の松の靑く茂りたる中に、瑞籬(みづがき)の朱(あけ)なる、いとかうかうし、此の森より未申へ、二町餘り行きて、彼の名木の櫻、尋ね出でけり、爰さへ、京の名殘にや、幕は雲となびき、糸竹(しちく)は鳥とさへづり、靜かならねど、此の櫻の情しりたる昔おもふに、なべての花に準(なぞ)らふべくもなしと、打詠めて古歌を吟ず。

 

   深草の野べのさくらし心あらば

       此春ばかりすみぞめにさけ

 

みねをの歌とかや、又、遍昭僧正のよみけん。

 

   みな人は花のたもとに成りにけり

       苔の衣よかはきだにせよ

 

是は、此の櫻をよみたるにはあらねど、所と事と、ひとしければ、思ひ出で侍る。樽(そん)の前に醉(ゑひ)をすゝむべきわざもなければ、かたへの草に安座(あんざ)し、打ちあふぎ居るに、となりの方、田舍人(いなかうど)と見えて、十人計り、化口(あだぐち)かしがましく、酒に興じ、醉狂(ゑひくる)ひて笑ふやら哭(な)くやら、いざ、わけもきこえず、餘りのあぶれに、此の者、宗祇を見て、御坊は、業(なり)に似はぬ優(やさ)し人哉。花に詠(なが)め入り、餘念なく見ゆ。我れ我れ、奈良の者にて、京内參の心がけに上り侍る。足休めに酒をたうべ侍り。名物の奈良酒ひとつ、まいりてんや、と傍若無人にいふ。祇は、もとより禁戒を持(たも)ちて、酒を手にふるゝ事なければ、酒飯の所望(しよまう)なしと詞(ことば)ずくなに答へらる。此あぶれ者、大きなる觴(さかづき)に流るゝごとく酒をうかべて、所望にても望みなくても是非にたうべよ、と刀ぬき出し、責(せ)かくるに、力(ちから)なく、我が犯す禁戒(きんかい)に非ずと心に誓ひ、引請けて呑みけるに、又、たぶだぶとつぎて、今一つ是非に、と、いひて、つめかけ、否(いな)といはゞ、と小肱(こかいな)取りて押(お)しふする、祇、今はせんかたなくて、

 

   なら酒やこの手をとりてふたつ迄

       とにもかくにもねぢる人かな

 

と狂歌しければ、さしもの放逸(はういつ)ものども、恥ぢかましくや有けむ。醉心ちや、さめけん。たすけ起して足はやに去りぬ。いづち行けん不ㇾ知(しらず)。をかしきいさかひなりし。つれづれ草にかける、證空(しようくう)上人の馬夫(ばふ)といさかひしたぐひかな。

 

 

■やぶちゃん注

・「墨染櫻」一般には桜の一種で花は小さく単弁で白いものの、茎・葉ともに青く、花が全体に薄墨色のように見えるものを指すが、ここは京都伏見の地名(現在の伏見区墨染町には墨染寺(ぼくせんじ)があり、以下の藤原基経はこの付近に葬られたとされる)の辺りにあったとされる伝説上の桜。後に本文に出るように、藤原基経(承和三(八三六)年~寛平三(八九一)年:中納言藤原長良の三男として生まれたが、時の権力者で男子がいなかった叔父の摂政藤原良房の養子となり、良房の死後は清和・陽成・光孝・宇多天皇の四代に亙って朝廷の実権を握った。陽成天皇を暴虐と断じて廃位して光孝天皇を立て、宇多天皇の際には天皇が事実上の傀儡であることを知らしめる阿衡(あこう)事件を起こして、その権勢を誇り、日本史上初の関白に就任している。享年五十六で病死した。墨染寺の前身は養父良房の建立した貞観寺(じょうかんじ)とも言う)の死を悼んだ上野岑雄(かんつけ(かみつけ)のみねお:承和(八三四~八四八)年間の廷臣か。事蹟不詳。後に出る「みねを」は彼のこと)が、

 

 深草の野邊の櫻し心あらば今年ばかりは墨染に咲け

 

と詠じたところ、桜が墨染め色に変じて咲いたとされる。一首は「古今和歌集」「卷第十六」の「哀傷歌」に所載(八三二番歌)。この伝承は謡曲や歌舞伎でも知られる。

・「衣更着(きさらぎ)」如月。

・「淸閑(せいがん)」京都市東山区にある真言宗歌中山(うたのなかやま)清閑寺(現行は「せいかんじ」と読む)は、清水寺と同様に桜の名所である。

・「道もさりあへず」「さりあへず」は「どうしても逃げられない」の意であるから、あまりの花見客に道も込み合い、無心に通行したり、行くにも容易に避け交わすことが出来ず、の謂いであろう。

・「立籠む」「たてこむ」。

・「呉竹のふしみの里」「呉竹の伏見」「呉竹の里」は伏見の別称。呉竹は古えに三国時代の呉から渡来した竹とされ、最初に伏見の地に植えられたと伝え、また、「呉竹(くれたけ)の」はその「節(ふし)」から「伏見」の枕詞ともなっていることに由来する。

・「一の橋」伏見街道には東山から流れる今熊野(いまぐまの)川に「一の橋」から「四の橋」まで架けられていた。現在の東山区本町通にあった(現在は暗渠で復元された橋は同位置にはない)。

・「俊芿」(しゆんじよう(しゅんじょう) 永万二(一一六六)年~嘉禄三(一二二七)年)平安末から鎌倉期の僧で真言宗泉涌寺泉涌寺派の宗祖とされる。肥後の出身であるが、出自は不詳。同人のウィキによれば、寿永三(一一八三)年十八歳の『時に出家剃髪し、翌』年、『大宰府観世音寺で具足戒を受けた。戒律の重要性を痛感』、正治元(一一九九)年に『中国(宋)に渡った。径山の蒙庵元総に禅を、四明山の如庵了宏に律を、北峰宗印に天台教学を学んで』、十二年後の建暦元(一二一一)年に『日本に帰国して北京律(ほっきょうりつ)をおこした。俊芿に帰依した宇都宮信房に仙遊寺を寄進され、寺号を泉涌寺と改めて再興するための勧進を行った。後鳥羽上皇をはじめ天皇・公家・武家など多くの信者を得て、そこから喜捨を集め、堂舎を整備して御願寺となり、以後、泉涌寺は律・密・禅・浄土の四宗兼学の道場として栄えることとなった』とある。

・「泉涌寺(せんゆうじ)」現行では「せんにゅうじ」と呼ぶのが普通。京都市東山区泉涌寺山内町(やまのうちちょう)にある。

・「いまぐまの」今熊野観音寺。先の泉涌寺山内にある真言宗泉涌寺派の観音寺。大同年間(八〇六年~八一〇年)にここで空海が庵を結んだのを始まると伝え、永暦元(一一六〇)年に後白河法皇によって新熊野神社(現在の東山区今熊野椥ノ森町(なぎのもりちょう)にある)が建てられると、その本地仏を祀る寺とされた。

・「法性寺(ほふしやうじ)」現在の京都市東山区本町にある浄土宗大悲山法性寺。現行では「ほっしょうじ」と読む。

・「東福寺」現在の東山区本町にある臨済宗慧日山(えにちさん)東福寺。

・「作禮(されい)」仏に礼拝すること。

・「稻荷」現在の京都市伏見区深草藪之内町の伏見稲荷大社のこと。

・「深草」現在の京都市伏見区深草。

・「藤の森」現在の伏見区深草鳥居崎町(とりいざきちょう)にある藤森(ふじのもり)神社。菖蒲の節句の発祥地として名高く、現在は三千五百株にも及ぶ紫陽花でも知られる。

・「かうかうし」「神々し」。

・「未申」「ひつじさる」は南西。

・「二町」二百十八メートル。現在の藤森神社から墨染寺は直線でも五百六十五メートルある。但し、伝説の墨染桜は宗祇仮託の時代なら、必ずしもこの寺の位置になくてもよいので重箱の隅をほじくる必要はあるまい。

・「みな人は花のたもとに成りにけり苔の衣よかはきだにせよ」「古今和歌集」「卷十六」の「哀傷歌」に載る僧正遍昭(弘仁七(八一六)年~寛平二(八九〇)年)の一首(八四七番歌)で、以下のように前書を持つ。

 

    深草のみかどの御時に、蔵人頭(くら

    うどのとう)にて、夜晝なれつかうま

    つりけるを、諒闇(らうあん)になり

    にければ、さらに世にもまじらずして、

    比叡(ひえ)の山にのぼりて、頭(か

    しら)おろしてけり、その又の年、み

    な人、御ぶくぬぎて、あるはかうぶり

    たまはりなど、よろこびけるを聞きて

    よめる

 

 みな人は花の衣になりぬなり苔の袂よ乾きだにせよ

 

前書及び和歌を注する。「深草のみかど」仁明天皇。「諒闇」厳密には天皇の父母が亡くなった際に世の中が一年に亙って喪に服することを指すが、僧正遍昭は寵遇を受けた仁明天皇の崩御(嘉祥三(八五〇)年)により出家しているので、ここはこの歌が詠まれた時制、次代の文徳帝の御世からかく言ったものであろう。「御ぶくぬぎ」諒闇が明けて喪服を脱ぎ。「かうぶりたまはり」官位が昇進すること。「苔の袂よ乾きだにせよ」先帝を失った悲しみの涙で濡れそぼって苔が生えてしまった私の衣よ、せめて乾いておくれ。

・「化口(あだぐち)」「徒口」。下らない無駄口。

・「いざ、わけもきこえず」ここは感動詞の「いざ」ではなく、打消しを伴う呼応の副詞の「いさ」であるべきところであろう。酒に酔い狂って「いさ」(一向に)「わけもきこえ」(正気を失って、何を)「笑ふやら哭くやら」分らぬ為体(ていたらく)であることを言っているように私には読める。

・「餘りのあぶれに」あまりの無頼無法の在り様の果てに(あろうことか)。

・「業(なり)」宗祇の僧形から辛気臭いはずの普通の行脚僧と見たのである。

・「京内參」「西村本小説全集 上巻」では「内」にのみ「り」とルビする。一般には「京内参り」じは「きよううちまゐり(きょううちまいり)」と読み、京へ見物などに行くこと、都見物の意であるが、「西村本小説全集」は「きようりまゐり」と読ませているようである。

・「奈良酒」奈良は清酒発祥の地とされ、奈良産の酒は「諸白(もろはく)酒」と呼ばれる高級酒とされ、江戸時代には「奈良酒」「くだり酒」と呼ばれて江戸で珍重された。宗祇の生きた室町時代にも既に製造されていたことが、参照した「奈良県酒造組合」公式サイトののページの記載で判る。

・「てんや」依頼の意を示す「てむや」の変化。

・「詞(ことば)ずくな」「ず」はママ。「西村本小説全集 上巻」も同じ。

・「力(ちから)なく」仕方なく。

・「つめかけ」強引に押し掲げ。

・「小肱(こかいな)」わざわざ「小」と被せてあるからには肘から手首の部分であろう。図では二の腕(本来はこれはその部分を指したが、現在は誤って肘から肩の部分を慣用指示する語となってしまった)を摑んでいるようには見えるが。

・「ねぢる」実際に腕を「捩じ」って強引に酒を飲ませようとしているのであるが、別に「捩づ」から派生した近似する音の「拗(ねぢ)く」という動詞があり、これは「筋道が違う」「道理に外れる」「不正だ」の謂いがあり、それが掛けられているのであろう。だからこそ、「さしもの放逸(はういつ)ものども」も、その皮肉な謂いが解って「恥ぢかましくや有けむ」という推測が生じたか、或いはその批判に興のみでなく、「醉心ちや、さめけん」、「たすけ起して足はやに去りぬ」と続くと読めるのである。されば「田舍人(いなかうど)」とは申せ、それを諒解し得る能力は持った相応の者どもではあっただけマシと言えよう。だから宗祇も「をかしきいさかひなりし」と余裕を見せているのである。

「つれづれ草にかける、證空(しようくう)上人の馬夫(ばふ)といさかひしたぐひ」「徒然草」第百六段の以下を指す。

   *

 高野の証空上人、京へ上りけるに、細道にて、馬(むま)に乘りたる女の、行きあひたりけるが、口(くち)引きける男、あしく引きて、聖(ひじり)の馬を堀へおし落してけり。聖、いと腹惡(はらあ)しくとがめて、「こは希有(けう)の狼藉(らうぜき)かな。四部(しぶ)の弟子はよな、比丘(びく)よりは比丘尼(びくに)に劣り、比丘尼より優婆塞(うばそく)は劣り、優婆塞より優婆夷(うばい)は劣れり。かくのごとくの優婆夷などの身にて、比丘を堀へ蹴いれさする、未曾有(みぞう)の惡行なり」と言はれければ、口引きの男、「いかにおほせらるるやらん、えこそ聞きしらね」といふに、上人、なほいきまきて、「なにといふぞ、非修非學(ひしゆひがく)の男」とあららかに言ひて、極まりなき放言(ほうげん)しつと思ひける氣色にて、馬ひき返して逃げられにけり。尊かりけるいさかひなるべし。

   *

以上の引用文中の注。「証空上人」は伝未詳。「四部の弟子」以下に出る仏弟子の四種の区別。「比丘」出家して具足戒を受けた男性僧。「比丘尼」同前の儀を受けた尼僧。「優婆塞」俗人の中で五戒を受けて仏門に帰した男性在家信者。「優婆夷」同前の女性信者。「極まりなき放言しつと思ひける氣色」がポイントで、はっと、自身こそが無智蒙昧(「非修非學」)なる貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)に他ならぬ三毒を口にしてしまったことに気づいたからこそ、そそくさと「馬ひき返して逃げ」てしまったのである。「尊かりけるいさかひ」の仏法の理(ことわり)に叶のうた、まことの勝者とは実は「口引きの男」であったという訳である。

 挿絵は国立国会図書館デジタルコレクションの画像をトリミングし、補正した。

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