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2016/07/13

字の上手下手   梅崎春生

 時々、文書や口頭で、字を書いて呉れ、と依頼されることがある。字といっても、原稿を書けというのではない。色紙や短冊に字を書けというのである。私ははたと困って、顔を曇らせる。原稿の字を書くことはきらいではないが、色紙に字を書くのは、苦手なのだ。

 個人的に依頼されるのも困るが、色紙展をやるからと頼まれるのはもっと困る。

 色紙展というのは、たいてい大義名分がついていて、孤児を救済するためとか、なんとか運動のためだとか、その色紙を売って財源あるいは使途に当てると称す。そして色紙を送って来る。

 たいていこういうのは、口頭でなくて文書なので、趣旨は賛成だが字は書きたくないし、どうしようかなあと考えている中に、数日あるいは数週間が過ぎる。

 すると催促の手紙がやって来る。先般送付した色紙がまだ到着せぬが、締切も迫ったゆえ至急書いて返送せられたし。弱ったなあと腕組みをして、しばらくすると締切日が来て、とうとう出さずじまいになってしまう。

 だから私の家の押入れには、未使用の色紙がたくさんたまっていて、押入れをあける度に、横領したみたいで、気がとがめて仕方がない。

 何故色紙に書きたくないか。その理由の第一は、字が上手でないからである。

 では、どうしても色紙は書かないかというと、そうでもない。文書の方は黙殺(心ならずも)出来るが、口頭、ことに膝詰め談判ということになると、ついに私も「書きゃいいんだろう、書きゃ」というような気分になって、つい筆を取る。

 私がいつも色紙に書くのは「平和」とか「自由」という字である。どちらも字数がすくないし、字劃もかんたんだからである。

 私もたまには「鷲(わし)の如く大胆であれ」とか「山の端に夕日の沈むのはさびしい」とか、気のきいたようなことを書きたいのだが、どうもそういうのを書くと、ぼろが出る。平仮名が入るからだ。

 漢字は大体直線をもって構成されているから、棒状のものを重ねることでごまかしがつくが、平仮名はそうは行かない。あれはくにゃくにゃと、世田谷区の道路みたいに、曲っている。その曲り具合のところでぼろが出る。

 だからもっぱら「自由」と「平和」。

 一方からいうと「自由」とか「平和」を書くのは、損だという説も成り立つ。

 しゃれた文句を書くと、色紙展を見に来る人は、その文句の方に気を取られて、字体の巧拙にあまり注意しない。自由や平和は平凡だから、

「これはなかなかうまい」

 とか、

「これは下手くそだな」

 と、すぐに字の上手下手を品さだめする。私の色紙はおおむね「これは下手くそだな」の方に属するので、だから出品するのがつらいのである。

 どうにかして、もう少し字の上手になる方法はないものか。

 字の上手な女房をもらうと、亭主も字が上手になるのだそうだ。

 私はかねてから、男と女が結婚すると、その奥さんの字体が旦那の字体にそっくりになる現象に注意をはらっていた。

 やはり女房というのは、亭主に影響されるのだなと考えていたが、ある時見学のために警視庁をおとずれ、鑑識課の筆跡鑑定係の人に会い、その現象をただしてみたら、女房が亭主に影響されるのではなく、字の上手な方に字の下手な方が影響されるのだ、との答えであった。

 なるほど、と私は膝をたたいた。私の友人の遠藤周作君が、そのケースに、ぴったりあてはまるのである。

 遠藤周作君の独身時代の手紙を、私は数通所蔵しているが、その頃の彼の字はお弁当箱みたいに四角四面で、一字一劃をゆるがせにせぬというと聞えがいいが、小学生が一所懸命に書いたような稚拙な字であった。

 その遠藤君が結婚をすると、しだいに字体が変って来た。四角四面がくずれて、だんだんつづけ字やくずれ字が混って来る。

 平仮名なんかの曲り具合が板について来て、ことに「遠藤周作」という署名に到っては、映画俳優のような達筆のサインになって来た。

 ふしぎなこともあればあるものだ、といぶかっている中、遠藤夫人からある時はがきを貰って、はたと永年の疑問が氷解した。

 遠藤夫人はまれに見る能筆家で、水茎のあともうるわしく、さらさらと書き流してある。思うに遠藤君はその奥さんの影響を受けて、だんだん字体がやわらかになり、あんな風に上達をしたものだろう。

 字が上手になったという点だけでも、遠藤君は奥さんにどんなに感謝しても、感謝し過ぎることはないと言っていい。

 幸か不幸か私の女房は、私の字体を改変するほどの能筆家ではないので、私の字もいっこう上達のきざしはないが、思い起してみると私は小学校時代、かなり習字がうまかったのである。

 どうしてうまかったかというと、実に熱心に練習したからで、熱心というのは私が熱心なのでなく、私の母親が大熱心で、毎朝早くお母さんは私たち兄弟をたたき起す。井戸端につれて行って、冷水浴なり冷水摩擦などをさせる。それから各自自分の机に向かって新聞紙を四つ折りにしたのに向かって、習字をする。

 一面に六字で、六面三十六字書かねば、朝飯が食べさせて貰えない。字を書くだけでなく、その前に墨をする時間もあるから、かなり早く起きねばならない。

 冬なんか夜があけるのが遅いので、暗い中から起き出で、水をかぶったり墨をすったりする気分のつらさは、今でもありありとよみがえって来る。

 そんな猛練習をしていたおかげで、私は習字はいつも評点「甲」で、土地の新聞社が一年に一遍やっていた書き方大会にもいつも出品して、いい成績を取り、賞状を貰っていた。

 その私が、数十年後の今となって、自分の字のまずさを嘆じているのだから、話がおかしい。何のために朝起きしてあんなに練習したのか。全然無駄じゃなかったのかと、時に考えないでもないが、しかしあれはあれでよかったのだろう。

 教育なんてものは、必ず無駄な半面を持っているものである。あの早朝の習字も、そうそう世の中は楽なことばかりじゃないぞ、と私に思い知らせて呉れたし、また毎朝新聞紙に向かって手を動かすことは、運動神経の練磨にもなっている。

 教育とは、そういうものである。

 中学時代に代数や幾何を学び、定理や公式をさんざん苦労して覚えたが、今はさっぱり忘れている。実生活に代数や幾何を応用した記憶も、ほとんどない。

 しかし、それでいいのだ。人間の頭脳は、人間の肉体と同じで、しょっちゅう体操か何かしていなければ、なまくらになって、まさかの用に立たなくなってしまう。代数や幾何は、また地理や歴史なども、つまりは頭の体操なのである。

 そうとでも考えねば、何のために自分が長い勉学生活(大いに怠けはしたけれど)を続けて来たか、自分で納得出来ないではないか!

 

[やぶちゃん注:「うんとか すんとか」連載第二十三回目の『週刊現代』昭和三五(一九六〇)年九月十四日号掲載分。太字は底本では傍点「ヽ」である(以降、同様の仕儀をするが、この注は略す)。なお、この前に底本では第十八回目(昭和三五(一九六〇)年八月十四日号掲載分)の「桜島の八月十五日」が載るが、これは既に梅崎春生の「桜島」「幻化」の関連作品として、こちらで私が電子化しているので参照されたい。
 
 因みに、私の妻は相応に字が上手いが、私は一向に上手くならない。但し、結婚した直後(満三十二歳)に妻が私の書く「漢字の書き順が慄っとするほど気持ちが悪い」と宣わったので、その翌年の一夏、小学生用の四角マスの漢字練習帳と漢字の書き順の指南書を買い、常用漢字総てと、私の好む画数の多い常用漢字表外の漢字を一日二十字、一字に附き五十回書き取りをし、書き順をテツテ的にマスター出来たのは、妻のお蔭ではあった。私は既に神奈川の公立高校の国語教師であったが(因みに私の妻は一つ年上である。同じく神奈川の公立高校国語教師で、大学時分は中古の和歌文学を専攻していた)、多分、あれほど自律的に自己目標を設定し、集中して頑張った経験は私の小学校時代や青年時代にも全くなく、今後も恐らくは、ない、であろう。]

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