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« 芥川龍之介 手帳3―7 | トップページ | 戦争が始まった日   梅崎春生 »

2016/07/17

芥川龍之介 手帳3―8~14

《3-8》

Rodin’s designs are exquisite, because they are not only simplified Nature, but the images of God which can created by the sacred fire of his genius.

[やぶちゃん注:「ロダンのデザインは絶妙で、何故なら、それらは単に自然が単純化されたものが在るだけではなくて、彼の神聖なる火によってこそ創造し得たものが、そこには確かに在るからである。」と言った謂いか?]

 

〇雛

[やぶちゃん注:「雛」(大正一二(一九二三)年三月)はあるが、前後を見てもピンとこない。これだけでここで既に同作構想があったとは言い難い。]

 

○子女と食つく 父女を子に醜と云ふ 後〻 人に美と云ふ 親の噓(どちらが噓か?) Pathos

love-letter を石垣(神社の)にかくす男

[やぶちゃん注:孰れも不祥。]

 

《3-9》

夫婦あり 夫今までの love affair を皆妻に明かす。故に平和あり 偶然最も innocent love affairsacred な氣がする故)を妻にかくし置きしがその發見する所となりその爲夫婦間に gap を生ず à la Goncourt

[やぶちゃん注:「偶然最も innocent love affair」であってだからこそ「sacredな氣が」し、それ「を妻にかくし」続けたというのだから、この「sacred」は浮気・不倫でありながら、神聖なものであったという謂いである。「à la Goncourt」の「à la」はフランス語で「~を真似て」「~風の」であり、フランスの兄弟作家エドモン・ド・ゴンクール(Edmond de Goncourt 一八二二年~一八九六年)と弟ジュール・ド・ゴンクール(Jules de Goncourt 一八三〇年~一八七〇年)の小説風に、の謂いであるが、私は彼らの小説を読んだことがないのでこれ以上は注をつけられない。]

 

○お律の話

[やぶちゃん注:「お律と子等」(大正九(一九二〇)年十月・未完)はある。以前に述べた通り、この主人公の名で芥川龍之介は全く異なった人物設定の小説構想を複数、持っていた。]

 

《3-10》

○心如工畫師 畫種〻五陰 一切世界中 無法而不造 華嚴經

[やぶちゃん注:「華厳経」正式名称「大方広仏華厳経」の「第十九」、「夜摩宮中偈讃品第二十」、別名「唯心偈」の第六節目で、

 心は工(たく)みなる畫師の、種々の五陰(ごいん)を畫(ゑが)くがごとく、一切世界の中(うち)、法として造らざるは無し。

と訓ずるか。吉田叡禮氏のサイト「華嚴無盡海」の「<唯心偈> ─訓読と現代語訳─」によれば、『心は、巧みな画家が、〔物質・感受・想念・意思・認識という〕さまざまの五陰〔から成る人〕を描き上げるように、一切の世界においてあらゆるものを造り出す。』と訳しておられる。「五陰」は「五蘊(ごうん)」に同じい(「蘊」は梵語の「五つの集積」の意の漢訳)。存在を構成する五つの要素の意。即ち、物質的・身体的なものとしての「色蘊(しきうん)。」、感覚作用としての「受蘊」、表象作用としての「想蘊」、意志・欲求などの心理作用としての「行蘊(ぎょううん)」、対象識別作用としての「識蘊」を指す。]

 

○日本 aeroplane 發明の事

[やぶちゃん注:主に英国で用いられる「飛行機」の意で、“airplane”は米国で用いられると英和辞典にはある。これは近代の純国産航空機の発明者のことではなく、芥川龍之介が日本で初めて空を飛んだとされる浮田幸吉(うきたこうきち 宝暦七(一七五七)年~弘化四(一八四七)年)を主人公とする小説を考えようとしていたメモではあるまいか? ウィキの「浮田幸吉」によれば(アラビア数字を漢数字に代えた)、『備前国児島郡八浜(現在の岡山県玉野市八浜)の浮田(櫻屋)清兵衛の次男として生まれた。七歳で父を亡くし岡山の紙屋に奉公に出て表具を習う』。『空を飛ぶ鳥に興味を持ち、鳥が空を飛ぶメカニズムを熱心に研究した。「鳥の羽と胴の重さを計測し』、『その割合を導き出す。それを人間の体に相当する翼を作れば人間も鳥と同じように空を飛べるはずである」と結論づけた』。『表具師の技術を応用し、竹を骨組みに紙と布を張り柿渋を塗って強度を持たせた翼を製作した。試作を繰り返し一七八五年(天明五年)夏』、現在の岡山市の中央を流れる『旭川に架かる京橋の欄干から飛び上がった。風に乗って数メートル滑空したとも、直ぐに落下したとも言われる。河原で夕涼みをしていた町民の騒ぎとなり、即座に岡山藩士によって取り押さえられた。時の藩主池田治政により岡山所払いとされた。この出来事は同時代の漢詩人菅茶山の著書『筆のすさび』にも言及されている』。『その後、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)に移り、「備前屋幸吉」の名で郷里児島の木綿を扱う店を開いた。軌道に乗ったところで兄の子に店を継がせた。自身は歯科技師「備考斎」として技術力の高い義歯を製作することで評判となった』。『晩年は、駿府でも再び空を飛んで見せて騒乱の廉で死罪となったとも、遠江国見附(現在の静岡県磐田市)に移り妻子を得て平穏な余生を送り、一八四七年(弘化四年)に九十一年の長寿を全うし死去したとも伝えられる』。『墓は静岡県磐田市の大見寺にあり、戒名は「釋帝玄居士」』。『幸吉の飛行が事実であるならば、それは一八四九年のジョージ・ケイリーのグライダーによる有人滑空実験よりも六十年以上早い。とはいえ、幸吉はこの種の実験を試みた最初の人物というわけではなく、古くは九世紀から同様の実験家たちが存在したことが知られている』。『また、重航空機に限らなければ、有人飛行はモンゴルフィエ兄弟の熱気球によって幸吉の飛行の二年前の一七八三年十一月に達成されている』とあるが、我々が有人動力飛行機として認識するアメリカのライト兄弟の初めての飛行(一九〇三年)よりも百十八年も前に相当する。]

 

○月九分あれ野の薔薇よ花ひとつ(前書アリ) 荒野カ九分アルカ

[やぶちゃん注:この句については、私は「やぶちゃん版芥川龍之介句集 五 手帳及びノート・断片・日録・遺漏」で以下のように注を附した。

   *

旧全集では「薔薇」は「蕎麦」とある。旧全集の誤植か。また、旧全集では「荒野」の前に一字空けはない。「(前書アリ)」は芥川龍之介全集元版編者の注で、判読不能の意であり、「荒野」か「九分ある」という詞書が書かれている、ということであろうかと以前は思っていたのだが、新全集を見るにそうでないことが判明した。これはすべて、芥川の記載である。後の三句が素堂の句であることを考えると、これは詞書を忘れた他者の句の備忘録であって、中七が「荒野」か、はたまた上五の字余りで「九分ある」の意か、という意味であろうか? ともかく芥川龍之介の句でない可能性が極めて高い感じがする。一応、採っておく。それにしてもこの句は芥川のものでないとすれば、古俳諧でもない。読みによっては如何にも斬新な新傾向にも見える。

   *

本句が芥川龍之介の句でないことが判る方は、是非、御教授戴きたい。]

 

○雲なかに岩を殘して紅葉けり

[やぶちゃん注:下線は底本では二重下線。この句は芥川龍之介の句ではなく、江戸前期の俳人で芭蕉の友人でもあった山口素堂(寛永一九(一六四二)年~享保元(一七一六)年)の句であるので注意。平成三年永田書房刊の新装版村山古郷編「芥川龍之介句集 我鬼全句」で明らかにされている。]

 

○和布刈遠し王子の狐見に行かん

[やぶちゃん注:同じく芥川龍之介の句ではなく、山口素堂の句。同前。]

 

○朝顏よおもはし鶴と鴨のあし

[やぶちゃん注:同じく芥川龍之介の句ではなく、山口素堂の句。同前。]

 

《3-11》

Memoirs of Heinrich Heine Lite.

[やぶちゃん注:ドイツの詩人クリスティアン・ヨハン・ハインリヒ・ハイネ(Christian Johann Heinrich Heine 一七九七年~一八五六年)の伝記らしいが、作家最後の「Lite.」が不詳。]

 

Villiers de L’Isle-Adam His Life & Works

[やぶちゃん注:フランスの作家ジャン=マリ=マティアス=フィリップ=オーギュスト・ド・ヴィリエ・ド・リラダン伯爵(Jean-Marie-Mathias-Philippe-Auguste, comte de Villiers de l'Isle-Adam  一八三八年~一八八九年)の伝記らしい。]

 

Memoirs of Victor Hugo

[やぶちゃん注:フランス・ロマン主義の作家ヴィクトル=マリー・ユーゴー(Victor, Marie Hugo 一八〇二年~一八八五年)の一八九九年に盟友ポール・ムーリス(Paul Meurice 一八一八年~一九〇五年)らによって編せられた伝記の英訳本か。]

 

The Life of Henrik Ibsen Jaeger

[やぶちゃん注:ノルウェーの劇作家ヘンリク・イプセン(Henrik Johan Ibsen 一八二八年~一九〇六年)のノルウェーの研究家ヘンリック・イェーガー(Henrik Bernhard Jaeger  一八五四年~一八九五年)の英訳本であろう。]

 

○壁に射こまれた銃彈の如き tightly fixed idea

[やぶちゃん注:「tightly fixed idea強い、固着した、頑固な固定観念の謂い。]

 

《3-12》

○朗讀中少女の顏を見てどぎまぎすHeine  Prose Writing

[やぶちゃん注:ハイネの「Prose Writing散文詩らしいが、「Ⅺ」はどの詩を指すのか分らない。

 

department-store に刑事二十人あり 番頭 大番頭 外にて巡査によびとめらる

○海水浴場にて女の着物をぬすむ 女裸で出られず 罪名不法監禁罪

[やぶちゃん注:これは刑法二百二十条の逮捕・監禁罪に相当し、正しい。監禁とは人を一定の限られた場所から脱出することを不可能或いは著しく困難にすることによって場所的な移動の自由を制限することを指すが、その移動の自由を奪う手段には法文上の制限はない。従って、鍵を掛けたり、身体の抑制をしていなくても、裸体であることによって脱衣所から恥ずかしくて出られなくしてしまう事態は立派な監禁罪に相当する。これは「雜筆」(大正九(一九二〇)年九月分。リンク先は私の電子テクスト)の「奇聞」に、

   *

 亞米利加の何處かの海岸なり。海水浴の仕度をしてゐる女、着物を泥棒に盜まれ、一日近くも脱衣場から出る事出來ず。その後泥棒はつかまりしが、罪名は女の羞恥心を利用したる不法檻禁罪なりし由。

   *

と使われている。同「奇聞」の最後に「皆小穴一遊亭に聞いた」と記し同年七月二十三日のクレジットがある。]

 

○電車中女の尻を抱く その刹那これが友人の尻であれば好いと思ふ

[やぶちゃん注:意味不明。或いは「友人」とは男で、ホモセクシャルかとも私は考えている。これはただの思いつきではない。実は芥川龍之介にはその傾向が強くあると私は考えているのである。]

 

○電車中老婦人に足を踏まれ怒つてその足をける 老婦人「この人は私が誤つて足を踏んだのにわたしの足をけました」と演説す

[やぶちゃん注:これも前の前に示した「雜筆」(大正九(一九二〇)年九月分)の「奇聞」に、

   *

 電車の中で老婦人に足を踏まれし男、忌々しければ向うの足を踏み返したるに、その老婦人忽ち演説を始めて曰、「皆さん。この人は唯今私が誤まつて足を踏んだのに、今度はわざと私の足を踏みました。云々」と。踏み返した男、とうとう閉口してあやまりし由。その老婦人は矢島楫子女史か何かの子分ならん。

   *

と使われている。そこで示したように盟友の画家小穴隆一談とし、同年七月二十三日のクレジットがある。]

 

○A幇間と隣同志に間借す 二階 天ぷらやの女中遊びに來た(下の荒物屋の女髮結の姪) 幇闇女中に惚る 女中Aに惚れ幇間を斷る 幇間怒り一軒隣の二階に移る(揚羽屋卍)(附 封間の姊は萬世庵の妾 わかれて婆藝者となり弟と共にすむ。後淸元の師匠となる) その關係よりA天ぷら屋に月六

 

《3-13》

圓で食はせて貰ふ(天ぷら屋は藝妓屋の辨當屋を兼ぬ) 天ぷら屋の女房Aに惚る 亭主は船員

[やぶちゃん注:これだけ細かなプロット書いている以上、未定稿が存在してよいと思われるが。]

 

人をのみ相手に生くる男 家にかへると Wooden face になる。人中へ出ると lively になる symbolic に書く

[やぶちゃん注:「Wooden face」無表情。]

 

○西太后 西洋曲馬を見るの記

○或男姦通せる婦人に飽きこれと離れんとして亭主にアノニマスレタアをやる話

[やぶちゃん注:「アノニマスレタア」(anonymous letter)匿名の手紙。私はこれと酷似した現象や行動が不倫相手であった秀しげ子との間で芥川龍之介が実行した可能性を疑っている。

 

或男甲 乙にこれを讀んでくれと云ふ 英語なり 乙よむ 乙は英語を學びし事なし 自ら啞然とす medium.

[やぶちゃん注:「medium」手段。]

 

〇×情死 小春治兵衞の如き case に治兵衞反つて Frau と心中するThema

[やぶちゃん注:「小春治兵衞」は言わずもがな、近松門左衛門「心中天網島」の「紙屋治兵衛」と曽根崎新地の遊女「紀伊国屋小春」のことであるが、私はこれは未定稿の「河内屋太兵衞の手紙」のプレ構想のような気がしてならない(同未定稿は《3-16》で示す)。]

 

《3-14》

○關の小唄一幕切れの愚劣

蘭丸の聲變り 立𢌞りの新案。左團次のimpetuosity 損をするものは個人也。光秀惟忠景圓阿闍梨 iconoclast. 火を持つて行く技巧。

Grotesque beauty of Ōkura(實は阿部の貞任) ideal-lebens-führung des Ōkuras はかるはかると思ひしが反つてはかられる人間。

[やぶちゃん注:これら三つは芥川龍之介の「九年一月明治座評」(「点心」所収で初出未詳であるが、大正九(一九二〇)年一月の明治座の演目通りの「増補信長記」(岡本綺堂作)・「一條大藏譚」(「鬼一法眼三略巻」四段目:文耕堂・長谷川千四他合作)・「關の小唄」(大森痴雪作)・「小猿七之助」の観劇順に書かれたかなり辛口の劇評のためのメモと思しいものである。大切の「春霞廓鞘當」(はるがすみくるわさやあて)は龍之介も述べているように見ていない)特にこの「關の小唄」(ストーリーは私も知らぬ)評はボロクソのボッコボコもいいところで、作者が読んだら確実に怒るであろう内容である。以下に全文を示す(底本は岩波旧全集)。

   *

 

   九年一月明治座評

 

 明治座を見た。一番目の信長記は綺堂氏の作である。脚本は決して拙くはない。いや、寧ろ巧妙に纏りがついてゐる。が、遺憾ながら深さが足りない。この芝居だけで見ると、信長の叡山を焼く理由が餘りに簡單明瞭すぎる。(史實は問題でない。戲曲としての效果の上から云ふのである。)よしその理由はあれだけで好いとしても、愈山門破却となるまでにほ、もつといろいろな葛藤がなければならぬ。更に又一步を讓つて、あれだけの葛藤で好いとしても、その葛藤にはもう少し内面的な機微がなければならぬ。左團次の信長が一度眼を瞋らせて叱咤すると、造作なく解決されてしまふやうな葛藤では、どうも僕等には物足りない。

 それからもう一つ氣附いた事を云ふと、この芝居の中で一番莫迦な目を見るのは、小團次の漁師六右衞門で、娘を山法師に攫はれた上に、自分は流れ矢に中つて死んでしまふ。如何にも琵琶湖の漁師らしく、ぢぢむさく成功した小團次にも御氣の毒の至りであるが、由来戰爭と云ふものは、てんで個人の運命などを問題にしないのだから仕方がない。聊か皮肉の言葉を弄するなら、之からの芝居の語つてゐる最も大いなる眞實である。

 役者では猿之助の悪僧善住坊が、就中樂々と成功してゐた。尤も餘り樂すぎると云ふ非難もあれば――何、ついでに吉野山へまはつて、橫川の禪師覺範を兼帶すれば好い。

 中幕の上は大藏卿である。中車の大藏卿の作り阿呆は、殆ど入神の妙技だつた。僕は未嘗あの位現實的な作り阿呆を見た事はない。あれでは好人物の惡人たる八劍勘解由如きものが、計る計ると思ひながら、反つて計られるなどは當然である。その代り愈本性を現すと、どうも一條大藏卿とは假の名まことは阿部の貞任か何かの觀があつた。だから大藏卿は阿呆になる事に成功したが、中車は大藏卿になる事に失敗したと云はなければならぬ。

 中幕の下は關の小唄である。が、これは脚本そのものが、到底東京明治座の舞臺へ載るべき代物ではない。壽三郎の手代和助を始め、自由劇場の名優たちが愚昧な臺辭を並べてゐるのは、實際聞くに堪へぬ程悲慘を極めた光景だつた。殊に京屋内の場の幕切れの如きは、御店の茶番以下である。斯るすき切れのした錦繪の如き、乃至落丁の多い情話新集の如き拙作を演じさせるには、新劇團の下𢌞りたる書生と雖も勿體ない。況んや壽美藏、松蔦、秀調等を登場させるに至つては、殆ど一種の人權蹂躙である。

 二番目の小猿七之助は、岡鬼太郎氏の作ださうである。手際よく纏めた上に、新しみもあつて面白いと思つたのは、何も關の小唄に惱まされた後だつたからばかりでもあるまい。唯、この芝居に小唄に纏綿する因果の気味惑さを感じさすべく、概してどの幕の舞臺面も陽氣すぎるのは遺憾である。だから燈明の丁子がはねて御摩の眼が痛んだと云つても、一向陰慘たる心もちになれない。折角暮六つの鐘が何だとか云つて、車輪になつてゐる左團ん次の七之助にも甚だ気の毒な心もちがした。その外秀調のお瀧、猿之助の白旗金太いづれも惡くはなかつたが、中でも中車の網打の七藏は、今度こそはほんたうに敬服すべき入神の技だつたと云つて差支へない。大切の鞘當は御免を蒙つた。

   *

「關の小唄」は実はこの時が初演であった。作者の大森痴雪(ちせつ 明治一〇(一八七七)年~昭和一一(一九三六)年)は東京生まれで慶応義塾大学卒業後、『大阪毎日新聞』などの記者を経、大正六(一九一七)年に松竹に入社、座付き作者として初代中村鴈治郎や二代目代実川延若ら関西歌舞伎のために脚本を手掛けていた。代表作に「恋の湖」「あかね染」「お夏清十郎」などがある。

impetuosity」せっかち。

「惟忠」不祥。「一條大藏譚」の登場人物らしいが、私は未見なれば、識者の御教授を乞うものである。

「景圓阿闍梨」不詳。同前。

iconoclast」聖像破壊者。

Grotesque beauty of Ōkura(實は阿部の貞任)」「ideal-lebens-führung des Ōkuras」後者はドイツ語で「大蔵卿の理想的ライフ・スタイル」の意であろう。これらは先の龍之介の劇評にやや皮肉っぽく語られてある。]

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