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« 芥川龍之介 手帳2―17 | トップページ | 死後の許嫁   アポリネエル 堀辰雄譯 »

2016/07/10

アムステルダムの水夫   アポリネエル 堀辰雄譯

[やぶちゃん注:ローマで私生児として生まれ、フランスで詩人・小説家・美術評論家として活躍、「surréalisme」という単語の生みの親ともされるギヨーム・アポリネール(Guillaume Apollinaire 一八八〇年~一九一八年:母はポーランド貴族の血を引く。父親は現在、スイスの名家出身のシチリア王国退役軍人とほぼ確実視されている。以上の事蹟は所持する一九七九年青土社刊「アポリネール全集」の年譜に従った)の短篇小説Le matelot d'Amsterdam(一九〇七年)の堀辰雄による全訳である。二〇〇八年岩波文庫刊「立原道造・堀辰雄翻訳集」の解題によれば、初出は雑誌『辻馬車』(昭和二(一九二七)年一月号)である。

 底本は昭和一一(一九三六)年山本書店刊の堀辰雄の訳詩集「アムステルダムの水夫」を、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらの画像で視認した。]

 

 

   アムステルダムの水夫

 

 オランダの帆船、アルクマアル丸は、香料や其他の高價な物品を滿載して、ジヤバから歸つてきた。

 船がサザムプトンに寄港すると、水夫たちは上陸することを許された。

 彼等の一人のへンドリク・ウエルステイグは、左の肩には猿を、右の肩には鸚鵡をのせてゐた。その上、印度の織物の包を負ひ革で背負つてゐた。彼は町でそれをその動物らと一しよに賣らうと思つてゐたのである。

 春のはじめ頃だつたので、早くからもう日が暮れた。ヘンドリク・ウエルステイグは瓦斯の光がわづかに照らしてゐる、霧のすこし下りた町を足輕に步いていつた。水夫はもうぢきアムステルダムヘ歸れることや、もう三年以上も會はない母のことや、モニケムダムで彼を待ちわびてゐる許嫁のことなぞを、考えてゐたのである。さうして彼は彼の動物と織物から得られる金を計算しながら、それらのエキゾチツクな品物を賣ることの出來さうな商店を探してゐたのである。

 するとアバブ・バア街の中で、一人の立派な洋服を着た紳士が彼に近づいて來た。その紳士は彼に鸚鵡の買手を探してゐるのかと訊いて、それから言つた。

「この鳥は私に丁度いい、私は誰か、私がそれに答へないでゐても、私に話しかけてくれるものを欲しいと思つてゐたのだ。私はまつたく一人暮らしなのだ。」

 ヘンドリク・ウエルステイグは、オランダの水夫の大部分のやうに、英語を話した。彼はその知らない男にふさはしいやうな値段を言つた。

 するとその知らない男は言つた。

「ぢやあ、私と一しよに來てくれたまへ。すこし遠くの方に住んでゐるのだが。さうして君の手で、その鸚鵡を、私のうちにある籠に入れてくれたまへ。それにたぶん、君がその包を開けて見せてくれたら、私の好みに合ふものがあるかもしれない。」

 こいつはお誂向きだと大層喜んで、ヘンドリク・ウエルステイグはその紳士に引張られて行つた。途々、彼は、これもーしよに賣つてしまひたいと思つたので、その紳士に自分の猿の自慢をした。これはごく珍らしい種のもので、イギリスの氣候には一ばんよく耐へるし、自分の主人には大へんよくなじむ、さう彼は言つたのである。

 けれども、すぐ、ヘンドリク・ウエルステイグは話すのを止めてしまつた。彼は彼の言葉をまつたく無駄に費してゐたからである。と言ふのは、その知らない男は彼に答へぬばかりではない。もう聞いてさへも居ないやうに思はれたのだ。

 二人は並びながら默つて道をつづけて行つた。ただ、ときどき、故郷の森をなつかしむやうに熱帶の方を向きながら、猿が、霧を怖がつて、生れたばかりの赤ん坊の泣聲に似た小さな叫びを發したり、鸚鵡が羽ばたきをしたりしてゐた。

 その知らない男が突然に口をきいたのは、それから一時間ばかり步いた後だつた。

「もうすぐ私の家だ。」

 二人は郊外へ入つて行つた。道は大きな園でふちどられたり、柵で圍はれたりしてゐた。ときどき小屋の明るい窓が、立木をよぎりながら、かがやいてゐた。さうして、遠くの、海の方からは、汽笛の不吉な叫びがときたま聞えてきた。

 その知らない男は一つの柵の前に立止ると、衣囊から鍵の小束を出して門を開けた。さうしてヘンドリクが中へ這入つてしまふと、彼はそれを閉めてしまつた。

 水夫はすこし變な氣がした。彼は、庭の奧の方に、非常に恰好のいい小さな別莊を、漸つと認めることが出來たが、その閉つてゐる鎧扉は内側からすこしの光をも洩らしてはゐないのである。

 この無口の知らない男といひ、この死んだやうな家といひ、すべてが彼を非常に氣味惡がらせた。だが、ヘンドリクはふと、この知らない男が一人住ひをしてゐることを思ひ出した。

「この人は變り者なんだらう。」さう彼は考へた。そしてオランダの水夫なんぞは、追剝が目的でこんな家へ引つぱり込まれるほどの金持ではないので、彼はその一瞬間の不安を寧ろ羞しいものにさへ思つたのであつた。

 

       *

     *

       *

 

「マツチを持つてゐたら一寸つけてくれたまへ。」

 さう、その知らない男は、小屋の門を閉めるため、その錠のなかへ鍵をつつこみながら言つた。

 水夫は言はれる通りにした。さうして二人が家のなかへ入つてしまふと、その知らない男はランプを何處からか持つてきた。ランプはすぐ、好い趣味で飾られた客間を照らしたのである。

 ヘンドリク・ウエルステイグはまつたく安心した。そして彼はこの奇妙な同伴者が自分の織物をどつさり買つて呉れるやうな期待さへも持ちはじめだした。

 客間から出ていつたその知らない男は、籠を持つて、再び歸つてきた。彼は言つた。

「君の鸚鵡をこの中へ入れて呉れたまへ。私がそれを仕込んで、私の言つて貰ひたいことをこれが言ふやうになるまでは、私はこの鳥を止り木の上へ置いてやらないのだ。」

 それから、そんな中に入れられて鳥がびつくりしてゐる籠を閉めてしまふと、彼は水夫にランプを持つて隣りの部屋へ行くやうにと乞うた。そこには織物をひろげるのに便利なテイブルがあるのだとふのである。

 そこでヘンドリク・ウエルスティグは自分に指定された部屋の中へ、言はれる通りに入つていつた。すると突然、彼は自分のうしろのドアが閉められて、鍵がまはされるのを聞いた。彼はとりこにされてしまつたのだ。

 狼狽しながら、彼はランプを机の上に置いて、ドアを破るため、それに飛びかからうとした。そのとき一つの聲が彼を止めた。

「一足でも動くと、貴樣の命はないぞ!

 顏をあげたへンドリクは、そのとき始めて氣のついた明り窓ごしに、彼の上ヘピストルが向けられてゐるのを見たのである。ぎよつとして彼は立ち止まつた。

 抵抗は不可能であつた。彼の短刀は、かういふ狀況では、彼を助けることは出來なかつたし、それにピストルがあつたつて無駄だつたのである。もうすつかり彼をわが物にしてしまつた、その知らない男は、明り窓のところの壁のうしろに身をかくして、そこから水夫を監視してゐた。そしてそこから出てゐるのは、ただピストルを向けてゐる彼の手だけだつた。

 その知らない男が言つた。

「おれの言ふことをよく聞いて、おれに言はれた通りにしろ。もしお前がさうしたら、おれはお前に報酬をやる。だがお前は選んではいけない。躊躇しないでおれの言ふ通りにしなければいけないのだ。でないと、おれはお前を犬のやうに殺してしまふだらう。さあ、テイブルの抽出しをあけろ。‥‥そこに五發だけ彈丸の入つた、六連發がある‥‥それを取りあげろ。」

 オランダの水夫は、ほとんど無意識に、その通りのことをした。猿は、彼の肩の上で、恐ろしさに叫びながら、震へてゐた。するとその知らない男は續けて言つた。

「部屋の奧にカアテンがあるだらう。それを引きはがすのだ。」

 カアテンは引きはがされた。そこには床の間があつた。そしてへンドリクは見たのであつた、そこのベツドの上に、手と足を縛られて猿ぐつはをはめられた、一人の女が絶望にみちた眼で彼を見つめてゐるのを。

 知らない男は更に言つた。

「その女の繩をといて、猿ぐつはをはづしてやれ。」

 彼は言はれた通りのことをした。するとその若い、何とも云へずに美しい女は、明り窓のそばへ、かう叫びながら跪いた。

「ハリイ、まあ、なんてひどいやり方なの! あなたはあたしを殺すためにこの別莊へ引き込んだのです。あなたはあたし達の和解の最初の時を過すためにこの別莊を借りたのだと言つてゐました。あたしはあなたを説き伏せたのだと信じました。あたしはあなたが私に罪のないことをとうとう確信したのだと思つていました。‥‥ハリイ、ハリイ、あたしには罪はありません。」

「おれはおまへを信じない。」さう男は冷淡に言つた。

「ハリイ、あたしには罪はありません。」若い女はいかにも苦しさうな聲で繰り返した。

「それがおまへの最後の言葉になるだらう。おれはそれをよく記憶しておいてやる。

そしておれは生涯繰り返し繰り返しそれを聞くだらう。といふのは‥‥(そこで男の聲がすこし震へたが、すぐまた元の通りのしつかりした聲になつた。)おれはおまへをまだ愛してゐるからな。たとへ昔ほどはおまへを愛さなくなつてゐようとも。おれはお前を殺してやる。だが、それはこのおれ自身には出來ない。おれはおまへをまだ愛してゐるからな‥‥

 さあ、水夫、おれが十まで數へてしまはないうちに、お前がこの女の頭の中へ彈丸を射ち込まなかつたら、お前はその女の足許に死骸になつてころがつてしまふのだぞ。いいか、一つ、二つ、三つ‥‥」

 さうしてその知らない男が四まで數へてしまはないうちに、ヘンドリクは、跪ゐたまま彼をぢつと見つめてゐる女を、夢中になつて射つた。そのとき女が床の上へ顏を伏せたので、彈丸は額にあたつた。と同時に、明り窓からもピストルが射たれた。それは水夫の右の顳顬にあたつた。水夫はテイブルの上に倒れていつた。その間に、猿は、恐ろしさにとがつた叫びを發しながら、水夫服の中へもぐつていつた。

 

       *

     *

       *

 

 翌日、サザムプトンの郊外の一つの小屋から、異樣な叫びが聞えてくるのを、通行人が聞いて、それを警官に知らせた。すぐに警官はそこへ行つて門を破壞した。

 若い女と水夫の死骸が發見された。

 そのとき不意に、一匹の猿が、主人の水夫服の中から飛び出してきて、警官の一人の首に飛びついた。その猿は警官たちを怖がらせた。そのため警官たちは、猿が數步うしろへさがつたとき、再び近づいて來ない先に、それをピストルで擊ち殺してしまつた。

 裁判は下された。水夫がその女を殺したあとで自殺したことは明白だつた。けれども、その出來事の事情はどうも不可解であつた。二つの死骸の身許はすぐ分つた。さうして、イギリスの貴族の妻のフインガル夫人が、どうしてこんな寂しい田舍家の中にたつた一人で、前日サザムプトンに着いた水夫と一しよにゐたのだらうか、と人々は不審に思つたのである。

 別莊の持主も何等この裁判を明らかにさせるやうな報告を與へることは出來なかつた。小屋は出來事の八日前に借りられたのであつた。借りたのはマンチエスタアのコリンズと稱する男だつたが、その男はどうしても見つからなかつた。そのコリンズと言ふ男は眼鏡をかけて、どうも贋物らしい、長い焦茶色の髭をつけてゐたさうである。

 貴族は大いそぎでロンドンから到着した。彼は自分の妻を尊敬してゐた。そして彼の歎きは見るに堪へないくらゐだつた。彼も、世間のすべての人々と同樣に、この出來事を理解できないのであつた。

 彼は、この出來事以來、世間から隱遁した。彼はケンシントンの自分の家に住んで、啞の下僕と一匹の鸚鵡のほかは、誰も自分のそばへ寄せつけなかつた。さうしてその鸚鵡はたえずかう繰り返してゐたのである。

「ハリイ、あたしには罪がありません。」

 

 

[やぶちゃん字注:第二パートで一ヶ所、主人公の名前の「イ」が「ウエルスティグ」と拗音表記になっているのは底本のママ。

 「カアテンは引きはがされた。そこには床の間があつた。そしてへンドリクは見たのであつた、そこのベツドの上に、手と足を縛られて猿ぐつはをはめられた、一人の女が絶望にみちた眼で彼を見つめてゐるのを。」の「そこのベツドの上に」は。二〇〇八年岩波文庫刊「立原道造・堀辰雄翻訳集」では、「そこの床の間の上に」となっている。「ベツト」がよい。

「ハリイ、まあ、なんてひどいやり方なの!……」という女の台詞の中の「とうとう」はママ。

   *

 「モニケムダム」原文“Monikendam”。正しい綴りは“Monnickendam”。アムステルダムの北東郊外にある小さな港町。

 老婆心乍ら、「顳顬」は「こめかみ」と読む。]

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