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2016/07/19

芥川龍之介 手帳3―21~28

《3-21》

待(2種)手形を振出し その手形に對し他より爲替手形をとり その振出した手形に對してを他よりとりし手形で割引きをして支拂ひをす 銀行は不景氣の爲割引をやむ(十二月より)(信用ある家は三月下旬)(拒絶さる) 支拂不能 家を担保し 定期貯金を担保にす 不能 振出した手形に現金を二割拂ひ八割は手形にす(四月下旬)

○メリヤス問屋 老婆内閣の解散 品物 株の暴騰 一般に贖ふ 毛糸 棉糸を毛紡 紡績 製品を同業者と約定し手形を振り出す(信用手形の割引休止) 卽品物を安く賣る(株暴落が原因 入超 泡沫會社)賣れず 商行爲不能

[やぶちゃん注:「メリヤス」綿糸又は絹糸などの内、機械を用いてよく伸縮するように編んだもので靴下や肌着などに用いる。「靴下」を意味するスペイン語medias」(メジアス)或いはポルトガル語「meias(メイアシュ)が転訛した語で、本邦への伝来は十六世紀後半から十七世紀後半とされる。難読漢字の一つとしてしばしば「莫大小」と書くが、これはメリヤス持つ伸縮性から「大きくも莫(な)し、小さくも莫し」の意の当て字という。]

 

〇法事をのばす爲叔母怒る

 

《3-22》

2300

老爺 メリヤス屋若林商店が五萬圓の資本で百二十萬の手形をふり出す その取引銀行で自分の振出した手形の期日が來 それを拂ひ得ず 他の割引手形を持ち行くも割引せず 卽銀行不渡りになり整理を發表す 卽松岡が若林よりとりし手形あり その手形既に銀行にて割引しあり 整理發表の日を期日と見なし松岡に銀行より支拂を命ず(代拂ひ) のみならず若林と取引多き店が又整理を發表す その直接間接影響 故に予期せざる金を拂ふ 大商店 50(東)50(大)大小450

[やぶちゃん注:「メリヤス屋若林商店」不詳。]

 

放免

[やぶちゃん注:おや? 「藪の中」(大正一一(一九二二)年一月『新潮』。リンク先は私の古い電子テクスト。私渾身の授業案『「藪の中」殺人事件公判記録』も未読の方は是非、参照されたい。私はそこで、あの「放免」を真犯人とする一仮説(解の一部)として提示している。同末尾に附した「今昔物語集」からの参考資料を読まれた方はあまり多くいるとは思われない)か?!]

 

○船へ品をつむ 郵船會社で證明す 正金銀行で space爲替手形)を切つてくれる 不能 商館より品物を返さる(一日でも遲れれば) セオドル商會も四割しか拂はず のみならず品物を全くとらず

[やぶちゃん注:「正金銀行」「しやうきん(しょうきん)ぎんこう」と読む。横浜正金銀行。明治一三(一八八〇)年国立銀行条例(一八七二年制定)に基づいて設立された貿易金融の専門銀行。当初の資本金は 三百万円(内、政府出資分百万円)で、その目的は正貨によって為替取引を行い、貿易金融に資することにあった。敗戦後、第二次世界大戦中に於いて日本の軍需に必要な外国通貨収集の為の機関と見做されたため、昭和二一(一九四六)年にGHQの指令で解体清算され、外国為替銀行としての役割は新たに設立された東京銀行に引き継がれた。「space」に為替手形の意味を見出せない。「セオドル商會」不詳。]

 

《3-23》

一軒の毛糸屋から品物を買つて利をとつてよそに賣つて 賣先から手形を貰ひ 銀行にて割引きせしも期日になりて買り手拂はず 代拂ひ 二軒買ひ手(二軒の毛糸屋)破産

40萬圓――品物20萬 現在の見つもり10

○主人 女房 子供四人 店員十八人 女中三人 工場(目黑) 四五十人

○手形の濫發と割引停止

○製品が半額

〇毛糸 14.0 13.5(一斤)――6、7

○棉糸 1│3、1│2

[やぶちゃん注:「1│3、1│2」は分数。ここまでの詳細な記載は作品の構想ではなく(その素材としようとしたものではあるかも知れぬ)、事実を綴ったものであると思われる。芥川龍之介のメモ魔の一面が知れる。]

 

○義眼の人――通夜

○父の羽織の襟を直す

 

《3-24》

○畫家 sitter を見ずに sitter vision を見てかく vison と實際と區別がつかなくなる

[やぶちゃん注:「sitter」モデル。「vision」幻像。]

 

○死ねば好い(好意から)と思ふと病人がどんどん惡くなつて死んでしまふ

○古事記のやうな極安全な本を讀んで危險思想にかぶれる話

[やぶちゃん注:「古事記」は出て来ないが、シチュエーションとして酷似する新全集の未定稿断片(?)に「危險思想」(執筆年不祥)がある。以下に全文を恣意的に正字化して示す。

   *

 

   危險思想

 

どうもこの頃(ごろ)の若い者が、兎角社會主義だの、無政府主義だのと云ふ危險思想にかぶれたがるのには、殆手がつけられませんよ。私の悴(せがれ)なぞも、まだ學校を出たばかりなのですが、やれマルクスだとか、やれレニンだとか、飛(と)んでもない西洋のならず者を神樣のやうに思つてゐるのですからね。おや、御宅(おたく)の御子息(ごしそく)もさうですか? それはさぞ御困りでせう。え、何か適當な矯正法はないか? 何(なに)、ない事はありませんよ。私はずつと學校時代から、嚴重(げんじう)に悴の讀物(よみもの)へ監督を加へてゐるんです。何しろ危險思想と云ふやつは、ペストが傷口から侵入するやうに、書物から侵入するんですからね。云はばまあ私の家庭では、私が父親(ちちおや)と兼帶(けんたい)に、センサアも務(つと)めてゐるんです。

 私が最初實施したのは、專問の工業書以外には、一切洋書を讀ませない事です。え、文學書も讀ませないか? 勿論ですよ。西洋の文學書と云ふ中には、隨分怪しからん危險思想を宣傳してゐるのがありますからね。何でもバアナアド・ショウとか云ふ、英吉利の脚本作家なぞは、レニンが褒めてゐると云ふぢやありませんか? して見ればあの先生あたりは、同穴(どうけつ)の狐狸(こり)のたぐひですよ。

 すると悴は仕方なしに、漢籍(かんせき)ばかり讀んでゐました。漢籍にはまさか臣子(しんし)の道(みち)に、違(たが)ふやうな思想はありますまい。漢(かん)の高祖(かうそ)が赤幟(せきし)を樹(た)てたと云つても、赤化(せきくわ)を訣(わけ)ぢやありませんからね。所(ところ)が或時(あるとき)悴の机に、墨子(ぼくし)がのつてゐるのを見ると、――驚きましたよ。私は始めて讀んだんですが、あれは恐るべき社會主義の教科書も同樣ぢやありませんか? それから孟子を開けて見ると、これも君(きみ)君爲(きみた)らずんば臣(しん)臣爲(しんた)らずなぞと云ふ文句が書いてあるんです。私はその時から斷乎として、漢籍も一切禁止しましたよ。

 悴は今度は漢籍の代りに、和書(わしよ)ばかり讀んでゐるやうでした。和魂漢才と云ふ位ですから、和書には國體と矛盾するやうな思想はないのにきまつてゐます。紫式部が參政權運動も起した事もなければ、紀(き)の貫之(つらゆき)が革命歌を作つた事もなささうです

   *]

 

Ghost or ghostly phenomena と思ひし事 然らずして 却つて然らずと思ひし事 Ghostlyになる件

[やぶちゃん注:怪談蒐集癖のあった芥川龍之介好みの話或いは設定と言える。無論、私自身の最も好むリアル怪異譚の典型でもある。]

 

日本人の revengeful なるnurse(支那) 子供を悼む 子供の顏に人面瘡を生ず

[やぶちゃん注:「日本人の」「の」は「への」或いは「対して」の謂いではあるまいか?「revengeful」は復讐心に燃えた・執念深い、の意。]

 

《3-25》

○夕暗中を自轉車行く よく見れば黑洋服の人その傍を歩みつゝあるなり

○夢中一室にあり 何者か戸を叩く

nature dependency 雌雄蕊は蟲を待つ 人も然り 動物も然り

[やぶちゃん注:「dependency」依存。]

 

○素性をかくす女 男怒る 女には素性をかくす事 その事に bliss ありしなり

[やぶちゃん注:「bliss無上の喜び・至福。]

 

○藝者子とめぐり合ふ 子は母に disillusion し、母は子と名乘合ふ爲に旦那を失はん事を恐る

[やぶちゃん注:「disillusion語義は「幻滅を感じさせる」であるが、ここは「幻滅を感じ」の意。これは「貝殼」(大正一六(一九二七)年一月)の以下の章の構想メモである(リンク先は私の古い電子テクスト)。

   *

 

       十四 母と子と

 

 彼は近頃彼の母が藝者だつたことを知るやうになつた。しかも今は彼の母が北京の羊肉胡同(ヤンルウホオトン)に料理屋を出してゐることも知るやうになつた。彼は商賣上の用向きの爲に二三日北京に滯在するのを幸ひ、久しぶりに彼女に會つて見ることにした。

 彼はその料理屋へ尋ねて行き、未だに白粉の厚い彼女と一時間ばかり話をした。が、彼女の空々しいお世辭に幻滅を感ぜずにはゐられなかつた。それは彼女が几帳面な彼に何かケウトイ心もちを感じた爲にも違ひなかつた。しかし又一つには今の檀那に彼女の息子が尋ねて來たことを隱したかつた爲にも違ひなかつた。

 彼女は彼の歸つた後、肩の凝りの癒つたやうに感じた。が、翌日になつて見ると、親子の情などと云ふことを考へ、何か彼に素つ氣なかつたのをすまないやうにも感じ出した。彼がどこに泊まつてゐるかは勿論彼女にはわかつてゐた。彼女は日暮れにならないうちにと思ひ、薄汚い支那の人力車に乘つて彼のゐる旅館へ尋ねて行つた。けれどもそれは不幸にも彼が漢口へ向ふ爲に旅館を出てしまつたところだつた。彼女は妙に寂しさを覺え、やむを得ず又人力車に乘つて砂埃りの中を歸つて行つた。いつか彼女も白髮を拔くのに追はれ出したことなどを考へながら。

 彼はその日も暮れかかつた頃、京漢鐵道の客車の窓に白粉臭い母のことを考へてゐた。すると何か今更のやうに多少の懷しさも感じないではなかつた。が、彼女の金齒の多いのはどうも彼には愉快ではなかつた。

 

   *]

 

○賣笑婦の二重生活 virtuous life を送りつゝ死ぬ

[やぶちゃん注:「virtuous life高潔ぶった人生。]

 

○三月に一月の割

 

《3-26》

○A 玩具のやうな劍を持つB輕蔑す Aその劍にて巨人を斬る

[やぶちゃん注:童話で三幕物の戯曲「三つの寶」(大正一一(一九二二)年二月『良婦之友』)の構想メモ。]

 

Mangeuse d’hommes

[やぶちゃん注:「男好き」或いはもっと強く「男を喰らう」(女)の意。]

 

〇王昭君 724 西京雜記

[やぶちゃん注:「王昭君」紀元前一世紀頃の前漢の元帝の時期の女性。諱は牆(しょう)、字が昭君。後宮に仕えていたが、元帝の命によって匈奴の呼韓邪単于(こかんやぜんう)に嫁した。単于の没後、再嫁したが、漢土を慕いながら生涯を胡地に送った、古代中国の美人の一人に数えられる悲劇の美女。ウィキの「王昭君によれば、『前漢の元帝の時代、匈奴の呼韓邪単于が、漢の女性を閼氏』(あっし)『(匈奴の言葉で君主の妻)にしたいと、元帝に依頼したところ(逆に漢王朝が持ちかけたという説もある)王昭君が選ばれた。以後、王昭君は呼韓邪単于の閼氏として一男を儲けた』が、『その後、呼韓邪単于が死亡したため、当時の匈奴の習慣に倣い、義理の息子に当たる復株累若鞮単于』(ふくしゅるいじゃくていせん)『の妻になって二女を儲けた。漢族は父の妻妾を息子が娶ることを実母との近親相姦に匹敵する不道徳と見なす道徳文化を持つため、このことが王昭君の悲劇とされた』。「後漢書」によると、『呼韓邪単于が亡くなり、匈奴の習慣に習い息子の復株累若鞮単于の妻になった。そのとき、王昭君は、反発したが漢王朝から命令されしぶしぶ妻になったとの記述がある。 こうした悲劇は』ここに出る「西京雑記」(せいけいざっき:晋の葛洪(かっこう))の編になるとされる歴史故事集で全六巻。前漢末の劉歆(りゆうきん)が原著者といわれるが定かではない。西京とは前漢の都長安を指し、この王昭君の故事など前漢に於ける有名人の逸話や宮室・制度・風俗などに関するエピソードを簡潔な文章で記録したもの)『などで書き加えられ、民間にその伝承が広まった』。『後世有名になった似顔絵師への賄賂の話は』、この、「西京雑記」で初めて見られ、『それによると、元帝の宮女たちはそれぞれ自分の似顔絵を美しく描いてもらうため、似顔絵師に賄賂を贈っていたが、王昭君はただ一人賄賂を贈らず、似顔絵師は王昭君の似顔絵をわざと醜く描いたため、王昭君は絶世の美女でありながら元帝の目に全く留まることがなかった。折しも元帝の宮殿を訪れた匈奴の王が宮女の一人を嫁に欲しいと要求した際、元帝は宮女たちの似顔絵を見て、最も醜く描かれていた王昭君を匈奴への嫁として選んだ。そして王昭君が匈奴へ旅立つ際、別れの儀式の場で王昭君の顔を初めて見た元帝は、彼女の美しさに仰天したが、この段階になって王昭君を匈奴へ贈る約束を撤回すれば匈奴との関係が悪化することは明らかだったため撤回はできず、元帝はしぶしぶ王昭君を送り出した。その後の調査で、宮女たちから賄賂を取り立てていた似顔絵師の不正が発覚したため、元帝は似顔絵師を斬首刑に処した。当時の有名な似顔絵師であった毛延寿もこの事件で死刑になったという』。但し、『これには疑問が多い。匈奴は当時の漢にとって最も重要な外交相手であり、その相手に対して敢えて醜い女を渡すといった無礼をするとは考えにくい。これらの話は五胡十六国時代・南北朝時代に鮮卑に支配されていた漢族たちが自分たちの境遇を託したものではないかと考えられる』。「西京雑記」の他、『後宮に入ったものの数年間天子の寵愛を受けることがなかったことを怨み自ら志願した』(「後漢書」南匈奴伝)とか、『子との結婚を拒否して服毒自殺した』(「世説新語」賢媛篇注に引く「琴操」)など、『様々に潤色された王昭君の物語は、王朝と異民族との狭間で犠牲となり、文化・習俗・言語の異なる塞外の地で辛苦した薄幸の美女として好んで題材にされ』、晋代の「王明君辞」、元の馬致遠の雑劇「漢宮秋」などで『作品化された。日本では』、「今昔物語集」の『巻第十第五に「漢前帝后王昭君行胡国語」として取り上げられて』おり、他にも「和漢朗詠集」に『大江朝綱が王昭君をうたった漢詩が見え』、「後拾遺和歌集」には『赤染衛門が王昭君をうたった和歌を載せる』。『王昭君はしばしば馬上に琵琶を抱いた姿で絵に描かれるが』、「漢書」などでは『王昭君が琵琶を弾いたことは見え』西晋の傅玄(ふげん)の「琵琶賦」(「初学記」や「通典(つてん)」が引用)に『烏孫公主のために琵琶を作ったという古老の説が見えており、それが王昭君の話にすりかわったものらしい』とある。「724」の数字は不詳。龍之介が覚書した所持する「西京雑記」の彼女の載る書の頁数か。]

 

     吝嗇

○女の愚<下らぬ德義心

     甘いセンチメンタリズム

[やぶちゃん注:「<」は底本では下の三語句を包含。]

 

○燒き場へ娘を持つて行く せめて一等でやかせたい 一等滿員なり 燒き場人足感激して特等とす

[やぶちゃん注:未定稿「冬心」(私の推定で大正一二(一九二三)年の年末)の終りに出る話(実話)のメモである。リンク先は私の新・旧全集併載版である。別に新全集の原稿形態指示から起こした私の縦書版もある。あまり読まれる作品ではないので未読の方はどうぞ。私には印象的な作品である。]

 

○罪人四首を切られ方を談す 伸べ首 締め首

○獄門ぶり 40 新藏兄弟

[やぶちゃん注:惹かれる構想メモであるが、作品化はされなかったものと思われる。]

 

《3-27》

○畫描き田舍にて注文をとる 二重橋の畫を描かせらる

○頭に手紙の刺青(偸盜)}

            }沙金 屍骸の髮の毛をぬすむ

 頭骨厚きとうすきと  }

[やぶちゃん注:「}」は底本では大きな一つの「}」。これはやはり「偸盜」(大正六(一九一七)年四月二十日脱稿)であるが、どうもこの手帳に書かれているのはやはりおかしい。或いは、芥川龍之介は「偸盜」(続編構想はあったが、すでに公開された決定稿で沙金は殺されている)を大々的に改稿する意図があったのかも知れない。]

 

○レエルに血が流れる話

[やぶちゃん注:無論、偶然だが、後に義兄の弁護士西川豊(姉ヒサの再婚相手)が鉄道自殺することを考えると、不吉なメモではある。]

 

Singer(北海道小豆)――旦那二人(二軒待合より競爭にて電話)

――――――――――――――――――――――

 電話帳を一日中見てゐる│父親(大工)來る

            │何しに來たんだい

――――――――――――――――――――――

 客をつれてくる    │母親

 浴衣出來てゐる    │娘ゐる時は穩なり

 果物をかひにやる   │(さんや)

            │留守の時はおだてて

            │おけば好いと云ふ

            │女中をきやうさす

――――――――――――――――――――――

 ケチ故川向うへやる  │ソバ3

            │(客かへりし後來る)

            │「かへしておいで」

            │「出來ません」

            │「ぢや一つお前にと

            │ つたのかい」

――――――――――――――――――――――

 旦那を自動車にて送る │妹 あさね ひるね

 (12頃)       │三味線のみひく

            │ふてくされ 産婆

            │飯を食はないと云つて

            │二階へ上る

            │あとで何故起さぬと云

            │ふ

――――――――――――――――――――――

 肌か湯もじ一つの   │弟金をかりて帶をつく

 立て膝にて啖呵    │る かへさず 

            │盆に姊曰

            │「お母さん返して貰つ

            │ ておいで。

            │ 金は他人だよ云々

            │

[やぶちゃん注:表下部は底本の原本再現よりも読み易く活字化したつもりである。

Singer(北海道小豆)」意味不明。以下の記載を見ると、前者は小唄の師匠或いは門付けの歌唄いのことか? 後者はその下の記載から先物取引か? よく分らぬ。

「さんや」複数の意味はある。例えば(主に「日本国語大辞典」に拠った)、

・胴突き(杭を打ったり、地盤を突き固めること或いはそれに用いる道具)の異名。

・漁船を陸(おか)に引き上げる際に用いる縦巻き轆轤(ろくろ)。

・盗賊仲間の隠語で「合鍵」。

・「三谷」尺八の曲名で普化(ふけ)宗の虚無僧が吹いた芸能曲。

・「産屋」出産のための小屋。うぶや。

・「三夜」月の第三日目の夜。或いは、その夜の月。

・「三夜」三日月。

・「三夜」誕生から三日目の夜。或いは、その祝い。産養(うぶやしない)。

・「三夜」新婚三日目の夜。古くは餅を食べて祝う風習があった。

・「山夜」山中での夜。

・「山野」野山の他に田舎の意がある。

・「山谷」東京都台東区北東部の地名で、隅田川西岸の日本堤の北及び東浅草・清川などに相当する。

・「山谷」「山谷掘(さんやぼり)」の略。隅田川の今戸から前記の山谷に至る間にあった掘割で、江戸時代は新吉原通いの遊客の舟で賑わった。

・「山谷」元吉原の焼失後に新吉原移転まで遊郭が置かれたことから、吉原遊郭の別称。

しかし、どれもピンとこない。]

 

《3-28》

○先に燈火(石油)二

○片側三つ 窓   [やぶちゃん注:ここに以下の図。]

Katagawamitumado

[やぶちゃん注:図中のキャプションは「倉」か?]

○出入り 鐘なる 天井に廣告 板臺の電燈   [やぶちゃん注:ここに以下の図。]

Akanopuragu

[やぶちゃん注:図中のキャプションは右が「柱」で、左下は「赤のプラグ」か?]

 

○閨中にて女 曉天(夏) 絽刺しをする

[やぶちゃん注:「絽刺し」「ろざし」と読む。夏用の透ける和服地である絽の、目に沿って刺繡をすること。絽の織糸をすくって、絽刺し用の特殊な強撚糸を上から下へ規則的に渡しながら縦・横・斜めに刺しては図柄を構成する、日本や中国の独特な手芸技法。本邦では奈良時代頃には既に行われていたらしく、細工物として上流階級の婦人の間に始まり、江戸時代には公卿たちの趣味として流行、「公卿絽刺し」と称されて珍重された。また、室町時代や江戸時代の繡仏(しゅうぶつ:刺繡で仏像或いは仏教的主題を製作したものを指す)にもこの技法が使われている(以上は平凡社「世界大百科事典」に拠った)。]

 

○美の Kinds Räumlich?  卽アングルの美がレンブランのそれより淺いと云ふ事なく全然別種なりとす。しからば俗美と美との限界如何。

[やぶちゃん注:「レンブラン」はママ。

Kinds」は英語で「種類」か? 後がドイツ語ではあるが、「子ども」を意味する「Kind」(キント)の複数形を「Kinds」とするのは稀れで(ないわけではないが)、しかも次の語との間が有意に空いているように新全集は字配している(ように見える)。

Räumlich?」はドイツ語で「空間的」「立体の」の意。

「アングル」フランスの新古典主義の代表的画家ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル(Jean-Auguste-Dominique Ingres 一七八〇年~一八六七年)。

「レンブラン」バロック期を代表するネーデルラント連邦共和国(オランダ)の画家レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レイン(Rembrandt Harmenszoon van Rijn 一六〇六年~一六六九年)。彼の名はオランダ語の発音を聴くと、音写「レンブラン」でもおかしくはない。]

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