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2016/07/29

梅崎春生「南風北風」より / 博多の食べもの   梅崎春生

 
梅崎春生「
南風北風」より

 

[やぶちゃん注:「南風北風」は『西日本新聞』に昭和三六(一九六一)年一月四日から四月十三日まで、百回に亙って連載されたエッセイである。ウィキの「西日本新聞によれば、現在も発行されており、現在の本社は福岡県福岡市中央区天神、現行紙は福岡県を中心に九州七県で販売されているものの、福岡以外の県ではそれぞれの県紙に販売シェアで圧倒されているとし、福岡市・久留米市を中心とする福岡県西部で特に購読率が高いとある。

 底本は昭和六〇(一九八五)年沖積舎刊「梅崎春生全集 第七巻」に拠ったが、同書には上記の内の全二十二回分のみが収録されている。選ばれている記事内容を見ると(そうした傾向によって編者が選んだ可能性は私は低いと考える)、福岡生まれである梅崎春生は「西日本新聞」の読者の地域的特性をしっかりと踏まえて執筆している様子が濃厚に覗える。

 傍点「ヽ」は太字に換えた。

 以下の「博多の食べもの」は連載第七回目の昭和三六(一九六一)年一月十日附『西日本新聞』掲載分である。]

 

 

   博多の食べもの

 

「酒」という雑誌がある。才色兼備の佐々木久子女史が編集している雑誌で、酒にかんするいろんな物語だの随筆だのがのっていて、わたしは毎号待ちかねて愛読している。

 その「酒」に連載中の随筆で、「マイク酔話」というのがある。たいへんおもしろい読み物で、筆者は斜辺里丈吾という人物である。もちろんこれは筆名で、しゃべり上戸をもじったものだろう。NHKのアナウンサーで、長いこと東京に勤めていたが、半年ほど前博多に転勤になった。随筆の中にそういうことが書いてあるので、わたしはその当人を知っているわけでない。

 その「酒」の新年特別号に、斜辺里丈吾氏が博多の悪口を書いている。いや、悪口といっては当らない。愛情をもって、つけつけと書いている。異郷人が福岡に来ると、こんなことを感じるのだなと、福岡生れのわたしはたいへんおもしろかった。

「酒」という雑誌は市販していないので、読者諸君の目にふれることはないだろうと思うから、その一節一節を紹介すると、

「驚いたことには、ビールのさかなに、もろきゅうとたのむと、おそろしく長い、馬の乾燥バナナみたいなのが出てくる。ナスを焼いてもらうと、これがまた、なんと、きゅうりほどの長さである。九州では、きゅうりとナスの長さが同じである」

 そういわれてみると、九州のナスは長い。長いのが普通で、短いのは特にキンチャクナスという。東京では短いのが普通のナスで、長いのは特に長ナスと呼ぶ。わたしも初めて東京に来たとき、八百屋にキンチャクナスばかりしかないので、ふしぎに思った記憶がある。

「そして、ネギがない。深谷のネギである。出てくるのは、ニラのような細いやつである。ひともじという。そばを食っても、ソーメンをたのんでも、薬味にはこれが出てくる」

 ああ、ひともじ。久しぶりにこの言葉を聞いた。

 斜辺里さんはひともじのことを「ニラのような」と書いているが、むしろ「アサツキ」に似ているのではないか。わたしはあのひともじが大好きで、東京でソバ屋に入るたびに、どうしてひともじがないのかと、今でも物足りなく思う。普通のネギをきざんだやつより、ずっと鮮烈な味がして、ソバの味が引き立つと思うのだけれど、斜辺里さん、そうお感じになりませんか?

「〝ひやむぎ〟をこちらでは 〝ひやしむぎ〟という。〝ひやむぎ〟だから〝ひや〟として、ひやっこいような気もし、食指も、うごこうというもの。それを〝ひやしむぎ〟といわれると、マがのびて、冷たさを失う。作りたてという、新鮮さも失われる。日だまりの水で、真夏に、ソーメン食うやつがどこにある」

 こんなにながながと引用して、斜辺里さんに原稿料をわけてあげねばいけないな。

 

[やぶちゃん注:「佐々木久子」(昭和二(一九二七)年~平成二〇(二〇〇八)年)は編集者・評論家・随筆家。ウィキの「佐々木久子」によれば、ここに出る月刊雑誌『酒』(昭和三〇(一九五五)年~平成九(一九九七)年)の編集長で、かつて「カープを優勝させる会」を旗揚げし、奔走した事でも有名。広島市出身。三歳から酒を嗜み、『広島女子商業学校(現広島翔洋高等学校)を経て広島大学に進学』、『広島市への原子爆弾投下により爆心地から』一・九キロメートル『離れた自宅で被爆。自身は母親と共に救出されたが』、五年後には『父親を原爆症により亡くした。第二次世界大戦後は広島で青年運動・平和運動・新劇などの活動もしていた』。『大学卒業後、単身で上京』、昭和三〇(一九五五)年四月に雑誌『酒』を創刊、以来、四十二年間に亙って編集長を務めた(五百一号を以って休刊)。また一九六〇年代半ばには『新潟県の地酒「越乃寒梅」にいち早く着目し、その後興った“地酒ブーム”の火付け役にもなっている』。二十一世紀に『なってからも地元の中国放送(RCC)などで社会評論を続け』たが、脳梗塞で倒れ、最後は多臓器不全のために八十一歳で逝去した。『結婚はせず、生涯独身だった』。昭和三一(一九五六)年早々、創刊から一年で『赤字のため廃刊に追い込まれかけた『酒』を小説家の火野葦平が救った。火野は、命ある限り無償で執筆する旨の証文を書き、同誌に原稿と』扉絵を約束通り、昭和三五(一九六〇)年一月のその死まで書き続けた(火野葦平の死因は心臓発作と発表されたが、十三回忌の際、遺族により睡眠薬自殺であったことが公表されている。因みに私は、火野葦平の「河童曼荼羅」の電子化も手掛けている)。『また多くの文人を紹介した』とある。調べてみると、この葦平が火急を救った際、同雑誌はそれまでの株式新聞社から独立して自主発行を始めている。春生が『「酒」という雑誌は市販していない』と書いているのは、恐らくは完全な注文頒布型の郵送の趣味雑誌であったからであろう。

「斜辺里丈吾」「NHKのアナウンサーで、長いこと東京に勤めていたが、半年ほど前博多に転勤になった」これだけの情報と文才がありながら、実名は不詳である。識者の御教授を乞う。]

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