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2016/07/18

芥川龍之介 手帳3―17~20

《3-17》

○自動車の前方 火光現る [やぶちゃん注:ここに以下の図が入る。] 坂へ來りし也 礫をひく音 丸の内なり

[やぶちゃん注:これは怪談構想ではなく、芥川龍之介の実体験の怪異記載ではあるまいか?]

Hinotamakaii

 

○△⑴窓 △⑵寒山 △⑶■ ⑷龍 ⑸徐福 ⑹蛾 ⑺賊 ⑻稻種蒔き 鍊金術 ⑼劍 ⑽應擧

[やぶちゃん注:これは恐らくアフォリズムの構想であろうが、当該作はない。]

 

○松本ひよ 山口巴の女將 三州屋筒井與八(旦) 米屋町 明治十三年

[やぶちゃん注:「山口巴」は「やまぐちともゑ」と読むか。昭和初期まで吉原にあった引手茶屋の名と思われる。個人サイト「吟醸の館」の『落語「木乃伊取り」の舞台を歩く』の「茶屋」の注に、『一級の角海老楼と一級の茶屋・山口巴がタッグを組んでいた。山口巴は吉原大門を入って右側6軒(大正時代)の内の2軒目に有った。山口巴は終戦後廃業し、料亭松葉屋がその周辺を買い取り料亭として栄えたが、昭和33年の公娼廃止後は花魁ショーで賑わったが』、平成一〇(一九九八)年に廃業した、とある。「旦」は旦那であろう。「米屋町」不詳。少なくとも現在の吉原(東京都台東区千束四丁目及び三丁目の一部)近辺には存在しない。「明治十三年」西暦一八八〇年。]

 

○美男にして金の鎖帷子を着る

○古銅先生傳

[やぶちゃん注:不詳。]

 

《3-18》

a husband not love ―― crippled ―― a husband loved by for the first time

[やぶちゃん注:「crippled」不具の状態の。]

two men (仲ワルシ)

 absolute contempt 仲ヨシ

[やぶちゃん注:「absolute contempt」完全なる蔑視。一方が一方をそうしながら、仲が好いということは、これ、有り得る。]

 

○元祿武士評

○老人

 

[やぶちゃん注:以下、「〇22」から「〇職長をやめる」までは旧全集にはない。]

 

22

     形紙 船で電話をかける

[やぶちゃん注:「形紙」の下線は底本では「形紙」二字の右側に大きな丸括弧「(」が附されてある。]

〇水道――淸水――壁上

〇ヨコサス

[やぶちゃん注:意味不詳。「寄越させる」の謂いか。]

 

〇千圓――利子――水元

〇兄の死――家ヲヤル

〇松井町

[やぶちゃん注:旧本所区(現在の東京都墨田区)の内に、この町名はあった。]

〇職長をやめる

にせ 賣立てに見る にせを井上侯展覽出來ず 千草帖

[やぶちゃん注:「井上侯」内務大臣など数々の要職を歴任した元老井上馨(天保六(一八三六)年~大正四(一九一五)年)。「千草帖」不詳。]

 

○死人の來るやうにとよぶ燒場の茶屋

        {世之助女を口説き失敗す

○第二世之助の話{

{女に惚れし爲失敗す

[やぶちゃん注:「{」は底本では大きな一つの「{」。前にも述べたが、「第二」とあるが、「世之助の話」(大正七(一九一八)年四月『新小説)』)の内容と、大差はない。そもそも女護ヶ島へ渡る別れの酒宴という設定で、女に対する反復性にすっかり白けてしまった「第一」の「世之助」に「第二」は、ない、と私は思う。]

 

○坂崎 一のイズムにてすべてを説明す O. Henry.

[やぶちゃん注:「坂崎」不詳。「O. Henry」言わずもがな乍ら、私の好きなアメリカの短編の名手オー・ヘンリー(O. Henry:本名:ウィリアム・シドニー・ポーター William Sydney Porter 一八六二年~一九一〇年)。ウィキの「オー・ヘンリー」によれば、彼のこのペン・ネームは一八九六年、三十四の時、『以前に働いていたオハイオ銀行の金を横領した疑いで起訴され』(真相は本人が亡くなるまで何も語らなかったため、不明)、一八九八年二月七日に懲役八年の『有罪判決を受け』て服役したその間に決められたものらしいが(模範囚として減刑されて三年後の一九〇一年七月に釈放)、『新聞の社交欄にあった平凡な名前ヘンリーに、もっとも呼びやすいOをくっつけた』とする説、『可愛がっていた野良猫の名前を呼ぶときの「おーい、ヘンリー」から取った』とするもの、『オハイオ州立刑務所“Ohio Penitentiary”から取った』、『刑務所の看守、または逃亡中に出会った強盗Orrin Henryから取った』など『さまざまな説はあるが、獄中から検閲を経ないで出版社に投稿をしていたことは規約違反であり、それを隠蔽するために一役買ったことは事実である』とある。]

 

《3-19》

active artist――occidental

 passive artist――oriental

[やぶちゃん注:「occidental」(オックシデンタル)西洋人の。ラテン語「日が落ちる所」の意。“occidere”(落ちる)+“-ent”(ラテン語の現在分詞語尾に由来する状態・性質を表わす名詞語尾)の形容詞化。同様に「oriental」もラテン語「昇りつつある(日)」の意 で、“orīrī”(昇る)に由来する。]

 

drama of Kesa

[やぶちゃん注:「袈裟と盛遠」(大正七(一九一八)年四月『中央公論』)は手帳の執筆推定上限より前である。或いは芥川龍之介は「袈裟のドラマ」としての別ヴァージョンでの戯曲化の再構想を持っていたのかも知れない(リンク先の私の電子テクストの末尾の草稿を見よ。当初から、龍之介にはシナリオ形式の案があったのである)。]

 

〇二つのアプリオリがあるんだね さうださもなけれやあんなにあせりやしない

[やぶちゃん注:「アプリオリ」ア・プリオリa priori:ラテン語で「より先のものから」の意)は、ここでは近代哲学に於ける「先天的・生得的・先験的」の意で特にカントの認識論での認識・概念などが後天的な経験に依拠せずに論理的に先立つものとして与えられていることを指す。反対語は「ア・ポステリオリ」(a posterioriラテン語で「より後なるものから」の意。結果或いは属性を受けての認識や推論を指し、伝統的に真理性が低い評される。経験的であることから「感性的」と同義に用いられることも多い)。]

 

○メタルを澤山持つてゐる waitress そのメタルを投げ捨てる

[やぶちゃん注:この「メタル」の意味がよく判らない。]

 

○岸駒の虎を賣つて海水浴にゆく

[やぶちゃん注:「岸駒」は「がんく」と読み、江戸中・後期の絵師の号。宝暦六(一七五六)年或いは寛延二(一七四九)年生まれとし(近年は前者がやや有力)、天保九(一八三九)年に没した。ウィキの「岸駒によれば、『姓は佐伯。名は昌明』、『岸派(きしは)の祖』。『出身地は越中国高岡(現、富山県高岡市)説と加賀国金沢(現、石川県金沢市)という二説がある。近年は、岸家の家譜や門人の白井華陽が記した『画乗要略』など諸書の記述から、金沢説が取られる事が多い』。『岸駒は生前から年を偽って』いた(理由は不明)。『母は越中国東岩瀬の高岡屋きよという。きよは宝暦』六年、『金沢の仕立屋豊右衛門と再婚し、岸駒もこの地で育つ。生活は苦しかったらしく』、十一歳頃、には手習いに通うことも出来なかったことから『店の暖簾や看板で字を覚えた』。十二の頃、紺屋に丁稚奉公に上ったという。『金沢時代は矢田四如軒あるいは森蘭斎に絵を習ったと伝わる』ものの、『確証はない。しかし、画風から岸駒が蘭斎の画系である南蘋派』(なんぴんは:中国清代の画家で長崎に二年弱滞在して写生的な花鳥画の技法を伝えた沈南蘋(しんなんびん 一六八二年~?)から直接技法を受けた熊代熊斐(くましろようひ)とその門人などの画派。写実的な彩色花鳥画に特徴があり、一時かなり流行したが、やがて円山応挙の創始した新しい花鳥画が盛んになるにつれて衰退した)『に学んだことは間違いない。系図では』宝暦一三(一七六三)年頃、『狩野花信と称し絵を描いたと』する説があるが、当時の岸駒は未だ八~十五歳で『信憑性は薄く、花信落款の作品も確認できない』。安永四(一七七五)年に『名を岸矩、号を蘭斎と改め』た。安永七(一七七八)年、『絵師として名を立てようと上京するが、折悪く父が亡くなり』、『一旦帰郷。翌年、母を連れて再度上洛、通称を健亮と改め、翌年斉藤氏の娘菊と結婚。この頃、丹丘、黄筌、李思訓、呂紀などの中国画から学んだことを作品に記し、沈南蘋派の画法を取り込んだ精密な絵や洋風画を学習していった。また、岸家の系図には円山応挙の名は全く出てこないが、円山派を独学で学んだか、原在中が応挙の弟子ではないと偽ったのを岸駒は詰問し、応挙の息子応瑞の家に行って門人帳を見せて貰うと、在中自筆の入門名簿があったという逸話(『古画備考』)から、岸駒も上洛当初は応挙に師事」していたとも考えられる。再上洛から』三年後の天明二(一七八二)年版の「平安人物誌」に『名前が記載され、一流絵師の仲間入りを果たす』。以後も同じ「平安人物誌」に『死の年の版まで漏れ無く岸駒は記載されており、生涯京都を代表する絵師であり続けた』ことが判る。『この名声を岸駒は活用し』、天明四(一七八四)年には『有栖川宮家の近習となり、同家の御学問所の障壁画を描く。翌年、宮家より雅楽助と称すことを許され、名を岸駒に改め、字を賁然(ひねん)、号を華陽とする。有栖川宮の庇護のもと、天明の大火で焼失した御所の障壁画制作に活躍し、同家の推挙もあって』享和二(一八〇二)年に』右生火官人(ういけびのかんにん)』(正式には太古から伝えた火を守護し、天皇即位の際にはこれで蘭奢待を焼く役目とされるが、有名無実の単なる名誉職に過ぎない)『に補せられて従六位下主殿大属(とのものだいさかん)に叙任』、文化五(一八〇五)年には越前介を兼ね、天保七(一八三六)年には『蔵人所衆に推補』され、『従五位下叙爵』、翌八年には『越前守に任ぜられ』た。文化六年には『加賀藩主の招きに応じて金沢に赴き、金沢城二の丸御殿に障壁画を描いて故郷に錦を飾っ』ている。『岸駒は生前から画料の高さなどから悪評が高く、山師などと呼ばれたが、晩年に隠棲した岩倉の証光院が荒れ果てているのを私財を投じて建て直した逸話がある。東寺の食堂の天井に龍を描いたことで名声を得、『依頼者が殺到したため』、『号の「同功館」を印形にしたものを織り込んだ表装地を商い、「この手即天下の至宝」であるとして金襴の袋に右手を入れていたという』。『現在、一般に岸駒を初めとした岸派は認知されているとは言いがたいが、京都の社寺のみならず町家の至る所にまで岸派の作品が残っている』とある。さて、「岸駒の虎」の項。『岸駒は自他共に認めるほど、迫力ある虎の絵を得意としていた。皆川淇園が著した「淇園詩文集」に、そのリアルさの秘密が記されている。岸駒は』寛政一〇(一七九八)年のこと、『中国の商人に「富嶽図」を贈った礼として虎の頭蓋骨を手に入れ、それに知人から借りた虎の頭の皮を被せ、その姿を様々な角度から精密に写生した。さらに各部分の寸法を計測し、牙と歯の本数や形状まで記述している。また、少し後に虎の四肢も入手し、やはり詳細な観察記録が残っている。富山市佐藤記念美術館には岸駒旧蔵の虎の前後脚が所蔵されている(頭部は戦前出産のまじないに貸し出されて以来、行方不明)。当時は解剖学の発展期で、円山応挙らによって人体を描くにあたり、骨の構造を把握することの重要性が説かれていた。従来の猫を手本とした作風とは打って変わった迫真の虎図誕生の裏には、岸駒のこうした努力があったのである』とある(太字下線は私)。]

 

Bizarre 霸王樹と女

[やぶちゃん注:「Bizarreは「奇怪な・異様な」の意、「霸王樹」は「はわうじゆ(はおうじゅ)」と読み、仙人掌(サボテン)の別名である。]

 

Romanticism is a tendency to find the golden age in the primitive stage of culture. (Return to Nature!)

[やぶちゃん注:「ロマン主義はプリミテイヴな(原始的)文化段階の中に黄金時代を見出だそうとする嫌いがある(自然に帰れ!)。」といった謂いか。ルソーの根本思想を表現する“Return to Nature!”は言わずもがなであるが、この英文全体は何かからの引用ではないように私には思われる。]

 

《3-20》

○光長の年中行事

[やぶちゃん注:名を「光長」とする歴史上の人物は複数おり、これでは同定不能。]

 

○宮本 おかめそば

[やぶちゃん注:「宮本」蕎麦屋の屋号か? 「おかめそば」現行のそれは蒲鉾・海苔・青菜・椎茸などの具を乗せた温蕎麦。名前は具の並べ方が「おかめ」の面を連想させることに由来する。Q&Aサイトの答えによれば、幕末に下谷の「太田庵」が原型を考案したとする。]

 

○小學校で代數      }

 三年――開析      }Mathematical Genius

 四五――微分積     }

 二年――Smith の大代數 }

[やぶちゃん注:「{」は底本では大きな一つの「{」で「Mathematical Genius」(数学に於ける天才)は四項の下の中央にある。「開析」はママ。生涯で一度だけテストで零点をとったことがある大苦手の数学であるから私にはよく判らぬが、「Smith の大代數」というのは、国立国会図書館デジタルコレクションにあチャールス・スミス氏大代数学講義並例題詳解辺りのことか? 彼なら、Charles Smith(一八四四年~一九一六年)と思われる。]

 

○作者の友だちなりとして( )中にエチェガレエを入れる。

[やぶちゃん注:「( )」は底本では一字分左右で( )(中は空白)である。「エチェガレエ」一九〇四年にノーベル文学賞を受賞したスペインの数学者・政治家・劇作家であったエチェガライ(José Echegaray y Eizaguirre 一八三二年~一九一六年)のことか? 工学者・数学者として教鞭を執ったが、後に政界に転じて建設大臣・大蔵大臣を務め。スペイン銀行の創立者としても知られる。劇作家としての活躍は一八七四年からであったが、現在では彼の演劇はあまりにも非現実的で、俗受けを狙った仰々しさの目立つ騒がしいだけのものと評価が低い(これはしかし当時の有識者の意見でもあった)。メロドラマ的な作品と社会派的傾向の作品とがあるが、デュマやイプセンなどの影響が認められる(以上は平凡社「世界大百科事典」に拠った)。]

 

○女。落語家の子。高座に父の滑稽なる話をきく。

活動寫眞の film に己自身現る mystery

[やぶちゃん注:これは、いいね。筑摩全集類聚版脚注では、これを「影」(大正九(一九二一)年九月『改造』)の構想とするようだが、採らない。確かに映画が連関し、ドッペルゲンガーも登場するから関係するメモと言えなくはないが、しかし、見ている映画の中に見ている自分が登場するという構想は自ずと異なる次元のもののように私には思われる。芥川龍之介がこの興味深い設定を遂に作品にしなかったのは、同工異曲のシークエンスが出る(主人公の女優が自分が演じた記憶がない映画に自分が出ているのを観る)、谷崎潤一郎の「人面疽」(大正七(一九一八)年三月号『新小説』)が発表されてしまっていたからであろうと私は踏んでいる。]

 

〇御祭の日に家財を競賣する爲自動車にて運ぶ

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