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2016/07/07

芥川龍之介 手帳2―6

《2-6》

○紅茶 戀人の妊娠を墮胎せしむる話

○人面瘡 自分の顏が向うの膝へ出る話 役者立𢌞りの時膝をうつて怪我す

[やぶちゃん注:偶然か、或いはそれに触発されたメモか、全く同時期の谷崎潤一郎に大正七(一九一八)年三月号『新小説』発表の「人面疽」があるが、若き日に期待して読んだもののすこぶる退屈だっただけに(多分、これが私が大の谷崎嫌いになる濫觴である。「蘆刈」以外は好きな作品が一向ない)、芥川龍之介のこれは是非とも読んでみたかった。しかし谷崎の「人面疽」が出た後では、二番煎じを免れず(前半の叙述は、死んだ乞食青年の顔が、主人公の女優が撮った覚えのない映画で演じた作品の女の膝に、人面疽となって生きて出ているという、谷崎の捩じれた入れ子構造ホラーの「人面疽」に酷似している)、プライドの高い龍之介としては書きようがなかったではあろう。しかし、よく考えてみると、前の「戀人の妊娠を墮胎せしむる話」というのは如何にも谷崎好み(そのような小説を知らないが)であるものの、これも合わせて、龍之介の好みではないようにも思われてはくる。]

 

○素盞嗚尊――1Revolt  2Maturity 3Elder

[やぶちゃん注:「Revolt」は反逆、「Maturity」は成熟、「Elderは老年で、これは大正九(一九二〇)年三月から六月にかけて、全四十五回に亙って『大阪毎日新聞』に連載された「素盞嗚尊」(すさのをのみこと(すさのおのみこと)」の初期構想である。同作は第六作品集「春服」(大正一二(一九二三)年六月春陽堂刊)では、前半の三十五回分をカットした上、最後の五回分の後に十回分を加筆し、それを別に「老いたる素盞嗚尊」という別題に設えて一種の改稿続編の形で発表している。それによって初期構想の道筋は一応、踏んでいるものの、連載(第一回の掲載は三月三十日)直後から既に執筆は難渋を来たし、五日後の大正九年四月四日佐藤春夫宛書簡(旧全集書簡番号六九一)では『ボク每日糞を嘗めるやうな思ひをしながら素戔嗚尊を書いてゐる一日も早くやめたい一心だけだ』と早くも放棄感情を露わにしており、実際、追加した「老いたる素盞嗚尊」と続け合わせて読んでみても、「素盞嗚」という神でない生の人間としての彼の生涯を叙事詩(次注参照)的に描き切ることには(この構想メモは次の「日本武尊」と比較してもそういう意図を感じとれる)成功していない。次の私の注も必ず参照のこと。]

 

○日本武尊――⑴運命の輕蔑 Pride(熊襲) ⑵運命に祝さる(燒津) ⑶運命に呪はれつつ免る(姫) ⑷運命の勝利(伊吹山)

[やぶちゃん注:芥川龍之介の現存作には「日本武尊」(やまとたけるのみこと)を扱った作品はないが、しかし、先の「顧眄」で挙げた大正七(一九一八)年四月二十四日附薄田淳介宛書簡(岩波旧全集書簡番号四〇七)に近日中に『「顧眄」といふ隨筆を書きますそれがすんだら後で秋にでもなつたら「日本武尊」を書こうかと思つてゐます』と記しており、それが三ヶ月後の同じ薄田宛て葉書(同書簡番号四三八)では、『八月一杯はむづかしいかもしれません書きたいものがあるから書きますは日本武尊か或は素戔嗚尊』と変化している。そうして結局、薄田が文芸部長を務める『大阪毎日新聞』に翌年三月から「素盞嗚尊」を連載し始めることとなるのであるが、同大正九年三月二十七日附の同じ当の薄田宛書簡(同書簡番号六七九)で、『どうもこの間から素戔嗚尊の戀愛が書けないで殆閉口してゐます』、『神代小説なんぞ書き出さなければ好かつたと聊後悔してゐます但エピツクのやうなものを小説で行つて見たいと思つて書き出したのですから或程度うまくい行つたらあなただけでも喝采して下さい』ととんでもないことを言った(私が薄田だったら、微笑十分の一の微苦笑を浮かべている)後、口の乾ぬ間に『彦火々出見尊と日本武尊をも書いてみる心算です』とぬけぬけぬけぬけ言っている(私が薄田だったら、手紙を荒々しくデスクに放っている。だって、同作の連載開始はこの手紙の三日後の三月三十日なのだから)。書簡中の「彦火々出見尊」は「ひこほほでみのみこと」と読み、山幸彦の名で知られる、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の子(母は木花開耶姫(このはなのさくやひめ))。素戔嗚とともに私の愛する悲劇の英雄倭健(やまとたける)とともに、海彦山彦の神話譚を龍之介がどう料理したか、これも読みたかった気が強くする。

「⑵運命に祝さる(燒津)」相模の国で国造に欺かれた倭建が原野で火攻めに遭うも、倭比売から貰い受けたは倭建命に伊勢神宮の神剣草薙剣で草を刈り払って、同じく貰った袋の中の火打石で以って逆に迎え火を放って敵を焼き尽くし(焼遣(やきづ:現在の静岡県焼津)の語源とするもの)、脱出に成功することを指す。

「⑶運命に呪はれつつ免る(姫)」相模から上総に渡る際、走水(はしりみず)の海(現在の横須賀市沖)に於いて神が波濤を起こして遭難せんとした折り、「姫」即ち、后弟橘比売が自ら入水して救うエピソードを指す。

「⑷運命の勝利(伊吹山)」倭健を守護した剣を尾張の美夜受比売に預けたままに伊吹山(現在の岐阜県と滋賀県の境)の神を対決するも、出現した白い大猪を神の使いに過ぎないと誤認(実は神そのものの化身)したため、大氷雨を降らされて失神、病を得、能煩野(のぼの:現在の三重県亀山市)に至って国偲び歌四首を詠じて亡くなるシークエンスを指す。]

 

○寫樂――芝居に life を見 life に芝居を見る

[やぶちゃん注:因みに、芥川龍之介が東洲斎写楽の謎解き物を書いていたら、これはもう、わくわくものである。]

 

○鷗外氏――歌日記 二つの生と一つの死 動植物の生と人間の死

[やぶちゃん注:「歌日記」正確には「うた日記」とひらがな表記で、ウィキの「うた日記」などによれば、明治四〇(一九〇七)年に刊行された、森鷗外の日露戦争に従軍(明治三七(一九〇四)年二月から明治三九(一九〇六)年一月まで第二軍軍医部長として出征)した際の体験に基づく詩歌集。短歌三百三十一首・俳句百六十八句・新体詩五十八篇・長歌九篇から成る。鷗外は。『詩歌を生む戦場心理について、次のように説明している』。『「明治三十七八年役の時を思ふ。……猛烈な交戦が十日も続くやうなことがあつてもその前後に必ず数十日の準備と整頓とがいる。さういふ間に将卒の心は何物を要求するか。……人は神を要求する。……人は詩を要求する。人情の免れることの出来ない要求の常として此二様の心持が出て来る。高等司令部から兵卒の舎営迄(まで)、何処(どこ)にも詩の会がある」』『(与謝野鉄幹の歌集『相聞』に寄せた序文より)』「うた日記」に『ついては後年、佐藤春夫が「一個非常の記録であつてまた非凡な詩歌集を成してゐる」、「未来に寄与するところ多きもの」と絶賛した』(「陣中の竪琴」昭和七(一九三二)年冨山房刊)とある。芥川龍之介の鷗外観及び鷗外の詩歌についての評(かなり辛口)は私の芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 森鷗外を参照されたい。]

 

○畫壁――如夢幻泡影

[やぶちゃん注:「畫壁」は「ぐわへき(がへき)」で、芥川龍之介が偏愛した蒲松齢の「聊斎志異」の第一巻にある「画壁」という朱という青年が寺の壁画に描かれた少女に魅されてしまい、絵の中に導かれてしまうという夢幻譚を指していると考えてよい。少女と睦み合ううち、下界の侵入者を誰何する武者の出現から、結局、朱は現実に帰還するのであるが、その彼に対して寺僧は笑って「幻由人生」(幻しは人に由りて生ず)と答えるのである。

「如夢幻泡影」は一般には仏語として「によむげんはうやう(にょむげんほうよう)」と音で読む。訓ずれば、世は「夢(ゆめ)、幻(まぼろし)、泡(あは)、影(かげ)のごとし」で、この世のことは須らく、実体がなく、空(くう)であるという無常の譬えとしてよく用いられる成句である。]

 

○曾呂利新左衞門の死 洒落のめしつづける爲の死

[やぶちゃん注:「曾呂利新左衞門」(そろりしんざゑ(え)もん)は安土桃山時代の諧謔家で和泉生まれという。元は刀の鞘師を業とし、小口に刀を差入れると、よく「そろり」と入ったことから、この名を称したともいう。豊臣秀吉に仕えたが、話上手でその頓智咄(とんちばなし)は広く民衆にも親しまれた。また香道や茶道にも通じたというが、実在は不明とされる。参照した思文閣の「美術人名辞典」には一説に慶長八(一六〇三)年没とする。なお、岩波新全集の未定稿の中に以下の断片がある(旧全集未収録。新全集版を底本としつつ、恣意的に正字化した)。

   *

 

    曾呂利新左エ門

 

Fancioulle は驚嘆すべき道化ものであつたBaudelaire

 如何なる神のさだめけむ、アリストファネスの昔より、可笑しきものこそ悲しけれ。フォルスタッフあるはまた、ドン・キホオテが高笑ひ、若きハイネにあらねども、誰かは聞くに泣かざらむ。わが日の本の國とても、哀れは同じ道化もの、たとへばひとりワツトオの、薄ら明りに佇める、ピエロが兄か弟か、二股大根の肩衣に、紫裾濃の絹袴、かざす扇は金泥に、日の丸描きしめでたさよ、されど腰には長々と、繪の具眩ゆき大木太刀、さしもさしたる悲しさに、そろりそろりと歩み來る、その名も曾呂利新左エ門、けふは殿下のおん機嫌、よろしからずと聞きしかば、口に慣れたる頓作も、吐かじとよそふ眞面目顏、日頃にあらぬ可笑しさに、石田福島堀加藤、大名も、眼ひき裾ひき袴ひき、笑はぬものこそなかりけれ。さてもその日の御茶の湯は、利休好みのわび自慢、わざと夕に

   *

添え題染みた短文のFancioulle」は「ファンシウール」でシャルル=ピエール・ボードレール(Charles-Pierre Baudelaire 一八二一年~一八六七年)の小散文詩集「パリの憂鬱」(Le Spleen de Paris 一八六九年)の第二十七章Une mort héroïque(英雄的な死)の主人公である宮廷道化師の名。さわら氏のサイト「猫とかわうそ」ので、和訳が読める。その割注によれば、イタリア語“fanciullo”には「少年」の意が、英語の“fanciful”には「空想的」の意があるとする。「ワツトオの、薄ら明りに佇める、ピエロ」とはロココ時代のフランスの画家アントワーヌ・ヴァトー(Antoine Watteau 一六八四年~一七二一年)の異作にして一見忘れ難い名品「ピエロ(ジル)」(PierrotGilles) 一七一七年~一七一八年頃の作で本作の「ジル」は旧称)のことである(リンク先はサイト「Salvastyle.com」の同作の大画像)。]

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