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2016/07/17

即席文化   梅崎春生

 

 ベビーフードを買いにデパートに行った。

 うちにべビーがいるわけでなし、ベビーフードなんて必要ないのであるが、ちょっと小説の中に使うことがあって、買いに出かける羽目になった。

 入口の案内嬢に聞くと、地下で売っておりますとのことで、早速地下へもぐる。

 考えて見ると、デパートというやつは、どこでも食料品部は地下ということになっているようだ。あれは何か理由があるのだろうか。

 食料品部は生物(なまもの)をあつかう関係上、温度が低いところがいい。地下は温度が低い、とも考えたが、掘立小屋じゃあるまいし、デパートみたいな近代建築で、地上地下の温度が違うとは考えられない。

 あるいはここは人間の生(なま)の欲望(つまり食欲だ)をみたすところである故、人目を避けて地下にもぐらせたのかとも思うが、それならば大食堂を八階あたりに開いている意味が解せない。一種の商習慣みたいなもので、あまり意味はないのだろうと思う。

 デパートの地下に、この数年間私はもぐつたことはない。もぐる必要を認めなかったせいだが、いざもぐって見ると、実に活気があふれていて、衣服売場や書籍売場とまた違った雰囲気があつて、たいへん面白かった。

 時刻が時刻で、地下は満員で、肩をすり合わせて人が右往左往している。その大部分は女性で、男性の姿はちらほらとしか見えない。何かハレムにでも行ったようで、いい気分である。

 もっとも女性たちは、食料品をにらみつけるのに忙しくて、われわれ男たちには眼もくれないけれども。

 目指すべビーフード・コーナーにおもむき、乳児用粉(こな)野菜その他を買い求める。

 いろんな種類のベビーフードがあり、いたれりつくせりといった感じで、これなら乳児であることも、また乳児を育てることも、楽であろうという感じがした。

 われわれが乳児である頃は、母乳が出なくなると、台所の片すみでせっせと土鍋で煮て、重湯(おもゆ)を飲ませられたものである。

 重湯とベビーフードと、どちらが乳児の身体にいいか、どちらが栄養価が高いか、「胃袋パトロール」の杉博士に聞かずとも、自明のことである。なにしろ便利になったもんだ。

 それで興味をもよおして、地下を一巡して廻った。そして品物のおそるべき豊富さに一驚した。

 一驚したのは私のうかつのせいであって、戦後十五年も経っているのだから、売り屋の総元締みたいなデパートに、品物があふれているのは、あたりまえのことである。

 でも、そうは言うものの、眼に具体的に迫って来る食料品の大群は、しばしの間私の感覚を圧倒した。もし戦中戦後のひょろひょろ日本人を、いきなりここに連れて来たら、刺戟に耐え切れないで、卒倒してしまうかも知れない。

 冷凍食品や即席食品などのコーナーが眼についた。地下のかなりのスペースを取っている。

 戦前のデパートには、そんなものはなかった。罐詰か、煮豆や塩昆布がある程度で、あとは煮たり焼いたり加工しなければ食べられないものばかりであった。

 今は違う。お湯に溶かしたり、あたためたり、かんたんな手続きだけで、すぐに食べられる仕掛けのものが、ずらずらと並んでいる。あらゆる種類がある。冷凍や即席になっていない食物は、もうおそらくないのではないか。家庭では、手続きが面倒で食べられないような食物も、即席になっていて、買って帰ればすぐに食べられる。

 こんなのが出廻って来ると、主婦はますます暇になり、ついには暇を持て余すようなことになりはしないか、と心配である。

 味の方はどうであろうか。

 二三品買って帰ろうかと思ったが、何だか侘しいような気分になって、中止した。

 食べた人の話によると、何だか一本筋がぬけているような味で、あまりいただけなかったと言う。ずらずらと並んでいる様子では、

「栄養がありやいいんだろう、栄養が!」

 と居直っているような気配があって、つまり味なんかは二の次で、健康のためにおれ達はあるんだぞ、と啖呵(たんか)を切っている概がある。

 それならそれでいい。それが文化というものならば、私は黙って引き過るより仕方がない。

 しかし、限られた材料で、出来るだけうまいものをつくり上げるのが、本当の文化というものではないか。私の内部の古風なるものが、そう私にささやきかける。文化とは、普及ではなく、つくり出すものではないのか。

 でも、すべての栄養物が、一部にかたよらずに、万人に普及することは、いいことだ。

 味よりも栄養が第一だという文化観があって、その先輩国にアメリカがある。アメリカというところは、食物がひどい。ひどいというのは栄養学的ではなく味覚の上である。

 先年私がアメリカに行った時、いや、まだ私は行ったことがないが、行った人は異口同音にそれを指摘する。よほどひどいものらしい。

「……たいていのレストランの料理は、ふつう私たちが『うまい』とか『まずい』とか文句をいう対象の範疇(はんちゅう)にははいらないのだ。まったく説明に窮する。私たちのいう『まずい』ものが『まずい』という系列において、アメリカ料理が『ひどくまずい』とはいえない。それはぜんぜんべつの次元に属する。つまり味がないのだ」

 と、福田恆存氏も書いている。前記のような考え方の窮極の位置に、アメリカ料理は到達しているらしい。

 

 凩(こがらし)のはては有りけり海の音(言水)

 

 そのアメリカ流を海の音とすれば、後進国日本の食料品界に、インスタント(即席)という凩(こがらし)が吹きそめている。

 食は腹を充たせば足りるという日本式精神主義も、前記アメリカ流も、食の本質を知らざる点においては同罪だと思うが、時代の好尚がそんな風に流れて行くとすれば、私など何も言うことはない。

 もっともそんな即席化は、食料界だけにとどまらず、日本文化の一般を犯しているようである。

 小説を例にとっても、昔の小説は作家が一刀三拝して筆をとり、読者は襟を正して(というほどでもないが)読んだものである。

 ところが今の小説は、どうだろう。

 材料をちょっとお湯に溶かしたり、あるいはあたためただけで、はい一丁上り、と差し出したようなものばかりで、一向にこくがなく、今日読んだら明日は忘れてしまうようなのが多い。

 一刀三拝もくそもない。即席だから量産もきく。また読者の方でも、へんにひねったような小説は敬遠して、口当りのいい即席小説に殺到するから、ますますその手のものが量産されるということになる。なげかわしいことだ。

 もっともそう申す私にしても、毎週一回八枚のインスタント文章を書き、「うんとかすんとか」という名において発表しているのだから、あまり他人の悪口は言えないのである。ああ!

 

[やぶちゃん注:「うんとか すんとか」連載第三十三回目の『週刊現代』昭和三五(一九六〇)年十一月二十七日号掲載分。

「うちにべビーがいるわけでなし、ベビーフードなんて必要ないのであるが、ちょっと小説の中に使うことがあって、買いに出かける羽目になった」作品名不詳。分かり次第、追記する。

「デパートというやつは、どこでも食料品部は地下ということになっているようだ。あれは何か理由があるのだろうか」RICOH Communication Club『「デパ地下」に関するうんちく』によれば、幾つかの説があるとし、まず、デパートはヨーロッパで生まれ、扱う商品はインテリアやファッションが中心であり、食品売り場というものは存在しなかった。食品売り場は後から出来たため、地下になったというのが一つで、『新しく出来たデパートも老舗に習って地下にし』、また、『地下にしたら色々便利だった。他には変えられない便利さがあった』からだとする。利便性は『水廻りの施設や臭いの問題』で、『食品売り場は、冷蔵施設や水道やガスなど、配管の設置のしやすさを考慮して地下に配置したほうが合理的で』、『水なども事故や不注意で洩れた時に上の階にあると』、万一の時、『下の階の洋服商品などが水浸しになると困』るからだとする。他にも、臭気の問題があり(私はこれが一番大きいのではなかったかと考える)、『臭いの粒子には空気より重いものが多い(上の階だと臭いが下へ降りてくる)』ことから、『地下だと臭いが他のフロアに流れる心配が少な』からとする。また、地下と云うのが客の流れや客自身の出入りの便利さと繋がるともし、『食品関係は、買い物の最後にするのが普通だし、仕事帰りとかに食品だけを買う人も多いので、そういうお客さんはわざわざ上層階まで上がるのは面倒で出口に近いほうが便利』で、例えば、『最近は昼休みにデパチカの弁当などを買いにいくOLが多』いが、彼に『にとっても地下は便利』で、『又、地下鉄の駅や地下街、地下駐車場と出入りしやすい地下にあるのが合理的』であるという。他にも『業者(デパート)にとっての便利さ』もあり、『食料品は新鮮さが売り物、商品の出入り(車での搬入搬出)が激しい。 荷物の搬入搬出のための駐車場は地下が多い』。(一階に置くと客にとって迷惑となる)『つまり地下は荷物(商品)の運び込み、運び出しに便利である』とある。更に、『マーケティング戦略の立場から』は『「噴水効果」を狙ったものだと言う説』があって、『最近はデパチカが有名になり、デパチカ情報誌などもできたり、インターネットでもデパチカサイト情報が出来たりして注目度が高くなった』。『そこで戦略として、地下の売場に特徴を持たせて客を集め、そこから順に上階へ移動して買い物をしてもらう』という流れを作るが、『それをマーケティング業界の専門用語で「噴水効果」と』言うのだそうだ(但し、『これとは逆に上階から下階への「シャワー効果」というのも』あって、『これは上のほうの階に催し物(特売や○○展等)を持ってきて集客し』、『そこから順次下へ』流すというのもある。かつては屋上遊園地が設けられ、子供連れを引き寄せたりしたのがそれであるが、今ではすっかり寂れてしまい、『時代は変わって今は下から上へ』だそうである)。『お客さんの流れも、少し前までのデパートは「服などを買いに来た人が、ついでに食料品を買っていく」という「シャワー型」であったのに対し、現在のデパートは「地下の食料品目当てで来たお客さんが、ついでに上の階も見に行く」という「噴水型」に移り変わっているそうで』ある。概ね合点出来、大変、勉強にもなった。

『「胃袋パトロール」の杉博士』生理学者で医学評論家でもあった医学博士(昭和一五(一九四〇)年・東京帝国大学)杉靖三郎(すぎ やすさぶろう 明治三九(一九〇六)年~平成一九(二〇〇二)年)が、梅崎春生がこの「うんとかすんとか」を連載していた同時期(国立国会図書館の書誌情報では少なくとも前年には連載している)に『週刊現代』に連載していたのが「胃袋パトロール」である。

「概がある」「おもむきがある」と読む。

「福田恆存氏も書いている」出典不祥。識者の御教授を乞う。

「凩(こがらし)のはては有りけり海の音(言水)」江戸初期の松尾芭蕉と同時代の俳人である池西言水(ごんすい 慶安三(一六五〇)年~享保七(一七二二)年)の私の好きな句の一つ(特に出さぬが近現代の誰彼の名句とされるものは粗方、この言水の名句の剽窃に過ぎぬとさえ私は思っているほどに好きな句である)ウィキの「池西言水」によれば、言水は奈良生まれで、十六歳で法体(ほったい)して『俳諧に専念したと伝えられる。江戸に出た年代は不詳であるが』延宝年間(一六七〇年代後半)に『』大名俳人、内藤風虎』(ふうこ:陸奥磐城平藩第三代藩主内藤義概(よしむね 元和五(一六一九)年~貞享二(一六八五)年)の諡号。ウィキの「内藤義概」によれば、『晩年の義概は俳句に耽溺して次第に藩政を省みなくな』ったとある)『のサロンで頭角を現した』。延宝六(一六七八)年に『第一撰集、『江戸新道』を編集した。その後『江戸蛇之鮓』『江戸弁慶』『東日記』などを編集し、岸本調和、椎本才麿の一門、松尾芭蕉一派と交流した』。天和二(一六八二)年の『春、京都に移り、『後様姿』を上梓した後、北越、奥羽に旅し』、天和四(一六八四)年まで『西国、九州、出羽・佐渡への』三度の『地方行脚をおこなった』。貞享四(一六八七)年、『伊藤信徳、北村湖春、斎藤如泉らと『三月物』を編集した。但馬豊岡藩主・京極高住』とも交流した、とある。

「一刀三拝」或いは「一刀三礼(らい)」とも言う。元は仏の尊像を彫刻する際に一刻みする毎に三度礼拝を成して像に仏の魂がこもるように彫琢することを指し、転じて慎みを持って深く成している行為や対象を敬いながら仕事をすることを言う。]

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