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2016/07/12

おせっかいの鐘   梅崎春生

 先週のこの「うんとかすんとか」欄で、デパートの案内広告がふえたために郵便物の配達が渋滞する、という郵便局の言い分を非難する文章を書いた。もちろんこの郵便局の言い分は、公僕精神をうしなった、筋の通らないものである。

 が、デパートも少々広告を出し過ぎやしないか。日本にどのくらい紙が余っているのか知らないが、浪費し過ぎていやしないかと思う。

 これはデパートだけに限らない。朝起きる。郵便受けから朝刊を取って来る。すると各紙にごってりとはさみ込み広告が入っている。赤だの黄だの青だの、俗悪な色調にいろどられた広告類がはさまっている。

 それが腹が立つので、玄関でばさばさと広告類をふるいおとして、新聞だけ持って上るという誰かの随筆を読んだことがあるが、私も共感する。

 私は玄関にまき散らしはしないが、茶の間に持って来て、広告類を束ねて抜き出し、そのままねじって、くず籠にたたき込んでしまう。

 実際あのはさみ込み広告は、何の役にも立ちはしない。私の友人に、あの広告を便所の落し紙に使用したら、お尻が赤や費や青に染まって、恥をかいたという人がいる。

 恥をかいたというからには、お尻を人前にさらした(自分で自分の尻を眺めるのは恥でない)のだろう。

 どういう機会に、どういう状況でさらしたのか、それはつい聞きもらしたが、しかし色のついたお尻なんてグロテスクで、好ましいものでないことは確かである。

 せめて無地無印刷の紙なら、まだ役立つだろうに、印刷してあるばかりに、落し紙にもならないやくざ紙となり下った。紙としても、不本意であろうと思う。

 やがて郵便が来る。書斎でより分ける。デパートの案内広告、銀行、証券会社の案内、それらをひとまとめにして、原則として開封せず、ひとまとめにぐいとねじって、くず籠にたたき込む。大急ぎでその作業を遂行する。

 大急ぎでそれをやるのは、私が見たくないせいもあるが、もう一つ、うちの者に見せたくないせいもあるのである。あんなのを見せて、もしうちの者が猛烈な購買慾をおこし、それを実行にうつしたらどうなるか。迷惑するのは私であり、私のふところである。

 近頃の広告というやつは、うちではこういう品物を売っておりますという報告の範囲を脱して、挑発の域に達しているようで、私はそれが気に食わない。それを毎日毎日、倦きもせず、手をかえ品をかえて送りつけて来る。

 正当防衛が行き過ぎると、過剰防衛ということになるそうだが、近頃の広告も過剰広告というべきであろう。ごわごわして落し紙にも向かないし、ほんとに紙の浪費という他はない。

 でも、送りつけて来る分には、にぎりつぶして事は済む。この世には、にぎりつぶせないことが多々ある。

 この間の朝日新聞の「素描」欄で、目黒区在住の慶大文学部教授白井浩司氏が、目黒区役所屋上の「明日への鐘」に関する陳情書を、目黒区議会に提出した記事が出ていた。

 私はその鐘を聞いたことはないが、その記事によると「この鐘は朝八時、夕の五時、夜の十時の三回鳴りひびくが、拙宅前では、自動車の前方二メートルできいた警笛にひとしい。私は勉強の関係で夜おそくまで起きているので、八時に起されるのは非常に困る……」

 デパートの広告ならにぎりつぶせるが、音というやつはにぎりつぶせない。

 白井さんの闘争は数年来のことで、あちこち関係者に陳情したり談判したりしたが、依然として鐘は鳴りつづけている。

 区役所に談判に行った時には、しかるべき役人が出て来て、

「八時に起されるのは困る」

 と言ったら、

「起キルノガワルイ」

 という返答だったそうだ。

 何とまあ冷酷な返答であろう。大きな音を出せば、起きるのがあたり前で、これは生理的必然なのである。いい、わるい、とかいう問題でない。

 小役人根性まる出しの返答で、態度もたいへん横柄だったそうであるが、その後「もの申す」欄などにこの問題が出ると、とたんに態度がていねいになって、横柄でなくなった。

 私はこの小役人の横柄さを憎むが、新聞に出たとたんに横柄でなくなったという、その卑屈な根性をも憎むのである。

「明日への鐘」実行委員会の婦人たちに談判に行ったら、「あなたの気持はよく判るが、慣れたらどうか。飛行場や踏切のそばに住んでいる人たちのことも考えたらどうか」との返答だった由で、この婦人連は役人でない筈だが、返答だけは役人なみの横着さを持っている。

 慣れろ、というのは乱暴な言い方だ。おそらくこの婦人連は、想像力という点で、極度に貧乏な女たちだろうと思う。

 日本の夏は暑い。暑いからといって文句を言わず、慣れろというのなら、話は判る。夏の暑さというのは宿命的なものだからだ。

「明日への鐘」は違う。宿命的なものでない。人工的なものであって、やめようと思えばやめられるものを、慣れろ、と押しつけるのは、傲岸不遜(ごうがんふそん)というものだ。

 あなたの気持がよく判るのなら、そこを基調として、早速その音を撤廃するなり、制限するなりすべきである。

 私はもともと「愛の鐘」とか「明日への鐘」とかいうものに、大きな疑問を持っている。

 何が「愛」であり「明日」であるのだろう? 判ったような判らないような、あいまいな言葉使いで、これでは言葉が泣きはしないか。言葉は大切なものであるから、そんなお手軽な使い方をしてはいけない。

 曰く「進め一億火の玉だ」「一億総ざんげ」、これでは一億という言葉が泣く。言葉の実質がすりかえられて、他のものになってしまうのだ。「愛」も「明日」も同じことだ。

 目黒の鐘は、午前八時と午後五時と午後十時に鳴るそうだが、推察するに、八時のは子供たちに早くめしを食って学校に行け、午後五時のは夕食時だから遊びをやめて帰宅せよ、午後十時のは夜遊びをやめて家に戻れ、というような意味を持つのだろう。その他に考えようがない。

 とすれば、ずいぶん人をばかにした話で、鐘の音で人を指図するようなもので、まるで牧笛で指導される羊群みたいに人間を考えていることになる。

 人間は羊とは違う。時間の観念もあるし、また時計というものを持っている。正確な時間を知らせるためなら、ラジオやテレビがそれをやっているし、何も特別に鐘を鳴らす必要はない。

 それなのに四百万円也を投じて「愛」の鐘をつくり、三度三度打ち鳴らす。

「愛」というからには、誰かが誰かを愛するあまりに、鐘を鳴らしているのだろうか。

「明日」という名をつけたのは、その鐘を鳴らすことが、明日と関係があるのだろうか。しかし、どういう関係があるのか、私も判らないし、おそらく誰にも判らないだろう。

 言葉を実質的に使うのなら、「おせっかいの鐘」「いやがらせの鐘」、そんな具合に是非改名するように、私は目黒区当局に勧告する。

 それが言葉を尊重する唯一の道である。

 

[やぶちゃん注:「うんとか すんとか」連載第十六回目の『週刊現代』昭和三五(一九六〇)年七月三十一日号掲載分。本文出る前回(第十五回)分は底本には不載である。なお、ここに出る「おせっかいの鐘」は、ネットを見る限りでは現在は鳴らされていない模様である。

「白井浩司」(大正六(一九一七)年~平成一六(二〇〇四)年)はフランス文学者。東京生まれ。暁星中学校を経て、慶應義塾大学仏文科卒。昭和一七(一九四二)年にNHK国際局海外放送フランス語班に勤務、昭和二〇(一九四五)年九月にNHKを退職、昭和二二(一九四七)年、慶應義塾大学予科講師、サルトルの「嘔吐」を翻訳して実存主義ブームのきっかけを作り、その後もカミュ・ロブ=グリエなどを翻訳紹介、昭和三三(一九五八)年慶應義塾大学文学部教授、昭和五一(一九七六)年にはフランス政府より「パルム・アカデミック勲章」を授与されている。昭和五三(一九七八)年、「アルベール・カミュ その光と影」で読売文学賞受賞、昭和五七(一九八二)年、定年退任して同大名誉教授となった(以上はウィキの「白井浩司に拠った)。]

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