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2016/07/19

芥川龍之介 手帳3―32・33

《3-32》

108 類從 淸獬眼抄

[やぶちゃん注:「淸獬眼抄」は「せいかいがんしやう(しょう)」で鎌倉前期の京都の検非違使の日誌で火事による焼亡記録などをも載せる。「108 類從」はそれが「群書類従」の「公事部」の「百八」に載ることを意味している。王朝物のメモらしい。]

 

○十五日間 4日――廿日

 

Four horsemen in Apocrypha

[やぶちゃん注:Four Horsemen of the Apocalypse で『「(ヨハネの)黙示録」の四騎士』のこと。ウィキの「ヨハネの黙示録の四騎士」から引いておく。「新約聖書」よくもまあ載せてしまった(しかし、あれがあるから「新約聖書」は確かな幻想文学である。私は「旧約聖書」の「ヨブ記」と、「新約聖書」の「マタイによる福音書」に次いで好んで読む聖書である)イッちゃってる「ヨハネの黙示録」第六章の第二節から第八節までに記されている四人の騎士で、『小羊(キリスト)が解く七つの封印の内、始めの四つの封印が解かれた時に現れるという。四騎士はそれぞれが、地上の四分の一の支配、そして剣と飢饉と死・獣により、地上の人間を殺す権威を与えられているとされる』。『日本語では「騎士」といわれるが、「馬に乗る者」(英語では「Horseman」)の意訳であり、原典には身分階級としての「騎士」に相当する単語は無い』。「第一の騎者」は第一の封印が解かれた時に現れ(以下、同じなのでここは省略する)で、『白い馬に乗っており、手には弓を、また頭に冠を被っている。勝利の上の勝利(支配)を得る役目を担っているとされる』。「第二の騎者」は『赤い馬に乗っており、手に大きな剣を握っている。地上の人間に戦争を起こさせる役目を担っているとされる』。「第三の騎者」は『黒い馬に乗っており、手には食料を制限するための天秤を持っている。地上に飢饉をもたらす役目を担っているとされる』。「第四の騎者」は『青白い馬(蒼ざめた馬)に乗った「死」で、側に黄泉(ハデス)を連れている。疫病や野獣をもちいて、地上の人間を死に至らしめる役目を担っているとされる』。多くのキリスト教徒は四人の騎者を『未来の苦難の予言と解釈している。 黙示録が既に実現したという解釈では』、一世紀の『ローマ帝国とパルティア王国の闘争の歴史という解釈』があり、他に赤い騎者を共産主義、黒い騎者をアフリカなどと勝手に置き換える噴飯物のトンデモ解釈もある。それはリンク先をどうぞ。]

 

○大阪市南區難波新地五番四二  治(Fujita

[やぶちゃん注:どうも「治」は、お「はる」で芸妓っぽくないか? おまけに昔の大阪の花街として知られた「難波新地」(なんばしんち)じゃねえか?! 但し、明治四五(一九一二)年一月の大火によって難波新地(現在の中央区難波)は潰滅的被害を受け、飛田遊郭(現在の大阪市西成区山王附近)に移っていた。]

 

○奈良県生駒新道  濱繁席

[やぶちゃん注:「濱繁席」名称から推して、ちょっぴり怪しげな芸妓の置屋と踏んだ。それに「生駒」には何か妙な記憶がある。調べて見ると、やっぱりそうだ! 宇野浩二の「芥川龍之介」の初め(私のブログ分割版)に限りなくここと思しい場所が出て来るがね! さら「浜繁席」で検索したら、今井照容氏のブログ「文徒アーカイブス」の「初公開!『宝山寺―悪所「原風景」の探訪』ノーカット版」に以下のように載っているのも発見出来た!(下線やぶちゃん)

   《引用開始》

宝山寺新地[やぶちゃん注:奈良県生駒市門前町にある真言律宗大本山の生駒山宝山寺の近く。]の旅館群が一般的な日本旅館と違うのは玄関に「十八歳未満の方のご利用は固くお断りします」といった類の文字が書かれた札が目立たないように掲げられていることだろう。宝山寺のお膝元というか、足元にこうした日本旅館が立ち並び、この一帯が宝山寺新地と現在では呼ばれているのである。宝山寺新地の歴史は生駒新地と呼ばれていた時代にまでさかのぼる。それは大正三年のこと。西暦でいうと一九一四年。第一次世界大戦の始まった年である。大軌鉄道と当時は呼ばれていた現在の近畿日本鉄道が大阪・奈良間に開通し、生駒停留所が設けられたことに端を発する。停留所から宝山寺まで約一・四キロの参道が新たに開設し、ここに料理屋や旅館が軒を並べることになり、芸妓も出入りするようになったのである。置屋が誕生したのは大正四年末のこと。大正七年には日本初のケーブルカーが開通する。『生駒市史』の記述に従いながら生駒新地の歴史を追ってみることにしようか。

最初に誕生した置屋の名前は巴席という。この巴席は芸妓に赤穂浪士にちなんだ、例えば「不破」というような芸名をつけていたという。第一次大戦後の好景気に支えられ、大正七年頃には浜繁席という二軒目の置屋も誕生し、やがて都席、千歳席、浪花席など増加を重ね、大正十年の町制施行の頃になると置屋が十五軒、芸妓が約百三十名という規模に膨らんでいった。検番は既に大正八年頃に発足していたというが、この検番は大阪に拠点を置く大坂党と呼ばれていた面々によって創設された。しかし、生駒出身の生駒党と呼ばれる料理屋側と対立するようになり、生駒党も検番を発足させるなど揉め事が続いた。大正十年になって、置屋側と料理屋側が共同で検番を株式会社として発足させる。芸妓数は昭和五年になると一六二人を数えた。昭和十八年になると戦争のため置屋、検番は解散。料理屋は旅館として営業を続けた。昭和十七年の芸妓数は一四六人。戦後は昭和二十三年に「芸妓あっせん所」が開設され、翌年には芸妓置屋組合が発足した。しかし、昭和四十年代後半からキャバレーやアルサロに押され気味となり、芸妓が華々しく闊歩する花街としての生駒新地は次第に廃れ始め、現在では所謂「裏風俗」として命脈を何とか保っているのである。もっとも、昭和六年の段階で生駒芸者は三味線一つ持てないし、三味線一つ弾けないと新聞に批判されたこともあったというから、現在のような形になることがさほど不自然なことではないのである。現在も検番・置屋制度は健在なのである。旅館は検番を介し、置屋から女性を呼ぶのである。ただし、置屋は今やたったの三軒しか残っておらず、地元の消息筋によれば、そのうち一軒は開店休業中であり、実際に稼動しているのは二軒ということである。二軒で抱えている「女神」の数は三十名程度だそうだ。

   《引用終了》

芥川龍之介は芸妓遊びは勿論、かなり危険な売春婦を買うことも好んだ。宇野浩二「芥川龍之介」(こちらはサイト版上巻全)にかなり際どい描写が出る。今度は自分でお探しあれ。]

 

○辯解二つ

怪物――種類の進歩

     
 setting oscillatory

○書き方<         >psychical research John silence

     
 spotty 或月夜の路

[やぶちゃん注:「oscillatory」何か奇怪な振動のような設定するというのか? 「spotty」月光が道にさすが、それが点々と不気味にまだらになっているというのか? 或いは「むらのある書き方」の謂いか? 「psychical research John silence」「psychical research」は「心霊現象研究家」であるが、これは私の偏愛するイギリスのホラー作家アルジャーノン・ブラックウッド(Algernon Henry Blackwood 一八六九年~一九五一年)の、デビュー二年目に書き溜めた心霊現象学者ジョン・サイレンス物を纏めた一九〇八年作のJohn Silence, Physician Extraordinary(「心霊現象特命研究家ジョン・サイレンス」。私の所持する紀田順一郎・桂千穂氏共訳の平成六(一九九四)年角川書店刊では「妖怪博士ジョン・サイレンス」と訳されている)のことと考えてよかろう。もう二十二年前に読んだので記憶が薄れている。近いうちに再読して、ここに確実な注追加をしたいと思っている。]

 

○種類 elementals First Dimension never thing

[やぶちゃん注:「First Dimension」(第)一次元。

 

○戰爭物二つ

 

《3-33》

○猿が帽をとる話を発端にす

○強者女を愛す 女弱者を愛す 強者その女よりより美人にあひ それをめとらんとす 女の周囲女の意を強ひ強者にとつがしむ 強者知らずめとる 後 然る事を発見し弱者に誇りしを思ひ悄然とす 且女と絶つ

女一度嫁ぎし名譽を如何にするかと問ふ 荅へず 同棲す(この case は女の social standing を重ずるやう書く)(強者の親戚に対する女の愛も可)

[やぶちゃん注:「social standing」社会的地位。]

 

○阿部仲麻呂の文明讃美

[やぶちゃん注:「阿部」はママ。言わずと知れた奈良時代の遣唐使で科挙に登第、唐朝に於いて諸官を歴任して高官に登ったものの、帰国を果たせず客死した阿倍仲麻呂(文武天皇二(六九八)年~宝亀元(七七〇)年)のことだが、はて、その「文明讃美」とは?。]

 

A女を愛したる甲 B女と結婚出來す 乙A女にホレル A女乙を愛する如くにしてB女より甲を離さんとす 甲 B女を去りA女と出來んとす その時A女いつしか乙を愛しつつありしを發見す(幸福なる悲劇)(花柳小説)

[やぶちゃん注:アフォリズム集「貝殼」(大正一六(一九二七)年一月)の中の以下の構想メモ。

   *

 

       七 幸福な悲劇

 

 彼女は彼を愛してゐた。彼も亦彼女を愛してゐた。が、どちらも彼等の氣もちを相手に打ち明けるのに臆病だつた。

 彼はその後彼女以外の――假に3と呼ぶとすれば、3と云ふ女と馴染み出した。彼女は彼に反感を生じ、彼以外の――假に4と呼ぶとすれば、4と云ふ男に馴染み出した。彼は又急に嫉妬を感じ、彼女を4から奪はうとした。彼女も彼と馴染むことは本望だつたのに違ひなかつた。しかしもうその時には幸福にも――或は不幸にもいつか4に愛を感じてゐた。のみならず更に幸福だつたことには――或はこれも不幸だつたことには彼もいざとなつて見ると、冷かに3と別れることは出來ない心もちに陷つてゐた。

 彼は3と逢ひながら、時々彼女のことを思ひ出してゐる。彼女も亦4と遠出をする度に耳慣れない谷川の音などを聞き、時々彼のことを思ひ出してゐる。……

 

   *

これは誰彼というよりも、芥川龍之介の好んだ、「これ見よがし」調、「意味深長」系、「ダンディ・噓臭(うそくさ)」ポーズと読んでおくのが健康上はよろしい。穿鑿は必ずラビリンスへ陥るからである(それも龍之介の確信犯なのだが)。尤も、龍之介の周囲を衛星のように経巡っていた男女の中には「彼女」や3」や「4が私だ自分だと思い込んだ輩は多いと言えよう。それが龍之介のあざとい罠、というより、龍之介が関わったあらゆる女性に対する異様な互換性を持ったところの懺悔だとも知らずに、である。]

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