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2016/08/14

責任   梅崎春生

 

 日光薬師堂の焼失にかんしてある新聞の広告欄に、東照宮宮司の「ごあいさつ」と輪王寺門跡ならびに信徒会会長の名の「火災のお見舞い御礼」が並んで掲載されていた。焼けた建物の名は宮司のは本地堂(鳴竜)となっているが、門跡のは本寺所属「薬師堂」となっている。

 十年ほど前、囲碁の呉対藤沢の対局が輪王寺で開かれ、わたしは観戦記者として日光におもむいたことがある。そのときも輪王寺と東照宮のあいだにごたごたがあるというような話を聞いたが、同一の建物に別々の名がついているなんて、まことにふしぎな話だと思う。

 宮司のあいさつは、管理者としてまことに申しわけがない、ていちょうなお見舞いをいただいて厚くお礼申し上げる、というところまではいいけれど、そのあとにこう書いてある。

「幸い御本殿は御安泰、陽明門その他の社殿、主要建造物はすべて延焼を防止し得ましたこと、不幸中の幸いにて、御参拝には支障なく、平常通りの御奉仕を致して居りますから御諒承いただきたく、ここに謹んで御挨拶申し上げます」

 このごあいさつを読むと、申しわけないという前段よりも後段のほうにウエイトがかかっているように思える。つまりおわびのほうはつけたしで、焼けたのは薬師堂だけで陽明門その他はそっくり残っているから、どしどしと参拝にきてくれ、こちらもサービスにこれ努めるから、ということを言いたいらしい。参詣者が激減するのをおそれているのだ。あいさつとしてはすこし筋が違いはしないか。

「不幸中の幸い」なんて言葉は、はたのものがいう台詞(せりふ)であって、当事者のいうことじゃないような気がする。陽明門その他が残ったことも、なにもあいさつを読まずともわれわれは新聞記事でとっくに承知している。当事者としては、ひたすらあやまり謹慎するだけにとどまるべきなのに、「御参拝には支障なく……」などと余計なことをいうから腹が立つのである。参拝なんかしてやるものかという気分になってくる。焼けた責任はそっちのけにして、参拝者の減ることばかりを心配しなければならないその在り方に問題があるのだろう。

 そこにいくと、九州大学入学試験問題は一応責任を果たしたものといえよう。これを東照宮宮司流にやって、

「他の問題に間違いがなかったのは不幸中の幸いで御入学には支障なく平常通り御奉仕……」

 うんぬんと声明書を出すとたいへんなことになるだろう。間違ったら間違ったと責任をとるのが人間の道である。

 実をいうとわたしも「南風北風」において、せんだってちょいとした間違いをおかした。「記憶術」というくだりで三月十日を招魂祭としたのは陸軍記念日の誤りである。責任をとって筆を折ろうかと思いつめたが(というのはうそだが)、ここに訂正しておわび申し上げる。

 

[やぶちゃん注:「南風北風」連載第七十九回目の昭和三六(一九六一)年三月二十三日附『西日本新聞』掲載分。

「日光薬師堂の焼失」この年(一九六一年)の三月十五日午後七時五分頃、日光東照宮境内の重要文化財である薬師堂(寛永一二(一六三五)年徳川家光の命で建立された東照宮最大の建物であった)西側から出火し(原因は炭火の不始末とされる)、同堂を全焼、堂内天井に描かれていた狩野安信作の墨絵(長さ十五メートル)の「鳴竜」(「なきりゅう」と読む。手を叩くと、多重反響現象によって特有の残響が聴こえる建造物やその附帯物の絵(特に龍)等に、しばしばこの「鳴き」が附されるが、大元はこの「鳴き龍」の絵(堂)とされる)も焼失した。同絵は五年後の昭和四一(一九六六)年の同薬師堂復元とともに堅山南風によって復画されている。You Tube の「懐かしの毎日ニュース」の『日光東照宮薬師堂全焼 「鳴竜」も焼失』で当時の映画館用ニュースが見られる。

「輪王寺と東照宮のあいだにごたごたがある」この決定的決裂状況については御存じの方も多いと思うのでごく簡単な注に留めておくと、神仏分離令(神仏判然令とも呼ぶ。慶応四(一八六八)年から明治元(一八六八)年までに出された太政官布告・神祇官事務局達・太政官達など一連の国家神道形成のために目論まれた通達群の総称で、これによって忌まわしき廃仏毀釈運動が全国に蔓延した)によって明治四(一八七一)年に栃木県の日光山も分離がなされ、二荒山神社・東照宮・輪王寺の二社一寺に分離されて今日に至っている。二〇一三年七月には東照宮と日光二荒山神社が「平成の大修理」を理由に社寺共通拝観券制度から脱退、輪王寺は共通拝観券の収入によって本堂などの修繕費の半分を賄う計画であったことから、これには反対であったにも拘らず、である。同寺の単独拝観券は拝観料収入全体の一割にも満たないという。――神も仏もありゃしない――とはまさにこのことを言うのである。嘆かわしい対立どころか、神仏も呆れかえるイジメ以外の何ものでもない。以上は、一部で「TravelersMedia」の日光東照宮などの「共通拝観券」が販売停止!!を参考にした。

「十年ほど前、囲碁の呉対藤沢の対局が輪王寺で開かれ」正しくこの十年前の昭和二六(一九五一)年十月二十日から二十二日までの三日間で打たれた呉清源と藤沢庫之助の囲碁戦。日光山輪王寺の「聖跡の間」で行われた。読売社告は七月に掲載され、「全国のファンが久しい間熱望してやまなかったもの」であったという(私は碁の打ち方も知らぬので、「読売新聞社」公式サイト内の呉清源師の「生涯一局」その五に拠った)。

「九州大学入学試験問題この昭和三六 (一九六一)年三月に行われた昭和三十六年度九州大学入学試験の「理科 生物」の問題に出題ミスがあった事件で「九大ダブル・ミス事件」と呼ばれる。ネット上で入手した森峯治氏の文書「温故知新」(第九巻 自 昭和三十六年四月十一日 至 昭和三十六年五月二十日」(ワード文書)によれば、九大入試の第三日(三月五日)の生物学の問題で、ヨード反応によってイネの遺伝的優性・劣性を確かめる問題設定に誤りがあった。さらに、誤った設問のまま既に受験雑誌に九大教授の名で出題されていたことがわかり、問題作成に関わった教授と講師の二人が辞表を提出、この事件によって合格者の発表が一日遅れ、しかも定員枠を少し拡げて合格させるという事態となった。その後、この問題は学内の処理委員会によって処分が検討されたが、その過程で実は驚くべきことに「ダブル」が「トリプル」であったことが判明している。即ち、出題委員でない同大教授が問題を事前に知っており、それを二浪して九大を受験する自分の息子に漏洩し、彼は合格しているという事実までが明らかになってしまったのであった(当該男子生徒の高校での生物の成績は中程度であるのに、九大入試では満点をとっていた、ともある)。なお、当該男子の入学手続は中止され、その教授は直ちに辞表を提出している、とある。

「記憶術」底本ではこの回は割愛されていて、ない。

「招魂祭」死者の霊魂を招き迎えて祀る儀式。靖国神社(旧称は東京招魂社)や各地の護国神社が招魂社と呼ばれていた敗戦前に行われた慰霊祭。靖国神社で行われる春季大祭(四月二十一日から二十三日)にかけての春季例大祭と秋季大祭(十月十七日から二十日)の別祭儀として、現在も残っている。

「陸軍記念日」敗戦前の日本の三月十日にあった記念日。ウィキの「陸軍記念日によれば、これは明治三八(一九〇五)年三月十日に『日露戦争の奉天会戦で大日本帝国陸軍が勝利し、奉天(現在の瀋陽)を占領して奉天城に入城した』ことを記念するものとして翌年から施行された。なお昭和二〇(一九四五)年三月十日は、かの東京大空襲と同日であるが、アメリカは『この陸軍記念日を狙って実施されたという説がある。当時の日本で、この記念日にアメリカの大規模な攻撃があるとの噂が流布しており、この噂が後になって事実であるかのように出回っていた。日本には事実とする書籍や資料が存在するが、アメリカ側の資料では確認できない』とある。都市伝説の類いか。]

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