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2016/08/06

福日図書館   梅崎春生

 

 マメ本という家禁の書を借りてきたのはいいが、それを家の中で読むのは格別の技術を要した。おふくろに見つかってはまずい。

 だから近くの師範学校の運動場に行き土手に腰をおろして読んだり、一度などは家の屋根に登って読みふけったことさえある。かくれて読む関係上読み方にスピードが出て、たいてい一冊を一時間か一時間半で読み上げてしまう。

 作家の倉島竹二郎さんの話によると、かれはこどものときおやじの目を盗んで夜鳴きウドンの味を覚えたそうだ。かくれて食べるのだから大急ぎで食べ、大急ぎで家に戻らねばならない。

「だからどんな熱いウドンでも、他の人なら五分ぐらいかかるところを、ぼくなら一分間でつるつる食べてしまいますよ」

 と倉島さんはいばっていた。

 必要は発明の母というが、早く食べたり読んだりできるのも、その必要があったからである。わたしはいまでも読むのは早い。

 運動場や屋根の上なら見つかるおそれはないが、雨が降ると行くわけにはいかない。家の中でしか読めない。そこで勉強するふりをして、教科書だのノートだのをひろげ、あるいはそれを盾(たて)にしてこつそり読みふける。足音がするとぱっと机の下にかくして教科書に目をそそぐ。

 後年津屋崎療養所でかくれてたばこをのむとき、以前にも同じ経験があったような気がしたが、考えてみるとこのマメ本の盗み読みだったのである。

 ある日不覚にもとうとう見つかってしまった。おふくろが足音を忍ばせてやってきたので気がつかなかったのだ。

 さっそくこっぴどくしかられ、マメ本はすぐ返すようにと厳命された。

 この件についておふくろはおやじと相談したらしい。二三日たっておやじはわたしを呼び、名刺を渡して言った。

「これを持って福日のナニナニさんのとこに行け。本を貸してくれるように頼んでおいたから」

 福日は西日本新聞の前身である。わたしは学校が終ると、その名刺を持ってとことこと福日に出かけた。

 福日の社屋はいまの福岡市渡辺通りではなく、当時は橋口町の川っぷちにあった。木造三階の古風な建物で、受付けでその名刺を渡すと、やがてナニナニさんが出てきた。応接室みたいな部屋に連れて行かれ、そこで紅茶をごちそうになった。紅茶を飲んでいるうちに、ナニナニさんは分厚い童話本を三冊かかえて応接間に戻ってきた。「譚海」やマメ本にくらべてはるかに厚くて読みでがありそうで、わたしは胸がおどった。わたしはナニナニさんにお礼を言い本をかかえて外に出た。三冊のうち一冊はアラビアンナイトだった。

 ナニナニさんの名前はいま思い出そうとしても、どうしても思い出せない。

 

[やぶちゃん注:「南風北風」連載第四十六回目の昭和三六(一九六一)年二月十八日附『西日本新聞』掲載分。前日の豆本で直連関。

「近くの師範学校」簀子町の西北直近(旧簀子小学校前から一キロ圏内)にあった福岡県福岡師範学校。現在の福岡市中央区西公園及び福岡教育大学附属福岡小学校・中学校所在地に相当する。

・「倉島竹二郎」(明治三五(一九〇二)年~昭和六一(一九八六)年)は作家で囲碁将棋観戦記者。京都府京都市生まれ。昭和四(一九二九)年、慶應義塾大学文学部国文科卒。『三田文学』に作品を発表。昭和一〇(一九三五)年に東京日日新聞社(のちの毎日新聞社)入社して記者として囲碁将棋の観戦記者となった。昭和一三(一九三八)年応召。昭和一八(一九四三)年に退社し、終戦後に作家生活に入ったが、毎日新聞社の要請で再度、観戦記者となっている。将棋六段・囲碁五段の腕前で、著作も将棋関連が多い。梅崎春生より十三歳年上(以上はウィキの「倉島竹二郎」に拠った)。

「津屋崎療養所」現在の福岡県福津市渡(わたり)にある北九州津屋崎病院。大正二(一九一三)年に九州初のサナトリウムとして開設された私立療養所で、当時の名称は肺結核診療施設「津屋崎療養院」が正式か。気になるのは場所が実家や春生が出た福岡県中学修猷館からも遙かに遠いことである(修猷館からでも東北に直線で二十四キロも離れる)。何故、ここなのだろう? 識者の御教授を乞う。

「福日は西日本新聞の前身である」『西日本新聞』は、まさにこの「南風北風」を連載していた新聞(社)である。ウィキの「西日本新聞社」によれば、明治一三(一八八〇)年に、さらにこの前身であった『筑紫新聞』と『筑紫新報』が合併して『福岡日日新聞』と改め、福岡橋口町(後注参照)に福岡日日新聞社(社長・諏訪楯本:彼は実業家団琢磨の実兄)を設立して日刊紙として自社印刷を開始、大正一五(一九二六)年三月に福岡日日新聞社は現西日本新聞社本社所在地(後注参照)に移転したとある。

「福岡市渡辺通り」現在の行政地名は福岡市中央区天神一丁目。旧簀子小学校からは直線で一・七キロほど。

「橋口町」那珂川沿いの、現在の同新聞社社屋の北直近の中央区天神四丁目、西中島橋附近。]

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