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2016/08/04

芥川龍之介 手帳4-12

《4-12》

○ベレン―ベトレエム ベレンの國より來しと云ふ 正月元日この親子の像を黑船へのせて拜む 浦上

[やぶちゃん注:「ベレン」「ベトレエム」イエス・キリストの生誕地であるBelén(スペイン語)・Belém(ポルトガル語)、ヘブライ語(ラテン語音写:Bēth Leḥem(ベース・レヘム)/現代口語音写: Beyt Leḥem(ベイト・レヘム)、所謂、ベツレヘムのこと(ヘブライ語で「パンの家」の意)。

「正月元日この親子の像を黑船へのせて拜む 浦上」こういう儀式が禁教令以前にはあったということであろう。しかし正月元日は江戸時代の長崎や浦上の農民らにとっては悪魔の日となった。まさに毎年この正月元旦にマリア像を踏む「絵踏み」が宗門改めとして強制されるようになったからである。参照した中島義雄氏(郵政ユニオン長崎)の『「蘭学事始 200 年」と「信徒発見 150 年」に「転向論」を考える。』(クレジット・二〇一五年二月十八日:PDF版)によれば、『正月の元旦に家族そろって、絵踏みを行った隠れキリシタンたちは帰宅後、神に許しを求めたという』とある。]

 

Saint Polo

[やぶちゃん注:下線はママ。綴りもママであるが、これは聖パウロのことであろうが、彼の名の綴りは英語(Saint が英語)では「Pauloであり、この綴り自体がポルトガル語読みであるから、この綴りはおかしい。或いは切支丹のそれでは発音し易さを考慮してこう綴ったのかも知れない。]

 

○深堀

[やぶちゃん注:「ふかほり」と清音で読む長崎市南西部の地域名で、長崎港南端部に当たる。ウィキの「深堀」によれば、ここの現在の大篭町(おおごもりまち)は『海岸部の赤土・中央部の大篭・山間部の善長』(ぜんちょう)の三集落からなるが、『善長は江戸時代は隠れキリシタンの里で、名所として善長谷教会がある』とある。この「ぜんちょう」という地名は大変、気になる。何故なら「ぜんちょ」という語は「異教徒(この場合、キリスト教徒であるポルトガル人からの謂いになる一方通行の限定義であるので注意されたい。即ち、仏教や神道を信ずる日本人は「ぜんちょ」であり、キリスト教を信ずる日本人は「ぜんちょ」ではないのである)」を意味するポルトガル語“genntio”由来の切支丹の言葉と酷似するからである。ただの偶然と一蹴するにはここが「隠れキリシタンの里」であることから、私にはどうも出来難い。そこで調べてみると、やっぱり、一説として存在することが分かった! Angelique氏の「Hair&Make up angeliqueのブログ」「長崎のルルド。善長谷教会」に、『「善長谷」という地名の由来は、菩提寺六代・賢外普門大和尚が厳しい座禅の修行によって悟りの境地に至ったことで知られる場所で、「禅定谷」と呼ばれるようになり、それが、訛って「善長谷」となったと言われている。また「善長谷部落名起源考」には、異教徒のことをポルトガル語では「ゼンチョ(キリシタン用語)」とあることから「善長あるいは善丁」の語源が生まれたのではないかと考えられ、又その仏教徒の住む谷をゼンチョの谷と呼んだ事が長い間に変遷して、自分たちの住む地名になったのではないかとも言われている』とあるのである。]

 

Saint Ignatio の像として通用せし楊柳觀音像 淨瓶をラツパとす

[やぶちゃん注:「Saint Ignatio」イグナチオ・デ・ロヨラ(Ignacio López de LoyolaInigo Oinaz Loiola バスク語:Ignazio Loiolakoa 一四九一年~一五五六年)はカスティーリャ王国(スペイン語:Reino de Castilla:中世ヨーロッパのイベリア半島中央部にあった王国で、キリスト教国による「レコンキスタ(国土回復運動)」に於いて主導的役割を果たし、後のスペイン王国の中核となった)領バスク地方(現在のスペイン北部沿岸地方)出身のバスク人修道士でカトリック教会修道会イエズス会の創立者の一人にして初代総長カトリック教会の聖人。

「楊柳觀音像」ウィキの「楊柳観音」によれば、三十三観音(観音が世を救済するに当たって広く衆生の機根(性格や仏の教えを受ける人徳)に応じ、種々の形体を現じるが、これを観音の「普門示現(ふもんじげん)」と称し「法華経観世音菩薩普門品第二十五」(観音経)には観世音菩薩は普く衆生を救うために相手に応じて三十三の姿に変身すると説かれてある)一つ。病苦からの救済を使命とし、『右手に柳の枝を持つことにより楊柳観音と呼ばれる。この観音は画像に描かれる例が多く、絵画では座右の水瓶に柳の枝をさすこともある』。『絵画として描かれたものでは、高麗仏画の遺品が著名である』とある。

「淨瓶」前注引用中の『座右の水瓶』のこと。但し、この芥川龍之介が描写している「楊柳觀音像」(恐らく絵)に模した隠れ切支丹の図像が孰れにあったものか、はたまた現存するのかどうかも判らぬ。識者の御教授を乞う。]

 

Maria. Agnus Dei アニエス 蠟に羊を印すもの 首

[やぶちゃん注:「Agnus Deiイエス・キリストのことを指す表現の一つである「神の子羊」の意のラテン語。 キリスト教神学において、「人間の罪に対する贖い」としてイエスが「生贄」の役割を果たすことを踏まえており、古代ユダヤ教の生贄の習慣にも由来する表現。ウィキの「神の子羊」によれば、『日本語では、ラテン語やイタリア語などの用法に由来するものは「アニュス・デイ」、ドイツ語での用法に由来するものは「アグヌス・デイ」と片仮名書きされることが多い』とある。「蠟に羊を印すもの」から推定すると、封蝋の手紙の封に用いられる封蝋に捺印するためお印璽(いんじ/シーリング・スタンプ)という判子型の、或いは指輪印章(シグネット・リング)の図柄を描写したもののように見受けられるが、「首―9」というのは意味不明。]

 

○高札(天和二年五月 黑崎の先のカシ山 恐らく多數信者のものを集めてかくせしならん(教へ方ガ)

[やぶちゃん注:「高札」これは“Laures Rare Book Database Project & Virtual Library  Christian Artifacts 4: Anti-Christian Decrees(Kōsatsu)”(本文解説付。元は「上智大学キリシタン文庫」のものらしい)で現物画像を確認出来る。そこに電子化された高札の内容を現物画像と比較しつつ、恣意的に正字化して以下に引用する。現物の高札の字配に合わせた(高札は左端にもう一行書かれてあるが、画像では総ては判読出来なかったので外した)。

   *

 

切支丹宗門は累年御制禁

たり自然不審成もの有之は申

出へし御ほうびとして

はてれんの訴人  銀五百枚

いるまんの訴人  銀三百枚

立かへり者の訴人 同斷

同宿幷宗門の訴人 銀百枚

右之通可被下之たとひ同宿幷宗門之内

たりといふとも訴人に出る品により銀五百枚

可被下之隱置他所よりあらはるゝに

おゐては其所之名主幷五人組迄一類ともに

可被處嚴科者也仍下知如件

 

 天和二年五月日

        奉行

   *

特にその邦文解説では密告の報酬額を米に換算しており、その額たるや、莫大なものであったことが判る。必見!

「天和二年」一六八二年。

「黑崎」旧西彼杵郡外海(そとめ)町黒崎村、現在の長崎市赤首町・上黒崎町・下黒崎町・永田町・東出津町・新牧野町に相当する地域。現在でも隠れ切支丹の信仰を持つ人々がいる地域として知られる、切支丹の根強かった地域である。菊池良氏の記事隠れキリシタンは今も長崎にいる。は画像必見! 長崎市公式観光サイト内の「サン・ジワン枯松神社」も参照されたい。それによれば、『日本人伝道師・バスチャンの師であるサン・ジワン神父を祀ってある、日本に三カ所しかないといわれるキリシタン神社。周囲はキリシタン墓地になっている。ここは江戸時代、黒崎地方の隠れ(潜伏)キリシタンが密かに集まりオラショ(祈り)を捧げ伝習してきた聖地。祠の手前にある“祈りの岩”と名付けられた大きな岩があるが、迫害時代にキリシタンたちは悲しみ節の夜にここに来て、寒さに耐えこの岩影でオラショを唱えていたと伝えられている』とある。恐らくこの「カシ山」とは、下黒崎町にあるその「枯松神社」のある山のことと思われる。]

 

○象牙のChrist 壁白 鼠 白 ペンキ 瓦斯 マリアの陶像 半白 黑僧衣

[やぶちゃん注:場所未詳。]

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