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2016/08/23

ハゼ釣り記   梅崎春生

 

 本誌先号の巻頭「絵と随想」欄に、私は「釣好き」と題する文章と画をかき、莫大(と言うほどではないが)の稿画料を貰った。これをどう費消すべきや。少時頭をかたむけて、私ははたと膝をたたいた。これは魚で得た稿画料だから、魚釣りに使ってやろう。あの文章にも書いた通り、私はほとんど東京では釣りに行ったことがないから、これが絶好の機会というものだ。

 早速家族をあつめて相談してみると、皆賛成で、ことに子供たちは大賛成で、魚釣りは社会科ならびに理科の勉強になるから(舟宿の仕組みや釣師の生態が社会科で、魚の分布状態や生態が理科だそうだ)学校を休んでも行きたいとの熱の入れ方である。その向学心の旺盛(おうせい)なこと、私の小学生の時にそっくりで、血は争えないものだとつくづく思った。

 でも、家族四人だけで舟一艘を借り切るのはもったいないから、遠藤周作君に電話で口をかけてみたら、

「もし舟がひっくり返ったら、かなづちで泳げないし、それに、ぼ、ぼくはあの、ミミズのたぐいが恐いものですから……」

 ミミズが恐いだなんて、日本男児にもあるまじきことだと思うが、折角恐がっているものを、無理に連れて行くわけにも行かない。

 で、十月二十三日。当日はいい天気で、風もなく、絶好の釣日和である。車を駆って浅草橋の舟宿に着いたのが午前九時半。同行者は新潮社のT君とS君、講談社のK君という顔ぶれで、うちと合わせて合計七人だ。

 目的はハゼ。私一人なら、も少し専門的な魚釣りをしたいのだが、うちのも前記三青年も釣りには初心者ばかりなので、大衆的なハゼ釣りというところに落着いた。つき合いだから、仕方がない。

 さわやかな河風を切ってと言いたいところだが、実状はどぶくさい河水をかきわけて、われらが乗舟はエンジンの音も軽やかに走り出した。途中で餌宿に寄ったら、ゴカイは売切れで、余儀なくイソメを買う。今年はゴカイは全国的に品薄の由である。何故品薄か。これは社会科の方に属するから、ここでは省略する。

 大きな橋を二つくぐって、海に出る。海に出ても、潮のにおいはしない。するのは芥(ごみ)のにおいだけ。見ると彼方に芥で島をつくっている。こんなところで釣るのはいやだから、更に遠出して大森沖に行き、釣り出したのが午前十一時。水深は二尋(ふたひろ)ぐらいのところだ。

 先ず最初に釣り上げたのがうちの長男で、四寸ばかりの型のいいやつである。それから長女、それから家内と、釣り上げるのは女子供ばかりで、男たちは顔を見合わせて苦笑、かつはあせっているうちに、私の竿にぶるると手ごたえがあり、三寸ぐらいのを引っぱり上げた。

 毎度のことながら、釣り上げる時の気持はこたえられない。

「フグだ。フグが釣れた」

 と、T君が騒ぎ立てたので、見たら一寸五分ぐらいの可愛らしいメバルであった。メバルと判っても、彼は気味悪がって、船頭さんに頼んで外(はず)して貰っていた。

 外道(げどう)としては他に長男が、スマートな魚を一匹釣った。舟中大騒ぎして(私と船頭は別だ)アユだヤマメだと評定していたが、東京湾にアユだのヤマメだのがいるわけがない。マルタの子供なのである。長男は大騒ぎされて、にこにこと鼻をうごめかしていた。

 あちこち移動して戦果を上げ、午後一時半、昼飯にしようということになった。船頭がテンプラの準備をしている間、私たちはウイスキーを傾けた。今夏信州の霧ガ峯に登った時もそうだったが、こんなところで飲むウイスキーは、安ウイスキーでも、スコッチみたいな味がするものである。男四人でまたたく間に一瓶空にしてしまった。

 船頭さんのてんぷら。これがまた絶品で、銀座の一流店もこれには及ばない。潮風に吹かれながら食べるから絶品なのであって、前記ウイスキーと同様である。

 てんぷらはハゼだが、そのハゼは舟宿から用意して来たもの。われらが釣ったのは、あとで他人に見せびらかすのに必要でもあるし、惜しくて供出する気にはなれない。

 こういう具合に、一時間ばかりかけて、われらは大いに飲み、大いに食って、陶然となった。

 ウイークデイだから、海面に釣舟はちらほらと見えるだけで、日はうららかに照っているし、四辺はしんと静かだし、全くいい気分である。

 午後はまた場所を移動して釣り始めた。

 時々他の釣舟とすれ違う。どのくらい釣り上げたか、お互いに探り合うような眼付きで、すれ違う。

 四時半になって、夕風がやや肌にしみて来たから、竿をおさめた。おのおの釣果をしらべてみると、K君が六十匹ぐらい、私もその程度、新潮組は意外に振わず、T、Sの両君を合わせて五十匹程度であった。新潮社はハゼには弱いらしい。

「でも、メバルを釣ったのは、僕だけだから……」

 いくらメバルでも、一寸五分じゃ話にもなりはしない。

 家内は三十匹。子供たちもそれぞれ二十匹ずつ釣った。

 新聞の釣欄によると、東京湾のハゼは大繁昌で、一束二束は楽だと書いてある。今日の釣果ではちょっと恥かしいというわけで、他人に発表する時は百匹を足すことにしようと、相談は一決した。その計算で行くと、私の釣果は百六十匹ということになる。

 舟脚も軽く浅草橋に戻って来た。静かな海面から戻って来ると、都会とは何とうるさいところだろうと、身にしみて判る。

 女子供は先に家に帰し、男たち四人で新宿におもむき、行きつけの店を二三廻って、獲物を見せびらかした。入れものの中では、ハゼがひしめき合い、まだ生きているのもいて、ほんとにハゼという魚は可愛らしい顔をしている。

 最後に「梅平」に落着き、ハゼを空揚げにして貰って、それを肴(さかな)に祝盃を上げ、それから解散した。

 その翌日から三日間、私は晩酌の肴に、ハゼばかりを食っていた。

 

[やぶちゃん注:昭和三五(一九六〇)年一月号『小説新潮』初出。底本は沖積舎「梅崎春生全集 第七巻」に拠った。冒頭「本誌先号」の後には「(昭和三十四年十二月号「小説新潮」)」とポイント落ちの割注があるが、これは底本全集編者の挿入と断じて、除去した。なお、その先月号に梅崎春生が書いたという「釣好き」という文章は底本全集には所収しない。

「ハゼ釣り」東京湾には条鰭綱スズキ目ハゼ亜目ハゼ科 Gobiidae に属する多様な種が棲息するが、一般に東京湾内で「ハゼ釣り」の対象として人気があり、天麩羅にして美味いものはゴビオネルス亜科マハゼ属マハゼ Acanthogobius flavimanus ではある。

「ゴカイ」現在は環形動物門多毛綱サシバゴカイ目ゴカイ超科ゴカイ科カワゴカイ属のヤマトカワゴカイ Hediste diadroma・ヒメヤマトカワゴカイHediste atoka・アリアケカワゴカイHediste japonica の三種に分割されているものの総称通称。かつてはカワゴカイ属ゴカイHediste japonicaの正式単一和名と学名で示されてきたが、近年の研究によって、同属の近縁なこれら三種を一種と誤認していたことが判明、「ゴカイ」という単一種としての「和名」は分割後に消滅して存在しないので注意されたい。

「イソメ」多毛綱 Polychaeta に属する多様な種を釣り餌として「ゴカイ」「イソメ」と呼ぶが、狭義の「ゴカイ」とは縁遠い種を「ゴカイ」と平気で呼び、「イソメ」でないとんでもない種を広汎に「イソメ」と今も名づけているので、現物を見ないと分からぬが、ゴカイが「売切れで、余儀なく買う」と言っている以上、釣餌としては明らかに格下がりで(その代り安い)、体が柔らかく、直(じき)に切れたり、針から外れてしまう印象の謂いからは、私はこれはゴカイ科 Nereididae Tylorrhynchus 属イトメ Tylorrhynchus heterochaetus ではないかと思う。前記のカワゴカイに似るが別種で、「バチ」「エバ」などと呼称する種で、大潮時に起こる群泳生殖で知られる。私がブログ・カテゴリ「博物学」で十回に分けて電子化注した新田清三郎氏の『「いとめ」の生活と月齢との関係――附・「いとめ」精虫及び卵、并びに人類の精虫電気実験に就きて』に出て来るそれで、まさにその研究対象の「いとめ」棲息地はこのロケーションの近くである(なお、カワゴカイ類と本種の違い等については同第一回目の私の注を参照されたい)。なお、現在では、「イソメ」と称する格安の釣り餌は朝鮮・中国産で本邦に産しない多毛綱サシバゴカイ目ゴカイ科アオゴカイ Perinereis aibuhitensis であるが、本記事の頃に既にこれが一般流通していたかを考えると、やや疑問なので外しておきたく思う。

「今年はゴカイは全国的に品薄の由である。何故品薄か。これは社会科の方に属する」梅崎春生が「社会科」と言っているのは所謂、廃液による水質の汚染問題であろう(因みに、「公害」という単語は一九六〇年代前半には国語辞典には載っていなかった)。東京湾のカワゴカイ類の棲息していた東京湾奥の河口附近は家庭や工場のゴミや廃液の投棄によって有害物質(後の「ヘドロ」)が多量に堆積し、生物化学的酸素要求量(Biochemical oxygen demandBOD)が異様に高くなっていたと考えられ、この頃にはカワゴカイが激減していたものと思われる。多毛類は水質悪化にもかなりの耐性を持つ種が多いが、あの時代のそれは想像を絶していたと思われる。今一つ、それに連動して全国的にゴカイ採取が割に合わなくなって、ゴカイ採取に従事する人間が減ったとも考えてよいであろう。邦画の名作三本に私が必ず入れる小栗康平監督の映画「泥の河」(一九八一年自主制作)の中で、「ゴカイじいさん」がゴカイ獲りの小舟から落ちて死ぬシークエンスがあるが(舞台は大阪)、あの時代設定は昭和三〇(一九五五)年であった

「大きな橋を二つくぐって、海に出る」浅草橋で乗船しており、隅田川をそのまま下って大森沖へ向かっているから、永代橋と勝鬨橋と思われる。

「芥で島をつくっている」隅田川河口から東京湾に乗り出たところから真西六キロメートルほどの位置に現在の夢の島が見えたはずである。

「二尋(ふたひろ)」三メートル六十三センチほど。

「四寸」十二センチ。

「三寸」九センチ。

「一寸五分」三センチ。                        

「メバル」条鰭綱新鰭亜綱棘鰭上目カサゴ目カサゴ亜目フサカサゴ科又はメバル科メバル属メバル(アカメバル)Sebastes inermis 或いは同属の近縁種シロメバル Sebastes cheni・クロメバルSebastes ventricosus の孰れか。

「マルタの子供」条鰭綱コイ目コイ科ウグイ亜科ウグイ属マルタ Tribolodon brandtii のこと。マルタウグイとも呼ぶ。本邦では神奈川以北の太平洋側及び富山以北の日本海側の、主に沿岸部から河川河口部の汽水域に棲息し、春の産卵期には川を遡上する遡河回遊魚。幼魚は一年ほど、河口付近で過ごして七~九センチメートルほどに成長してから海に降る。参照したウィキの「マルタウグイ」によれば、寿命は十年ほどと、比較的、長命で、『動物食性で、貝類やゴカイ類、エビなどの甲殻類といった小動物を捕食する』とある。

「一束二束」「いっそくにそく」で魚数で「百尾二百尾」のこと。「一束」は元は野菜などを十本(個)を一把(わ)とし、その十把を一束(そく)とするところから、広く数の「百」を指す語として、特に多い漁獲量の魚種の釣りなどに於いて「ハゼ一束半〔百五十尾〕の釣果」などと好んで使うようになった。

「梅平」不詳。現在、新宿や池袋(梅崎が帰路経由するはず)辺りにはこの名の飲み屋や割烹はない模様である。]

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