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2016/08/15

宗祇諸國物語 附やぶちゃん注   嫉妬、夢に怪し

    嫉妬(しつと)夢に怪し


Sitto

袖の時雨、裙(もすそ)の露草、草鞋(さうけい)におもく、檜笠(ひがさ)も風に懶(ものう)けれど、たびの物とて捨てはてぬうき世の、花の都を南に北に、文字(もじ)行く天津雁(あまつかり)の、修學院にかゝるや、我が德に入るの門なるべき、岩倉長谷(いはくらながたに)は左につゞき、向ふにちかきを花園(はなぞの)の里といふにぞ、高野川(たかのがは)のよどに散りかゝるかたみを見んと、水かゞみにのぞめば、老法師(らふはふし)の影のみ、やせの山里、物侘(わび)し、薪負ふ疲馬(ひば)の通ひ、大原は名のみに細道の小坂を過ぎて、途中といふこそ旅の道の殊に旅には有りけれ。つたの葉分けのかづら川、水に朽木(くつぎ)の山里や、螢のやどる火打坂、日も暮かゝれば、爰に泊りぬ。主(あるじ)と見えし健(すこや)に若き男なるが、やもめ住みと見ゆ。名を銀七と呼ぶ。言(もの)いひたるさま、山家(さんが)にはよのつね、利口の者也。是よりわかさの案内(あない)とふに、無覺束(おぼつかなき)此の渡りの寺社、林川(りんせん)の古跡を語るに、又、心さかし、と聞く、梢(やゝ)更行(ふけゆ)くまゝ、あす、と、いひて、ころびねぬ。その夜、ふしぎの夢を見たり。縱(たと)へば渺々たる廣野(ひろの)を行く、一里計り來たらんほどの左、皆、なき人の塚おほく、萩(おぎ)薄(すゝき)、生茂(お)ひ茂りたる中に、古く、新たに、たちならびたる卒都婆(そとば)、數ふるに不ㇾ足(たらず)、指を折るに、いとまなし、古墓何世人不ㇾ知姓與名化成路傍土年々春草生(こぼ いづれの よの ひとぞ せいと なを しるや けして ろばうの つちと なる ねんねん しゆんさう おひたり)と夢心ちに吟じもて行く程に、ある標(しるし)の草村(くさむら)より三十計りの女、蕭々(せうせう)とやつれたるが、白き姿に髮を亂し、かひなき聲して祇を呼ぶ。何事にや、と立歸れば、自(みづか)らは今宵、御僧の宿り給ふ火打坂の銀七が妻にて侍り、恥(はぢ)かはしき姿を見え參らす事、一つの願ひあればなり。其の故は、自(わらは)は銀七が隣家(りんか)に與三治と申す者の娘、銀七とは振分髮(がみ)の昔より、はなれぬ中のかたらひの、みどりと花をならべしに、靑き梢(こずゑ)は常盤(ときは)にて、紫(むらさき)早くうつろひ、外(ほか)に夫(をつと)のかよふなれば、思ひのほむら、胸を燒き、泪の雨は淵をなす。此の數々に病ひつきて、狂ひ死に侍る也。一念、猶、安からず。惡(にく)かりし女は、やすやすと命(めい)を取りぬ。されど、夫(をつと)が活き殘りて、やはか、獨りくらすべき、すぢなき者を迎へさせて、詠(なが)めさせんも口惜し、さりとて、自(みづか)ら行きむかひ殺さんとはかれば、三十番神(ばんじん)、守護し給ひ、枕上にちかづく事、かたし。我れふしぎの毒藥を持つ、此の草を夫が口にふくめて給へ、即時に終る命なり、と泪と共に語る。祇、倩(つらつら)きゝて、恨みのつもり、左もあるべし、去乍ら、かりにも出家は人を助くるを以て慈(じ)の第一とし、殺生を罪の最上と聞くに、と、いへば、女、かいとつて、否(いや)とよ、人を助くる御僧なればこそかくは申せ、此の事なして給はゞ、我が妄執(まうしふ)の雲晴れて、くらき黄泉(よみぢ)を放るゝぞや、然らば、人を助け給ふにてなしや、早(はや)、とく賴み參らする、と、彼(か)の毒草をさし出す、みれば、くずかづらのやうにて、め、なれず。祇、又、答ふ。凡そ女に定まれる失(しつ)あり。子なきを嫌ひ、あしき病ひあるを、さり、嫉妬あるを離別す、其の外、五つの障(さは)りあり、三度したがふ諚(おきて)あり、夫に唱(しやう)あり、婦に和(くわ)あり、一たび夫と崇(あが)めたる者の命(めい)を奪ふ事、何の理によりてか、黄泉(よみぢ)を出づべき、燃ゆる火に薪(たきぎ)、猶、焦熱(せうねつ)の道しるべにこそ、只、すべからく憍悋(けうりん)の根(ね)をたち、恨嫉(こんしつ)の葉を切り給へ、と、いへば、靈女、此の理に伏(ふく)したる體(てい)にて、打ちしをれて言語(ごんご)なし。猶、勸化(くわんげ)になれかし、と一首をよむ、

 

   葛の葉の枯れてはさはぐ秋のかぜ

       いつを限りの恨みなるらん

 

といへば、女、打諾(うちうなづ)き、面色(めんしよく)、殊(こと)にうるはしく見えて、

 

   葛のはのかるれば秋もくれ果てゝ

       さはらぬ野べの風しづか也

 

かく、つらぬる、と覺えし、彷彿ときえ失せ、予(わ)れ、又、亡然(ばうぜん)と夢さめぬ。ふしぎの事に思へば、亭主にこまごまかたるに、大きに驚き、身の上の在りこし有樣、一毛(まう)計りもたがはず、と、いひし。夢も能くあへば、あふ物、と我もおどろきぬ。

 

■やぶちゃん注

 今回も挿絵は「西村本小説全集 上巻」(昭和六〇(一九八五)年勉誠社刊)のそれを用いた。

・「岩倉長谷(ながたに)」現在の京都府京都市左京区岩倉長谷町。修学院離宮の北直近。

・「花園(はなぞの)の里」現在の上高野山ノ橋町に花園橋という高野川に架橋する橋の名を見出せる。

・「高野川(たかのがは)」修学院の東直近を南流する淀川水系の川。

・「やせの山里」現在の左京区八瀬野瀬町。先の花園橋を東北に遡上した八瀬比叡山口駅附近。

・「疲馬(ひば)」「西村本小説全集 上巻」では右に「ひば」、「疲」の左「つかれ」と左ルルビする。

・「大原」現在の京都市左京区北東部の比叡山西麓高野川上流部の小規模な盆地地帯の名称。ウィキの「大原(京都市)」によれば、古くは「おはら」と読まれ、「小原」とも表記された。かつては山城国愛宕郡に属し、前注した南隣りの八瀬と併せ、「八瀬大原」とも称された。『平安京(京都)と若狭湾を結ぶ若狭街道の中継地点として栄え、また延暦寺に近かったことから、勝林院・来迎院・三千院・寂光院など多くの天台宗系寺院が建立された』。『また、戦争・政争による京都からの脱出のルートとしても用いられ、出家・隠遁の地としても古くから知られていた。惟喬親王や建礼門院をはじめ、大原三寂(常盤三寂)と称された寂念・寂超・寂然兄弟、藤原顕信・西行・鴨長明などの隠遁の地として』も知られる。『中世以後は薪炭の生産地として知られ、独自のいでたちをした大原女が京都まで薪炭を売り歩き、白川女・桂女と並び称された。後には柴漬や茶、麦粉などの特産でも知られるようになった』。

・「つたの葉分け」「葉分け」は、やはり地名に掛けた表現と読みたいが、現在の地図上では似たような地名は現認出来なかった。

・「かづら川」大原から現在の滋賀県に入ると、大津市内を流れる葛川及び葛川を地名の頭に関する複数の町域に入る。

・「朽木(くつぎ)の山里」葛川地区を更に北へ進むと、現在の滋賀県高島市の朽木(くつき)を冠する複数の地域に入る。

・「火打坂」朽木地区の先を地図で調べたが現認出来ない。ロケ地であるだけに、識者の御教授を乞うものである。

・「古墓何世人不ㇾ知姓與名化成路傍土年々春草生(こぼ いづれの よの ひとぞ せいと なを しるや けして ろばうの つちと なる ねんねん しゆんさう おひたり)」「白氏文集 卷二」「續古詩十首 二」の第九句より末尾からに基づく引用である。

 

古墓何代人 

不知姓與名

化作路傍土

年年春草生

感彼忽自悟

今我何營營

 

 古墓(こぼ) 何れの代の人ぞ

 姓と名とを知らず

 化して路傍の土と作(な)り

 年年 春草(しゆんさう)生ず

 彼を感じて忽ち自ら悟る

 今 我れ 何ぞ營營たる

 

最終句の「營營」は、あくせくしゃかりきになって働くいている(馬鹿さ加減)さまの謂い。

・「標(しるし)」卒塔婆であろう。

・「草村(くさむら)」叢。

・「蕭々(せうせう)と」如何にも物淋しげに。

・「かひなき聲」忌み言葉で生きた者のそれではない、如何にも死者の霊らしい声、の謂いであろう。

・「振分髮(がみ)」髪を左右に分けて垂らし、肩のあたりの長さに切りそろえたもの。辞書類では八歳頃までの男女の髪形の一つとする。

・「みどり」色尽くしで、ここは若さの象徴としての「若葉」「新芽」を含意するか。

・「常盤(ときは)にて」永遠不変の両想いで(あると思っていたところが)という反意を含ませるか。でないと、「紫早くうつろひ、外に夫のかよふなれば」と繋がらぬからである。

・「やはか」副詞で「どうして~であろうか」で、ここは反語。

・「すぢなき者」賤しい不義の女。死しても妬心に燃える女から見れば、男が愛する自分以外の女、須らく「不義の女」である。

・「詠(なが)めさせんも口惜し」男に別な女を鼻の下を長くして見つめさせて、なるものか、口惜しい! という亡者となっても、めらめらと燃え上がる嫉妬の思いを指す。

・「三十番神(ばんじん)」銀七は日蓮宗徒であったか。ウィキの「三十番神」(現行では「さんじゅうばんしん」と清音で読む方が一般的か)によれば、『神仏習合の信仰で、毎日交替で国家や国民などを守護するとされた』三十柱の神々を指す。『最澄(伝教大師)が比叡山に祀ったのが最初とされ、鎌倉時代には盛んに信仰されるようになった。中世以降は特に日蓮宗・法華宗(法華神道)で重視され、法華経守護の神(諸天善神)とされた。これは、京都に日蓮宗を布教しようとした日像が、布教のために比叡山の三十番神を取り入れたためである。また、吉田神道も天台宗・日蓮宗とは別の三十番神として「天地擁護の三十番神」「王城守護の三十番神」「吾国守護の三十番神」などを唱えた。吉田兼倶は三十番神信仰が吉田神道から発すると主張した』とある。鎌倉期以降では私は日蓮宗関連で見ることが圧倒的に多い守護神である。

・「恨みのつもり」「つもり」は「積り」。

・「去乍ら」「さりながら」。

・「かいとつて」「掛き取つて」の音便変化で、「掛く」は「一方を他方にことよせる」で「取る」は「自分の側のものとする」、即ち、宗祇が述べた仏法の真理を捻じ曲げ、自分にとって都合のいいようにことよせて、牽強付会させて、の謂いと私はとる。

・「否(いや)とよ」人の言葉を打ち消す、或いは、相手の言葉に同意しない時に発する感動詞。いいえ、違う!

・「くずかづら」葛(くず:マメ目マメ科マメ亜科インゲンマメ連ダイズ亜連クズ属クズ Pueraria lobata の別名。ここには「裏見葛の葉」で、葛の葉が容易に風に裏返って裏を見せるところから古来、「恨み」などに掛かる枕詞であることを意識している。クズ属や近縁種及び似たような蔓性の別種で、死に至る強毒を有するものは、私は不学にして知らない。

・「め、なれず」見慣れない。どこか、葛らしくない部分を持っているからこそ宗祇もかく言うのであろう。とすれば、やはり全くの別種か。

・「女に定まれる失(しつ)」女たる存在が宿命的に背負っているところの現実的欠陥と見做されてしまうもの。「子なき」女(子を産めない石女(うまずめ))は「嫌」はれ、「あしき病ひある」女や「嫉妬」心の過剰な女は「離別」される運命にあり、これらは致し方ない、ある種の女の致命的欠陥属性であると言うのであろう。

・「五つの障(さは)り」これは仏語の「五障(ごしょう)」で女性が「女」であるという因縁として持たざるを得ない五種の妨げ。女性は如何に信心堅固であっても、女のままでは梵天王・帝釈天・魔王・転輪王・仏にはなることが出来ないことを指す。これは原始仏教初期から存在する女性差別の思想で、即ち、「変生男子(へんじょうなんし)説」と称し、女は一度、男に転生しないと成仏することは出来ない、或いは、非常に難しい、とするトンデモ思想である。

・「三度したがふ諚(おきて)あり、夫に唱(しやう)あり、婦に和(くわ)あり」所謂、「夫唱婦随」で、夫が言い出して妻が従うこと、の意であろう。これは「関尹子」(周時代の秦 の伝説的思想家関尹子(生没年未詳)の著作とされるもの。関尹子の本名は尹喜 (いんき)で函谷関を守る役人であったことに由来するという。但し、その思想は「荘子」などに断片的に残っているだけでこの「関尹子」という著作は後世の偽作とされる)の「三極篇」の、

天下之理。夫者唱。婦者隨。牡者馳。牝者逐。雄者鳴。雌者応。是以聖人制言行。而賢人拘之。

(天下の理は、夫たる者は唱し、婦たる者は隨ふ。牡たる者は馳せ、牝たる者は逐(お)ふ。雄たる者は鳴き、雌たる者は応ず。是れ以つて聖人は言行を制す。而して賢人は之れに拘はる。)

に基づく(「牡牝」は人以外の獣の、「雄雌」は鳥類の、♀♂)。「三度」というのは、よく判らぬが、中文では「三」は一種の極数であるから、「常に」のニュアンスかも知れぬ。

・「燃ゆる火に薪(たきぎ)、猶、焦熱(せうねつ)の道しるべにこそ」妬心の焰を実際の火炎から地獄の一つである焦熱地獄(一般には生前に殺生・偸盗・邪淫・飲酒・妄語・邪見の罪を犯したものが落とされるとされる)に繋げ、嫉妬の炎を持つ限り、死してそこへ落ちることを宗祇は彼女に示し諭したのである。

・「憍悋(けうりん)」「憍」は「おごりたかぶること」で、自らの身を非常に勢い盛んな人間であると思い込み、驕(おご)りまた誇り、自らの欲するままに思い上がる心を持つことを指し、「悋」は「悋(ねた)む」と訓じ、嫉妬するの謂いである。確かに「憍」(おご)りなき者には「悋」気(りんき)は生じようはずは、ない。

・「恨嫉(こんしつ)」恨みと嫉妬。

・「勸化(くわんげ)」仏の教えを説いて信仰に向かわせること。

・「つらぬる」連歌を唱和した。

・「在りこし」の「こし」は「來し」或いは「越し」。ありきたったところの半生。

・「一毛(まう)」ほんの僅かなことの譬え。

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