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2016/08/23

流感記   梅崎春生

 

 とうとう流感にとっつかまってしまった。

 今度の流感はたちが悪く、熱が一週間も続くという噂だったので、私はおそれをなして極度の警戒、外出もあまりせず、うがいもおこたりなく、暇さえあれば蒲団にもぐり込んでいたのに、とうとうやられてしまった。十一月二十七日のことだ。

 私は他人にくらべて、仕事の量はすくない方だが、週刊誌の連載を一本持っているので、一週間も寝込めば、たちまち休載の羽目になる。それにその時は「新潮」新年号の小説の〆切りも控えていた。

 朝ぞくぞくするから、熱をはかってみると、七度四分ある。これはたいへんだと、直ちに風邪薬を服用、蒲団にもぐり込んだ。それから刻々上って、午後には八度五分まで上った。その頃「新潮」編集部の田辺君から電話がかかって来た。原稿の催促である。

 家人が出て、熱が八度五分もある旨を伝えると、あと三日間でどうしても一篇仕立てろ、との答えだったそうだ。つまり田辺君は私の病気を、にせ病気だと疑っているのである。

 何故彼が疑うか。それにはわけがある。一週間ほど前、私は彼に冗談を言った。十一月二十七日の文春祭に行くつもりだが、きっとそこの人混みで風邪がうつり、翌日から寝込んで、お宅の仕事は出来なくなるかも知れないよ。冗談じゃないですよ、と田辺君はにがい顔をした。

 二十八日から寝込む予定だったのが、一日繰り上って、二十七日にかかったばかりに、私は文春祭に行きそこなった。

 翌二十八日の朝は、養生よろしきを得たか、七度二分まで下り、午後になっても七度五分どまりであった。そこへ田辺君が足音も荒くやって来た。そこで病室に通ってもらった。

 ちゃんとした病人であるから、枕もとには薬袋や薬瓶、体温計、水差しにコップ、うがい薬など、七つ道具が置いてある。一目見れば、これは単なるふて寝でなく、病臥であることが判るようにしてあるから、田辺君はがっかりしたような声を出した。

「ほんとに風邪ひいたんですか」

「ほんとだよ」

 私は努めて弱々しい、かすれ声を出した。

「見れば判るだろ」

「熱は?」

「うん。熱は八度七分ぐらいある」

 七度五分などと本当のことを言えば、たちまち起きて書くことを強要されるにきまっているから、とっさの機転で一度二分ばかりさばを読んだ。

「そうですか。八度七分もあるんですか」

 田辺君は信用した様子である。

「氷枕をしたらどうです?」

「うん。九度台まで上れば、氷枕を使うつもりだよ。八度台で使うと、くせになる」

「探偵小説なんか読んでんですか?」

 枕もとに積み重ねた探偵小説に、彼は眼をとめた。

「うん。読もうと思ったんだが、熱のせいかどうしても頭に入らない」

 なに、田辺君が来るまで、せっせと読みふけっていたのであるがそんなことはおくびにも出さない。おれは八度七分もあるんだぞと、自分に言い聞かせながら、かなしげな声を出す。

「詰碁の本もひろげたが、やはり八度七分じゃだめだ」

「そりゃそうでしょう」

「碁の話で思い出したが、尾崎一雄二段を二目に打ち込んだ話をしたかね?」

「え? 二目に打ち込んだんですか?」

「そうだよ。環翠で打ち込んだんだ。打ち込んで二子局の成績は、三勝三敗で打ち分けさ。まあ順当なところだろうな」

「それはお気の毒に。あんまり弱い者いじめはしない方がいいですよ」

「うん。弱いものいじめはしたくないが、そうそうサービスばかりもしておれないからな」

「大岡昇平さんとはどうですか」

「うん。あれもそのうち先に打ち込んでやるつもりだ」

 そんな具合に碁の雑談などして、

「ではお大事に」

 と田辺君は帰って行った。原稿はあきらめたらしい風であった。

 以上までは平凡な日記であるが、ここからがたいへんなことになる。

 田辺君が帰って直ぐ、何気なく体温計をつまみ上げ、脇の下にはさんで、五分間経って取出して見て、私はあっと叫んだ。水銀が八度七分を指していたのである。

「わあ。たいへんだ」

 と私は大狼狽したが、その八度七分の熱は、一時間ほど経つと、また元の七度五分に戻ったのは不思議である。

 思うに、田辺君との対話中、おれは八度七分あるんだぞ、八度七分もあるんだぞと、心中きりきりと念じていたものだから、身体がそれに感応して、あるいは義理を立てて、たちまち八度七分まで上ったに違いない。念ずるのをやめたら、たちまち元に戻ったことでも、それが判る。

 これで田辺君にうそをつかなかったことになり、良心の呵責(かしゃく)を受けずにすむことにもなる。両方おめでたい。

 以上、人間思い込んだら、どうにでもなれるという、お粗末の一席。

 

[やぶちゃん注:昭和三三(一九五八)年一月号『風報』初出。底本は沖積舎「梅崎春生全集 第七巻」に拠った。『風報』は文芸雑誌で、「ふうほう」と読む。昭和二二(一九四七)年九月に尾崎一雄と尾崎士郎によって創刊され、創刊の前段階では坂口安吾が深く関わっていたらしい(昭和二十二年六月のクレジットで『国府津にて 風報編集会議』とキャプションのある両尾崎と安吾の三人の映った写真をネット上で現認出来る)。昭和三七(一九六二)年十月の通巻百号を以って終刊している。第二段落末の「十一月二十七日」の後には「(昭和三十二年)」とある。ややポイント落ちであるから、これは底本全集編者による割注と断じて除去した。傍点「ヽ」は太字に代えた。「二目に打ち込んだ」「二子局」(いろいろ見て見たが「にしきょく」と普通に読んでよいようである。碁石を数える数詞として単に「二子」と書いた場合は「にもく」と読むらしい)は全く判らないが、囲碁を学ぶつもりはないので一切、注しない。珍しく、特異的に意味も分からず、注もせずに放置する。悪しからず。

「環翠」神奈川県足柄下郡箱根町塔之澤にある「元湯 環翠楼」のことであろう。]

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