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2016/08/01

宗祇諸國物語 附やぶちゃん注   高野に登る五障の雲

    高野登五障雲(たかのにのぼるごしやうのくも)

 

Gosyounokumo

 

紀州高野山(かうやさん)は、都卒(とそつ)の内院(ないゐん)を表(へう)し、大師入定の扉(とぼそ)、南面に立ち、燈籠(とうろう)堂、御供所(くうしよ)、求聞持(ぐもんぢ)の行堂(ぎやうだう)、南に尊(たふと)くならびます、松杉の老木、星霜思ひしられ、蒼天に梢を高く、白雲に枝ひろごり、日影の朧にもるゝや、さながら、其の曉(あかつき)と、たどらる。御廟の橋は二間計りと見えて細川、靑々(せいせい)と淺く流るを、惡業深きものは得渡らで、歸る事まゝありとかや、其のこなた十町計りに玉川の水あり。幽(かす)かなるほそみぞ也。此の水、毒ありとて、大師の御詠(ごえい)に、

 

   忘ては汲みやしつらんたび人の

      高のゝ奧の玉川の水

 

此の間、奧の院より大塔(たいたふ)まで一里、道の左右、皆、なき人のしるしとて、木石にきざみ、書殘せる名のみ、幾千萬といふ、數をしらず。大塔、小塔、金堂、大師堂、鎭守の御社(みやしろ)、事每(ことごと)に、信心おこり、物々(ぶつぶつ)に菩提の種(たね)ならぬ、なし。院々(いんいん)谷々(たにたに)のたときさま、日をわたつて語るとも盡くべからず。歌には月、雪、花、燈、松、其曉なとど、よめり。南紀は本國なれば、若かりし時、ちかく詣でしより、發心(ほつしん)の因となりし、我ながら、嬉しき宿世(すぐせ)とおもふ。老の後、北京にのぼりて久しく怠り侍る上(うへ)、東西修行(すぎやう)の志し、出來侍れば、御暇申(おいとまを)しに、去々年(をととし)、詣ず、都、出て、あす、生玉(いくだま)の大坂に至り、天王寺の靈場を拜し、住吉、堺の浦の眺望、爰かしこ、あそびありきて、此の日は三日市といふ迄來て、とまりぬ。紀の見峠にのぼり、東家(とうげ)におるれば、橋本の宿(しゆく)、紀の川渡(わたし)あり、心敬(しんけい)法師、爰を過ぐとて、

 

   水上は白雲たかきよしの山

       梢かげさす花の紀の川

 

といひ捨てし吉野川(がは)の末(すゑ)を越へて、淸水、かね井、紙やの里、かぶろの宿(しゆく)、と數へ行き、日高なれど、あす、登山(とうざん)と志してとまりぬ。相やどりに女の詣でみたり、亭主に山の案内(あない)をとふ。語つて云く。是より十八町行きて四寸石あり。其の末、四十八曲(まがり)の坂をのぼれば、外院(げゐん)の不動、石佛にて覺範(かくはん)の作也。その十町計り行きて左に女人堂あり。夫(それ)につゞきて、内院の不動大師の作にてまします、此の御堂より奧へ一足も入りたまふべからず。必ず怖しき目を見る也。去(いん)じ春の頃も、つくしの人、男二人女三人、登山(とうざん)しけるに、女を女人堂に置きて、殘る二人、入堂する。二人の女は禁斷をおそれて、爰にこもる。一人の女、腹あしき者にて、はるばる心づくしの海上を詣でたるかひなく、寺院の有樣さへ拜まず歸らん事、口惜しくも心うし、すべて女をきらひ給ふ開山の掟こそ心得ね、既に世尊(せそん)も一切の女を生々(しやうじやう)の母と思へ、と説き給ふ、母なくて出世し給ふ權化(ごんげ)も知識も有るべからず、と、いひて、既に山上に入らんとする時、蒼天、俄かにかきくれ、雷電、山を崩すが如く、黑雲、落ちて動搖すると見えし、彼の女、行衞なく失せぬ。同行(どうぎやう)、驚き尋ぬるに跡方(あとかた)なし、後々聞くに和泉(いづみ)の坪坂(つぼさか)の邊(ほと)り、松が枝にふたつにさかれてかゝりしとぞ、誠に遠く思ひ立ちたる志はすしようながら、勿體(もつたい)なく佛をあざむき奉りし我意の所爲こそ、愚かなれと語りければ、皆、舌をまきて、おそる。いつの頃にか、とらんといへる仙女(せんによ)、和州(わしう)の金峰(きんぷ)は、女人、のぼらざる山也。然れ共、我が戒行(かいぎやう)すぐれたれば、何ぞ、よのつねの女にひとしからんと、彼の嶽(たけ)にのぼるに、黑雲、東西に、雨瀝々と車軸をなし、前後闇然(あんぜん)として行先も見えず、是にも猶豫せず空中を招けば、一つの靑龍、雲を蹴立てゝ飛行(ひぎやう)す、是に跨(またが)りてのぼらんとするに、靑龍、おそれ、登り得ずなりけるとかや、通力(つうりき)自在の神仙すら、しか也。況んや、大俗卑賤の女においてをや。うつゝなき所爲には有りける。

 

 

■やぶちゃん注

・「高野」「たかの」と訓じているが、高野山(こうやさん)のこと(引用される空海の和歌でも「たかの」と訓じている)。高野山は高地にある盆地状の中に連山がある、その総称であって、固有の「高野山」という山は存在しない。標高は高野三山と呼ばれる転軸山が九百十五、楊柳山が千八、摩尼山千四メートルで、奥之院の弘法大師御廟に最も近いのは転軸山である。高野山全体の高さは八百から九百メートルほどと表現されるようである。山内の寺院数は現在、真言宗総本山高野山金剛峯寺・大本山宝寿院の他、子院が百十七か寺に及び、その約半数が宿坊を兼ねている(ウィキの「高野山」に拠る)。

・「五障」この場合は、原義である狭義の仏説であるところの、女性は女性であるが故に梵天・帝釈天・魔王・転輪聖王(てんりんじょうおう)・仏身の五つの地位は得ることが出来ぬとする考えに基づく絶対の女性差別の思想を指す。それらの障壁をシンボライズするところの妖しい雲である。

・「都卒(とそつ)」「兜率天」の略。兜率天は六欲天の第四天で「内院」と「外院」があり、「内院」は、将来、仏となるべき弥勒菩薩が住して衆生済度のために修行しているところとされ、「外院」は天衆(てんしゅ/てんじゅ:梵天・帝釈天などの天部の諸神)の住む所とされる。

・「内院(ないゐん)」前注参照。

・「表し」表現(象徴)し。

・「大師入定の扉(とぼそ)」承和二年三月二十一日(ユリウス暦八三五年四月二十二日)の寅の刻(午前四時頃)、享年六十二で入定の地とされる「奥の院」の、空海がそこで今も生きて瞑想しているとされる「御廟(ごびょう)」の正面の扉。

・「燈籠(とうろう)堂」「御廟」の手前にある信者らが供える無数の灯明がゆらめく燈籠堂。治安三(一〇二三)年に藤原道長が現在の大きさに拡張したもので、中には千年近く燃え続けているとされる「消えずの火」が二燈ある。

・「御供所(くうしよ)」御供(ごくう)を調え供える場所。

「求聞持(ぐもんぢ)の行堂(ぎやうだう)」衆生に智慧を授ける虚空蔵(こくうぞう)菩薩を祈念する修法「虚空蔵求聞持法」(「ノウボウ アキャシャ ギャラバヤ オン アリキャ マリ ボリ ソワカ」という虚空蔵の真言を一定の作法に則って百日間かけて百万回唱える修法。これを修した行者はあらゆる経典を記憶・理解して忘れる事がなくなるとされる)を行道する堂であると同時に、弘法大師は今もそこで同法を修しているとされる御堂である。

・「朧」「おぼろ」。

・「さながら、其の曉(あかつき)と、たどらる」「其の曉」は第一には後に本文にも記されるように歌語の常套句を引いたのではあろうが、私はこれは奥の院の鬱蒼とした厳粛な暗がりの中に朧に射す光りの移ろいを多様に示しながら、その幽かな光はまさ開祖弘法大師が境地に至って入定した、その本邦仏法の暁から曙の光の遷移としてあたかも追体験して辿るかのように感じられるという謂いであろう。

・「御廟の橋」「奥の院」の手前に架かる橋で、橋板は三十七枚(一時期、木製であったが、現在は原型である石製で復元されている)で、これは金剛界曼茶羅の三十七尊に因んでいるとされ、この橋より先が最上級の聖域と崇められている。下を流れる川は(本文では一見、以下で別な流れのように書かれてあるが)「玉川」と呼ばれ、奥の院の裏山に当たる楊柳山よから流れ出る清水が源である。

・「二間」三メートル六十四センチ弱。

計りと見えて細川、靑々(せいせい)と淺く流るを、惡業深きものは得渡らで、歸る事まゝ。

・「十町」一キロ九十一メートル弱。

・「此の水、毒あり」辰砂(赤色硫化水銀)が含まれており、実際に毒性があるとされる。但し、この一首、素直に読むなら、神聖な玉川(御魂の川)の水ということも忘れて、のニュアンスであろう。

・「大塔(たいたふ)」現在、金剛峰寺壇上伽藍の金堂の右後方にある多宝塔。原塔は弘法大師と真然大德の二代で七十年の歳月をかけて完成したと伝えられる、真言密教の根本道場の象徴として建立されたことから、正しくは「根本大塔(こんぽんだいとう」と称し、日本最初の多宝塔とされる。本尊は胎蔵大日如来(現在のそれは昭和一二(一九三七)年に再建されたもの)。

・「道の左右、皆、なき人のしるしとて、木石にきざみ、書殘せる名のみ、幾千萬といふ、數をしらず」これは寺院の伽藍群から「奥の院」に至る参道の周囲の情景であろう。ウィキの「金剛峰寺によれば、『奥の院参道に沿って並ぶ石塔の数は』十万基とも二十万基とも『言われ、皇族から名もない人々まで、あらゆる階層の人々が競ってここに墓碑を建立した。日本古来の信仰では、山中は「他界」であり、死後の魂の行くところであった。高野山周辺には、人が死ぬとその人の頭髪を奥の院に納める「骨上せ」(こつのぼせ)という風習がある。こうした古来の山岳信仰に、弘法大師の永眠する土地に墓碑を建てたいという人々の願いが加わって、この石塔群が形成されたものと思われる。奥の院には上杉謙信・景勝霊屋(たまや)、松平秀康及び同母霊屋、佐竹義重霊屋など、建造物として重要文化財に指定されているものを始め、平敦盛、熊谷蓮生房、織田信長、明智光秀、曾我兄弟、赤穂四十七士、法然、親鸞、初代市川團十郎』など、『古今の様々な人物の墓碑や、関東大震災・阪神淡路大震災・東日本大震災などの大規模な自然災害の犠牲者、太平洋戦争の戦没者らを慰霊する為の供養碑・供養塔がある。また芭蕉』『の句碑もある』とある。

・「南紀は本國なれば」宗祇の生国には近江説以外に紀伊説がある。

・「宿世(すぐせ)」「すぐせ」はママ。「西村本小説全集 上巻」では「すくせ」とルビする。前世からの因縁、の意。

・「北京」「ほくきやう(ほっきょう)」で、奈良を南京と呼ぶのに対して京都のことを指す。

・「生玉(いくだま)」現在の大阪府大阪市天王寺区生玉町にある生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)を「大坂」の最初の代表の礼式場として出したもの。

・「天王寺の靈場」現在の大阪市天王寺区四天王寺にある旧八宗兼学の荒陵山(あらはかさん)四天王寺。聖徳太子建立七大寺の一つとされる。本尊は救世(くせ)観音菩薩。

・「住吉、堺の浦」現在の大阪市住吉区にあった浦と、現在の大阪府堺市にあった浦。

・「三日市」現在の大阪府河内長野市三日市町。

・「紀の見峠」紀見峠(きみとうげ)。現在の大阪府河内長野市と和歌山県橋本市の境にある標高四百メートルの峠で、紀伊国と河内国の境であると同時に高野街道の中継地としてかつては賑わった。「紀伊見峠」とも表記される。

・「東家(とうげ)」現在の和歌山県橋本市東家(とうげ)。紀見峠を南に下った位置にある。

・「心敬(しんけい)法師」(応永三(一四〇六)年~文明七(一四七五)年)は室町中期の天台僧で連歌師。紀伊国生まれ。ウィキの「によれば、『幼いときに出家し、比叡山で修行』。四十五歳頃、『園城寺仏地院に住し、のち京都清水寺付近の十住心院の住持となり、権大僧都、法印に叙せられる。僧正徹に師事して冷泉派の歌人として知られる一方』、永享五(一四三三)年、『「北野社万句」の座に列するなど、連歌作者として次第に時代を代表する存在となる』。『作風は、正徹から受け継いだ新古今風を基礎に、表現対象の凝視と表現主体の沈潜とを重視する独特のもので、「ひえやせたる」風趣のうちに得意な感覚の冴え方を示している。和歌及び連歌の修行を仏道の修行と究極的に同一視する連歌論は、主著』「ささめごと」「老のくり言」「ひとり言」『などに強調され、次代の宗祇、猪苗代兼載、侘び茶の村田珠光ら茶人にも影響を与える。戦乱を避けて晩年を関東で過ごし』た。連歌集・歌集としては「心玉集」「心敬僧都十体和歌」があり、宗祇編の「竹林抄」に入集する連歌七賢の一人で「新撰菟玖波集」には最多数の入集を見る、とある。

・「淸水」橋本宿(東家の西直近)の紀の川の対岸、現在の和歌山県橋本市清水か。

・「かね井」不詳。この前後周辺には近い発音の地名を現認し得ない。識者の御教授を乞う。

・「紙やの里」現在の和歌山県伊都郡高野町大字西郷字神谷か。

・「かぶろの宿(しゆく)」現在の和歌山県橋本市学文路(かむろ)か。しかしとすると前の「神谷」は位置が遙かに高野山に近く順序がおかしい。

・「十八町」一キロ九百六十四メートル弱。

・「四寸石」高野町大字西郷字神谷にある弘法大師の足跡とされる「四寸岩」のことと思われる。

・「覺範(かくはん)」この条件では不祥である。識者の御教授を乞う。

・「和泉(いづみ)の坪坂(つぼさか)」不詳。識者の御教授を乞う。

・「すしよう」「素性」で本心から思ってのこと、の謂いか。

・「とらんといへる仙女(せんによ)」これは仏教説話上の尼僧「都藍尼(とらんに)」のこと。「本朝神仙伝」によれば、大和吉野山の麓に住み、仏法を学ぶとともに仙術も習得し、ここに書かれてあるように女人禁制とされていた金峰山(きんぷせん:奈良県吉野郡吉野町で修験道の道場金峯山寺(きんぷせんじ)がある)に自分の術の力で登ってみせると宣言して挑戦したが、雷に遇うなどして果たせなかったとする(講談社「日本人名大辞典」に拠る)。

・「うつゝなき」正気でない。気違いじみた。

 挿絵は国立国会図書館デジタルコレクションの画像をトリミングし、補正した。

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