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2016/08/22

空費された青春   梅崎春生

 

 青春を空費したことが、一番くやまれる。応召した間だけでなく、その前後の生活が、青春もなにもないものだった。弟が戦病死したのも悲しい。

 しかし、あの組織体のなかに入って、人間の極限状態を見たこと、人間とは、こういうものなんだなと分ったことは、いま小説を書いていて、役にたっているかも知れないが、当時は情ない気持だった。

 軍隊では、おとなしい人が残忍なふるまいをする。他人の苦痛に鈍感になり、たとえば、人がなぐられても、おれでなくって良かったと思ったりするのだ。海南島へ行ってきたという下士官が、こんな話をした。海南島で一人のスパイがつかまったのだ。日本軍は見せしめのために、彼をしばり、便所の横につないでそばに棍棒を置いた。用を足しに行く兵隊は、その棒で一つずつ彼をなぐれというのである。無抵抗のスパイは、なぐられ続けて三日ほどで死んだという。私は、この話を聞いてやり切れんと思った。

 実に、軍隊は人間の生地をさらけ出して見せるところだ。南京の虐殺事件も、普通の日本人なら考えられない行為なのだが、軍隊に入った人には出来たのだ。軍隊は、市民的良心を棄てさせてしまう。人間の欲望が表面に出てくる。ふだん高潔な人が、残飯あさりをやったりもする。

 戦争の悲惨さと同時に、人間の存在や生活の深さが、よく分った。私個人でもそうだ。ああ、おれも結局はこういう悪い感情を持ち、悪いことをするんだなと思うことがある。硫黄島へ部隊の一部が行って、一カ月あまりで玉砕したときは、「自分がそのなかに入っていなくて良かった」という気持が、「かわいそうだ」という気持といっしょに出てきたりした。自己嫌悪に襲われた。

 たとえば、私は戦争中、戦友を殺して肉を食うようなすさまじい場合になったならば、たぶん食われるほうになっただろうが、そこまで行かない場合は、真っ先に餓死するかどうかは自信がないのである。自分が食事当番になったときは、あさましいと思いつつ、自分の食器だけには飯を押しつけて沢山入るようにしたことがある。

 私などは生命の危険はなかった。桜島は洞窟陣地だったから、空襲の心配もない。苦労といえば、なにかといえば、精神棒のお見舞をうけるつらい内務班生活だった。その点、特攻隊は、われわれとは別の世界であった。あってみると、彼らは相当すさんでいた。朝から酒をのんでいたり、われわれがそばに寄ると「コラッ」とどなったりした。

 それもこれも、みな戦争のせいである。非情で同情心のない一種の変質者である職業軍人と、奴隷(どれい)のような部下。そこにある感情は、友情とは別のものだ。戦友とは文通もないし、会わない。会いたいとも思わない。

 

[やぶちゃん注:昭和三二(一九五七)年八月四日号『週刊朝日』初出。底本は沖積舎「梅崎春生全集 第七巻」に拠った。

「弟が戦病死した」梅崎春生の実弟梅崎忠生(昭和四(一九二九)年~昭和二〇(一九四五)年)は彼をモデルにした「狂い凧」によれば、出征中に喘息の治療薬として用いた麻薬の中毒に罹患し、敗戦直前に自殺している(この内、病態は金剛出版昭和五〇(一九七五)年刊の春原千秋・梶谷哲男共著「パトグラフィ叢書 別巻 昭和の作家」の「梅崎春生」(梶谷哲男氏担当)を参考にし、生年は「松岡正剛の千夜千冊」の第一一六一夜「『幻化』梅崎春生」の『長兄と末弟には17歳の歳のひらきがあった』という記載から逆算、没年は底本年譜に『終戦直前に自殺』という記載から推定した。彼忠生については事蹟記載がすこぶる少ない)。底本の別巻にはこの忠生のさらに下の弟(梅崎家は男ばかりの六人兄弟)であった梅崎栄幸氏の「兄、春生のこと」が載るが、そこに『戦後五年ほどして忠生兄の死は、実は戦死ではなくて睡眠薬による自殺であったことを聞いた』とある。喘息の治療薬による中毒からの自殺ならば、広義の「戦病死」という謂い方(というよりも軍歴上の処理)はおかしくはない。しかし、春生は感情的にも「自殺」とは書きたくなかったのであろう。]

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