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2016/08/04

悪役   梅崎春生

 

 大正末期の少年雑誌がなぜ反米的風潮に満ち満ちていたか。太平洋上において日米の利害がそろそろぶつかり合っていたからである。あるいはその予想が徐々にはっきりしてきたからである。大正十一年のワシントン会議がそれに拍車をかけた。

 ではなぜ米国だけが悪役で、イギリスは善玉になっていたのか。これは日英同盟の関係で、イギリスは頼むにたる友邦だという雰囲気がまだ残っていたせいだろう。日英同盟というのは明治三十五年に締結された一種の攻守同盟で、ワシントン会議で破棄されたけれども親英感はまだ薄らいでいなかった。

 当時の少年雑誌の編集方針はどうなっていたか知らないが、男の子は勇ましい物語が好きだろうからと、そういう風潮を利用してぶってきたものらしい。

 最近の少年雑誌を読むと、ヤンキーをぶっ倒せなんていう物語はさすがにのっていない。悪役を引き受けているのは、怪人二十面相式の強盗団とか遊星Xからやってきた邪悪な宇宙人とかで、これらがかつてのアメリカ人の役割を引き受けている。変れば変るものである。

 しかしどうして少年物語には邪悪な仮想敵が必要なのだろうか。そんな疑問がときどき大人の頭をかすめる。大正時代にもそれがかすめて、「赤い鳥」という少年雑誌が大正七年に創刊された。編集は鈴木三重吉である。

 この雑誌は先生も推賞し、おふくろもよしと考えたのだろう。二三号買ってあてがってもらったが、わたしにはいっこうおもしろくなかった。児童文学史的には「赤い鳥」は大きな足あとを残したが売れ行きはさっぱりだったらしく、昭和四年に休刊している。極言すればあの「赤い鳥」は大人の道楽だったのだろう。

 いま思ってもあの雑誌の読み物はなまぬるかった。読んでもカタルシスを感じなかった。いま流行の言葉で言えば、こどもはこどもなりの「欲求不満」があって、無意識裏にそれを晴らすために物語や小説を読む。だからかつてのアメリカ人や現代の二十面相が、どうしても編中に必要なのであろう。

 そう考えるから、わたしはうちのこどもにテレビだのラジオだの雑誌だの好きなものを自由に見せてやる。もちろんあまり極端なのは困るが、いちいち禁止していたんじゃかえって弊害がある。テレビだの小説だのに害されるのは、その子の精神が弱いからである。むしろたくさん与えて抵抗力をつけた方がいい。

「テレビのおかげでうちの子は不良になりました」

 などと泣く親がいても、原則的にはそれはテレビの罪でない。その子の頭の弱さが悪いのである。

 ではわたしのこどものころ、何でもやってよかったかというと、そうでなかった。豆本を読むこととチャンバラごっこをやることは禁止されていた。

 

[やぶちゃん注:「南風北風」連載第四十四回目の昭和三六(一九六一)年二月十六日附『西日本新聞』掲載分。前回の後半の少年向け親英反米小説から上手く繋がっている。

「大正十一年のワシントン会議」一九二一年十一月から翌年二月六日にかけて行われた、ワシントンD.C.で開かれた第一次世界大戦後の国際軍縮会議。アメリカ合衆国大統領ウォレン・ハーディングの提唱によるが、国際連盟の賛助を得ずに実施された。太平洋と東アジアに権益を持つ、日本・イギリス・アメリカ・フランス・イタリア・中華民国・オランダ・ベルギー・ポルトガルの計九カ国が参加したが、ソビエト連邦は会議に招かれていない。アメリカ合衆国が主催した初の国際会議であると同時に史上初の軍縮会議で、この会議を中心に形成されたアジア太平洋地域の戦後秩序を「ワシントン体制」と呼んだ。ウィキのワシントン会議(1922年)によれば、日本は『海軍条約を英米と締結する』『満州とモンゴルにおける日本の権益について正式な承認を得る』の二点に特に力を注ぎ、『その他にも太平洋におけるアメリカ艦隊の展開拡大に対する大きな懸念や、南洋諸島・シベリア・青島の権益を維持するべく、非常に積極的な姿勢で会議を主導する目論見だった』が、『日本政府から代表団への暗号電をアメリカが傍受・解読したことで、会議は一転』、『アメリカ有利に進んだ。アメリカは日本が容認する最も低い海軍比率を知り、これを利用してそこまで日本を譲歩させた』。『また、アメリカは日本のヤップ島領有権を認める代わりに、ドイツ帝国から切断して奪い取ったヤップ島のケーブルについて合衆国の使用権および無線通信局・電報局の運営権を無制限に認めさせた』。また、補注によれば、『日本が譲歩せざるを得なかった理由として、対英米との国力比較ではその差が歴然としていたこと、第一次大戦後は世界的に平和を求める趨勢にあり、日本の国民感情もその例外ではなかったこと、そして』対華二十一カ条要求や『シベリア出兵などの政府方針が国際的にはいうに及ばず国内的にも不評だったこと、そして濡れ手に粟の大戦景気が戦後は一転して大恐慌となり、緊縮財政のなか軍事費の削減が不可避となったことの』三点が挙げられる、とある。

「日英同盟」日本とイギリス両国の攻守同盟(二国以上の国が共同して第三国に対する攻撃や防御のために結ぶ軍事同盟)条約。日清戦争後、ロシアの中国進出に対抗するため、明治三四(一九〇一)年一月から交渉を開始、翌年一月に締結された。朝鮮・中国に於ける日本の、中国に於ける英国の、それぞれの利益擁護のために両国のとる行動を承認するとともに、締約国の一方が二ヶ国以上と交戦の場合には他方は参戦の義務を負うものとしてある。

「遊星Xからやってきた邪悪な宇宙人」因みにこれより前、昭和二七(一九五二)年五月に私の好きなSF小説ジョン・W・キャンベル(John Wood Campbell Jr. 一九一〇年~一九七一年)の「影が行く」(原題:Who Goes There?)を原作とした、ハワード・ホークス製作、クリスティアン・ナイビイ監督の映画「遊星よりの物体X」(原題:The Thing from Another World)が日本で公開されている(アメリカでの公開は前年)。映画は明らかに反ソ宣伝的で、すこぶるショボいものであった。後の二本のリメイク版の方が遙かに面白い。]

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