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2016/08/21

宗祇諸國物語 附やぶちゃん注   飛行(ひぎやう) 人に在り 鳥羽の海 / 宗祇諸國物語~了

    飛行(ひぎやう)在ㇾ人(ひとにあり)鳥羽海(とばのうみ)

 

猿はよく樹にのぼり、水獺(かはうそ)は水にかしこく、鳥の雲に遊び、蟲の池底に集(すだ)く、皆、天性(てんしやう)の得たる所、それすら、人の教ふれば、輪をぬけ、舞をまひ、さまざまの藝を、なす。人は猶、能事の一藝有るべし。一とせ東國行脚の頃、志州(ししう)鳥羽の長汀(ちやうてい)、巡見しける、ある磯部に遊戯(ゆげ)の體(てい)とみえて、侍二十餘人、松陰(まつかげ)の席(せき)を設け、餉(かれいひ)よそひ、魚鳥を鹽梅(あんばい)し、十六、七なる扈從(こじう)の若者にわたす、此の者、とりて波上を靜々(しづしづ)と半町計りゆく。怪しや、化生(けしやう)の所爲(しよゐ)なるべしと、物かげより見居れば、又、沖の方より、四十計りの男、狩衣(かりぎぬ)に太刀帶びたる、此の中にては主人と見えしが、波を步みて則ち水に座して、食器をひかへ、酒飯(しゆはん)を味(あじは)ふ事、常の人の、席(むしろ)に座せる如し。若者、又、配膳給仕する事、波の上の往來(ゆきき)、先のごとくして、後(のち)、主從ともに岸に上る、侍共、皆首(かうべ)をたれ、渇仰(かつがう)す。主人の云く。今日は海上(かいじやう)風なくて波たゝず、無興(ぶきよう)也、歸らんにはしかじ、と、各、率(ひき)ゐて磯づたひに行きぬ。是迄も猶、人のやうには、おもはざりし。爰に此のあたりの蜑(あま)の子とみえて、寄藻(よりも)かく童部(わらはべ)ども、ふたり、みたり、來ぬ。子供よ、今、かゝるふしぎを見しは、と、いへば、夫(そ)れは當所に隱れなき大淀雲藏(おほよどうんざう)殿とて武勇の人、若者は玉繩(たまなは)兎(う)の助、主人におとらず、共に水練の上手と語りしにぞ、扨は人にて有りける、と、しりぬ。月日經て下の野州(やしう)にくだり、千葉常緣(ちばのつねより)に逢ひて、萬の物語りの次で、此の事をいひ出で、人にはかゝる拔群の一藝、あらまほし、と、いへば、常緣、きゝて、祇公もすぐれたる隱し藝はなきか、と、たはふる、予が藝こそ多く侍れ、食を飽迄(あくまで)たうべ、茶をしぶく好み、身、温かに着て、行きたき方に行く、かしかましく口をきく事、此の外、此類ひの藝、數ふるに不ㇾ足(たらず)、と、いへば、笑ひになりて止みぬ。

 

■やぶちゃん注

 末尾に「宗祇諸國物語卷之五大尾」とある。本篇を以って「宗祇諸國物語 附やぶちゃん注」を終わる。

・「能事の一藝」生涯に於いて必ず成し遂げるべき、修練によって身につけたところの、特別の一つの技能・技術・技芸。

・「長汀(ちやうてい)」長い水際(みぎわ)・海浜。

・「遊戯(ゆげ)」ここは物見遊山の謂い。

・「扈從(こじう)」貴人につき従う家来。

・「半町」凡そ五十四メートル強。

・「渇仰(かつがう)す」心から敬愛して仰ぎ慕って丁重に挨拶しているさまを指す。

・「寄藻(よりも)かく」浜辺に寄せる食用に供する藻を搔き獲っている。

・「大淀雲藏(おほよどうんざう)」不詳。

・「玉繩(たまなは)兎(う)の助」不詳。

・「千葉常緣(ちばのつねより)」宗祇に古今伝授をした東常縁(とうのつねより 応永八(一四〇一)年?~文明一六(一四八四)年?)のこと。ウィキの「東常縁」により引く。『室町時代中期から戦国時代初期の武将、歌人。美濃篠脇城主。官職が下野守だったため一般には東野州(とうやしゅう)と称される』。『東氏は千葉氏一族の武士の家柄であったが、先祖の東胤行は藤原為家の娘婿にあたり、藤原定家の血を受け継いでいる』(下線やぶちゃん)。『室町幕府奉公衆として京都にあり、冷泉派の清巌正徹にも和歌を学ぶが』、宝徳二(一四五〇)年、『正式に二条派の尭孝の門弟となる』。康正元(一四五五)年、『関東で享徳の乱が発生、それに伴い下総で起きた本家千葉氏の内紛を収めるため』、第八代『将軍足利義政の命により、嫡流の千葉実胤・自胤兄弟を支援し馬加康胤・原胤房と戦い関東を転戦した。だが、古河公方足利成氏が常縁に敵対的な介入を図ったために成果は芳しくなかった上、同行していた酒井定隆も成氏に寝返った』。『更に関東滞在中に応仁の乱が発生し、所領の美濃郡上を守護土岐成頼を擁する斎藤妙椿に奪われた。しかし、これを嘆いた常縁の歌に感動した妙椿より所領の返還がかなった。その後、二人は詩の交流を続けたという』。文明三(一四七一)年、『宗祇に古今伝授を行い、後年「拾遺愚草」の注釈を宗祇に送っている』(下線やぶちゃん)。『常縁は古今伝授の祖として注目されるが、当時の歌壇の指導者であったわけではなく、むしろ二条派歌学の正説を伝えた歌学者としての功績が大きい。家集には『常縁集』、歌学書には『東野州聞書』がある』。宗祇より二十年上。

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