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2016/08/11

宗祇諸國物語 附やぶちゃん注   連歌に明くる月影

    連歌に明くる月影


Aki

一とせ秋の半ば、安藝(あき)のいつくしまに詣で、法施(ほつせ)奉りて廻廊(くわいらう)に出で、西の海づらをみわたすに、絶景いふに詞(ことば)たらず、島々、波の間(ひま)にうかみ、遠山(ゑんざん)、霧のあなたに高く、鷗の沖にあそび、雁(かり)の雲に飛びかふ迄、所からめづらに見ゆ、干潟の折は陸地(くがぢ)より社にあゆみ、滿つる時は朱(あけ)の玉垣(たまがき)の最中(もなか)迄、波、蕩々と、しろくいろどり、恰(あだ)かも、此の國ながらの龍城(りうじやう)といつつべし。すゑいそぐべき旅にもあらず。又詣づべきえにしも覺えねば、名殘もさすがに、折ふし、汐もみちて道を絶たれば、今宵は通夜(つや)し侍り、神前にこもりて經多羅尼(きやうだらに)などうち誦(ず)して居るに、望月の淸光(せいくわう)、曇りなく、御戸のわたり迄さし入れば、晝の光りのてりそひて、今にあるか、と、あやまたる。去る折りしも、年たけたる神(かん)なぎ參り、御燈(みとう)を挑(かゝ)げ、禮拜す、しようにゑぼしを傾ふけ、印(いん)、ことごと敷く行ひ、まかでける時、參籠を見付けて、旅僧と覺しきが是におはす、いづこの人ぞ、茶なんどきこしめさば今(こ)よひの御番に勤め侍り、何事も申させ給へ、と念頃(ねんごろ)にかたらふ。愚僧は宮古の者にて、初めて當社に詣で侍り、と、あれば、萬(よろづ)心置かれ侍り、けふ、しも、月の最中(もなか)、神前といひ、旅泊の慰さみに、歌にても發句(ほく)にても、きかさしめ、と望む。予も、いかにもして、と心がけ侍れど、習ひなき口のさもしさに、言語(ごんご)、絶え侍り。かゝる事も申され侍らんや、と、

 

  安藝の宮島(みやじま)の月見るこよひかな  宗祇

 

と吟じけるに、巫主(ぶしゆ)かうべを傾(かたふ)けて、是は詩(からうた)のやうにて左(さ)にも非ず、發句(ほく)にもきこえず。ことば、眞直(ますぐ)にて、をかしきふしもなし。何とぞ直(なほ)し給はんや、と、いへば、されば、文字、少し直し侍れば、發句のやうになり侍る、とて、手跡うつくしく書き給ふ。

 

  秋のみや島の月見るこよひかな

 

と書き給へば、神人、肝をけして、御僧はかゝる達人の、田舍人(いなかうど)をさみし給ふ吟じやうかな、といふ。左には侍らず、我がものいひのあやなきに、まぎらはしくて、と、あひしらひ給ふ。夜と共に兩吟して明くれば、神前の御いとま申し出でゝ行きにけり。

 此の後、ある人、信州善光寺に詣でける、秋

 の半(なかば)、通夜(つや)しける人々、

 連歌せん、とて、發句望みければ、

 

  善光寺(ぜんくわじ)の月見るこよひかな

 

 といひて連衆(れんじゆう)に笑はれけるに、

 さるためしこそあれ、宮島にて祇公のかく在

 りし、とて、又、吟じなほしける。

 

  善光(よきひかり)寺(てら)の月みるこよひかな

 

 又、宗祇の門人、北野聖廟(きたのせいべう)

 の神事の日、發句所望せられて、

 

  二十五日は天神まつりかな

 

 といひければ、一座、更に聞得ず、いかゞ心

 得侍らんや、と、とへば、

 

  二十五(つゝいつゝ)日(ひ)は天神(あまがみ)のまつりかな

 

 と答ふ。これら、みな、宮島の神風、吹きひ

 ろごり、其の夜の月のうつりをのこして、狂

 言するなるべし。

 

■やぶちゃん注

 今回も挿絵は「西村本小説全集 上巻」(昭和六〇(一九八五)年勉誠社刊)のそれを用いた。

 

・「所から」場所の様子。「から」は上代語の接尾語で、対象の持つ本性・本来的状態の謂い。現在の接尾語「土地がら」である。

・「いつつべし」ママ。「西村本小説全集 上巻」(昭和六〇(一九八五)年勉誠社刊)でも同じであるが、これは原本の「いひつべし」の翻刻の誤りであろう。

・「經多羅尼(きやうだらに)」「法華経陀羅尼品第二十六」。これは所謂、神秘性の強い祈禱呪文としての陀羅尼とは異なり、それを唱える僧を擁護する特殊で強力なものとされるらしい。

・「神(かん)なぎ」祝(ほうり)などと同階級の、禰宜(ねぎ)よりも下級の神職を指す。

・「御燈(みとう)をかゝげ、禮拜す、しようにゑぼしを傾ふけ」は底本では、

「御燈(みとう)を挑(かゝ)げ、禮拜すしようにゑぼしを傾ふけ」

となっており、「西村本小説全集 上巻」では、

「御灯(ごとう)をかゝげ礼拝(らいはい)すせうにゑぼしをかたふけ」

とあるが、私は底本も「西村本小説全集 上巻」も意味をとることが出来ない。底本の「しよう」は「仕樣」なら歴史的仮名遣が誤りであり、しかし「しよう」では当該する、烏帽前後孰れかに繋がる自然な語句が見当たらない。「西村本小説全集 上巻」の「せうに」でも全く同様である。私の読点配置は実は「禮拜す」で文は切れると考え、「しように」は「ゑぼしを傾ふけ」に係る語句と判断したものである。しかも「西村本小説全集 上巻」を見ると、原本は歴史的仮名遣の誤りが実は非常に多いことが判る。底本は佐々醒雪と巌谷小波が校訂をかなり綿密に行って読み易く改訂されているのであるが、それでも歴史的仮名遣の誤りは、ある。とすれば、この底本の「しように」も原本の「せうに」も実は歴史的仮名遣の誤りであって「しやうに」が正しい表記なのではないか? それならば「正(しやう)に」(間違いがない)或いは「仕樣に」(物事を行うに当たって正しいやり方で)烏帽子を「かたぶけ」(この語は「傾ける」の意の外に「礼拝する」の意がある)た、と極めて問題なく読めるからである。大方の御批判を俟つものではある。

・「ことごと敷く」「ことごとしく」。仰々しく、大袈裟に。

・「御番」「ごばん」。彼はこの日の夜の神社の宿直(とのい)であるらしい。

・「萬(よろづ)心置かれ侍り」いろいろとお気使いもなされ、また、旅中のこととて、御緊張など、なさってもおられることでしょう。

・「習ひなき口のさもしさ」初めての地にして、しかも神聖なる宮島の夜という、慣れぬ場所、慣れぬ刻限のことゆえ、どうも口もこわばって、見苦しいばかりで。

・「巫主(ぶしゆ)」先の「神(かん)なぎ」に同じい。祀りする人の意。

・「をかしきふし」心地よい調子。

・「手跡うつくしく書き給ふ」「書き給へば」ここで句を書き変え、筆で改めて書き直したのは宗祇自身でしかあり得ないのだから、この「給ふ」はおかしい。筆者はここまで宗祇に敬語を用いていない(仮託なのだから当然)。ここは「書きたり」「書きたれば」などと読み換えないと訳せない。

・「神人」「じにん」或いは「じんにん」と読む。ここでは先の「神(かん)なぎ」「巫主(ぶしゆ)」に同じいが、厳密には少し違うと思う。普通は平安から室町にかけて神社に仕えて神事・社務の補助や雑事を担当した下級神職や寄人(よりゅうど)を指す点では一緒だが、彼らは平安末期には僧兵と同様に強訴(ごうそ)などを行なったりした、かなりやくざな存在であるからである(鎌倉以降は課役免除の特権を得るため、本来は神職ではなかった商工人や芸能者が神人となって座を組織して力を持った例も多い)。

・「御僧はかゝる達人の」「の」は同格の格助詞。「で」。

・「さみし」「褊(さみ)す」などと書き、サ行変格活用動詞で、「侮る・軽んじる」の意。

・「あやなき」つまらない。

・「あひしらひ給ふ」この「給ふ」もいらない。「あひしらふ」でよい。現在の「あしらう」の古形で「あへしらふ」とも同源。ここでは、上手くちょこちょこっと取り扱う、適当にあしらっておく、の意。無論、最初の句をかく読み換えることまで総てが、宗祇の最初からの目論みであるが、敢えて都で知られた俳諧連歌の達人であることは最後まで隠しておいたというのである。しかし、糞のような洒落句で、どうもいけ好かぬ。

・「通夜(つや)」ここは寺社に籠って終夜、祈願することを指す。

・「さるためしこそあれ、宮島にて祇公のかく在りし」これは「こそ」已然形で読点で続けるところの逆接用法では、ない。読点は句点とすべきところで、「確か、このような際の好個の例が確かにあった。宮島にて、かの俳聖宗祇先生がこのように(読み換えなさって)句とされたことがあったことじゃて。」という謂いである。

・「北野聖廟(きたのせいべう)の神事の日」現在の京都府京都市上京区にある北野天満宮に纏わる「北野聖廟法楽(ほうらく)和歌」のこと。北野天満宮の月例祭(天神)祭礼は二十五日で、祭神たる菅原道真が和歌を好んだことから、宮中の年中行事に北野聖廟法楽和歌があり、また天神が連歌を好むという伝説から、鎌倉末期より社頭で連歌が興行され、連歌所が設けられて月次会が興行された(ここまでは平凡社「世界大百科事典」に拠る)。以下、個人サイト「悠久」の菅原道真のデータ中の神徳の展開によれば、「法楽」とは、本来は神仏の前に於いて講会を営んで楽を奏して供養することを指すが、北野天満宮に於ける法楽は特に「聖廟法楽」と呼び、有志が寄って和歌や連歌を奉納することを常とした。鎌倉時代の元久元(一二〇四)年、同社社頭に於いて歌合せが行われており、室町時代には同社神前での月次(つきなみ)連歌が恒例となった。天神が生前に進んで冤罪を受け,衆生に代わって悩みを承けたとする「代受苦」の信仰も起こって、神恩奉謝のために貴賤を問わず参集、和歌・連歌を献じては「法楽」とした。足利義満は明徳二(一三九一)年に北野一万句興行を執り行い、また足利義教の夢想の発句による千句通夜興行も有名で、この義教が永享三(一四三一)年に北野会所に於いて連歌会を催したのが、北野天満宮連歌会所の初見で、高山宗砌(そうぜい)が会所奉行に任ぜられている。宗砌の次が能阿(のうあ)、また宗祇も一時、これに任ぜられている。応仁・文明の乱の後、十五世紀末頃に会所奉行は会所別当と改められ、猪苗代兼載(いなわしろけんさい)が任命されている。北野社の正月及び四季に行われる年間計五度の千句連歌の料所として近江国八坂庄があり、連歌会所に属するものに山城国東松崎郷内の田地三町があった。有名な「二条河原落書」に「在々所の歌・連歌」とあるが、各地の連歌の座は天神信仰と深く結ばれており、大和国山辺郡都介(つげ)郷(現在の宇陀郡室生村)の染田(そめた)の天神には南北朝時代から天神講が存在し、名主(みょうしょ)等の連歌会のあったことはよく知られている。文明一二(一四八〇)年の宗祇の「筑紫道記(つくしのみちのき)」には太宰府天満宮の連歌会所のことが見える。また、同じ室町時代に北野天満宮に於いて舞楽が催され、右近馬場に桟敷を設けて勧進猿楽があり、貴賤を問わず見物したという。桃山時代には出雲阿国(おくに)が念仏踊り・歌舞伎踊りを演じたこともあり、京中の町衆の成長につれて、北野社の社頭も庶民の群参する場所の一つになったことが知られる、とある。

・「聞得ず」(句になっていないと)全く理解を示さず。

・「いかゞ心得侍らんや」反語含みで、「一体、どういうつもりなんだ! 訳が分からん!」といった批判である。

・「二十五(つゝいつゝ)日(ひ)は天神(あまがみ)のまつりかな」意味不詳。私は「筒井筒」は「井戸」で水に関わり、「日(ひ)」の神は「天神(あまがみ)」で、御霊(ごりょう)としての怒りの一つである旱(ひでり)を押さえて「井戸」水を枯らさぬ、という含みか? などと考えたが、これ、流石に牽強付会と自認、妻(王朝和歌文学専攻)に聴いてみると、「天神(あまがみ)」は「尼髮」で「尼削(そ)ぎ」、平安頃の少女が髪を肩の辺りで切り揃える「うない髪」「振り分け髪」のことで、知られた「伊勢物語」の「筒井筒」の幼少期のシークエンスに掛けたのではないか? という。何となく納得したが、しかし、どうも完全には肯んじ得ない。識者の御教授を乞うものである。

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