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2016/09/05

芥川龍之介 手帳6 (2)

○桃色の寶づくしの緞子 ○黑の緞子 織紋

[やぶちゃん注:「寶づくし」(寶盡し)とは中国古来の八宝思想に由来する伝統的紋様で、一般には法輪・法螺貝・宝傘・宝蓋・蓮華・鑵(かま=釜)・魚・盤長(中国の紐の結び方の一つ)の八つ。吉祥のシンボルで、「八室」とも言う。また、他に「暗八仙文」というのもあり、そこでは八仙人の持物である宝物によって八仙を表わし、吉祥招来を願う。瓢簞(李鉄拐の持物。以下該当の仙人名)・宝剣(呂洞賓)・扇子(漢鐘離)・魚鼓(張果老)・笛(韓湘子)・陰陽板(曹国舅)・花籠(藍朱和)・蓮華(何仙姑)が宝尽しとなる。他に吉祥来福としては蝙蝠・桃・如意(「福寿如意」を示す)や本邦でもお馴染みの打ち出の小槌・亀・竹なども人気のアイテムである。「上海游記 十七 南國の美人(下)」の条に、「寶盡(たからづく)しの模樣を織つた、薄紫の緞子の衣裳」と出る

「緞子」「どんす」繻子織り(しゅすおり:経(たて)糸と緯(よこ)糸の交わる点を少なくして布面に経糸或いは緯糸のみが現われるように織ったもの。布面に縦又は横の浮きが密に並んで光沢が生すると同時に肌触りもよい高級織布。)の一つ。経繻子(たてしゅす)の地にその裏織り組んだ緯繻子(よこしゅす)によって文様を浮き表わした光沢のある絹織物。室町中期に中国から渡来した。「どん」「す」は孰れも唐音である。]

 

○師友紀談 李元攷○春渚紀聞 何※○梁谿漫志 費袞補之○浩然齋雅談 周密〇該餘叢攷 趙翼○池北偶談 王阮亭○姚首源 古今僞書考

[やぶちゃん注:「※」=(くさかんむり)+「遠」。

「師友紀談 李元攷」書名・作者ともに不詳。作者は「りげんかう(りげんこう)」と読むのだろうが、それにしてもそれぞれを単独で検索しても掛かってこないのは、旧全集編者の誤判読が疑わられるか?

「春渚紀聞 何※」(「※」=(くさかんむり)+「遠」)書名は「しゆんしよきぶん(しゅんしょきぶん)」、著者は宋代の人で「か い」と読む。北宋期の遺文逸事を記したもの。

「梁谿漫志 費袞補之」書名は「りようけいまんし(りょうけいまんし)」、著者は南宋の人で「費袞」は「ひ こん」と読む。「補之」は「ほし」で字(あざな)。考証随筆。

「浩然齋雅談 周密」宋代に周密によって書かれた随筆。「浩然斎詩話」の別名がある。

「該餘叢攷 趙翼」清の乾隆帝時代の著名な詩人で歴史学者であった趙翼の書いた学術書「陔余叢考(がいよそうこう)」。全四十三巻。著者は「陔余」とは親に仕える余暇の意味で、官を辞し、郷里に帰って以後、中国の正史(二十四史)の異同を校勘・指摘し、更に盛衰を論評した大著「二十二史箚記(とうき)」を書く傍ら。書き溜めた読書ノートを纏めたもの(以上は「ブリタニカ国際大百科事典」に拠る)。

「池北偶談 王阮亭」「阮亭」は清初の詩人で文学者王士禎の号。漁洋山人の号で知られる。「池北偶談」は全二十六巻を談故・談献・談芸・談異の四項に分けた随筆。

「姚首源 古今僞書考」清代の文人姚際恒(よう さいこう)の偽書考証書。]

 

○李人傑

[やぶちゃん注:「李人傑」は李漢俊(一八九〇年~一九二七年)の別名。日本に留学、大正七(一九一八)年に東京帝国大学卒業後、上海で翻訳著述に携わりながら、革命を鼓吹。一九二〇年八月に陳独秀らと上海で共産主義グループを組織、週間雑誌『労働界』を創刊した。一九二一年七月には中国共産党第一次全国代表大会に参加、創立メンバーの一人となった(後に党は離脱している)。その後、上海大学・武昌中山大学等の教授をし、国民党支配の時代には湖北省政府教育庁長となるが、国民党右派の反共活動には、終始、抵抗し続けた。辛亥革命失敗後に逮捕・殺害された。享年三十七歳。解放後、中央人民政府は彼を烈士の列に加えている。「上海游記 十八 李人傑氏」の本部の及び私の注を参照されたい。]

 

○小有天「道々非常道 天々小有天」○淸道人(造可道非常道)道裝○鄭孝胥もひき立てた由

[やぶちゃん注:ここ以下は「上海游記 十五 南國の美人(上)」で生かされている。

「小有天」は上海の漢口路にあった料理店の名。同名の施設が複数、現在の漢口路にあるが、残念ながら、この料亭と直接関係があるかどうかは確認出来なかった。

「道道非常道 天天小有天」とは「道の道、常の道に非ず、天の天、小有天。」で、『人が歩むべき道の中でも「まこと」の仁の道というものは、普通の道ではない!――天国の中の「まこと」の天国というものは、酒楼「小有天」!』といった感じノキャッチ・フレーズか。試みに、単純に辞書を引き引き、中国音に直して見ると、“dàodào fēichángdào, tiāntiān xiăoyŏtiān(タオタオ フェイチォアンタオ、 ティエンティエン シィアオヨティエン)で、中国語の分からぬ私でも発音してみたくなる小気味良い響きである。

「清道人」名書家李瑞清(一八六七年~一九二〇年)の号(但し、民国成立後のもの)。江西省臨川出身で、二十八歳で進士に登第、南京両江優級師範監督及び江寧提学使の教育職を兼職、芸術教育を提唱し、多くの人材を育成した。行・草書では黄山谷の風を能くし、金石文から木簡に至るまであらゆる文字・書・詩画にも秀でた。辛亥革命後は上海を中心として書で生計を立てて、当代の大書家と称せられた(以上の事蹟は主に好古齋氏のサイトの「李瑞清」を参照した)。

「造可道非常道」これは「老子」の冒頭。「道可道、非常道。」(道(みち)の道とすべきは、常の道に非ず。)。「道道非常道」がそれに基づく洒落であることを示したものであろうが、「道裝」というのは判らぬ。

「鄭孝胥」(ていこいしよ(ていこうしょ)一八六〇年~一九三八年)は清末の一九二四年に総理内務府大臣就任(最早、清滅亡を眼前にして有名無実の職であったが、失意の溥儀によく尽くし、後、満州国にあってもその誠心を貫いた)、後、満州国国務院総理(首相)となった。詩人・書家としても知られる。詩人・書家としても知られる。ウィキの「鄭孝胥」によれば、一九三二(昭和七)年の『満州国建国に際しても溥儀と一緒に満州入りし』、二年後には初代国務院総理となったが、『「我が国はいつまでも子供ではない」と実権を握る関東軍を批判する発言を行ったことから』一九三五(昭和十)年、辞任に追い込まれた。「上海游記 十三 鄭孝胥氏」の本文及び私の注も参照されたい。]

 

○愛春 薄紫に白の織紋(ドン子) 翡翠の蝶(左胸) 眞珠の胸紐 腕時計 耳飾pearl. 髪紐(靑色) 靑磁色の褲子(織紋) スカホ

[やぶちゃん注:「愛春」は「上海游記 十五 南國の美人(上)」に出る妓女の名。次の「時鴻」ともにであろう。

「褲子」(「褲」の音は「コ」であるが)中国語で「クーツー」で「ズボン」(様の下穿き)の意。

「スカホ」意味不明。識者の御教授を乞う。]

 

○時鴻 金と寶石の蝶(右胸) 髮紐(桃色) 木香(左胸) 紫緞子(藍と銀) 江西の人 舊風 紅 指環二つ pearl neck-lace. 眞珠の環(右) 時計(左)

[やぶちゃん注:この芸妓も「上海游記 十六 南國の美人(中)」に登場する。

「木香」「もつかう(もっこう)」で、インド北部原産の多年生草本であるキク目キク科トウヒレン属 Saussurea costus 又は Saussurea lappa 孰れかを指す。根を生薬で「モッコウ」と称し、芳香性健胃作用を持つ。]

 

○鏡(金-梅竹)綠のセルロイドの櫛 ○黑衣の婆 金の腕環 琵琶 ○黑衣の男 鼠の中折 淺黃の風呂布

[やぶちゃん注:「鏡(金-梅竹)」とは、鏡の背の部分が金で鍍金されていてそこに梅と竹が描かれているのであろうか。

「鼠の中折」「上海游記 十六 南國の美人(中)」に「胡弓彈きの男はどう云ふ訣か、大抵胡弓を彈きながらも、殺風景を極めた鳥打帽や中折帽をかぶつてゐる」とある。]

 

○胡弓に合せて唄ふ女 足を重ねて坐す 秦樓 桃色と鋼靑(紺緣)

[やぶちゃん注:「秦樓」(しんろう)はやはり芸妓の名。「上海游記 十六 南國の美人(中)」に登場。

「鋼靑」は「こうせい」で色の名。緑青と同じい。

「紺緣」紺色の着物の縁(へり)の意であろう。]

 

○黑 銀緣 腕環(左翡翠、右金銀) 褲サヤガタ 上衣蘭花 引眉 頰紅 平面 背低肥 細目vivid. 贅肉 眶 揉上げなし 口元の皺 白蘭(髮) 櫛(黑)――鼈甲 耳環Diamond. 頸元にdiamondと翡翠の勳章 diamondの指環(財産のall 手(子供じみたる) 五十八 四十位に見ゆ 眞珠の粉を靑年時代にのむ 不老術 阿片をのむ故老いたり

[やぶちゃん注:「上海游記 十六 南國の美人(中)」に登場する名妓林黛玉(本名・梅逢春)の描写メモ。

「褲」前に出たズボン(様の下穿き)。

「眶」「まぶた」或いは「まぶち」。瞼(まぶた)のこと。]

 

○萍郷 京調の黨馬 ○秦樓 西皮調の汾河灣(胡弓) ○洛娥 貴州省長王文華暗殺 黑衣白蘭 diamondの指環

[やぶちゃん注:「萍郷」芸妓の名。「上海游記 十六 南國の美人(中)」に登場。

「京調の黨馬」芥川龍之介の小説「湖南の扇」(大正一五(一九二六)年一月『中央公論』)に使っている(リンク先は私の注釈附電子テクスト)。「京調」は現在、京劇と同義で用いられるが、秦剛氏の「芥川龍之介が観た 1921年・郷愁の北京」によれば、実は芥川が渡中したこの頃、「京劇」という語は未だ定着していなかった、とある。所謂、当時、主流になりつつあった新劇としての「原」京劇は「皮黄戯」と呼ばれ、劇の曲想に主に二つの節があった。それを「西皮調」(ここに出る)・「二黄調」と言う。「西皮調」は快濶で激しく、「二黄調」は落ち着いた静かな曲想を言った。「黨馬」の方は筑摩全集類聚版の「湖南の扇」の脚注では、『戯曲。官吏が十八名の大盗を護送してゆく途中で事故を起し、罪にとわれる話。』とするのであるが、そもそも「黨馬」(党馬)なる京劇が存在しない。山田俊治氏の岩波新全集の同作の注解では、『党馬は京劇「当鐗売馬」のことか。』とある。確かに京劇には「當鐗賣馬」という演目名を見出せるが、ここまでである。この山田氏の言う「當鐗賣馬」が正しく、「黨馬」は芥川の誤りであり(字面からはその可能性は極めて高いが)、筑摩版の言う内容が「黨馬」ならぬ「當鐗賣馬」であるかどうかも、分からない。山田氏にはせめて「當鐗賣馬」の梗概を記して欲しかった。

「汾河灣」は「ふんかわん」と読み、当時の西皮調京劇の人気演目の一つ。加藤徹氏の「芥川龍之介が見た京劇」の中の「京劇の歌を唱う芸者たち――林黛玉(二)」によれば、薛仁貴(せつじんき)『は若いころは貧乏な雇われ人で、主家の娘・柳迎春と駆け落ちする。やがて大きな戦争が始まり、薛仁貴は出征。柳迎春は男子を生み、「丁山」と名づける。年月がたち、丁山は少年となり、弓で雁を射落として母を養う。いっぽう、薛仁貴は東の外国との戦争で大手柄を立て、出世を遂げ、妻を探しに故郷にもどり、汾河湾の地まで来る。突然、虎があらわれ、薛仁貴はあわてて矢を射て、誤って丁山を射殺する。その後、薛仁貴は妻を探しあて、感激の再会を果たす。息子が生まれていたことを知って彼が喜んだのも束の間。彼は妻の話を聞くうちに、さきほど矢で射殺した少年が自分の息子であることを悟り、夫婦は悲嘆にくれる。』というストーリーである。「湖南の扇」に使われているが、芥川龍之介は上海游記 十六 南國の美人(中)」のシーンを援用したことがこのメモで判る。

「洛娥」芸妓名。「上海游記 十六 南國の美人(中)」に登場する。以下に引く。

   *

 時鴻の次にはいつて來たのは、――さう一一書き立ててゐては、如何に私でもくたびれるから、跡(あと)は唯その中の二人だけをちよいと紹介しよう。その一人の洛娥(らくが)と云ふのは、貴州の省長(しやうちやう)王文華と結婚するばかりになつてゐた所、王が暗殺された爲に、今でも藝者をしてゐると云ふ、甚薄命な美人だつた。これは黑い紋緞子(もんどんす)に、匂の好(よ)い白蘭花(パレエホア)を插(はさ)んだきり、全然何も着飾つてゐない。その年よりも地味ななりが、涼しい瞳の持ち主だけに、如何にも淸楚な感じを與へた。

   *

「貴州省長王文華暗殺」の「貴州省」は中国西南の内陸に位置し、ほとんどが雲貴高原からなり、カルスト地形が占める。王文華(一八八七年~一九二一年)は貴州省興義県出身の中華民国軍人。孫文支持派で中華革命党にも加入している。辛亥革命後、貴州省警察庁庁長・貴州省最高軍政副官長を兼任。貴州省内では北京政府支持派の劉顕世と対立、暫く上海を拠点に孫文の支援する活動をしながら、貴州に戻る時期を見計らっていたが(この時期に、この洛娥という妓とのラブ・ロマンスがあったか)、一九二一年三月十六日、部下である袁祖銘に裏切られ、彼が放った刺客によって上海で暗殺された。享年三十五歳であった。芥川が渡中のために東京を出立したのは同年の三月十九日のことである。洛娥はこの時、愛人を失って二月も経ってはいなかったのである(以上の王文華の政治的な事蹟は、ウィキの「王文華」に依った)。]

 

○黛玉 1秦腔 胡弓と笛 山西より起る この調慨慷哀惋悽楚 2昆曲 江蘇省昆山縣より起る 笛

[やぶちゃん注:「秦腔」現在の陝西省・甘粛省・青海省・寧夏回族自治区・新疆ウイグル族自治区等の西北地区で行われている最大最古の伝統劇の名称。京劇を中心としたあらゆる戯形態に影響を与えたことから「百種劇曲の祖」と呼ばれる。ナツメの木で作った梆子(ばんし:拍子木。)を用いることから「梆子腔」という呼び方もある。その歌曲は喜怒哀楽の激しい強調表現を特徴とする(以上は「東来宝信息諮詢(西安)有限公司」の公式サイトの「西安・陝西情報」の「民間藝術」にある「秦腔」の記載を参照した)。

「慨慷」「慷慨(忼慨)」に同じい。世間の悪しき様態(風潮や政治社会の不正など)を怒り嘆くこと。また、意気が盛んなこと。

「哀惋」「あいゑん」。悲痛・悲哀の意。

「悽楚」「せいそ」。痛み苦しむさま。

「崑曲」中国の古典戯曲の一派で「崑腔」「崑山腔」とも称する。中国の戯曲は古くは「北曲」と「南曲」の二系統があったが、嘉靖(一五二二年~一五六七年)の頃に、北曲は衰微して南曲が盛んとなった。この崑曲はその南曲から出たもので、嘉靖の初め頃、「崑山」地方(現在の江蘇省)で魏良輔 (ぎりょうほ 一五二二年以前~一五七二年頃)が「海塩腔」や「弋陽腔(よくようこう)」などの他の南曲や北曲の長所を取入れて大成したという(以上は「ブリタニカ国際大百科事典」に拠る)。

 

○天竺 眞珠の首飾 金釧寛 白髻

[やぶちゃん注:「天竺」芸妓名。「上海游記 十六 南國の美人(中)」先の洛蛾と一緒に入ってきた少女の一人で、以下のように描出される。

   *

もう一人はまだ十二三のおとなしさうな少女である。金の腕環や眞珠の首飾りも、この藝者がしてゐるのを見ると、玩具のやうにしか思はれない。しかも何とかからかはれると、世間一般の處子(しよし)のやうに、恥しさうな表情を見せる。それが又不思議な事には、日本人だと失笑に堪へない、天竺(てんぢく)と云ふ名の主人公だつた。

   *

「金釧寛」不詳。但し、「釧」(音「セン」・訓「くしろ・うでわ」)は古代の腕輪で貝・石・青銅・鉄などで作ったものを指すから、金の腕輪で、さすれば、「寛」は同音の「環」の意ではあるまいか?]

 

○西皮調 武家坡 薛平貴唱 八月十五月光明 藤平貴在月下修寫書文 王寶川唱 我間他好來 薛唱 他到好 王唱 再問他好來 薛唱 倒他安寧 王唱 衣裳破了 薛唱 自有人逢 薛太哥 ※幾年 運不通他在那 西涼國 受了苦辛……

 

[やぶちゃん字注:「※」=「辶」+「文」。これは恐らく、西皮調劇の「武家坡(ぶかは)」の台詞の一部を引き写したものである。中文サイト「唱段中心」のこちらでこれらの台詞と実際の舞台音声が聴ける。同劇の梗概(但し、これは京劇としてブラッシュ・アップされたもののように思われる)は加藤徹氏のサイト「京劇城」の「京劇実況中継」の「武家坡」で読める。]

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